61 愛ゆえのいつわり
「殿下がお越しとは珍しいことでございます。はてこの老体になにかご用で?」
大史司長アーチボルト・パーカーは、眼鏡の蔓をクイっと上げる。
間もなく八十歳を迎えるこの老人は、十年に渡りネールガンド国教会を束ねている。
内心を見透かされたようでロバートの胸が痛む。
彼は王太子として、エリオン教徒の熱心な信者であった。が、この大史司長と、個人的な交流を培ってはいない。
わざわざ王太子が王都寺院の大史司長を訪れるとは、何らかの目的があると勘ぐられても致し方ない。
大史司長の執務室で、王太子はパーカー老人とテーブルを囲んで座っている。
「それにしても殿下、式の一月前に結婚式を延期するとおっしゃって驚きました。私は仔細を伺っておりませんが」
「そ、その……メアリが結婚に不安を覚えたので……今、メアリは王宮の暮らしに馴染もうと努力をしている」
「しかし、それは本当の結婚延期の理由ではございませんね」
ロバートの額から汗がにじみ出てきた。
「ああ、大史司長には隠し事ができないな。実は新聞に載った通りだ。僕が他の女性に近づいたからメアリが腹を立てた。そこで彼女の気持ちが落ち着くまで延期した」
「それも本当の理由ではございませんね」
「な、何を言う。大史司長は、新聞を読まないのか?」
「新聞より目の前の殿下の中に、真実はございます」
青年は、老人の眼鏡の奥の視線から、目を逸らす。
ネールガンド国のエリオン教徒を束ねるこの者は、すべてお見通しなのか? もうメアリが転生者だと知っているのか?
それならそれで構わない……ロバートは覚悟を決め、身を乗り出した。
「それでは大史司長に頼みがある。今後、猊下の元で執り行われる結婚式において、新郎新婦に『汝の名は、ただひとつか?』と、問わないでいただきたい」
パーカー大史司長は重々しく頷いた。
「さようでございましたか。陛下のお言葉の意味がよくわかりました」
「陛下の言葉? それがなにか?」
「なぜ陛下が、生まれ変わりをことさら庇うのかよくわかりました。殿下を思ってのことでございましたか」
ロバートは首を捻る。国王は、サイ・クマダ博士の人体実験の報道から、移民への偏見が拡大することを恐れた。同時に、転生者への偏見を改めるよう発言した。
なぜ自分のことに繋がるのか、よくわからない。
「これは私の勝手なる思い込みではありますが……万が一、殿下のお相手の名がふたつあっても、国民の祝福のもと結ばれるよう、陛下は望まれたかと」
ロバートの拳がキュッと握られた。
この老人は腹立たしいことに、王太子の結婚が延期された真の理由を見破っている。
「……陛下のお心までお見通しとは、さすが猊下だ。しかし、転生者だと暴き立て過酷な悪魔払いの儀式を押し付けることは、今の時代にそぐわないかと思わないか?」
「私も陛下のお言葉を受け、ネールガンド国教会として、いずれ声明を発すべきとは考えております」
「で、では!」
若者はパッと顔を輝かせた。
「ですがエリオン教のいち史司として、殿下のご結婚には賛同できません」
王太子は眉を吊り上げた。
「なぜだ! 僕のメアリは太子の妃に相応しいと思わないのか? 彼女の生まれも育ちも容姿も王太子妃に相応しい! それだけではない。彼女は僕の執務を的確に補佐してくれる」
「殿下、どうか落ち着かれよ。紅茶をいかがですか?」
「あ、ああ……失礼した。しかし、やはり大司教はメアリが……」
ロバートは言葉を飲み込んだ。ネールガンド国教を束ねるこの老人は、メアリが転生者だと見抜いている。しかし、メアリが転生者だと明言はしていない。
「私は、結婚とは聖なる誓いと考えます。二人の間に偽りはあってはなりません」
「猊下! 確かに僕は新聞記事に取り上げられたが、真実メアリを愛している」
「それは誠でございますか?」
眼鏡の奥からじっと見つめられ、ロバートは身を竦める。
「僕は、メアリと出会ってから彼女以外の女性と、ひと時も過ごしたことはない。あの記事の相手は研究室の同僚に過ぎない」
「そういうことではございません。殿下がメアリ様を大切に思う気持ちは真実でしょう。またメアリ様に懸念はあるものの、殿下のお妃様として、申し分ないお人柄と見受けられます」
「それでも猊下は、僕らの結婚を認められないのか? その彼女への懸念ゆえか?」
パーカー大史司長は、重々しく首を振った。
「メアリ様ご自身への懸念もありますが、それよりずっと大きい問題が殿下ご自身にあります」
「僕か? 僕に問題があるなら、なんなりと言ってほしい」
ロバートの全身から汗が噴き出す。彼はメアリに自分が転生者だと打ち明けたが、そのことは誰も知らない。セバスチャンすら知らない。
「殿下はメアリ様に、大きな嘘を吐かれております」
王子は青い眼を見開いた。
「嘘? 猊下はなぜそのような? 僕らは誠実に愛し合っている」
「若い男女が相手によく思われるため、自分を偽り飾るはよくあること。しかし、共に生きることを誓い合う仲ともなれば、偽りはあってはなりません」
「そ、それは当然だ……」
「私は、殿下がなぜ嘘を吐く必要があるのか、どのような嘘なのかはわかりません。しかし殿下からは、偽りの香りが漂っております」
ロバートの全身が震えはじめた。なぜこの老人は知っている? サイ・クマダ博士のように脳科学を研究した訳でもないのに。
「……では、大史司長は、僕が真実をメアリに打ち明ければ、結婚式を執り行っていただけると……」
「それはまた別の問題です。しかし偽りは、殿下とメアリ様を不幸に導くでしょう。何年も嘘を積み重ねるよりは、いまのうちに真実を打ち明けた方が、お二人の幸せのためと存じます」
王太子は力なく頷き、王都寺院をあとにした。
「メアリ! どこだ!」
太子宮に戻ったロバートは、侍従が「殿下、今すぐお呼びしますのでお待ちを」と止めるのも聞かず、廊下をうろつく。
ほどなくメアリが駆け付けてきた。
「殿下、遅くなり申し訳ございません」
ロバートは、美しいカーテシーで迎えた婚約者の腕を引っ張り、自室の寝室に引きずるように連れていく。
「メアリ! 君の前世を教えてくれないか!」
「な、何をおっしゃるの? 私の前世なんて、何も面白いことはありませんよ」
「頼む! 僕は君の全てを知りたい……好きな男のひとりやふたりはいたのだろ?」
「それなりに生きてきましたから……でも私が勝手に想っていただけで……」
ロバートの気迫に押されたのか、メアリはふっくらとした唇で、前世を語りだした。




