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舞台袖のモブ王子は困っている

作者: みや毛

筆者も乙女ゲームエアプなので軽く読んでいただければ。

突然だが、そもそもの話をする。悪役令嬢なんてものは、実際の乙女ゲームにはいない。よくてライバルキャラ。自分の魅力磨きの前に立ち塞がる相手が精々であるのだ。


一度考えてもみてほしい、主人公はすなわち自分の分身になる。そんな投影先の人物が婚約者のいる男に尻を振……もとい、愛想を振り撒くような性格だったら批判の元だ。主人公の性格が最悪なのがウリ!とかでもない限りバッシングの嵐。シナリオライターはSNSで好き放題叩かれ、ソフトはワゴン行き。いいところでそこらの動画サイトで最悪主人公の乙女ゲームwみたいなタイトルで釣りに利用されるのがオチだ。


だがしかし、恋愛シミュレーションというのはどうしてもキャラの個性や特徴が重要になってくる。となると、王子様、とか、魔王様、とか、そういうわかりやすく立場のえらい人がフリーで出てこないといけないわけで。なんでこんな素敵な人に相手がいないのかしら?みたいなのは周りの女がみんなダメとか、心から愛せる相手じゃないと嫌とか、そういう子供っぽい理由をつけて誤魔化すわけだ。なかなか苦しい話だと思う。人間の数がどれだけいると思っているのか。一人もピンと来る相手がいないなんて流石にありえない。


さてそれでは。そんな風にヒロインのために配慮された世界の婚約とはどうなるものなのか?これはそういった面倒極まりない世界の出来事である。



「今日も大変そうねえ」

「本当よ」


ある日の学園の昼休み。二人の少女が中庭のベンチに腰を下ろしてランチを食べていた。片方は面白がるような笑みで、もう片方はうんざりした顔。少女が重くため息をつくと、もう一人の少女はさらに笑みを深くして、左手に光る指輪を見せつけるように頬へ添えた。


「私はさくっと婚約できてよかったわ〜、アクの強い方でもないし、結婚してもうまくやっていけそう」

「もう他人事だと思って!いいわよね、私も普通のご令息と婚約したいわ」

「あらあら、初動が遅れたのが悪いわよ?秋口にはめぼしい方を決めておかないと」

「……だってぇ。呪いが発動するかわからないじゃない」

「そこは賭けよ。リスクを取らないとね」


彼女たちの卒業が間近となったこの頃、周りでは婚約が次々と結ばれていた。この学園に通うのは多くが貴族の子女たちであり、卒業と同時に式をあげ代替わりをするという家もそこまで珍しくない。しかし、婚約を学園の入学前から済ませている学生はほとんどいない。そうなると交流期間があまりにも短すぎるのでは?という話にもなる。まぁ、結婚まで互いの顔も知らなかった、というのもそこまで珍しくはないのだけどほぼ全員がそう、となるといささか不自然である。しかしこの世界、なんとも不思議な呪いがあるのだ。 

特定の相手と婚約を結ぼうとするとその書類が途端に灰になる、といった風な。


その呪いはこの国だけでなく隣国にも大陸を越えた遠い場所にもあるらしい。挙げ句、人間だけに限らず獣人といった異種族間でもそうだという。書類を作らなかったとしても婚約を結ぼうとした途端差し出した指輪が溶け落ちたり、その二人の立つ場所にだけ豪雨が降ったりと兎に角奇怪な出来事に見舞われる。それで、ああ、この相手とは婚約ができないのだな、とわかるのだ。

しかしこれまた不思議なことがあり、数年ほど時間をおいて婚約をするとそれがなかったりすることがある。必ずしも相手が悪いのではなく時期が悪いのでは?というのがこの異様な呪いに対しての一般的な見解だ。


