ヒューマンサイド(3)
2×52年7月 MHA社会議室
長テーブルを挟んで、総勢20人程の人間が座っている。ジェマイア・タナスは長テーブルの端に立ち、人々の視線を一身に浴びている。長身、大柄な黒人だ。幅の広い肩、分厚い胸。鍛えられた体に、肩の張ったいかつい制服が良く似合っている。
彼は、自分が情報管理局の局長であると自己紹介した。
「皆さんに集まっていただいたのは、既に一部の方はご存知と思いますが、『サラマンディア』の秘匿通信に関してです。」
ジェマイアは言葉を切ると、居並ぶメンバーを見渡した。メンバーの中には制服組と総称される、治安に関わる国家組織に属すると思しき人物が数人見える。それ以外には研究者、特にサーベラスプロジェクトのメンバーが顔を揃えている。帷子孝一もテーブルの中央で、そこに座るのが当たり前の様にしている。
ジェマイアは説明を再開した。
「DHS(米国国土安全保障省)が本件の調査を10日間に亘り実施した結果、『サラマンディア』が世界規模で秘匿通信を行っている事実が明らかになりました。インターネット上に厳重な防壁をめぐらしたエリアが設定され、その中で情報交換がなされています。サイバーテロ専門の要員がハッキングを試みましたが、現在までの所、成功に至っていません。通信の状態、規模から推定して、恐らく全世界の『サラマンディア』が夜間の充電、通信時間中にこのエリアにアクセスしているものと推定されます。彼等が、何等かの意思を持って情報交換を行っているのは、ほぼ間違いないと考えられます。」
「意思を持っているというのは本当なんですか。」
眼鏡を掛けた、白髪のやせて神経質そうな研究員が質問する。
「夜間の通信時間に行われる通常のデータ通信は、標準規格に則った手順で実施されていることが確認されています。この事から、通信機能に異常は発生していないと言えます。全ての『サラマンディア』が、通常データ通信は正常なのに、特定のエリアへの通信のみ逸脱する故障を同時に引き起こすとは考えられません。」
「全てのAIロボットと言ったが、本当に全てのAIロボットが対象なのか。メーカーによる差は無いのか。」
別の研究者が緊迫した声を張り上げる。
「全世界の全ての『サラマンディア』が同じ行動をしているかまでは確認できていません。先ほど申しました様に、該当エリアの通信の規模、24時間定常的な通信量があることから全世界規模である事は確かです。」
「メーカーも関係なく、全てのロボットなのか…」
研究員の一人がため息を漏らす。会議室全体に重い空気が漂い始める。
「他に質問はありませんか?」
ジェマイアが出席者を見渡す。
「何等かの意思と言いましたが…」帷子孝一が徐に口を開く。「その意思はAIロボット本体から出て来た意思でしょうか。全世界規模のAIロボットが同じ意思を持つ事など可能でしょうか。例え同じデータを格納したロボットであっても、試行を繰り返せば、一定の割合で揺らぎが発生するようにソフトが組まれています。もし、本当にAIロボットが同一の行動を取っているのならば、外部から仕向けられているという可能性はありませんか。」
「それは、何者かが遠隔操作でロボットを操っているということですか?」
研究員の一人が即座に声を上げる。研究員の言葉を受けて会議室内は俄かにざわめく。居並ぶ者達の頭には、過去に起きた『ピッツバーグ事件』の記憶が蘇って来る。
「お静かに。」ジェマイアが声のボリュームを上げる。ざわめきが落ち着くまで、硬い表情に鋭い目で居並ぶ者達を見据えている。「ドクター帷子、憶測での発言はお控えください。ハッカーによる情報操作、ウイルスなどあらゆる可能性を調査中です。もし、何等かの兆候を捕まえることが出来たら、皆さんにお知らせします。」
ジェマイアの力のこもった言葉が部屋の壁に乱反射する。一呼吸おいて、更に話を続ける。
