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彼女の前世がニホンジン? 2 聖妃二千年の愛  作者: さんかくひかる
6章 真紀(最後のメッセージ)
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63 人生の最終日

 ロバートの気迫に押され、メアリは人生最後の記憶を語った。

 上司と最後のランチを共にした後のことは覚えていない。その後、なにか事故に遭って亡くなったと思われるが、詳細はわからない。

 寝室のソファで、二人は肩を寄せ合う。


「ロバート様、こんな話聞いても、面白くはありませんよね」


 中年派遣事務員のありふれた一コマに過ぎない。


「……その、君は前世でその男が好きだったのか?」


「尊敬はしていましたが……私は十歳も年上で四十代半ば過ぎていましたから……」


 王太子は目を閉じ首を傾け、押し黙る。

 時計の振り子が何度も揺れた。メアリは固唾を飲み、婚約者の言葉を待つ。長い沈黙のあと、ロバートは眉を寄せて告げた。


「……君は、決して僕から離れてはならない」


 王太子は婚約者の返事を待たず、唇を塞いだ。抱き合ったまま二人は、ベッドに沈み込んだ。



 メアリは例によってロバートが寝付いたことを確認すると、そっと彼の元から抜け出し、用意された客室に戻った。

 ガウンを外した途端、薄暗い部屋で強烈な光が眼に突き刺さり、思わず目を閉じた。光が一瞬で消えたが、メアリは全身を震わせ自らを抱きしめる。


「最後の日……思い出したわ……あのエスニックレストランを出て、私は……」


 たった今、メアリ・カートレットの前世は完成された。



 野々宮真紀は自宅のワンルームで、桑原和人と決裂したランチを思い出す。


 ――付き合ってる人、いるんですか?


 昔は異性同性問わず、たまに聞かれた。そのたびに真紀は訳もなく怒りが湧いて、今回のように目を吊り上げて返した。

 不愉快この上ない質問ではあるが、なぜあそこまで拒絶反応をアピールするのか、真紀自身もよくわからない。


「課長はどうせ二度と会うこともないし、考えても仕方ない!」


 クッションに抱きつき、ラグマットの上で丸くなった。


「そうよ! 私には、ジャコモ様がいるじゃない!」


 真紀はスマホのコミックアプリを立ち上げた。


「そうだ、えいか先生のサイン会、今度こそ行ってみようかな。次の仕事が決まるまで好きにできるし。あ、久しぶりにローカルバス旅、行ってみようか、ついでに実家に寄って……それはないか。お母さんも弟も、いまさら私の顔など、見たくないはず」


 仕事の合間の楽しいプランを練っていても、心は晴れない。いつまでも派遣の事務で生きていけるか心許ない。こんな歳だが資格を取って、職種を広げるべきか……。


「桑原課長に相談したら、なんて答えてくれるかな?」


 送別のランチであんなにキレ散らかしといて、虫がいいにも程があるなと、真紀は自嘲する。

 餞別のアロマキャンドルを取り出して、温めてみた。ラベンダーの香りに胸が満たされる。

 なぜか涙が出てきた。いくつもの派遣先を渡り歩いてきたが、最後の日に泣くことはなかった。


 せっかく憧れの上司がわざわざ送別のランチをご馳走してくれたのに、一方的に怒りをぶつけ、気まずいまま終わった。

 いやだ! あんな終わり方はいやだ!