なおそんなことは知らないと無理やり婚約を結んだ者たちもいたが、遅くとも翌日には原因不明の事故に遭い、どちらかが命を失うことになった。それも呪いといわれる所以だ。


まぁ、ともかくとして何故かこの世界、特に顔貌のいい相手とは婚約が結べないことが多かった。地位や能力が高かったり勢いがいいところとなるとその確率もぐんと上がる。こうなってくると貴族たちは大変困るわけだ。なんといっても所詮婚約は政略。それがうまく結べないとなれば、提携事業の話というのも深く持っていくことは難しいし、派閥も選びにくくなる。社交はなあなあな空気でおままごとに毛が生えたようなものだし、領地間のインフラものろのろとしか進まない。こんな呪いがなければ、と世界中の親たちが頭を悩ませていたが、ある時、ちょっとした偏りに気がついたものがいた。勿論統計なんてものは取れないしあくまで「そうかもしれない」程度のものではあるのだが。


特別目立つところのない子女たちの婚約は異様なほどスムーズに進んでおり、そして、飛び抜けた実力を持つ美男子たちは、何故だか総じて個性が強かった。才人は凡人とは違うものと皆が流していたことであったが、いくらなんでも極端すぎるのではないか?と疑問に感じた者がいたのだ。


幸福でありたいなら、平々凡々を選ぶべし。

そんな風説が出来上がるのも時間の問題で。愚痴をこぼす彼女だけでなく、婚約相手のない令嬢たちはそんな我の強い婚約者を避けるために必死であったのである。


「王家の方は勿論、騎士の方も文官の方も魔法塔の方もやたらと若い商会長も、かといって隣国の方もイヤ!私、ぜーったい普通の方と結婚したいのっ!」

「ああいう立場が強い方って、本当にクセ強いわよね〜、たとえば、ほら!宰相様って氷みたいに冷たい方って評判じゃない?」

「奥様にはデレデレで独占欲強いのに、でしょ?そりゃ大切に愛されるのは女として憧れるわよ?でも、行き過ぎた溺愛ってストレスたまりそうよね、宰相夫人はすごい方だわ〜……」


正義感が強くて一切の不正を許さない王太子殿下とか、剣の修行にばかり興味があって常に傷だらけの騎士候補生とか、愚か者を嫌う辛辣毒舌な文官志望者とか、好きなものにしか関心がない代わりに独占欲の強い魔術師とか、軟派で常に違う女性を侍らせている商会長とか、物腰が穏やかで温和だが目が笑っていない隣国の王太子とか、竜の血を引くとされる傲岸不遜な異国の皇子などはこの世界ではよく見かけるものなのである。


外から見ていたり、劇を見ている分には良い。だが、生涯の伴侶としてはどうなのだろう。歳を重ねて落ち着くのを待つにしては些か色が濃すぎるというもの。婚約者として選ぶのも難しいし、才能はあるけれど言動が若すぎたり尖っている相手と婚約というのはなんとも落ち着かない。それに彼らは男なのでなるべく早くの結婚を考えなくてはならない貴族令嬢と違って猶予もある。

となれば選択肢として除外されていくのも道理であった。確かに、彼らの才能、美貌は素晴らしいが、平々凡々といわれるその他大勢の彼らも大抵崩れた顔はしていないのだ。何せ貴族であるからして、よほどの不摂生もない限りはそれなりである。


あたりまえの思いやりにときめかれたりとか、予想と違った対応をしただけで面白いといわれたりとか、そんな男側の勝手なロマンスにご令嬢たちが付き合ってやる道理はなく。優良物件なはずだった男性陣はやがて不良在庫のレッテルを貼られることになった。


その結果、つい先日特待生の女子生徒が王太子と恋人になった件では僻みや嫉妬などが起こることもなく「よくその相手を選んだな」という一種の尊敬の念さえ漂っていたのである。

二人の世間話は聞く者が聞けば不敬と嗜められる内容ではあったが、口にしないだけで大抵が同じ感想を抱いていた。この際いいかと両親になげやりに濃い男を寄越される前にほどほどの相手と交流を持たなくてはいけない。彼女たちは彼女たちなりに必死なのである。


さて、そんな男たちにとっては嬉しいのだか虚しいのだかわからない令嬢の話に密かに肩を落とす影があった。


「うう〜……」


彼女たちが見えなくなってからひょっこり壁から姿を見せたのは、声色通りに困り果てた少年であった。癖のある茶髪を目元まで伸ばし、身体に馴染まないやや大きなジャケットを羽織る猫背がちな姿はどうにも垢抜けない。入学に合わせて地方から出てきた小さな家の令息のように見えるその彼がまさか、令嬢が関わり合いたくない肩書きランキング上位に食い込む王子の身の上であろうとは誰も思うまい。


