5 辺境の男女四人物語
ゴンドレシア大陸には、代々聖王アトレウスの子孫が王として君臨していた。
しかし聖王の時代から千年経ち、王の権威は失墜。地方領主たちが台頭し、領地をめぐっての争いが始まった。
この動乱は、青年ネクロザールの出現で速やかに終息した。彼は、自らを聖王アトレウスの生まれ変わりと名乗り、相争う領主たちを支配下においた。
大陸は、かつての栄光と平和を取り戻したかにみえた。
が、それはひとときのこと。ネクロザールの統一によって、大陸はさらなる苦難に見舞われる。
彼は、かつての領主たちより重い税や労役を、民に課した。
不作の年でも税を取り立てるため、多くの民が飢え死にする。若者は里を捨てて山に逃げ込む。しかし山に逃げ込んでも、ネクロザールの兵士たちにすぐに連れ戻され、囚人として過酷な労役に処せられた。
心ある領主は民を思い、税の取り立てを見合わせた。が、そのような温情ある領主を、ネクロザールが派遣した役人たちは「法に背いた」と処刑する。処刑のあと、領地はネクロザールの直轄地となった。
さらにネクロザールは、聖妃アタランテを甦らせるためとして、多くの幼子を各地から集め、生け贄に捧げた。
うず高く積み上げられた屍を前に、人々は慟哭する。
しかし彼が聖王アトレウスの生まれ変わりと称する以上、民は従うしかなかった。
ネクロザールの台頭から二十年が経った。
ラテーヌ地方の辺境の村ラサでは小麦や葡萄がよく実ったため、統一王ネクロザールの重税をなんとか凌ぎ、村人は慎ましくも穏やかに暮らしていた。
「こりゃ、足踏みの板が壊れてんな」
ラサの鍛冶屋マルセルは今年で二十才。織り機の前にしゃがみこみ、器用に金槌をトントンと叩いていた。
「よっしゃ、これで新しい板に交換したぞ」
マルセルは立ち上がり、織り機のペダルをリズミカルに踏んだ。
張られた縦糸たちが交互に波を打つ。
「マルセル! すごいわ。あなたってなんでも直せるのね!」
赤毛を編み上げた美しい女が、琥珀色の大きな目を輝かせ、鈴の音のような声を響かせる。
二つ年上の幼馴染の眩しさをマルセルは直視できず、俯いた。
「シャルロットさん。俺はこれで」
マルセルはボサボサ頭を掻き、シャルロットに背を向けた。
「待って!」
シャルロットは、壁棚に置いてある毛糸で編んだ紺色の帽子を手に取った。
「はい、お礼」
機織り娘は、鍛冶屋の若者のボサボサ頭に、ふんわりと毛糸の帽子を被せた。
「あら男前ね! マルセルによく似合ってる」
若者は気恥ずかしさに耐えきれず織り機に顔を向けた。
「シャルロットさん、ずいぶん立派な織物だな」
布地にはワシのような図柄が浮かんでいる。
「ええ、織るのが難しくて……」
村評判の美女は、頬を染めて俯く。
「あ、じゃあ」
マルセルは、たった今もらった帽子を目深に被り、機織り小屋を出ようと扉を開けた。
そこには、シャルロットより小柄の赤毛の少女が立っていた。少女はチュニックにズボンと男のなりをして、弓を手にしている。
「あれ、マルセル来てたんだ」
「よお、カリマ、上手く仕留めたか?」
シャルロットの妹カリマは今年で十五歳だ。
姉は、狩りから戻った妹を迎えた。
「カリマ、狩猟は無事に終わったのね。怪我はない?」
「へへ姉ちゃん。大きな鹿を一矢でやっつけたよ。リュシアンさんがあとで肉をわけてくれる」
カリマは弓を掲げ、ラサの若き村長の名をあげた。
この十五歳の少女は弓の名人で、鹿狩りのときは村長から必ず呼ばれる。
「そう。リュシアン様が……それなら安心ね」
シャルロットの頬が赤く染まる。美女の微笑みは、マルセルの胸を冷たく凍らせた。
