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43 勇者歓迎の宴

 トーガの男は、煌めく宝石をはめ込んだ王笏を手にして、エリオンと勇者たちを先導し、無人の王城の回廊を静かに進む。

 天井は高く、柱と壁は磨き上げられ、通路は柔らかな光に包まれていた。

 薔薇の香りが漂い、魔王の居城に似つかわしくない清浄な空気に満ちている。

 カリマは初めて訪れるはずの魔王城に、なぜか懐かしい気持ちを覚えた。


(そうだ。あの草むらの中にあった廃墟だ! 柱が似てる!)


 カリマが仲間になったばかりのころ、エリオンに導かれて聖王の古都を訪れた。

 魔王の城が古都の遺跡を思わせるのは、アトレウスの生まれ変わりを自称するネクロザールが、聖王の城を真似したためかもしれない。

 あのとき勇者たちは力を合わせ、邪悪な壁画を打ち壊した。七年間大陸を巡り、怪しい絵や彫像をことごとく破壊してきた。

 その後、フランツ老が聖妃アタランテの木像を彫り、各地の教会に捧げた。今や大陸中の教会に聖王と聖妃の像が共に鎮座し、人々は二人の清らかな愛を讃える。


 世界は変わった。正しく、あるべき姿へ変わった。

 ただひとつ誤っている存在は、魔王のみ。

 世界を救った史師エリオンは、城に乗り込む前、勇者たちに訴えた。


『魔王は死をもって罪を償わなければならぬ。しかし私は、ネクロザールの魂を救いたい。それには、あの者に己の罪を自覚させるしかない』


(エリオン様は優しすぎるよ。あんな奴、とっととやっつければいい)


 カリマはふと思いつく。今、魔王の背後から矢を放てば、倒せるのでは?

 拳に力が入るが、何者かに肩を強く押さえられた。


「あ、あれ、セオドア? な、なにかなあ?」


 鋭い眼光の剣士が、首を横に振る。

 カリマは自分の思いつきを諦めた。

 大陸一の剣士は誰よりもネクロザールを憎んでいる。自分がとどめを刺したいと、エリオンに何度も訴えてきた。

 剣士の厳しい表情から察するに、魔王はセオドアですら倒せない相手なのか?