「無理だって……ボクぅ……」


よろよろとしゃがみ込み頭を抱え込む彼の名はランディ。一応この国の第二王子に当たるが、生まれは側室腹であり王位継承権は異母兄の王太子、現王弟、そのあとに来る第三位。そして、その三位というのも建前に近い。というのも、ランディの母が側室として王宮に入ったのは彼女の生家である伯爵家の領地から金鉱山が見つかったからである。当然王家としてはその財が欲しい。当時すでに現王太子である一子がいたし、年の離れた王弟もいたがもうひとつくらいスペアがあってもいいかということで婚姻が結ばれたのである。徹底的なほどの打算でお互いに愛が生まれない。そんな後から付け足すような婚姻はあっさりうまくいくのも呪いの謎である。

そんなわけでランディが生まれてから義理は果たしたと一切の王の渡りもなくなり、こぢんまりとした離宮で呑気な母と2人王家としては慎ましい生活をおくっていた。いつか王位継承権を返上して、母の実家の領地の隅でも借り受けて一代限りの爵位でももらって老後は過ごしたいなと計画を立てていたのに、ここでとんでもない出来事がおきる。


兄である王太子が恋人と結ばれ、色々なすったもんだの後、ランディに王太子の位が転がってきたのである。


「ずうぅっと、普通に兄上が王太子になるものだと思ってたのに!なんだよ真実の愛って!?もっと考えて!?人の事っ!!」


その王太子の恋人は特待生として成績優秀であったが、なにぶん身分が低かった。

それならどこかの家に養子に、というのも選択肢にあるかもしれないが王太子は妙なところで真面目な男で、彼女にどれだけの才能があったとしても今から王太子妃の教育をしたとして時間はかかるし社交の上で弱みにもなる。それならば王太子を辞して公爵位を戴き臣下として国に尽くすべきと父王に進言した。そこを一蹴して高位の令嬢と婚姻を結べと普通ならできようが、この世界にはやっかいな呪いがあるわけで。

そんな無茶な話はあっさり通りランディにお鉢が回ってきたのである。なお、王弟については留学に来ていた獣人族の王女に番だと認定され掻っ攫われるのも時間の問題という形になっていたので割りいることはできなかった。ご都合主義めと叫び出したくなるが、呪いがあるせいで呪いが発動しない婚姻は異様に早く進むのである。


ランディは心底焦った。というのも、才能に溢れ努力も怠らなかった兄王子と比べ自分は極々平凡なのだ。向上心もあまりあるほうではなく合格点をもらえたらそれでいいかと思ってしまう。結果、学園での成績は中の上をキープしていた。外見も派手な方ではなく、長い前髪を上げても目を奪われる美男子が現れるわけではない。だから派閥争いの神輿として持ち上げられることもなく、そういえばいるよね、という王族にあるまじき影の薄さでやってきていたのだ。

だというのにここで父と兄からの無茶振り。美談に持って行ったほうが都合が良いため、兄を敬愛し陰に控えていたが実は才覚あふれる若き王子……という嘘をそれとなく広められる始末。今まで隠れていた王子などこれまたクセの強い人物に違いないと女性達に陰口を叩かれては震える日々。現実とのギャップに頭痛がする毎日だ。ランディは蹲ったままうんうんと唸っていたが、やがて諦めたように息を吐き出して億劫に立ち上がった。


「……なんて。不満いってもしょうがないよなぁ、最悪婚約者は父上に選んでもらえるし、頑張って勉強しよ……」


心から疲れた声色でよろよろと。夕暮れに綺麗だとのんびり茶を飲むこともできずランディは人目につかないようにいつもの場所へと向かったのであった。




ここ最近のランディの日課といえば、放課後ギリギリまで図書館の自習室を借りての猛勉強だ。王太子教育も重要だが、ランディにとってはこちらが急務だった。何せ兄を凌ぐ才覚の片鱗を見せる、といった嘘の噂を広められてしまっているのだ。最低でも兄と同じ成績にならなければ許してもらえない。テストまでの日数を数えて胃の底を冷やす日々だ。うんざりしながら教科書のページを捲ると同時に傍から声がかかる。


