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44 故郷の幼馴染

 玉座の間で、魔王ネクロザールが荘厳なパイプオルガンを奏でる。


(やだ! なんなの!?)


 カリマは耳を抑えて床にしゃがみ込むが、和声が頭の中を浸食してくる。

 と、オルガンの音が遠ざかった。遠くで鳴っているが、もう恐ろしくはない。カリマは目を開いた。

 大理石の床もクリスタルの玉座もオルガンも見当たらない。

 風に揺れる小麦畑が夕陽に染まっている。畑の周りに点在する小屋から、煙が立ち昇る。

 カリマが夢見た故郷、秋のラサ村だった。


 畑を抜けると姉と暮らした小さな小屋にたどり着いた。戸を開けると、シャルロットが、糸を紡いでいる。


「姉ちゃん! 生きてたんだ!」


 カリマは姉の膝に縋りつく。


「もう、赤ちゃんみたいに泣かないの」


 姉がカリマの赤毛を優しくなぜる。しがみついていたら、小屋に男が入ってきた。


「マルセル!」


 兄同然の幼馴染が、顔を真っ赤に染めて立っている。

 シャルロットが微笑んだ。


「あら、マルセル。頼みがあるのよ。糸車が上手く回らなくてね」


 幼馴染は俯いたまま「これは、軸が折れてんな」と呟き、シャルロットと話しだした。


「マ、マルセル?」


 カリマがいくら呼び掛けても、マルセルは背を向けたまま。


「マルセル。姉ちゃんは、リュシアンさんが好きなんだよ。いい加減に諦めなよ」


 途端、糸車も小屋も、そしてシャルロットも消えてしまった。

 風にそよぐ小麦畑に、マルセルは呆然と立ち尽くす。


「ねえ、どうしてマルセルはずっと姉ちゃんが好きなの?」


 いくら声をかけても、幼馴染は背を向けたまま。


「姉ちゃんがいなくなって、もう七年経つんだよ! あたしもう子供じゃないよ! あたしが姉ちゃんみたいに美人じゃなくてチュニックが織れないから、駄目なの?」


 背を向けたまま幼馴染は走り出した。


「マルセル、行くなよ!」


 幼馴染は消えてしまった。

 カリマはひとり、小麦畑でしゃがみ込む。

 と、この世の物とも思えぬ美声が、頭上で響く。


「なんと哀れなことだ。このように美しい娘が」


 顔をあげると、トーガに身を包み黄金に輝く髪を垂らした青年が笑っていた。


「あ、あんた……誰?」


 先ほど会った魔王より大分若いが、あの男に間違いない。

 姉と姉の愛する人、ラサ村の人々を葬った仇敵だ。しかし倒そうにも弓矢が見当たらない。立ち上がりたくても身体が動かない。動けない。

 若きネクロザールはカリマの足元にしゃがみ込み、耳元で囁く。


「お前はエリオン殿に唆されたのであろう? 女のもっとも美しく輝ける時を、不毛な戦に捧げるとは」


「違う! あたしは姉ちゃんの仇を討つためにここまで来た!」


「哀れな。女の喜びも知らずに。余がお前を幸せに導いてやろう」


 抵抗する間もなく、カリマの小さな唇は魔王に吸い取られた。


「むっ! く、むむむむ」


 小さな勇者はもがくも、唇から広がる甘い喜びに全身がからめとられる。


(に、逃げなきゃ……で、でも……)


 姉と姉の家族、そして村人の仇であるのに、憎むにはあまりに美しい。男の発する声と薔薇の香りに身をゆだねれば、乙女の知らぬ喜びが待っている……。


「お前の想う男は、口づけひとつもくれないのであろう?」


 魔王の囁きは、カリマの心に楔を打ち込む。

 仕方ない……あいつはずっと姉ちゃんを忘れない……別にいいんだ、あいつはただの幼馴染で……。


「お前を愛さない男など捨てておけ。余がお前を、夜ごと空の高みに連れてってやろう」


 狩人の女は、美声の男の胸に頭を預ける。

 仇を討とうが恋しい男の心は手に入らない。魔王に身を任せてここで果てようが、同じではないか……。


「カリマ! 目を覚ませ」


 師の声で、女勇者はハッと目覚める。


「カリマ! お前は誰よりも誇り高い女だ! 魔王に屈してはならぬ! ひと時の快楽に負ければ、未来永劫地獄の苦しみが待っているのだぞ!」


 ネクロザールは唇を捻じ曲げた。


「ほほう、エリオン殿がそれをいうのか」


 魔王の腕の力が緩んだすきに、カリマは立ち上がった。


「ああ、マルセルは一生姉ちゃんを忘れない。それがなんだ!」


 村一番の狩人は、弓を引き絞る。


「あたしはマルセルと約束したんだ! 絶対、生きて帰る! だから、あたしはお前の物にはならない!」


 ラサ村の小麦畑は消え去った。カリマの目の前には、大理石の床がどこまでも広がっている。

 ネクロザールの演奏が作用したのか、先ほどまでカリマは、幻の世界に迷い込んだらしい。

 目の前の魔王は、広間で見た通り初老の男だ。

 吹っ切れた女勇者は、ネクロザールの胸にめがけて矢を放つ。

 魔王は王笏を振りかざし、矢を払った。


「カリマよ。余は話し合おうと言った。いきなり矢を放つとは、野蛮も過ぎるな」


「姉ちゃんを殺したお前と、話すことはない!」


「ラサ村は余の命に背き、私腹を肥やした。余は、法に背くものには容赦しない」


「冗談じゃない! リュシアンさんは、村長なのに贅沢せず、いつもあたしたちに、肉やワインを分けてくれたんだよ!」


 ネクロザールは眉を寄せる。


「ラサの村長は、村人の歓心を買うために、税を納めず不浄な手段で貯めた財をばらまいた。村長一人の倉に蓄えようが、村人の腹に収まろうが、余にとってはいずれも罪に他ならぬ」


 カリマの心が揺れる……リュシアンは理想的な村長だった。が、王国にとっては罪になるのか? たとえ村人のためであっても?


「違う! お前の税が重すぎるんだよ! こんな立派な城を造ったら、いくら税を搾り取っても足りないに決まってる!」


 魔王は王笏を振り回して笑った。


「それは認めよう。であるから余はすべての領地を失った……が、この城も余が、聖王アトレウスである証を立てるため。そうでなければ、聖王の権威が失われたゴンドレシアでは、今も領主たちの争いは絶えなかったであろう……さて」


 ネクロザールはトーガを翻す。


「それにしても、勇者とは心弱きものよ。このようなことで、ゴンドレシア大陸を導いていけるのか?」


 カリマはハッと我に返る。

 玉座の間を見渡すと、勇者たちが大理石の床に座り込み頭を抱えていた。


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