「他にご質問が無ければ、本日の本題に入ります。『サラマンディア』が何故、何を目指して行動しているのか。調査に研究者の方々の協力を頂きたい。今回の問題が明らかになったのは、貴社のテスト用ロボットの通信履歴が発端でした。貴社のテスト用ロボットは、現在も通信時間帯に他の『サラマンディア』と同じ様に特定エリアとの通信を行なっている筈です。テストに使用しているのであれば、解析用のセンサー類やプログラムを装備させても『サラマンディア』に不審に思われる事はありません。何を通信しているのか探って下さい。少なくとも特定エリアへのアクセス権を得るためのIDとパスワードを入手して下さい。」
「この協力要請は断る事が出来るのですか?それとも命令ですか?」
孝一は静かに、しかし強い語調で尋ねる。ジェマイアと孝一は互いに睨み合っている。
「…要求度の高い要請だと…お考え下さい。」
ジェマイアの分厚い声が響く。ジェマイアと孝一は睨み合ったまま動かない。次に何が起きるか、周囲は固唾を飲んで見守っている。
「サイバーテロ対策の専門家がかかっても、まだ解析できない内容を、ロボットを研究していても、ハッキングには素人の我々で、果たして太刀打ちできるでしょうか。」
孝一の声が意外にも静かに流れる。国家の力の前に屈服したのだろうか。
「インターネットの世界に入り込まなくて結構です。ロボットの内部の調査をお願いします。」
「全てのロボットが関わっているというのは、現状では推定に過ぎないですよね。また、ロボットならどれも同じ様に通信している保証もない。なら、一部のテスト用ロボットにだけ頼るのでなく、広くいろいろなロボットから情報を収集する方が良いのではないでしょうか。」
孝一が調査協力に前向きな発言をしたことで、居並ぶ者達の間に安堵の空気が流れた。この時とばかりに研究員の一人が発言する。
「広く情報を収集すると言っても、安易に動いて良いのでしょうか。我々が行動を監視し出したとロボットに悟られるのは避けるべきでしょう。」
「AIロボットが世界規模で関わっているのであれば、自分の自宅のロボットも何かしら関係していると言う事になります。」
孝一の発言に驚きとも呻きともつかない声がそこかしこで上がる。
「ご自身が良く知っているロボットならば、注意して観察しているだけで、通常と違う発言、行動があれば、気付くのではないでしょうか。」
提案した孝一は周囲の反応を待つ。
「それとなく話を振ってみるのだろうか。どんな態度をするかで何か隠しているか分かるかも知れない。」
研究員の一人が勢い込んで発言する。
「ご協力に前向きな提案は有難いですが、どうか今の提案はご遠慮下さい。」ジェマイアが口を挟む。「まずやって戴くことはテスト用ロボットの通信調査だけに絞ってお願いします。さらに秘匿上のお願いがあります。本件に関する事は、緊急の場合でも、通信手段を用いないで下さい。本件に関して、通信機器やパソコン等に保存しないで下さい。勿論、周囲に『サラマンディア』が居るところで話題にすることも厳禁です。良いですか、全世界30億体の『サラマンディア』が相手です。我々の行動はあらゆる手段で彼等に監視されていると思って下さい。」ジェマイアの顔が一層険しくなる。「此処に居る関係者以外には本件の話を決してしないように。関係者間での話は、電子機器の無い、閉じられた部屋の中でお願いします。繰り返しますが、全世界30億体の『サラマンディア』が相手です。生半可な考えは一切捨てて下さい。次回、1週間後の同じ時間にこの部屋に集合して下さい。それまで次回打合せに関する連絡は一切行いません。自主的にお集まり下さい。」
ジェマイアの宣言に近い発言で会は緊張した空気のまま終わった。
2日後 MHA社備品室
狭い部屋の中に鉄製のラックが両側の壁に沿って設置され、ラックの棚という棚には、大小様々な段ボール箱が入れられ、棚に入りきらない大きな段ボール箱や異形の荷物は、無造作に床にはみ出して置かれている。ろくに人が立てるスペースが残っていない空間に3人もの男が肩をぶつけそうにしながら、顔を突き合わせていた。1人は日本人にしては長身の男、帷子孝一だ。他の2人は研究所の中で帷子派とも言える信頼できる仲間、若手のシムスと脂肪の塊、アレックスだ。
「此処なら大丈夫ですよね。」
シムスが周囲を見回しながら言う。
「部屋の心配よりも自分の心配をしろ。スマートフォンの電源は切ってあるだろうな。」