「あの」

「はひぃっ」


口から心臓が飛び出すとはこのことか。驚きのあまり椅子からやや浮いたランディはぎこちなく振り返る。そこには冷えた眼差しの女子生徒。腕章を見るに図書委員であるのだろう。自習室のドアが控えめに開いているのを確かめ、自分がノックにも気が付かなかったことを知る。このままでは暗殺でポックリいく王になるのも時間の問題だと他人事のように考えていると彼女は凛とした声でランディに告げる。


「申し訳ございませんが、閉館時間です」

「あ、そ、そっか、ごめん。もう出るね、あは、あはは、あ、ありがとう……」


乾いた笑いを浮かべながら机の上を片付ける。教師に勧められて借りた参考書もランディの凡庸さを助けてはくれなかった。己の非才が妬ましい。ふぅ、とひっそりため息をついて椅子から立ち上がると、女子生徒はランディが小脇に抱えた本を見て、少し躊躇ったように口を開いた。


「……差し出がましいことかとは存じますが、経済学が苦手でいらっしゃるのですか」

「あ……う、うん。な、情けないよね〜っ!男なのに…あは、あはは……」

「いえ、人には向き不向きがありますので」


言葉だけならフォローをしているように思えるが、彼女の言葉はばっさりとランディのちゃかし笑いを切り捨ててきた。それはそうだ。向こうも仕事で声をかけている。世間話などしたいわけではなかろう。ランディだけが気まずくなって黙り込み彼女の背にあるドアをちらちらと見ていると、彼女は取り出したメモにサラサラと何かを書き連ねてランディへ寄越してきた。


「でしたら、この参考書もわかりやすいと思います。ただし、貸し出しは一週までですので」

「あ……ありがとう!読んでみるよ。君も帰り道、気を付けてね」

「……はい。有難う存じます」


最後まで冷ややかな態度のまま軽く頭を下げた彼女にもう一度礼を言って、ランディは注意されない程度の早足で図書館を後にする。閉館時間から次は王宮に帰っての王太子教育が待っているのだ。立太子は兄のせいで事実上したも同然ではあるが、正式な式典はまだである。それまでに少しは「見れる」ようにしなければ非常に面倒くさい。そんなわけでかつての生活からはかなり厳しいと感じるスケジュールに悲鳴を上げる彼は、女生徒がその背中をじっと見ていることには全く気がついていなかったのだ。



そして、翌一週後。ランディはいつも通りに自習に来て、本の返却カウンターに見知った顔がいるのを認めてその前に立った。


「これ、ありがとう」

「はい」

「とっかかりとしてよかったよ。教えてくれてありがとう。これ、つまらないものだけど」

「……いえ、委員の仕事のうちですから」

「いらなかったら捨てて。とにかく、助かったよ」


彼女が教えてくれたものは、参考書としては入門も入門。やさしい教本にあたるものであったが、基礎がまだ未熟なランディにとっては大変助かるものであった。それから教師達の薦めてくれたものを読んでみれば前よりも文字の羅列がしっかりと理解できるように思えた。ランディの兄であったのなら、彼にとっての入門書はあれだったのだろう。教師達も無意識にそれを思い薦めてくれたに違いない。自分の不甲斐なさに苦笑して、教師の課題に取り組めば点数は若干伸びていた。自分の力量を改めて知ることになり凹んだが段階を踏めば成長は見込める、かもしれない、という可能性が見えた瞬間であったので、今後にも役立てたい。

そんなわけで、彼女にも感謝の気持ちとして本と一緒に一つの封筒を渡した。残念ながらランディの感謝を込めた一筆というものではない。中に入っているのは学園の食堂の引換券である。だって彼女からしたらあんなものは司書の仕事の一部でしかない。それで大仰な感謝をしても困るだろう。この程度がいい塩梅だろうと渡したが、色気がないのは確かだ。だが彼女に一目惚れをしたわけでもない。話したのはあの日一度きり。ならこれで十分に違いない。そう内心で頷いて自習室に向かおうとすると、背中に凛とした声がかかった。


