37 過ちを正す
戦士たちの師匠エリオンは、女性だった。カリマがエリオンに選ばれたのは、同じ女性だったからだ。
狩人の少女は、師の要請に忠実に応えた。
共に水浴びて、寄り添うように眠る。カリマが「エリオンさまぁ」と猫撫で声で腕を絡ませると、エリオンは「困った娘だ」と口元をだらしなく緩め、頬をさする。
当然、他の戦士たちは、二人の関係に眉をひそめる。
カリマもエリオンもあえて否定せず、顔を見合わせ微笑むばかり。
セオドアが「カリマ、少しは慎め」と苦言を呈すれば、ニコスが「師匠の望みだ。仕方あるまい」と嗜める。短剣のホアキンが「残念だなあ。カリマちゃん狙ってたのに」とおどけ、フランツ老は「師匠も若い男ってことで」とほくそ笑んだ。
一行がラサ村を出発して二月が経ち、ついに聖王アトレウスの古都のあるアルゴス領に入った。
戦士たちは夕暮れに染まる茂みの中、野宿の準備に入る。カリマは、かつてアルゴス領主に仕えていた槍使いに声をかけた。
「ニコスは、聖王の都に行ったことないの?」
「聖王様の都は百年前の大乱で、跡形もなく滅ぼされた。そこで王家の大臣がアルゴス領主となり、山の向こうに新たな都を造った。都の周りには、人ひとりいないだろう」
「エリオン様は、誰もいない昔の都になんの用があるのかな?」
中年男からギロっと睨まれる。
「師と親しくされるカリマ殿が知らないことを、私が知る由もない。師が心を許される唯一の女人である貴殿が師を疑われるとは……師はさぞ悲しまれるだろう」
しまった! カリマはヘラヘラと苦笑いを浮かべる。
「エリオン様、あたしには難しい話、しないんだよね~」
「師のおかげで私も貴殿も救われた。師の尊い考えは計り知れぬ。しかし、かつて真実の聖王と聖妃が治めた都を訪れれば、我らの魔王打倒への士気も高まるというもの」
カリマは「そうだねえ」と頷き「あたし、その辺で薪拾ってくる」とあとにした。
討伐隊はエリオンの導くまま、茂みを分け入って進んでいった。
「エリオンさまぁ、本当にこんなところに、すごい都があるの?」
エリオンを崇める男たちには絶対聞けないことを、少女は平気で口にする。
ローブに身を包む青年、いや女はカリマの背中を優しく撫でた。
「カリマよ、疲れたであろう。が、間違いなく都に近づいている。私は皆と出会う前、大陸中を周り、数多の古老たちから聖王の伝説を聞き集めたのだ」
日が落ちる前に茂みを抜ける。と、蔦が固まった巨大な石柱が、何十本も転がされていた。
疑うまでもない。エリオンが断言したとおりだった。一行は聖王の古都にたどり着いた。
戦士たちがため息をつき、遺跡と化した古代の都に見とれている中、エリオンはただ一人、眉間に皺を寄せている。
「千年のときは、ここまで都を変えるのだな」
カリマは例によってエリオンに擦り寄る。
「エリオンさま、千年前は、すごいきれいなお城だったんだよね?」
「柱も壁も屋根も白く輝いていた……そうに違いない」
戦士たちの師匠はカリマの腕を振り切って、無言で遺跡の奥に進んだ。
「師匠! どちらへ!」
ニコスが慌てて追いかける。戦士たちは物を言わぬエリオンのあとを追いかけた。
一行は、急ぎ足の師匠に先導され、倒れたいくつもの柱をまたぎくぐり抜け、石畳が敷き詰められた広い空間にたどり着いた。
カリマも他の戦士たちも立ち尽くし、ため息をこぼす。
「す、すごい! こんな立派な絵、初めて見るよ」
広間の一角には大きな壁が崩れず残っていた。
高さは人の背の三倍はあるだろう。幅は高さの五倍はあるだろうか。
壁には一面に古代の神話が描かれているようだ。
船を漕ぐ人、畑を耕す人、鍛冶に精を出す人、古代人の暮らしが生き生きと彫り込まれている。
特に目を見張るは、中央で向かい合う男と女。
右手に、トーガを巻き付けた長い髪の男が、大きな杖を振りかざしている。
男の周りをキトンを着けた幾人もの女たちが取り囲んでいる。
対する左側の女は巻き毛を長く伸ばし、両手を上げている。キトンのドレープが豊かな波を打っている。
女は厳しい顔つきで、トーガの男を見つめている。
「この二人って、もしかして……」
カリマの呟きを遮るのもがいた。
「あ、エリオン様」
戦士たちの師が、少女の手を強く握りしめた。
「だ、大丈夫?」
