64 魔王城のエリオン
中盤を差し替えました。2025年7月21日
訂正前)
前世で、とある英雄の夫人が『うちの人を生き返らせて!』と、切断された首と胴体を車に運ばせて、彼女の元に駆け込んだ。
死人を戻せないと拒むと『あの男の腕は繋げたのに!? どうしてうちの人は駄目なの!? 魔女の癖に!』と罵られた。
↓
訂正後)
前世で、農民の女が『坊やを助けて!』と、幼い子を抱えて彼女の元に駆け込んだ。
子供は息をしていなかった。死人を生き返らせることはできないと拒むと『領主の孫は助けたのに、あたしが貧しいから見捨てるのね!』と罵られた。
「私が殺した」
呟きが、女ひとりだけの魔王城を駆け抜けた。
史師エリオンは七人の勇者を率い、たった今、魔王ネクロザールを倒した。
勇者たちは魔王城から脱出した。彼らが引き返そうとしても、もう戻れない。史師が魔王城に強力な封印をかけたから。
封印を施したエリオンの身体は、大理石の床に崩れ落ちた。四肢をだらしなく投げ出し口を半開きにして、切断されたネクロザールの首と胴体をぼんやりと眺めた。
流れた血が大理石の床を染める。
エリオンの胸に悲しみも怒りも湧いてこない。ただ、想定外の事態に思考が停止していた。
魔法使いジュゼッペに、氷の魔法でネクロザールを攻撃させる。その後は先ほどと同じように、七人の勇者を魔王城から追い出して封印をかけ、直ちに氷の魔法を解除しネクロザールを復活させる……そのつもりだったが、なぜ失敗した?
「勇者たちは私に忠誠を誓ったのではなかったのか? どこで間違えた?」
エリオン以外誰もいないはずの玉座の間に、男の声が響いた。
『お前はなまじ人の心を操れるから、わからないのだ。魔の力に魅せられても、愚かでみすぼらしい者でも、変えられない矜持があるのだぞ』
彼女はその言葉を、目の前に転がる男から何度も聞かされた。冷たく突き放すように。彼女を災いだと言わんばかりに。
「アトレウス。あなたはいつも正しかった。いつも私を否定した」
目の前の男は彼が主張していた通り、蘇った統一王アトレウスに他ならなかった。
輝く黄金の髪、青く澄み切った眼、聞く者の全身を震わせる声。
それ以上に、彼が大陸の人々を苦しめた過酷な政策こそ、ネクロザールが真実アトレウスである証であった。
虚ろのままにエリオンは、ゆっくり立ち上がる。
「つっ!」
立ち上がった瞬間、全身にヒリヒリする痛みを覚えた。特に左頬は、突き刺すように痛い。
痛みで彼女は思い出した。少年魔法使いジュゼッペの火の攻撃を受けたことを。
あの火柱をまともに受ければ、普通の人間なら即死であろう。が、エリオンには魔法を無効化する力があったため、死を免れた。
それでも魔王がじかに讃えた天才魔法使いの技を、完全に打ち消すことはできなかった。
しかし今の彼女にとって、火傷の痛みはかえってありがたかった。虚ろな胸を埋めるものならなんでもよい。苦痛であれば苦痛であるほどありがたい。
「それにしても困った。このままでは、あなたとの約束が果たせない」
ふらふらとエリオンは、黄金の髪で覆われた頭を持ち上げた。人の首の重さは知っている。前世でも現世でも、首を持ち上げたことはある。
この男はよく三つ四つの首を持ち帰り、彼女に見せつけていた。
『見よ! 魔道に溺れた領主が、魔力のない俺に敗れたぞ!』
「あなたにとって魔法が使えないご自身は、誇りでしたね……だからあなたは私を、『ゴンドレシアの魔女め』と何度も蔑んだ」
エリオンは前世で、ときたま手足と胴体を繋げていた。
敵軍に腕を切断された英雄に、治癒の力を注いだところ、見事元に戻った。周りは彼女の奇跡の技を称えた。
しかし首を繋げたことはない。無意味だと知っていたから。
幾たびの奇跡を起こした彼女だが、死人を生き返らせたことはない。
前世で、農民の女が『坊やを助けて!』と、幼い子を抱えて彼女の元に駆け込んだ。
子供は息をしていなかった。死人を生き返らせることはできないと拒むと『領主の孫は助けたのに、あたしが貧しいから見捨てるのね!』と罵られた。
それを知ったアトレウスは、彼女を厳しく非難した。
『お前が自分で治癒する者を選ぶから、恨まれるのだ。余計なことをするな。お前は俺に従っていればよい』
まぶたに浮かぶアトレウスは、いつも眦を釣り上げていた。
エリオンは魔王の頭を持ち上げた。切断面をじっくりと観察し、首と胴体を慎重に合わせる。意識をつなぎ目に集中させた。
と、ゴツゴツと濁った音が鳴る。首の骨が再生されたようだ。ゴボゴボと泥水に発する泡のような音に変わり、皮膚の裂け目がつながった。
頚のつなぎ目はうっすらと白く光っている。
慎重にエリオンは首を離した。魔王の頭はちぎれて転がり落ちることなく、収まっている。
しかし、男が息を取り戻す気配はない。
「……やはり無駄だった。残念ながら、あなたとの約束は果たせそうもない」
エリオンがネクロザールを生かそうとしたのは、愛のためではなかった。愛は千年以上の彼方に消え失せた。
この男と昨晩抱き合ったのは、愛のためではなかった。話し合いの延長に過ぎない行為だった。
行為のあと目覚めた彼女は、魔王の寝室を出る際に宣言した。
『ネクロザール! あなたに死よりも恐ろしい地獄を見せてやろう!』
死よりも恐ろしい地獄。
彼を生かそうとしたのは絶望させるため。死んでもらっては意味がない。
いくら見つめても、目の前の男は微動だにしない。
「それにしてもこんな顔、久しぶりに見る」
この男は絶えず「お前と出会わなければよかった」と繰り返していた。
しかし死の直前の彼は、いつになく優しげで、かすかに笑っているようだ。
「この人も昔はこんな顔をして……優しかった……」
再び男の声が、玉座の間に響く。
『ああ、ずっとあんたを守ってやるよ』
千年前、アルゴス王の王宮で、王の護衛アトレウスは、泣きそうな少女を力づけてくれた。
後世、聖妃として崇められるアタランテが、生涯初めて、そして唯一の恋に陥った瞬間だった。