「殿下」


一瞬、石になったのかしらと思った。一歩を出そうと思った姿勢のままランディは硬直し、辺りを見回す。幸運なことに今の一言を聞いたらしい生徒はいない。ゆっくりと絡繰じかけのように振り返ると、真っ直ぐにこちらを見る女生徒と目が合う。

まさか、気がついているとは思わなかった。いや、仮にも王族であるのだし、知る人は当然知っているだろうがこの学園で彼を殿下と呼ぶものは限られていた。情けないことにランディはその見た目の凡庸さ、才能の乏しさから多くの人々からどこかの下級貴族子息と思われていたのだ。立ち姿に自信がなく影も薄いせいであろう。特別隠していたつもりはないのだが、姓は母のものを使っていたし、前髪の奥にある瞳は王家の金色だけれどランディのそれは少し燻んで薄茶色にも見えた。ちゃんと見ないものにはそう映るかもしれない。王族といえば地雷、という風潮のある昨今気がつかれないほうがありがたかったので特に何もしなかったが、まさか彼女には察せられていたとは。しかも出来の悪いところをしっかりばっちり見られていたとは。冷や汗を必死に隠し、ぎこちなく笑みを浮かべる。


「な、なに?」

「お身体に、お気を付けて」

「あ……ありがとう」


何気ない気遣いにすこし不自然さを感じながらも素直に礼を返す。引き留めてまでいうことだったのかわからない、たった2回目の彼女に失礼だがそんな無駄なことを好むようには見えないのに。まぁ、粗品への礼もあったのかもしれないと自分を納得させていつもの席へ。

その疑問の答え合わせが案外早くに迫っているとは、ランディも知らないままで。






「オディレ侯爵令嬢、この度は縁談を受けていただき感謝します」

「いいえ、殿下。臣下としてこれ以上ない誉でございます」

「そういっていただけるとこちらも嬉しいです」


数週後、ランディはそれなりの見た目に整えられて王宮の中庭で婚約者となった令嬢との初邂逅を果たしていた。事前に父から話を聞いた時は震えたものだ。彼女は呪いで不可、とされなければ兄と婚約を結ぶはずだった女性なのである。完璧な淑女の太鼓判を押されるほどの品行方正、容姿端麗、頭脳明晰、所作の美しさもため息が漏れるほど。彼女が王太子妃、ゆくゆくは王妃として兄と立っていればきっと素晴らしい治世を望めたはずなのに。それがこんな余物の張りぼてと婚約など不幸にも程がある。そりゃあ臣下として、と建前を添えたくもなるものだ。苦笑を隠して答えたつもりだったが、彼女はわずかに目を細めてランディをしっかりと見つめ返した。


「私としても、このお話は良いものでございますのよ」

「……ボクに気を遣わなくてもよいですよ。ご令嬢が王家によい印象を持っていないことはわかっているつもりです」

「おっしゃる通りかもしれません。でも、私、殿下でしたらかまいませんの」


強気な言い方につい瞬きをする。そんなランディの様子を楽しげに見て、彼女が少しだけ小首を傾げる。


「すこし、私的な話をしても?」

「え、ええ」


どこか悪戯っぽい仕草に戸惑いつつランディが首肯すれば、彼女は美しい顔をふわりと緩めて中庭の花々に目を向けた。その眼差しは優しく、まるでここにはない景色を思い出すようだ。


「私、幼い頃からそれは大切に可愛がっている子がおりますの。もともと領地も近く、互いの家の仲も良好でそれこそ姉妹のように過ごしたものですわ」

「ほう」

「無愛想とよくいわれますが、顔に出ないだけでとってもとっても可愛いのです。そして、人を見る目は確かですのよ」


よほど大切な相手なのだろう。淑女のたたえる淑やかな笑みにやや強く彼女本来の愛しさが混じったように見えた。仲良きことは美しきかな。月並みではあるが、その様子にランディの方も微笑ましくなり笑みを浮かべた。元々のんびりした性格なのでこういった肩肘張らない話題なら大歓迎である。昨晩必死に考えた女性好みの話題とかを引っ張り出さなくてよいことに安堵しながら耳を傾けていると、一瞬彼女が猫のように笑った気がした。