エリオンは肩を震わせている。
「やはり、まだあったのか……」
戦士たちは、古代の壁画に圧倒され、言葉なく立っている。
エリオンはカリマの手を離すと、壁画に見とれている男たちに命じた。
「この絵を破壊せよ。跡形もなく粉砕するのだ」
古代の都の壮麗な壁画。エリオンは壊せと命じる。
一同は戸惑う顔を見合わせる。
真っ先にホアキンがエリオンに尋ねた。
「師匠、あたしはこれでも絵に目はないけど、こんな見事な浮き彫り、見たことないんですよ。もったいないですって」
ニコスが加わった。
「師には深いお考えがあるのでしょう。できればお聞かせ願えませんか?」
エリオンは壁画をなぞった。
「ここに描かれるは、誤って伝えられた物語。誤ちの物語こそ、魔王を生み出す元なのだ」
カリマは首を捻る。
「この絵があると、また魔王が生まれるってこと?」
「そうだ。ネクロザールは正しい伝説を捻じ曲げ、自らを聖王の生まれ変わりと偽り、民を苦しめている。伝説をあるべき姿に戻さなければ、人は救われない」
ニコスは深く頷く。
「師のお考えは最もです。たとえ美しく描かれた物語でも、魔王の偽りを助長するなら、滅すべきであろう」
セオドアは唇を引き締める。
「なくすには惜しい芸術ではあるが、師のおっしゃるとおりです」
男たちは美しい壁画を前に、顔を見合わせ頷いた。
エリオンは戦士たちをじっと見つめる。
「では取り掛かれ。ジュゼッペ、おまえの水の魔法と土の魔法で、壁画が崩れるように変成させろ。他の者はフランツに従え」
少年が進み出る。
「先生わかった。やってみるね」
ジュゼッペは両手を掲げて、天の一角を見つめる。空には相変わらず、雲が垂れ込めている。
老人は、袋からトンカチをいくつも取り出し、男たちに手渡す。
少年は誇らしげに、年上の戦士たちに告げた。
「ちょっと時間かかるけど、上の方から少しずつ脆くなってくるはずだよ」
老人は槌を掲げた。
「ちょいともったいない気もするが、いっぺん、やってみたかったんじゃ。さて、どこの神様を描いたかは知らんが、間違った絵は残せないっと」
フランツを先導に、男たちは壁によじ登り、上から槌で叩く。
ジュゼッペの魔法が効いているのか、呆気ないほどボロボロに崩れていく。
男たちは嬉々として、古代の伝説の破壊作業に勤しむ。
カリマはただ震えていた。
(いいの? だって……駄目だ!)
「エリオン様! 今すぐ止めさせて! こんなの間違っている!」
絶叫するカリマを男たちが睨みつける。
セオドアが真っ先に、目を剥いた。
「女! エリオン様に甘やかされてるからと、増長するな!」
ホアキンが嗜めた。
「カリマちゃん、見てるの嫌なら、向こうで待ってなよ」
「違うよ! 伝説が間違ってるなら、どこが間違いか、絵に印を着ければいいんだよ! あたしにはどこが間違ってるかわからない。でも、船を漕ぐおじさんは楽しそうで、この大きな女の人はきれいだし……間違ってるからって消すのは嫌だよ!」
エリオンがカリマの身を抱き寄せた。
「カリマよ。静かにしろ。お前はまだ、わかっていないだけだ」
「わからないよ! でも昔の人たちが一生懸命がんばって作った絵を、間違いだからって消していいの?」
「間違いが、魔王を生み出すのだ」
「この絵を見たあたしたち、全員魔王になるってこと? そんなはずない!」
「絵がネクロザールに見つかり悪用されればどうなる?」
途端にカリマは、エリオンの腕の中で、大人しく縮こまる。
ネクロザールに悪用されたら……そう言われれば、黙るしかない。
壁画のほとんどが粉々に破壊された。トーガの男もキトンの女もあっという間に消されてしまった。
「ねえ、エリオン様、もういいでしょ? ここまで壊せば、魔王だって悪用できないって」
カリマの目から涙があふれる。
「……お前には負けた」
戦士の師匠は宣言した。
「やめろ!」
男戦士はエリオンの元に集まる。
魔法使いの少年は首を傾げる。
「あの端っこは残るけれど、いいの?」
エリオンは、少年の頭を撫でた。
「構わぬ。あれは、人の生まれ変わりを描いているだけだ。問題はなかろう」
古代の壁画はあらかた粉砕された。
残ったのは、天界と地を行き来する人々の姿……千年後に発見され、歴史学者たちを大いに悩ませる「転生の図」である。




