36 少女が選ばれた理由
カリマがラサ村を出て半月が過ぎた。
刺客に襲われるたびに、敵の返り血を浴びる。
エリオンの癒しの技をもってしても、完全に無傷ではいられない。
村にいたころは、たまに池で水浴びをしていた。
男勝りの少女も、そろそろ身体をきれいにしたいところだが、この人たちにそんなこと言えない。
茂みを進むと水のせせらぎが聞こえてくる。カリマはパッと目を輝かせて、思わず後方のエリオンを振り返る。
青年は少女の思いを察したのか、足を止めた。
「川が近いな。ここで先の戦いの汚れを流そう」
エリオンの指示に誰もが従った。男戦士もカリマと同じ思いだったようで、交代で水浴びをすることとなった。
細身の短剣使いは、なにかとカリマに気をかけてくれる。
「この辺見回ったんだけど、向こうの森の奥に池があったよ。カリマちゃんは女の子だから、池で水浴びしてきなよ」
「ホアキン、ありがと」
「あたしが番してあげてもいーよー」
もちろんカリマは、彼らしい冗談だとわかっている。
「い、いやそれはへーきだから! あれ?」
男たちは、カリマの目を気にせず装備を外し始めたが、エリオンが見当たらない。
「エリオン様は、どこか行っちゃった?」
「師匠はねえ、いつもひとりなんだ。肌を見られたくないって。大きな傷の跡とかあるのかもね」
「そうなんだ。あ、じゃあ行ってくるよ」
この時代、傷跡のない人間の方が珍しい。戦士たちも身体のどこかしらに傷を負っている。カリマも左腕に矢傷を負っている。
エリオンは長袖のゆったりしたローブで身を覆い、空気にさらすのは顔と手だけだ。
彼と醜い傷跡のイメージが結びつかないが、あのゆったりとした服にはそんな意図があるのか?
エリオンは涼しげでいつも顔色を変えないが、繊細な心があるのか?
「あ、あたしはエリオン様にどんなに醜いあざがあっても構わない」
女狩人は、ホアキンに勧められた池に近づいた。と、水音が聞こえてきた。せせらぎではなく生き物が立てている水音だ。
男たちは、川で水浴びをしているはずだが、他に男がいるかもしれない。
声をかけて自分がいることを知らせてやろうか、水音が収まるまで待とうかと考えているうちに、水音の主に気がついた。
師匠、エリオンその人では?
途端に乙女の胸が高鳴った。先ほどホアキンは、エリオンは誰にも肌を見せないと言っていた。ひどい傷跡があるかもしれない、と。
他の勇者たちと比べ、エリオンは小柄でほっそりしている。
カリマは、想像力を駆使して、エリオンその人のローブの下を頭に描く。
胸板厚いということはなかろう、肋骨が浮いているかもしれない。いやいや案外、お腹がぽっこり出ているかも……傷跡? アザ?
どうにもこうにもカリマの好奇心は抑えられない。
決してはしたない気持ちではない、と言い聞かせて、カリマは恐る恐る、水音に近づいた。
「カリマか?」
涼しげな声に少女は飛び上がる。
「きゃああああ、すいませーーーん! あたし覗くつもりじゃなくて」
「助かった。その木にかけてある衣を取ってくれないか」
師匠は、カリマの邪心に気づかないのか気づかないふりをしてくれるのか。ともあれカリマは、なるべく声の方を見ないように、言われたとおり、木の枝にかけられたローブを取った。
(見ちゃいけなない、見ちゃいけない)
硬く目を瞑るが、つい、邪な好奇心で瞬きをしてしまった。
「きゃああああああああああ」
先ほどより大きな絶叫が、森に響く。
「カリマ、静かに」
エリオンが手をかざして、ようやくカリマは声を静める。というより、声が出なくなった。ただ、口をパクパクさせるのみ。
(え? あれ? あたし、どしちゃったの? 衝撃が強くて、話せなくなった?)