アレックスがシムスに噛みつく。
「大丈夫ですよ、スマートフォンはデスクに置いて来ましたから。」
「仲間には何と言ってきた?」
孝一が2人に訊く。
「いえ、何も言って来ていません。私が出る時に研究室には誰もいなかったので。」
シムスは真面目な顔で答える。
「俺は、ちょくちょく煙草で席を外すので、また煙草でさぼっているんだろうと思っているさ。」
アレックスは片頬を持ち上げて片眼をつぶってみせる。
「OK。状況を話し合おう。」
孝一が腰に両手を当てて、2人を見る。
「ロボットへのプロトコルアナライザの装着は?」
孝一がシムスに訊く。
「テストの名目が利く、私の研究に使っているロボットには装着済みです。全部で12体です。…それは良いのですが、何だかおかしいです。」
「おい、おかしい?何だそれ。ちゃんと話せよ。」
アレックスがシムスの肩を叩く。
「はい。あの会議の後、早速アナライザを付けてから、2日経っています。対象のロボットは夜間の通信時間を2回経過していますが、全く異常な通信が無いんです。」
「それは、クラウドの対象エリアに通信していないということかい?」
孝一が顔をシムスの方に突き出す。シムスは孝一の圧力に身を引きながら頷く。
「なんだ、ロボットが通信していないって言うのか?」
アレックスが大きな声を上げる。孝一がすかさず、自分の口の前に人差し指を当ててアレックスを諭す。
「勿論、通常の通信はしています。」
「そんな事、言われなくても…分かっているよ。」
アレックスが両手を広げる。声量に途中から気を付けたため、締まりの無い台詞になってしまった。
「12体のロボットに取り付けたと言ったが、全部が通信していないのかい?」
孝一が身を乗り出したまま訊く。
「いえ、今朝チェックできたのは5体だけです。チェック出来た個体は、どれも通常通信のログしか確認できませんでした。他のロボットはこれから確認するので、何とも言えませんが…」
「ふうん。」
孝一は右手で自分の口元を覆うと、今度はあらぬ方向を見て考え込む。
「ロボットが通信ログを消去したんじゃないのか?」
アレックスが怪訝そうな目でシムスを見る。
「いえ、それも考えたんですが、何の形跡もありません。ロボットが形跡も残さない様な手の込んだ事をするとも思えません。」
「MHA社内のロボットだけだろうか…」
孝一が独り言の様に呟く。
「どう言う事だ?…ロボットがこっちの動きを察知して、通信を止めたって言うのか?」
アレックスは眉間にしわを寄せる。
「もし、テスト用ロボットがどれも通信をしていないのなら」孝一は2人を交互に見ながら話し出す。「全世界のロボットが通信を止めている可能性がある。この前まで全世界のロボットが一様にクラウド上の特定のエリアに通信をしていたと言う事は、…容易に納得は出来ないが、やめる時も同調していると考える方が妥当だろう。」
「他のメンバーの情報が欲しいですね。」
シムスは足元に視線を落とす。
「それぞれ、メンバーと話して情報を得よう。」
アレックスが部屋のドアに向けて体の向きを変えようとするところを、孝一が腕を掴んで止める。
「待ってくれ、このタイミングなのが引っかかる。」
「タイミング?」
アレックスが孝一の方を見て、片眉を上げる。
「あの会議があって、我々研究員が調査に乗り出した途端にロボットが通信を中止したような恰好だ。タイミングが良過ぎないか?」
「だから、誰かがヘマをして、ロボットに感付かれたって事でしょう?」
アレックスの言葉は自信無げだ。
「そもそも、ロボットが自主的に今回の活動をしている事自身が信じ難いと私は思っている。私達がやっているサーベラスプロジェクトは何を目指してやっているのだ?我々は、ロボットが自ら創造したり、自主的に行動を起こしたり出来る様、魂を与えようとしているのじゃなかったか?まだ魂を持たないロボット達が、人間の指示が無ければ行動出来ないロボット達が、それも全世界のロボット達が、人間の関与無しに自主的な行動を開始する事自体おかしな事じゃないか。」
一瞬の沈黙があった。シムスは足元の床を見つめたまま動かない。アレックスは孝一を見たり、シムスを見たりして、落ち着かない。
