32 はじまりの後悔
トゥール村で、エリオンたちは村人に魔王撃退の技を伝授する。新人カリマも、得意の弓術を村人に教えた。
エリオンは村人に、ネクロザールが聖王の生まれ変わりではないことを、村の広場で滔々と説く。人々は耳を傾ける。
「よいか。真の聖王アトレウスは、生贄を求めなかったし、美女を集めもしなかった。聖王には聖妃アタランテがいたからな」
老女が首を傾げた。
「んー? あたしが聞いた話はちょっと違ったかなあ。えーと……」
エリオンは、老女の前にしゃがみ込み、頬をそっと撫で微笑みかけた。
「聖王の話は千年もの過去。言い伝えが変わることもあろう。しかし、聖王アトレウスがゴンドレシアを栄えさせた偉大な王であり、その治世に一点も曇りもなかったことは、疑いようもない事実だ」
再びブルネットの巻き毛の青年は立ち上がり、両腕を翳す。
「決してネクロザールに屈してはならぬ! 民を苦しめるあの者が、聖王の生まれ変わりのはずがない!」
村人は拍手喝采で、エリオンを湛えた。
そのように過ごして三日経った朝。カリマは、村の入り口で立ち尽くす二人の男に気がついた。二人とも大きな荷を背負い、大きなマントで全身を覆っている。旅人のようだ。
「おじさん達、どうしたの?」
「この村で、ネクロザール王に対抗するため弓術を教えていると聞いてね、わしらみたいなよそ者では駄目かね?」
カリマの琥珀色の目が輝いた。
「おじさん達、弓を習いたくてここまで来たんだ? あたしに任せな!」
少女は笑顔で二人の旅人を、村に案内する。
自分たちの行いが、見知らぬ人にこうやって広がっていく。しかも弓は、カリマの得意とするところ。自然に胸が熱くなってくる。
奥の広場では、セオドアが剣術を指南していた。
「セオドア。この人たち、わざわざ遠くから弓を習いたくて、来てくれたんだよ」
剣士は、笑顔のカリマと目が合うなり、眉を吊り上げた。
「女! そこを退け!」
男は、狼のごとく素早くカリマを突き飛ばし、旅人の一人の首を斬りつけた。あたりに鮮血が飛び散り、旅人は絶命した。
「ひっ、ひええええ! た、助けてえええ!!!」
仲間の旅人は、カリマの背後に隠れて縮こまる。
「セ、セオドア! あ、あんた……あ、あ」
剣士の残虐行為にカリマは身を震わせるも、残った旅人を庇いだてる。
「いいから女! どけ!」
途端、広場に喧騒の渦が巻きおこる。エリオンと他の五人の戦士が、村中から駆け付けた。
槍のニコスが高らかに呼びかけた。
「村人は外に出るな! 家に戻って戸を固く締めるように!」
我に返ったカリマは、セオドアをにらみつける。
「あんた、な、なんで、よそもんというだけで殺すのか! 魔王と同じじゃないか!」
剣士は「どけ!」と剣を突きつける。
カリマは震える旅人に囁いた。
「ごめん。あんたに弓教えたいけど、こいつ危ないから、今のうちに逃げな」
旅人の男は「カリマさん、あんたはいい人だねえ」と目を細める。
「そんなこといいから、あれ? あたしの名前、知ってるんだ」
気づいたときは遅かった。
カリマは旅人に羽交い絞めされ、首に短剣を突きつけられていた。
旅人の男は、声を荒げる。
「この女を殺されたくなければ、エリオンを引き渡せ!」
(えっ? どういうこと?)
弓を習いに来た旅人ではなかったのか? カリマはもがくが、旅人の力が強く逃れることができない。
(こいつ、ただもんじゃない! このあたしが動けないなんて!)
弓名人カリマは力も強く、普通の男では敵わない。ラサ村には、マルセルを含めて彼女に力で勝てる男はいなかった。
セオドアは目を細めて「好きにしろ」と背を向け、立ち去ろうとする。
(えっ! ちょっとそれ、冷たくない?)
カリマは絶望するも、セオドアが問答無用に旅人に斬りかかった訳がわかった。セオドアにカリマを助ける義理はないのだ。
少女はもがこうとするも、短剣を首に押し当てられ、どうにもならない。
「ならぬ! カリマを救い出せ!」
爽やかな声が広場に響いた。
「エリオンさまー!」
カリマは歓喜の声をあげる。と、槍のニコスがエリオンの前に進み出た。
「師匠! 行ってはなりません!」
「いや、仲間を見捨ててはネクロザールの輩と同じではないか! カリマを救え!」
ホアキンが躍り出る。
「カリマちゃん、行くよ!」
細身の男が投げた短剣が、カリマを羽交い絞めにしている右腕に突き刺さった。
腕が緩んだすきに、カリマは逃げた。
「くっ! こいつめ!」
エリオンは、六人の戦士の中でただひりの子供、九歳の魔法使いジュゼッペに命じた。
「ジュゼッペ! お前の魔法で、あやつを止めろ!」
「待っててね。お師匠様」
ジュゼッペは、自分の背とあまり変わらない杖から冷気を放った。途端、男の体が固まった。
美青年は、戦士たちに号令する。
「今だ、あの者を拘束せよ」
体格のいいセルゲイとフランツ老人が、縄でもって凍り付いた男の身体を、ぐるぐる巻きに縛り上げた。
エリオンは、村長の老女に「これ以上滞在して迷惑はかけられない」と詫びて、戦士たちを率いて村を去った。
遺骸と凍り付いた男の身体を、戦士たちが運ぶ。
茂みの中に入ったところで立ち止まる。
エリオンは、縛り上げられた男の顔に手を翳した。たちまちのうちに、男は息を吹き返す。
巻き毛の美青年は、縛られた男に言い放った。
「ネクロザールに伝えよ。歪められた世界を正すまで、私はお前の元には参らぬ、と」
緑色の眼がギラギラと光る。男は無言でフラフラと立ち上がり、立ち去ろうとする。
エリオンは男の背中に呼びかけた。
「お前の仲間を見捨てて良いのか?」
青年の指先には、セオドアが切り殺した死体が転がされていた。
旅人の男は死体を担ぎ上げ、森の奥へ消えていった。
セオドアが眉を寄せた。
「師匠、逃してよろしいのですか?」
ニコスが割り込んだ。
「あの刺客にはたった今、エリオン様の恵みがもたらされた。我らに害をなすことはない」
セオドアが顔をしかめる。
「ラサ村の軍団長は、エリオン様のお力もむなしく、自害したが」
中年の槍使いが「うむ」と頷く。
「ネクロザールとて全ての部下の心を支配しているわけではない。ラサ村は重要な拠点ゆえ、忠誠心の高い部下に任せたのではないか?」
エリオンは男二人の会話を気に留めず、立ち上がった。
「これから、聖アトレウスの古都を目指す。長旅になろう。今夜は森を進んで野宿とする。よいか?」
六人の男たちは、なにごとも師匠の命ずるままにと、満足げに大きく頷いた。
カリマはただひとり、呆然と立ち尽くしていた。
(あたしがいけないんだ! 勝手に村に知らない人を入れて、セオドアの邪魔をして、みんなに迷惑をかけた!)
姉の仇を討つ旅は、青ざめた後悔から始まった。