「その子は、学園で図書委員として司書の手伝いをしているのですが、ある時期から毎日遅くまで自習室を使う方が現れたといっていましたわ」

「……え」

「その男子生徒の方は、いつも泣きそうな顔で苦手な学問分野に取り組まれていて。なんでも、とある事情で突然優秀になることを求められていたらしいのです」

「あ、あの、レディ」

「ミレイユ、と」

「ミ、ミレイユ嬢」

「はい」

「か、風が出てきましたね?中に入りませんか」

「いいえ、良い風ですから。さて、続きですけれど」


扇を取り出して口元を隠して笑うミレイユにランディは嫌な汗をかいた。完璧な淑女、本当に?噂に聞くよりもずいぶんいい性格をしている気がするが、それを隠してこその侯爵令嬢であるのだろうか。長く社交をやってこなかったランディは目の前の強敵にあっさりとかわされ主導権を奪われてしまう。おろおろとするランディを気にせず彼女は追撃を入れてくる。


「そんな私の妹も同然の女の子が、その方であれば私の婚約者として許せる、と言うのです。ふふ、元王太子殿下にはむっつりとしていたのに、珍しいこともあるものだと思いましたわ」


あの冷たい眼差しの彼女を思い出す。当たり前ではあるが、図書館の常連であったランディのことを向こうが知らないわけがない。だが、また今日も来てるな、くらいのものではないだろうか。お互いに想い合う彼女達に自分がどこで合格点を出せたのかわからず呆然としていると、彼女は扇を閉じて穏やかに微笑んだ。


「その方は特別優秀ではないのかもしれないけれど、ちゃんとご自身の立場をわかって、理不尽な立場に立てられても人を慮れるひとだ、と。お姉様が支えてくれれば賢王には届かずとも良政を敷いてくれるはず、そこまでいわれたのなら、姉のようなものとしては受けるしかありませんでしょう?」

「……そ、そんなことでいいのですか?あの……その男は猫をかぶっていたのかもしれませんよ」

「まぁ、人の見ていないところでですの?」

「ど、努力とはいっても、本来は出来て当然のことで……」

「確かに国王は愚かではいけませんが、国王が一番賢い国というのも悲劇を生みます」


今までのサボりのツケを払っていただけ。逃げようとか恐ろしい思い切りを浮かべられなかっただけ。しかしそれでも、あの図書室の彼女にしてみれば及第点であったらしい。わからない、兄の方がずっと出来もいいのに。何故、と尋ねたくてもこの対談の立役者はここにはいない。そんなランディの答えるようにミレイユは形のいい唇を開いた。


「無知は罪ですが、非才は恥というだけ。その分野に長じるものに素直に意見を求められる、それも一つの才能です」

「……ミレイユ嬢は優しいですね」

「いいえ、おやさしいのは殿下ですわ」


自分のように才能に乏しいものでも美点を見つけてくれるのかと感動していると、ミレイユはかわって、またいたずらに扇を取り出した。もしかして、また冷や汗をかかされるのだろうか。ランディがつい背筋を伸ばすとミレイユは澄ましながら尋ねる。


「殿下、なぜ食堂の引換券だったのですか?」

「え」

「食堂では最近売り出したサブレが話題でした。軽いお礼ならそちらでもよかったのでは?」


その疑問にほっと息をつく。図書館以外も目ざとく、敬愛する姉の婚約者になるものとしての事前調査でもされていたのかと思ったらあの二回目のことまでらしい。

年頃の令嬢に渡すにはそっけなさすぎるという自覚は当然あったのだ。しかし、軽いお礼であるのなら尚更形に残らないもの、残ったとしても王族としての気配のないものでなくてはならないとランディでさえ理解していた。ほんの僅かにミレイユから目を逸らし、言い訳がましくその答えを口にした。


「あのご令嬢が甘いものが好きかどうかなんて知りませんでしたし、引換券のほうが便利かなと……もし、不快なら券を誰かにあげるなり捨てるなりすればいいだけだし、それに図書館で食べ物ってどうかな、とも思いました」

