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54 エリオンの過去

 カリマの出産工作は順調に進む。かつての師匠の腹部は大きく膨らみ、いつ産まれてもおかしくない。

 この段に及んで、カリマはこの工作の難点に気がついた。エリオンの子を、自分が取り上げなければならないのだ。


 慌ててカリマはマルセルに頼み、出産に詳しい女たちを城から呼び寄せた。かなり具体的な話を聞けたが、産婆の心得を根掘り葉掘り聞くと怪しまれる。

 この状況を心配したマルセルは、女たちの詰め所として、新しい小屋を建てた。

 極秘出産の障害になる事態は避けたかったが、マルセルに「お産で死ぬ女もいるんだぞ!」と脅され、カリマの目が覚めた。

 一番大切なことは、エリオンに無事に子を産んでもらうことだ。


 いざとなれば頭を下げて、女たちに赤子を取り上げてもらおう。そして……すべての罪はカリマが背負う。ラテーヌを出て、エリオンと子供の三人で暮らせばいい。狩人カリマなら、母と子の食料ぐらいどうにでもなる。


「エリオン様、あたしがちゃんと赤ちゃんを取り上げるから、心配しないでね」


 小屋でカリマはひっそりと耳打ちする。


「大丈夫ですよ。私は子を産んだことがありますから」


「え!」


 エリオンがすでに子を産んでいたとは意外だったが、魔王討伐の旅に出たのは十九歳と聞いている。子を産んでもおかしくない年だ。


「その赤ちゃんと、旦那さんは?」


 エリオンは悲し気に首を振った。


「ま、まさかエリオン様がネクロザールを倒そうと思ったのは、赤ちゃんと旦那さんを殺されたから?」


 かつての師匠は何も答えず、目を伏せる。

 エリオンがなぜ魔王を討伐しようとしたのか、ようやく見えてきた。魔王を倒して半年以上経った今になって。


「悔しいよね……あたし、姉ちゃん殺されて悔しかったけど、自分の子供と旦那さんを殺されるのは、もっともっと辛いよね」


 エリオンは若き女王の涙をそっと拭う。


「大切な者を奪われる苦しみは、誰にとっても同じです。恋人でも友でも主君でも……でも今の私は、大きな喜びに包まれています」


 女は大きな腹部を撫でた。


「すべては女王様のおかげです。カリマ様がいらっしゃらなかったら、私はこの子を諦めたでしょう」


「あたしも赤ちゃんが欲しかったから、お互い様だよ」


 夜も更け、エリオンは眠りについた。小屋の天窓から注ぐ月明かりが、女の顔を照らす。かつては輝いていた黒髪も艶やかだった白い肌も失せ、頬には大きなあざがある。なのにカリマの琥珀色の目には、史師が女神のように映った。


 女王は思い立って小屋の外に出た。


「どうしました?」


 小屋の外には番兵が立っていた。


「お腹おっきくなったからかな? 眠れなくてさ」


「俺の女房も子供ができたとき、そんなこと言ってました。少し、散歩したらどうです? 俺たち見張ってますんで」


「あっちには城から女たちが詰めているし、大丈夫だって」


 カリマはおどけて、となりの真新しい小屋を指し示した。


 もうすぐエリオンの子供が産まれる。

 ずっと考えないようにしてきた疑問が、ふつふつと湧いてきた。

 師匠の子の父は誰なのか? それとも彼女は不思議な力で、ひとりで身籠ったのか?


「あたし……大切に育てるよ。赤ちゃんが幸せになれるように」



 三日後、エリオンは産気づく。

 カリマは、自分で取り上げると意気込んだが、いざとなるとオロオロするばかりで、産まれた子を布でくるみ、エリオンに手渡すのが精いっぱいだった。

 子を産んだばかりの女は気丈にも立ち上がり、何事もなかったかのように、外で待機する老女クロエに赤子を手渡した。


(う、うそ……絶対痛いよね……よく普通なふりして立っていられるなあ)


 ますますカリマは、師匠への尊敬の念を強めた。



 エリオンは王女コンスタンスの乳母となった。

 赤子のブルネットの巻き毛に緑色の瞳。王女は世界を救った史師エリオンを彷彿させる。女王カリマと史師エリオンの仲は周知の事実ということもあり、子供の出生に疑問を抱く者はいなかった。

 王女は大きな病に掛かることなく、順調に育った。


 コンスタンスは二歳になった。ますます史師エリオンに似て愛らしく成長し、城の誰もが王女を可愛がる。

 特にマルセルは目に入れても痛くないのか、王女にお手製の木のおもちゃを与え、忙しい政務を抜け出し、会いに行っては「王女様、可愛すぎです」と頬を突っつく。


 しかし二歳ともなれば、産まれたときとは容姿が変わってくる。ブルネットの巻き毛のところどころに金の髪が目立つようになった。また生まれたときは両の目がエリオンと同じ緑色だったのに、右目に少しずつ青みが増してきた。


「ふふ、あたしの子がこんな美人さんでよかった」


 カリマはゆりかごで眠る子供の頬を撫でる。

 後ろにエリオンが控えている。王女の部屋には、他に誰もいない。

 女王は王女の乳母に、小首をかしげて上目遣いに切り出した。


「あ、あの……この子がお婿さんを迎えるまで一緒にいてほしいけど、駄目?」


 しかし乳母は首を振った。


「コンスタンス様にもう乳母は必要ございません。私も乳が出なくなりました」


「で、でも二つだよ。本当のお母さんがまだまだ必要だって」


「そろそろ魔王の封印が解ける頃です。私は戻らなければなりません」


 初めからエリオンは宣言していた。魔王の封印は一時的なもの。子供が乳離れしたら城を去ると。


「そうかあ……エリオン様……そうだよね……」


 カリマはコンスタンスの巻き毛に指を絡ませる。


「……だって子供を産むぐらい、ネクロザールのこと好きなんだもん。早く戻りたいよね」


 若き女王は琥珀色の眼で乳母をじっと見つめる。王女の生みの母は、顔を強張らせた。


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