しかし美女は、幼馴染の表情の変化には目を止めず、妹の肩をさする。
「でもカリマ。あたしが機織りで稼ぐから、無理しないで」
「違うよ姉ちゃん。あたしは狩りが好きなんだ。あ、マルセル」
少女は、マルセルの頭に顔を向けた。
「あれ? それ姉ちゃんの編んだ帽子だ。へー、マルセル、良かったじゃん」
若者は俯き「ああ、機織り、動くようになったぞ」とぶっきらぼうに答え、外に出た。
すると今度は、森から精悍な若者が現れた。
「やあ、マルセルも来てたのか。ラサの美しい姉妹はいるかな?」
若者は、白いマーガレットの花束を手にしている。
マルセルは、ラサの村長に答えた。
「リュシアンさん。シャルロットさんも、カリマもいますよ」
「カリマとはさっき、鹿狩りで一緒だった。そうだ。マルセルも立ち会ってくれないか?」
マルセルは、若き村長をしげしげと見つめる。
豊かな長い黒髪。小麦色の肌。チュニックがはち切れそうな熱い胸板。
――やせこけてみすぼらしい俺とは、なにもかも違う。
気乗りしないが村長に請われ、仕方なしにマルセルは姉妹の家に戻った。
リュシアンが手にする白い花束から、これから起こる出来事は予想できる。そこに立ち会えと言うからには、男前の村長は自信あるんだろうなと、マルセルは寂しくなった。
村長の訪れに、姉妹は顔を輝かせる。
「リュシアンさん」
「やあ、カリマ。君のおかげで今日も鹿狩りが上手くいった。ラサの村が豊かなのは、カリマのお陰だ」
カリマは「へへ」と笑いつつも、マルセルにチラチラと視線を送る。
シャルロットは、リュシアンに極上の微笑みを見せた。
「リュシアン様。鹿狩りでカリマがいつもお世話になっています」
村長は咳払いをしたあと、マーガレットの花束をシャルロットに差し出した。
「シャルロット、どうか私の妻になってほしい」
マルセルの顔がさっと暗くなる。まさに予想通りの展開だった。
一方、シャルロットは、薔薇色の頬を輝かせる。
「え、リュシアン様、で、でもあたしには、この子が……」
姉は妹の小さな肩を抱き寄せた。
「ね、姉ちゃん、あたしのことなんて気にしなくていいよ」
リュシアンは姉妹に微笑みかけた。
「カリマも一緒に暮らそう。私の家から、いずれ花嫁として送り出してやりたい」
シャルロットの目尻がキラッと輝いた。
「夢みたい! あたしがリュシアン様のお嫁さんになれるなんて!」
マーガレットの花束にシャルロットは顔をうずめた。
「やったあ!」とリュシアンは村長の威厳を投げ捨て、美女を抱きしめる。
「姉ちゃん、良かったね」
カリマは手を叩きつつ、マルセルをチラチラ見やる。
鍛冶屋の若者は大きく頷いた。
「シャルロットさん、おめでとうございます」
ペコっと頭を下げて、姉妹の家をあとにした。
夜も更け、マルセルは粗末な寝台に転がり、天井の梁を見つめていた。
シャルロットとカリマ。ラサ村評判の美人姉妹。
物心ついたときからシャルロットとよく遊んだ。そのうちカリマが生まれ、三人ですごすようになった。
マルセルの親も姉妹の親も、早く亡くなった。親たちを失ってから、三人で寄り添うように生きてきた。
シャルロットは「カリマが嫁ぐまであたしはひとりでいいの」と宣言していた。
ラサ村の若者の多くがシャルロットに憧れ、なかには結婚を申し込む者もいたが、それらをシャルロットは斥けた。
マルセルは、ずっと三人の時間が続くものだと思っていた。
しかし三人の時間は終わりを迎えた。
目が冴えてきて、何度も寝がえりを打つ。今夜は寝られそうもない。
夜、小屋の粗末な扉がコンコンと鳴った。
ひとりぼっちの鍛冶屋を訪ねる者がいた。