46 王位継承
ネクロザールはエリオンに柔らかな微笑みを見せ、クリスタルの玉座を指し示した。
「さあエリオン殿。ここに掛けるがよい」
ローブに身を包んだ史師は、ゆっくりとネクロザールに近づく。
ジュゼッペの背中をさすっていたカリマが、声を張り上げた。
「エリオン様が、あんたの言うこと聞くわけない!」
魔王はカリマを一瞥したが、応えることなく、エリオンに向き直って畳み掛けた。
「余は、醜い同士討ちに明け暮れる弱い者に、ゴンドレシアを託すつもりは一切ない」
エリオンは、ネクロザールの目の前で立ち止まった。
「しかし貴殿は王者に相応しい。先ほど我が腹心ヴァルガスの兵士たちを説得した技は、見事であった」
勇者たちの師は、拳を握りしめた。
「ネクロザールよ。昨日お前は、私が作り上げた正しい世界を否定したではないか」
魔王は寂しげに笑った。
「余は改めた。貴殿が作ろうとする世界を認めよう。あれがその証だ」
トーガの男は、巨大な鏡が張り付けてある壁を、顎で指した。
「……お前が私との約束を守ったことは認める。しかし、私は王になるつもりはない。ただ、大陸の人々の幸せを取り戻したいだけだ」
ネクロザールは、青い目を細めた。
「余も民の幸せを願う。かつて余がアトレウスであった時、竜の力をほしいままにする悪しき魔法使いから、人々を解き放ってやった」
魔王は、自分が聖王だと本気で思っている……カリマは恐怖で身を震わせた。
「そして蘇ったこの世界、魔法を使う者はごく僅か……しかし、力ある者たちは相争い、弱き者は虐げられたまま。余がかつて作り上げた世界は消え去った」
セオドアが剣の柄を握りしめる。
「魔王よ! お前こそ、弱き者を散々虐げてきたではないか!」
「であるから、お前たち勇者は弱いのだ。ゴンドレシアの民を守る者には、限りなき力こそ肝要。が、それが余の誤りでもあった」
ネクロザールは、磨かれた床を、王笏で軽く叩く。
「力だけで君臨しても、人の心はかえって離れるのみ。しかしエリオン殿」
魔王に名を呼ばれ、史師は身をすくめた。
「貴殿は人の心を支配できる。その力こそ王者に相応しい……すなわち」
白く輝くトーガが、優美に弧を描いた。
「貴殿と余が合わさることこそ、ゴンドレシアの民を幸福へ導く!」
魔王はエリオンの足元に跪いた。
「さあ、エリオン殿……いや陛下!」
男は金に輝く頭を垂れ、王笏を捧げた。
「臣は陛下の影となり、お支えいたしましょう!」
ニコスが槍を突き出した。
「史師を支えてきたのは、我らだ!」
エリオンはニコスには目もくれず、ひとつ残された玉座を凝視する。
「聖妃を復活させるつもりはないのか?」
「悲しいことではありますが、我がアタランテに復活の意思はございません……これより臣は、陛下に全てを捧げましょう」
勇者の師匠は手を震わせ、王笏の宝石を見つめる。
「ネクロザール……あなたの全てを私に委ねるということか?」
「陛下の願い通り、ゴンドレシアの幸福のため、身を粉にして尽くしましょう」
カリマは手を振り回した。
「エリオン様あ! 駄目だって!」
女勇者の叫びもむなしく、史師エリオンは震える手で、ネクロザールから王笏を受け取った。
勇者たちはエリオンの元に駆けつけ、「考え直してください」と訴える。
ネクロザールはエリオンの前に立ち、勇者たちを素手で薙ぎ払い恫喝した。
「礼儀知らずの野蛮な者ども! 気安く陛下に触れるでない!」
勇者たちは次々と床に倒れた。
カリマはセオドアに「もう、あいつやっつけよう!」と誘いかける。
「いや、魔王には全く隙がない。今はその時ではない」
「じゃあ、どうすればいいの!?」
「待つしかない。魔王が人の子であれば、いずれ隙を見せよう」
「魔王って人間だよね? まさか伝説の竜とかじゃないよね?」
「おそらく、な……もし竜だとしたら……終わりだ」
カリマの顔がさっと青くなった。
いつも自信に満ち溢れたセオドアに、悲壮感が漂っている。選ばれし勇者たちが束になっても叶わないとは、魔王は本当に人間なのか?