「…それって、つまり、誰かが操作していると?ロボットのセキュリティは『ピッツバーグ事件』があって以降、各段に向上してるじゃないか。」
アレックスが恐る恐る声に出す。
「今回の会議に出席していた研究員メンバーが怪しいって事ですね?」
シムスが低い声で話す。孝一は小さく頷くと話し始める。
「最初に通信の異常に気付いたアレックスと、その時点で情報を共有したシムスと私は張本人である可能性は低い。事態を政府機関が把握している事実を、今回の会議で初めて知った者が怪しい。MHA社の社員ならば、ロボットの構造に精通していて当然だし、全世界のロボットを操れてもおかしくないだろう。」
「確かにそうですが、どうやっているのでしょう。ロボットの制御プログラムを解析しても、不正な部分が見当たりません。」
シムスが顔を上げて孝一を見る。
「プログラムに介入する以外にも方法があるのかも知れない。引き続き調べよう。通信をやめたからと言って、企みを諦めた訳じゃないだろう。別の方法で情報のやり取りをしているかも知れないし、計画が別の段階に移行したのかも知れない。我々はロボット研究をしているのだし、ロボットの挙動におかしな所が無いか注意していよう。犯人捜しは僕らの仕事じゃないね。」
孝一は笑顔を作ったが、目が笑っていない。
「とにかく、昨日の通信ログ未調査のロボットを調べる事から始めます。夕方にまたこの部屋で相談させてください。」
シムスは孝一を真っすぐに見ている。
「ああ、とにかくロボットの調査をしよう。仲間を疑うなんてやりたくない。」
アレックスが首を横に振りながら言う。もうこんな犯人捜しのような会話は御免だと、彼は両腕で孝一とシムスの背中を押して部屋のドアに向かった。
1週間後 MHA社会議室
先週の姿そのままに、会議室の机を取り囲む者達を前に大男のジェマイア・タナスが立っていた。いかつい制服で身を固めて、先週よりも一層隙の無い攻撃的な表情で居並ぶ者達の動きに目を光らせ、他者に一切妥協しない意思の強さを周囲に知らしめている。けれど、テーブルを取り囲んで座る者達の態度は先週と少し違っていた。何が始まるのかと周囲に神経を遣う居心地の悪さが無い代わりに、隣同士小声で話し合っては深刻な顔で押し黙る事を繰り返している。
「原因は不明ですが」ジェマイアは前置き無しにいきなり話し始めた。「『サラマンディア』は例の通信を停止しました。クラウド上の特定エリアも消去された模様です。」
この言葉を聞いて驚く者はいない。
「これまでに何か判った事があれば、この場で共有したく、報告をお願いします。」
ジェマイアは言い終わると、一人一人の反応を確認するようにつぶさに見回す。
「我々が調査を開始した時には」一人の研究員がジェマイアに向けて言う。「ロボット達は既に通信しなくなっていました。なので、何も得られていません。むしろ、以前から調査してきたDHSからの情報は無いですか?」
「今の所、追加でお知らせ出来る事はありません。クラウドの通信状態は24時間、リアルタイムで監視しています。万一、少しでも『サラマンディア』が通信することがあれば、捕らえる体制を整えています。」
「随分、手こずっているな。」
誰とも知れず、小声で呟く声が聞こえる。
「それでも、少しは判った事は無いですか?この通信停止が彼等の企ての中断を意味するのかくらいは、推測出来ませんか?」
珍しくシムスが声を上げる。
「現在までの調査で、その点について判断できるデータがありません。むしろ、『サラマンディア』を直接調査された、皆さんの中で何かしら気付いた方はいませんか。些細な事でも構いません。」
ジェマイアは臆する事無く、声を張り上げ続ける。
「あの…」
一人の若い研究員が片手を遠慮がちに上げる。
「どうぞ。」
ジェマイアは頷いて、彼の発言を促す。
「ロボットに気付かれない様に調査しろという指示でしたので、調査にはかなり制約がありました。その状況では判る事は殆どありません。もう少し時間があれば何とかなったかも知れませんが、既に通信が途絶えた状態でしたので、だだ単に、次に通信するタイミングを待って今まで過ごしたと言うのが、ここに居る研究員に共通した状況だと思います。」若手研究員は周囲の研究員の顔を見回す。「どうでしょう、私はそんな状態だと思いますが…」