 前方では、ネクロザールとエリオンが立ち止まり、揉めている。


「ネクロザール、玉座の間で話すのなら、先に入らせてもらう」


 槍使いのニコスが割り込んだ。


「史師、危険です! このニコスが、場を確かめます」


 ネクロザールが目を剥き、ニコスの前に立ちはだかった。


「ニコスとやら口を慎め。お前たちの史師に従え」


 エリオンは、魔王とニコスが争う隙に通路の扉を開け、中に滑り込んだ。

 続いて扉を開けようとする中年の手首を、魔王が片手で押さえこむ。


「ネクロザール! 邪魔をするな!」


「エリオン殿はお前たちを甘やかしすぎた。勇者とやらが弱いのも、当然だな」


「魔王め! 我らを侮辱するか!」


「お前は余より十歳は若いであろう? こんな老人の手も振りほどけぬのか?」


「くっ! 離せ、魔王!」


 魔王とニコスが睨み合うなか、エリオンが戻ってきた。ネクロザールがニコスの手首を解放する。槍使いの中年は、師に駆け寄った。


「史師、私たちから離れてはなりません」


 エリオンはニコスに「すまぬ」と緑色の目を細め、ネクロザールに向き直る。


「ネクロザールよ……お前も少しは人の気持ちを解するのだな」


「余が約束を守ると、信じてもらえたか?」


 魔王は、人の背の三倍はある両開きの扉を押し開いた。

 目を覆いたくなるほどの眩しい光が、差し込んできた。


「勇者たちよ。ゆるりと語り合おうではないか」



 玉座の間は、先ほどヴァルガスの兵士たちに襲われた広間の五倍ほど広い。

 天井のガラスから温かな光が差し込み、柱を飾る黄金がキラキラと輝く。

 入り口から向かって右側の壁に、鏡が貼り付けられていた。

 カリマは目を見開くばかり。


「眩しい……こんな大きなガラスに鏡……見たことないや」


 奥にはクリスタルの椅子が二脚、据え付けらている。

 ネクロザールは向かって右側の椅子に座り、空いた椅子を指し示した。


「これは、余の妃アタランテの座。余は玉座についてから三十年、愛しの妃を蘇らせんと、数多の魂を天に捧げた」


 魔王が、部下に子供や美女を攫わせ、残酷な生贄の儀式に捧げたのは、聖妃アタランテを復活させるため……そんな噂をカリマは嫌というほど耳にした。噂は事実らしい。

 エリオンが身を震わせる。


「ネクロザール! お前は聖王アトレウスではない! 真実の聖王なら、民をいたずらに苦しめるはずがない!」


「エリオン殿、まだ言うか。貴殿に問うが、なぜ聖王の真実を断言できる?」


 魔王は王笏をエリオンに突きつけた。

 カリマは堪え切れず、二人の間に割り込む。


「あ、当たり前じゃない! 本当の聖王様なら、あんたみたいな悪い奴、とっくにやっつけてる!」


 エリオンがカリマの袖を引き「落ち着くのだ」と囁く。

 ネクロザールは狩人の女に微笑みかける。青の双眸が輝いた。


「エリオン殿は、勇者たちをよく手なずけているな……さて貴殿の教えによると、聖王と聖妃は、深い愛で結ばれていたそうだな?」


 史師は緑色の眼でネクロザールを睨みつける。


「よく我が教えを知っているな。聖王はお前のように、大陸中の女を城に囲ったりはしない」


「はは、仕方ないではないか。愛しいアタランテがいつまでも現れぬなら、他の女に慰みを求めるしかあるまい」


「なら、お前は断じて聖王ではない!」


 ネクロザールは唇を歪め、王笏を弄ぶ。


「アトレウスが真実アタランテを愛しんでいたからこそ、妃の復活にいかなる犠牲も厭わなかったとは、考えないか?」


 え? カリマは戸惑う。確かに、本物の聖王なら愛する聖妃を蘇らせようと、何をしてもおかしくない……?


「ネクロザール、勇者たちを惑わせるな! 真実の聖妃は天界で、お前の所業に胸を痛めておろう!」


「さようであるか、エリオン殿……ともあれ悲しむべきことに、余の妃アタランテはついに現れず、この座は無駄となった」


 男は立ち上がり、王妃の椅子の背もたれに唇を寄せた。

 いかにもその姿は哀れで、カリマはかえって恐ろしくなった。

 この男は、自分が聖王の生まれ変わりと本気で思いこんでいる。エリオンの狙いは、ネクロザールの思い込みを正すことなのだろう。

 史師は昨日、ネクロザールの説得に努め、不思議な力も使ったはずだ。しかし、説得に失敗した。

 ただの人間に過ぎない勇者たちの言葉に、この男が耳を傾けるのだろうか?


「本来なら勇者歓迎の宴を催すべきだが、残念ながら、料理人も給仕人も城から出ていった」


 ネクロザールはトーガを優雅に揺らし、広間の奥に進んだ。壁に巨大なパイプオルガンが据え付けてあった。


「寂しい宴ではあるが、余自らが、客人をもてなす楽を奏でてやろう」


 男は椅子に腰を下ろし、長い指を鍵盤に滑らせた。

 教会でよく聴かれる旋律が、玉座の間を隅々まで満たす。


「こんなきれいな曲……聴いたことない……」


 静かな物悲しい楽音がカリマの胸に染み渡り、ひとしずくの涙が落ちる。

 しかし悲しみは突如、怒りに転ずる。広間の壁やガラスを震わせる音量もさることながら、絶え間なく激しく叩きつける和声が、女勇者の心臓に衝撃を与える。


(こ、こわい……なに、この曲! た、助けて!)


「落ち着け! 耳をふさぐのだ!」


 エリオンの声が、遠くからかすかに聞こえてくるが、遅かった。

 カリマは、大理石の床に沈み込んだ。


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