75 命
◆◇◆
助手席に座るなり、俺は氷室さんに問い掛ける。
「柚子香ちゃんは何の病気なんですか?」
「ミコ糖症という難病指定されている病気です。柚子香さんは生まれつき、ミコ糖という老廃物を分解する能力が低い。ミコ糖は毒性があって、内臓、骨、神経、筋肉にダメージを与えます。全身が痛いはずですよ」
「かわいそう。治るんですか?」
「今の医学では治せません。痛みを和らげたり、弱った内臓を回復させる薬を使うなどの対症療法が精一杯です」
「じゃあ、柚子香ちゃんはずっと病院で過ごさないといけないってこと?」
「……ミコ糖症患者の多くは20才くらいまでに亡くなります」
「えええっ!?」
「今は手を動かしたり、会話ができますが、やがて神経が損傷し、筋肉が硬直して動けなくなります。生命維持がだんだん困難になっていくのです」
「そんな……そんな……柚子香ちゃんは何才なんですか?」
「14才ですよ」
氷室さんの言葉が俺を貫いていく。
柚子香ちゃんは10才くらいに見えた。病気のせいで発育がひどく遅れているんだ。
20才までしか生きられないなら、あと5~6年の命しかない。
「何とかならないんですかっ!?」
俺は氷室さんに八つ当たりしてしまう。
「とおっしゃられても……ミコ糖症の原因は不明ですから、薬の開発も進んでいません。わかっているのは、ミコ糖症はとても稀な病気ということです。幸斗様と桃香様が結婚して、生まれてくる子にミコ糖症が遺伝する確率はほぼゼロです」
「んなこと聞いてない」
「私にどうしろとおっしゃるんですか?」
氷室さんが眉を寄せる。
「俺の持ち金は1兆円なんだろ。金をありったけ使って、ミコ糖症の薬を開発してくれ」
金に何の未練もない。かわいそうな柚子香ちゃんを救えるなら本望だ。
「ダメですよ。幸斗様の1兆円は、お嫁様のものでもあります。他の女の子が黙っていません」
氷室さんは即座に却下する。麿莉奈とかは実家の会社を助けるための金目当てだからな。納得しないってのはわかる。
「だったら、俺は今すぐ桃香を選んで結婚する。それならいいだろ」
「……」
氷室さんが口を結ぶ。
沈黙の時間が車の中で流れる。
千紘姉さんと結婚できないのは悲しいが、千紘姉さんも同じ気持ちになってくれると思う。
「もうバトルロワイヤルなんて遊びは終わりだ」
氷室さんはかぶりを振る。
「やれやれ、幸斗様はやさしい人です。衝動的に柚子香さんを助けたくなったのはわかりますよ。ですが落ち着いて下さい」
「落ち着いてられっかよ。柚子香ちゃんの命は刻々と減ってるんだ」
嫁を決めるのに1年も掛けていられない。
「これだから単純な思考回路しかないバカは――」
氷室さんがキッと俺を睨む。
「え、俺のことをバカって言うんですか。依頼人のじいちゃんの孫の俺に?」
「考えてみて下さい、幸斗様が1兆円を差し出して薬の開発をさせたらどうなるか。研究者の数には限りがあります。ミコ糖症の研究ばっかりやることになって、他の難病の研究が疎かにされるじゃないですかっ」
氷室さんが怒りを含んだ声をぶつけてくる。
「あ……」
「幸斗様が柚子香さんを救おうとすると、代わりに救われない命がたくさん発生するんです。幸斗様はそれでもいいんですかっ?」
氷室さんは柚子香ちゃん以外にも難病で苦しむ子供がいっぱいいると言っている。俺が柚子香ちゃん1人を救おうとしたばっかりに、代わりに何百人もの子供を死なせることになるかもしれないのだ。
「あああ……」
項垂れる。
「子供に心臓移植の手術をアメリカで受けさせるために、募金をしているニュースをよく目にします。募金する人はわかってないですよね。その子を救うってことは、代わりに別の子供が助かる可能性を減らしているってことなのに。みんな、目の前の命を救うことしか考えてないんです。バカでいられるのって、うらやましい」
氷室さんが吐き捨てる。
本作の短編版
『1兆円持ってる俺は、ギャンブルで無双して美女にデレられてしまう~日常的に美少女を競わせてリアル版ウ〇娘やってるようなもんだからね』を投稿しました。
↓下のランキングタグから飛べるようにしております。
お読みいただき、ご評価をつけていただけるとありがたく存じます。