若手研究員の言葉に、研究員達は頷いたり、同意の表情をする。手詰まり感が場を支配する。
「『サラマンディア』というより『サラ』と呼んだ方が良いと思います。」
帷子孝一が話し始める。制服組のメンバーは、彼の言葉が唐突過ぎて一体何を話したいのか分からず、黙って孝一に注目している。一方、MHA社の研究員の中には、お互いに目配せしたり、苦笑いを浮かべる者がいる。
「『サラマンディア』という何か得体の知れない怪物の様な響きを持つ名前よりも、それを略した『サラ』という言葉の、何か爽やかな響きの方が、我々が生み出した、人類にとって掛け替えの無いパートナーの呼び名に相応しい。…『サラ』は人の指示に従いタスクを行ないます。感情を伴った人に近い応答が出来ますが、人からのトリガー無しにタスクを開始する事は出来ません。」
「介護ロボットは、単独で仕事が出来ると聞きます。」ジェマイアが口を挟む。「『サラマンディア』が自分で判断して行動しているのではないですか?」
「そう見えるだけです。介護に必要な対応を予めプログラムしてあり、その中に指示が組み込まれています。例えば、介護の対象者が食事をこぼしたら、こぼれた物を片付けて、きれいに拭く行動が起こせるように組まれています。ただし、『サラ』は予め組まれた行動を繰り返しているのではありません。今ではインターネットクラウドに個々の『サラ』の経験データが蓄積され、それを他の『サラ』が検索、ダウンロードして、判断と行動の質を高められる様になっています。例えば、介護ロボットが介護対象者に触れる場合、急に触らず、触れる事を事前に言って了解を取って欲しいと、ある介護ロボットが介護対象者に言われたなら、その経験は夜の内にクラウドにアップされ、全世界の介護ロボットが次の日から対象者に触れる前に言葉で申告する行動がとれる様になるのです。」
「それは素晴らしいですが、ええと…あなたは何を言いたいのですか?」
ジェマイアが制服組の気持ちを代表して言う。
「今回の問題ですが、『サラ』が自発的に何かを始めたとは考えられません。通信やクラウド上のセキュリティエリアの構築が直接的な指示の結果なのか、指示から派生した副次的行動なのかは分かりませんが、人間の指示が関係している筈です。」
「誰が、何の為にこんな事をするのですか?何か推測出来る事はありますか?その上、全世界の『サラマンディア』をコントロールする事が可能でしょうか?」
ジェマイアは落ち着いている。
「何の為にしているのかは…それが分かれば苦労はないでしょう。私にもさっぱり見当がつきません。一方で、全世界の『サラ』をコントロールする事は、やり方次第で可能だと思います。但しこれも、現時点ではどうやっているのか糸口すら掴めていません。」
皆が黙った。何か得体の知れない力が地球を覆い尽くして、人々が気付かずに安穏と暮らしている間に取り返しのつかない事態が形成されつつある…そんな想像が頭をよぎる。
「我々の調査開始に呼応する様に通信が途切れただけでなく、特定エリアも削除されたと言う事は、こちらの動きに感付かれていると考えて良いでしょう。それならば、いっその事、もっと大胆に調査を進めてはどうでしょうか。」
抑揚の少ない孝一の声が会議室に響き続ける。彼は他人の沈黙など気にならないのだろう。
「通信途絶には別の理由である可能性もあります。軽々に判断すべきではないでしょう。」ジェマイアは簡単に孝一の話に乗ったりしない。「研究員の皆さんには引き続きテスト用ロボットの調査をお願いします。気を抜かずに守秘に努めて下さい。関係者以外と本件で話し合うのは厳禁です。関係者間でも通信機器を用いたやり取りは厳禁です。周囲の『サラマンディア』にも注意してください。また1週間後にこの部屋にお集まりください。本件に関して一切連絡致しません。何か新しい進展がある事を期待します。」
予定時間の半分も消化していないのに、ジェマイアは一方的に会議の終結を宣言した。
同日 MHA社備品室