 どうせ終わるなら、どうせ嫌われるなら……もっと違う嫌われ方をしたい。


 真紀は、スマホを取り出した。

 桑原課長に向けて、メッセージを送信する。

 業務連絡以外に使ったことはないこのアプリを初めて個人的な目的で使う。


『桑原課長、せっかくご馳走してくれたのに、申し訳ございませんでした。お詫びにお茶を奢らせてください』


 我ながら痛いメッセージだと、恥ずかしくなる。

 十中八九断られるだろう。いや既読スルーされ、即ブロックされておかしくない。


「あああああ! 絶対、課長はドン引きしてる! キモいよね。こんなおばさんからアプローチされても、私こそセクハラじゃん!」


 真紀はラグマットの上で悶絶する。

 メッセージにまもなく既読がついた。

 が、返事は来ない。一分待っても二分待っても……三十分待っても返事は来なかった。


「仕方ないよね。すぐブロックされなかっただけ、いいとしよう!」


 どうにも落ち着いていられず、真紀は立ち上がった。


「外食の仕切り直し! 近所のファミレスで気分転換!」


 が、部屋を出て階段に差し掛かったところ、スマホが小さく鳴る。メッセージを受信したらしい。

 まさか、まさか……いや期待しすぎるな、自分宛のメッセージのほとんどは、DMだ。

 通知に表示されていたのは、待ち望んでいた桑原からのメッセージだった。


 通知には、『ありがとうございます』と礼儀正しい挨拶が表示されている。

 この感じなら、たとえお断りにしろ優しく諭すような文面に違いない。

 返事が来るだけで充分。と、アプリを立ち上げようとしたところ。

 真紀はアパートの階段を踏み外し転倒する。


「え! わっ! う、うそ!」


 女の身体は勢いよく階段を転げ落ち、何度も頭を強く打った。

 打ち所が悪かったのか、真紀は指一本も動かせなくなった。突然、暗闇に放り出され、意識だけが残った。


(……こんなところで私の人生終わり? ジャコモ様とルチアのハッピーエンド、見たかったよ……えいか先生のサイン会……遠慮しないで行けばよかった……醜いおばさんが若い子達に混じってファンを名乗るのが恥ずかしかった……ごめん、お母さん、道太郎。お母さんが道太郎ばっかり贔屓するから、私、大学入学で上京してから、ろくに帰ってなかったけど……一度もお母さんと話し合ったことなかったね……)


 真紀の意識は、強烈な力で引っ張られた。力の元の穴に入ったら二度と戻れないと、彼女はわかっていた。


(あああ、私間違えた。桑原さんに「付き合ってる人? いませんよ。そんなこと聞くなら、課長、私と付き合ってくださいよ」と答えればよかった。どうせ嫌われるなら、想いを伝えるべきだった……課長の返事を知りたい……駄目……もう私は……)


 野々宮真紀は四十五年の生涯を終えた。



 メアリは一人の寝室で涙をハラハラとこぼした。本当の最後を思い出した。


「私、私は誰なの? 誰を愛しているの?」


 いまさら前世でやり残したことを、実現することはできない。

 ジャコモとルチアの恋の行方はもう確かめられない。えいか先生のサインは二度と手に入れられない。母と弟にも二度と会えない。

 そして……桑原和人の返事を読むことはできない。彼が真紀と会うつもりがあったのか、知ることはできない。


「私、本当にこのままでいいの?」


 何度もロバートから離れようと考えた。

 はじめは、悪役令嬢こそ自分の宿命と考えた。

 次には、転生者であることを明かそうと決意した。


 そして今、メアリは、混乱の渦に呑まれている。

 ロバートの妻になりたいのに、前世への未練が断ちきれない。


(やはり自分が転生者であることを明かしてしまおうか? もしかすると、知り合いの転生者が名乗り出るかもしれない)


「私は何を考えているの? 今、迂闊に自分が転生者と明かせば、国王王妃両陛下、それにお父様とお母様にも、迷惑をかけるだけ」


 なによりも愛するロバートは、何重にも苦しむだろう。


「やめなさい、野々宮真紀! あなたの人生は終わったの!」


 前世の真紀が未練を残したまま人生を終えたのは、誰のせいでもない。推しのサイン、家族との和解、そして……愛の告白……。

 いくらでも機会はあった。彼女は年齢や能力を言い訳に、幸せから遠ざかっていた。

 メアリは、マントルピースに飾られているエリオン像に問いかける。


「エリオン様! あなた様は誠に正しいお方。転生者は世界に害をなすのみ。中途半端に前世の知識をひけらかしては、世の中をいたずらに不安にさせる。ええ! 悪魔払いの儀式は正しかった!」


 メアリは拳を握りしめる。


「でも、エリオン様! 転生した人間だって幸せになりたいのです! あなた様は、多くの民を救われた。どうかそのお慈悲を、我ら転生者にも授けてくださいませ」


 白い両の腕を、メアリは掲げた。


「エリオン様! 私はロバート様と添い遂げるべきなのでしょうか? それとも、あの方のために身を引くべきなのでしょうか? 私に生きる道をお示しください!」


 エリオンの像からは、なにも返ってこなかった。



 メアリは、再び眠りに落ちた。

 が、ほどなくゆらりと身を起こした。


「メアリ……残念ながらエリオンは、偽りの救世主だ。だからお前に正しい道を示すことはできない」


 メアリの身はベッドを抜け出し廊下に出た。王太子の寝室にそっと忍び込む。

 椅子に腰掛け、眠るロバートを見つめた。

 サイドテーブルに置かれたアンティークのオイルランプが、王太子の端正な寝顔を優しく照らす。


「髪が短くなった……かつてはたなびく黄金の髪が輝き、私はずっと見つめて……」


 メアリの白い指が、ロバートの前髪に伸びる。が、彼女の指は髪に触れる寸前で止まった。


「ロバートはメアリのもの。私が触れるわけにいかない」


 女は手を引っ込め、ロバートをじっと見つめる。


「わかっている。ロバートにはメアリが必要……でも……」


 女はブルネットの巻き毛をグシャグシャにかき乱す。


「私は……この人の傍にいるのは辛い。なのに、なぜ私は、ここに通うことをやめられない。私はメアリと同じ。離れるべきだとわかっても離れられない。」


 メアリの両の手がわなわなと震える。


「この人を傍で見つめる資格は、私にはないのに!」


 女はブルネットの巻き毛をクシャクシャにかき乱した。


「私がこの人を殺した!」


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