カリマが叫んだのは、エリオンの体に醜い傷があったからでもお腹が出ていたからでもない。
彼の胸で、あるはずのない大きな二つの膨らみが揺れていた。
「カリマ、がっかりさせたな」
ローブを着込んだエリオンは、巻き毛が濡れている以外は普段と変わらない。しかしカリマの視線は彼の胸元を見つめてしまう。体格の割には胸板が厚いように見えなくもない。さきほど彼、いや彼女は着替えるとき、布を巻きつけ胸を押さえつけていた。
「あ、あのどうしてエリオン様は、女の人なのにそんな恰好をして……」
「この姿の方がなにかと都合がいいからな」
尋ねかけてカリマは納得した。もしエリオンが真の姿をさらしたら、彼に従う六人の男たちはどうなるか? 美しい師匠を巡って争うかもしれない。
「よく、ネクロザール王を倒そうって思いましたね」
「カリマ、それはお前も同じだ」
「あたしはもう、みんなに着いていけばよかったけど、エリオン様は最初、ひとりだったんでしょ? 女の人がひとりで魔王を倒そうなんて……」
エリオンは口を引き締めた。
「歪んだ世界を正しい世界に戻したかった。それだけだ」
ジュゼッペを除く他の戦士たちからは、討伐隊に入った理由を聞かされた。みな、魔王に苦しめられたことは変わらない。
が、エリオンからは、この討伐を思い立った理由を聞いていない。
「エリオン様も、大切な人を魔王に奪われたの?」
「……それもある……」
おそらく彼、いや彼女も魔王に苦しめられたのだろう。が、詳しいことは打ち明けたくないようだ。カリマも詮索する気にはなれなかった。
「カリマ、頼みがある。私の真の姿を知られないよう、守ってくれないか? 女が仲間に入ってくれて、大いに助かる」
「も、もしかしてエリオン様があたしを仲間にしたのって、あたしが女だから?」
カリマは、他の男たちより弱い自分が、なぜ仲間に選ばれたのか、悩んでいた。
「お前は優れた弓の名人だ。ただ人間相手の戦いに慣れていないだけだ。若いお前はすぐ他の戦士と互角に戦えるようになる。自信を持つがよい」
エリオンの濡れた指に頬を撫ぜられた。
「しかし私は、女であることを隠して男たちを率いることに、少々疲れてきた。本心を明かせば、私は女を求めていた」
女を求める……言葉だけだと、即物的で生々しい響きに聞こえる。
「二度もがっかりさせたか。嫌なら、元の村に返してやろう。故郷を魔王から守るのも、大切な役目だ」
少女は頭を巡らせる。
他の戦士たちより弱い自分がなぜ仲間として認められたのか?
カリマはこの数日、ずっと悩んでいた。
が、たった今、エリオンがカリマを選んだ理由がはっきりした。
それは自分が女だからだ。
もちろん、ただの女では冒険に着いていくことはできない。この旅にはそれなりの強さが求められる。
が、エリオンがカリマに求めるのは、戦士というより、女として女を守る者。
それなら結論は決まっている。
「あたしやるよ! エリオン様第一の従者になれるんだよ!」
「そうか。カリマ、お前は傍にいてくれるのだな」
エリオンの長い腕に抱き寄せられる。
(この人、女の人なんだよね?)
なぜかカリマは胸がドキドキしてきた。慌てて、彼、いや彼女の腕の中から逃れる。
「そ、そういえばさっきあたし、でっかい声で叫んだのに、声が出なくなった……あれ、もしかして、エリオン様の不思議な力?」
「あまり使いたくない力だが、すまぬ」
「ううん。あたしが絶叫して、他の男の人たちに見られるわけいかないもんね。でもすごい力だった。あ、エリオン様も竜が見えているの?」
カリマは、ジュゼッペから聞いた魔法の話を思い出す。
「ジュゼッペの魔法とは少し違うな……私に竜は見えない」
「そうなんだ。魔法もいろいろあるんだね。エリオン様の力って、ジュゼッペ君の魔法とは違う気がする」
エリオンの不思議な力。傷を癒すだけではない。人間の行動を操る力……むしろ魔王ネクロザールが欲しいのは、この力かもしれない。
「カリマ、お前も水を浴びるがよい。ここで待っていてやろう」
エリオンは魔法談義を打ち切った。
「あはは、エリオン様が番してくれるなんてすごいね、あたし。男たちにしゃべったら、めちゃくちゃ妬まれるよなあ」
森陰の池で、カリマは身を清める。
エリオンは、優しくカリマの頬を撫で、眠る時には寄り添ってくる。ときにはカリマをそっと抱き寄せる。そのたびに、胸が高鳴ってきた。
ほのかな恋が芽生えつつあった。しかし恋は、花開くことなく散ってしまった。
その代わり与えられたのは、戦士たちから指導者を守るという大きな使命。
「でもさあ、落ち込むなあ」
冷たい水を浴びても、少女の落胆は解消されない。
それは芽生えつつあった恋に破れたからではなかった
「エリオン様の胸、おっきい! あたしの三倍はあるんだもん!」
ローブの下に隠されていたのは、姉を含めてカリマが知るどんな女よりも、女らしい姿だった。
戦士たちの師匠は、煌びやかな踊り子の衣装を着せたら、どんな男性も虜になる身体を持っていた。