エリオンがネクロザールに詰め寄った。
「ネクロザール! 乱暴なことはしないでくれ!」
魔王は恭しく頭を垂れた。
「これは失礼。それでは陛下の輝ける眼の力で、あの者らを静めるが善策かと」
「あの者たちは、私の友だ」
エリオンは胸を抑えて首を横に振る。
「さすれば、陛下の将軍に任命されてはいかがでしょう。今までも陛下は、あの者たちの心をほしいままにしてきたかと」
史師は「わかった」と王笏を握りしめ、緑色の眼を輝かせた。
「お前たちよ! ゴンドレシアの平和のため、これからも私に尽くしておくれ」
勇者たちは動けなくなった。
ニコスが声を振り絞る。
「史師の命ならいくらでも従いましょう……しかしこのニコス、アルゴスの主君の無念を思うと……」
セオドアが続く。
「私は、ネールガンドの民の希望でありたく……」
男たちは、エリオンへの忠節と自身の信念の間に挟まれた苦しみを訴えた。
史師は授かったばかりの王笏を振り回した。
「お前たちの心は私と共にあったではないか! なぜ、民の安寧のため尽くそうと思わぬ!」
カリマは唇を噛み、エリオンの元に駆け寄る。史師の手から王笏を奪いとり、床に叩きつけた。
金属の硬い音が、白い玉座の間に響き渡る。
「陛下になんたる無礼!」
ネクロザールが二人の間に割って入るが、エリオンが「静まれ!」と男を制した。
「カリマよ。私をあまり驚かすな」
「エリオン様が王様になりたいなら、あたしいくらでも力を貸すよ!」
女狩人は師を強く抱きしめる。
「でも魔王の城は駄目だ! 城も王様の杖も椅子も、フランツに新しく造ってもらおう!」
老いた鍛冶屋が「エリオン様の城となると、やりごたえありますのう」と微笑む。他の勇者たちが顔を綻ばせた。
「エリオン様! みんなを幸せにするなら、自分が幸せにならないと! 聖王様の真似っこの城で王様になって、ネクロザールに操られて、エリオン様、幸せ?」
「私の幸せだと?」
「幸せな二人は、聖王様と聖妃様に愛を誓うんでしょ? だったらエリオン様も、好きな人を見つけて誓うんだよ!」
ホアキンが口笛を鳴らす。
「ひゃー! カリマちゃん大胆だねえ。魔王城で結婚申し込んじゃったよ」
「あ! 別にそういう意味じゃなくて!」
カリマは顔を赤らめた。エリオンに女としての幸せを説いたつもりだったが、すっかり大事なことを忘れていた。エリオンは男、カリマはエリオンの恋人を演じていることを。
「私にそのような幸せは、もう……ああ……そうだった……」
史師はカリマの腕の中で、しばし身を震わせた。震えが治まると、かすれ声で囁いた。
「カリマよ、すまない……私が間違っていた……」
エリオンはカリマからそっと離れ、ネクロザールに向き直る。
「ネクロザールよ。お前が私に王位を譲るなら、私はその王位をこの七人に託す。それで良いか?」
魔王は悲しげに微笑み、投げ出された王笏を拾う。
「左様であるか、エリオン殿。貴殿と二人で新たな国を建てたかったが」
男は王笏の宝石を、エリオンの肩に押し付けた。
「史師!」
ニコスが駆けつけるもすでに遅く、エリオンの体は玉座にとばされる。魔王はすかさず玉座の前に移り、足を踏み鳴らした。
途端、玉座周りの床からクリスタルの板が何枚も飛び出し、大きな直方体を形作る。勇者たちの師匠はクリスタルに閉じ込められた。
史師は立ち上がり、自身を閉じ込める透明な板を叩きつけるが、彼女の叫びは誰の耳にも届かない。
ネクロザールは、叫ぶエリオンに微笑んだ。
「これから少し危なくなる。エリオン殿、勇者たちが果てるまで、おとなしく中で待つが良い」
魔王が王笏を振りかざす。玉座の間の四方八方から、雷が放たれた。