「ふふ。あの子はそこが嬉しかったそうです。あくまで、あの子のためを考えてくださったところが」


普通ではなかろうか。それに食堂の新商品のサブレは文字通り大人気の争奪戦で、美味しいなら食べたいなあと呑気に買いに行ったランディはもみくちゃにされたあげく何も買えなかったという苦い経験がある。もし奇跡が起こって手に取れたとしても割れてしまっているだろう。自分の鈍臭さに自信のあるランディはかつての苦しみを思い出して少し遠い目をした。

そんな利己的にも見える消極的な選択肢は、どうやら彼女達にとっては正解だったらしい。ミレイユは先ほど翻弄されるばかりのランディを見て朗らかに笑った。その笑顔を見て、心臓が跳ねたのはお目溢しいただきたい。なにせ自分には到底釣り合わない美女が前にいるのだから。


「あの子も私も、甘いものは大好きですの。3人でいつかお茶会をしましょうね」

「こ、光栄です……」


つい恥ずかしくなってあの放課後のように笑ってしまったけれど周りの空気はさほど悪くない。今はまだお互い知らないことばかりだが、今日のようにうまくやっていけたら幸せだ。それに、自分も彼女のような人間に引っ張ってもらった方が何かとスムーズにことが運ぶ気がする。割と他力本願なことをぼんやり考えて、ランディははっと我に返った。たしかにそのティータイムは魅力的だが、自分には切羽詰まった事情があるわけで。


「……あ、あの、ミレイユ嬢」

「なんでしょう?」

「その、情けない話ですけど……」


謙遜でもなく事実として情けない話。彼女はこんなこと片手間にこなせるのかもしれないけれど。

ランディには近く、学園の期末試験が控えているのであるからして。


「その……お茶会の後、べ、勉強会も、させてもらえませんか……」

「……ええ、喜んで」


優美に微笑むミレイユにランディは赤くなった顔を隠すように俯いた。こんな初対面で良かったのだろうか。ミレイユに自分ならと推してくれた図書館の彼女の顔に泥は塗らなかっただろうか。いまさら取り返せない後悔にランディは目眩さえ覚えていた。婚約者というより出来の悪い弟くらいが妥当な立ち位置だと思うが、そうすると彼女の妹分に睨まれたりするのかもしれない


(頑張ろう……)


せめて、彼女に及第点を貰い続けられるくらいには努力しなければ。そう固く誓って少し緩くなった紅茶に口付ける。




後世、賢妃として讃えられることになるミレイユ。文献に残るのも彼女の偉業ばかりでその夫である国王ランディについての記載はほとんどない。それでも、彼は傀儡として彼女に傅くのではなく、彼女に意見を求め、己で考え、そして彼女の齎す結果を喜び敬意を示したとされ穏やかな善政を敷いた、と語られる。

そんな未来のことをまだ物語の渦中にあるランディは当然知らなかった。


プチ設定

世界の呪い:攻略対象とは絶対に婚約が結べない。ヒロインが特定の相手とくっつくまでは継続。くっついた後は強制力がなくなるが、現在が青年でもイケおじ枠として攻略対象になる場合はその年数まで待たなくてはならないし、ヒロインが誰なのかば現地の人間にはわからないので婚姻ができるまで待つのはハイリスクすぎてとりあえず顔がよくて目立つ男は避けるのが無難という風潮になった。それでなぜ権力が備わっているかはご都合主義パワーということでひとつ。


ランディ:メイン攻略者の異母弟という美味しい設定だけど隠しキャラとかでもなく普通にメカクレ(顔グラ誤魔化し)モブ。別に才能とかない。急に王太子の後釜を投げられた尻拭いキャラでもある。



悪役令嬢は実際いないらしい、というのを聞いて、じゃあ攻略対象って全員婚約してないのすごく大変な事態なのでは?と思い書いてみたものです。まず中世舞台の乙女ゲームがなかったら杞憂ですね。そしてなろうなどでざまあされたあと後釜に座らされる王子がパッとしないと大変そうというテーマでも書いてます。

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