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56 女三人の幸せ

 エリオンは乳母として王女コンスタンスを寝かしつけようと、部屋を出ようとした。

 しかし女王カリマは、エリオンの目の前に短剣を見せつけた。


「……女王様、一体これは……」


「あたし、セオドアには全然敵わないけど、七年もみんなと旅して、少しは人の殺意や悪意を感じられるようになった……今、エリオン様は、コンスタンスを連れて、城から出ようとしたね?」


 エリオンは観念したのか部屋に戻り、ゆりかごに王女を寝かせた。


「……カリマは本当に強くなった……」


「エリオン様がこの子をさらったら、あたしは捕まえなきゃいけない。いくらラテーヌの法が優しくても、王女の誘拐犯を許すほど甘くはない……」


 カリマは短剣を床に落とし、師匠に抱きついた。


「あたしにエリオン様を殺させないで!」


 弟子の腕の中でエリオンは力なく笑う。


「……お前に裁かれて私の命が終わるなら、これほど嬉しいことはない」


 カリマにはわからない。エリオンが、長年の宿敵だった魔王の子を産んだ理由が。しかし、確かなことがある。


「ばかあ! ネクロザールはねえ、エリオン様だけには生きてほしかったんだよ!」


「……やめろ……」


 尊敬する師匠が身体を震わせている。


「ネクロザールの軍は、あたしや仲間には容赦なく攻撃を仕掛けてきたけど、エリオン様は無傷だった。てっきりエリオン様の不思議な力だと思ったけど……ネクロザールが命令していたんだね。エリオン様に怪我させるなって」


「頼む、カリマ……これ以上は……」


「最後の敵、ヴァルガスだっけ? あいつは魔王の大切な友だちだったみたいだけど、それでもネクロザールは、ためらいなく殺した……エリオン様を守るために。戦いの前、ネクロザールがエリオン様を王様の椅子に閉じ込めたのも、守るためだった」


「やめて!」


 エリオンはカリマを突き放して、真っ白な髪を振り乱し、頭を抱えた。


「もう遅いの! いまさらわかっても会えない! 会わせる顔がない!」


 尊敬する勇者の師匠は床に崩れ落ち、白髪を振り乱す。女の声で激しく泣き喚め散らした。

 カリマも座り込み、震えるエリオンの背中を抱きしめる。


「あのとき、私もあの人と一緒に死ねばよかった!!」


 いつの間にかカリマの目にも涙が溢れる。二人の女は嗚咽を漏らし、硬く抱き合い身を震わせていた。

 


 エリオンは、ゆりかごではしゃぐ娘の手を握る。


「カリマ様がこの子の父を魔王と考える以上、もうこの城には置いておけません」


 王女の乳母は声を震わせた。カリマは首を傾げる。


「なんで?」


「まさかコンスタンスを、このまま次の女王にするつもりですか?」


「もちろん。あたしには子供が必要なんだ。それに……」


 カリマは手をパチパチ叩く王女に頬ずりする。


「こんなに可愛い子、今さら離せないよ」


 女王は身を起こし、輝く二つの緑色の光を見つめる。


「エリオン様は生きなきゃだめだよ……コンスタンスのお父さんの最後の願いだ……だから、ずっとこの城でこの子を守って」


「いいえ! 本当にすぐ戻らないと手遅れになるんです!」


 エリオンの切羽詰まった表情からして、もう引き留めておけないようだ。


 カリマはふと思う。

 史師の泣き崩れた様子から、ネクロザールへの並々ならぬ愛が伝わってくる。

 いくら魔王が上手く口説いたからといって、たった一夜で憎しみが愛に転ずることがあるのだろうか?

 二人の間には、その前から深いつながりがあったのではないか?


「もしかしてエリオン様、前に産んだ赤ちゃんもネクロザールの子なの?」


 エリオンは一瞬緑色の目を見開くが、すぐ微笑みを返す。


「カリマ様は、私が若いときにネクロザールの城に囲われていたとお思いでしょうか?」


「……違うの?」


 少女オレーニアが、ネクロザールの妾の一人だったと考えると、後のエリオンの行動が、カリマにも納得できるのだが。

 師匠は緑色の眼を吊り上げた。


「一度も私は、あの者の妾であったことはございません!」


 エリオンは、女王のように誇り高く言い放った。本物の女王カリマがひれ伏したくなるような威厳をもって。

 が、師匠はすぐ柔和な乳母に戻った。


「私は、今ニコス様が治めるアルゴス国のティリンス村の教会で育てられました。私が旅に出たのは十九のときです。すぐ隣町でニコス様と会いました」


「……嘘じゃなさそうだね。ティリンス村の教会に聞けばわかることだし」


 それではやはり、エリオンはたった一晩でネクロザールを愛してしまったのか? 彼女の日頃の教えからして考えにくいことだが、カリマにはもうわからない。


「女王様……一言よろしいでしょうか?」


 カリマは寂しげに乳母を促す。


「カリマ様はまだお若いからわからないでしょうが、人の命には限りがあります。想いを伝えるなら早い方がよろしいかと」


 若いと言われたが、エリオンもカリマより五歳年上なだけで、三十歳を超えたところだ。


「またそれ? いい加減にしてよ」


「私は、カリマ様に幸せになってほしいのです」


 涙をこらえる師匠の笑顔が、カリマの胸を突き刺す。

 彼女は魔王に想いを伝えられなかったのだろうか?

 いや、これ以上エリオンを問い詰めても、互いの悲しみが増すだけだ。


「わかった。あたしもコンスタンスも幸せになるよ。だから、エリオン様も幸せになってね」


 はからずも愛する男に手をかけた女の幸せは、どこにあるのだろう。しかもその男は所業からして、地獄行きは間違いない。


「三年も私を置いてくださり、感謝申し上げます」


 エリオンは頭を垂れ、カリマ達に背を向けた。

 途端、ゆりかごから子供の泣き声が室内に響いた。


「うぎゃあ、うぎゃああ」


 カリマは王女を抱き上げあやすが、実の母のようには上手く宥められない。


「まー、まー」


 子供はエリオンに飛びつこうと、身体を突っぱねる。手足を振り回して暴れる子供を、カリマは力づくで抑え込む。女勇者がどれだけ抑えつけても、幼子は激しく抵抗する。


「まー! まー! いやあ! いやあ! こっち! こっちー!」


 エリオンは背中を向けたまま答えた。


「……っ、カ、カリマ、コンスタンスを、どうか……」


 涙混じりの声で、師は出ていった。

 カリマが見たエリオンの最後であった。


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