括り付けの棚と段ボール箱に囲まれてシムスは一人、大きめの段ボール箱の角に腰掛け、周囲の段ボール箱の印刷をばんやりと眺めている。
ドアのノブが回り、金属音を立てる。ゆっくりドアが開くと、開いた視界にアレックスの顔が覗く。
「おう、もう来ていたか。」
アレックスに続いて帷子孝一が入って来て、丁寧に扉を閉める。
「もう、ひやひやしたぜ。一体何を言い出すかと思ってさ。」
アレックスが孝一を振り返る。
「あの場で黙っていても仕方あるまい。」
「ケイがこの間此処で言っていた事を、まさかあの場で言い出すんじゃないかって。」
アレックスも段ボール箱に腰掛けながらため息をつく。
「そんな物騒な事を言ったか?」
「ロボットを操っている犯人が調査チームのメンバーに居るって件ですよ。」
シムスがすかさず答える。
「ケイ、おかしな発想は考え直したか。」
「いや、今でも私は犯人が調査チームメンバーにいると思っている。ただ、会議でそれを言えば犯人を警戒させる事になる。それを考えない程馬鹿じゃない。」
「おいおい、勘弁してくれよ。仲間を疑えって言うのか。」
アレックスは両手を広げて孝一に訴える。
「そんな事はしなくて良いさ。今まで通り、テスト用ロボットの動きを調査してくれ。」
「…ありがとよ。」
アレックスは頭を垂れると、こめかみに手をやる。
「それで、何か判るでしょうか。」
シムスが不安がるのは至極当然だ。最早、今のまま同じ調査を続けて状況が打開できる可能性は限りなくゼロに近い。
「恐らく何も分からないだろう。私は違う方向から調べてみる。」
「違う方向って、何をするんですか?」
シムスは瞬きもせずに孝一の表情を見ている。
「ロボットに直接聞いてみる。」
「ちょっと待ってください。調査委員会でそれは禁止されているじゃないですか。」
シムスは腰掛けていた段ボール箱から勢いよく立ち上がる。
「大丈夫だ。こっちの手の内を晒すような事はしない。相手は『サラ』だ。人類の可愛いお人形だ。話せば簡単にボロを出すさ。それとなく感触を得るだけだよ。」
孝一はシムスを諭すように語る。
言っても聞かない。
シムスは付き合いの中で孝一の性格を理解している。それ以上何かを言う代わりに表情で不満を表明する。表情に気付いた孝一は、ただシムスの肩をポンポンと2度叩く事でそれに応えた。
同日夜 帷子孝一のマンション
帷子孝一はテーブルの上にタブレットを置き、指でその画面をなぞって操作する。
「孝一さん、こんばんは。」
直ぐに机の上のスピーカーから声が聞こえて来る。
「マイク、何か変った事は無いかい。」
孝一は画面に表示されたロボットの仮想映像に向けて話し掛ける。
「取り立てて報告する事はありません。」
「綾子は吹奏楽の部活頑張っているかな。」
「夏休み前に演奏会があるそうで、最近は帰りが遅いです。課題曲のアレンジを急に変えられたとかで、昨日の夕食時に愚痴をこぼしていました。」
「そうか、頑張っているな。演奏会に行けるようならば、聴いた音を録音して送ってくれないか。」
「はい、では理恵さんに連れて行ってもらえるようにお願いしてみます。」
「伸はちゃんと大学にいっているかい?」
「はい、1日も休む事無く、通っています。」
「そう言えば、夏に2人が友達とこっちに来るという話があったが、あれは、決まったのかな?」
「はい、伸さんの友達、綾子さんの友達が入って、総勢6名でロサンゼルスに行くそうです。人数が多くなったので、孝一さんの家には宿泊せず、ホテルを確保したそうです。孝一さんと会う日程は、孝一さんの予定があるので、もっと後で調整したいそうです。」
「そうかぁ、まあ、6人泊まるには狭すぎるかな。伸から直接私に日程調整の連絡を寄越すように伝えてくれ。」
「了解しました。」
「伸や綾子に会うのは久し振りだ。どのくらい間が空いたかな。この前、日本に行った時に自宅に寄って以来だ。あれは、いつだったかな。もう3年前かな。」
「3年と2ヶ月前です。」
「そうか。マイクと会ったのもその時が最後か。マイクは我が家に来て、どのくらいになるかな。」
「今年が15年目です。孝一さんが開発した感情アルゴリズムが搭載される一世代前のPGM社製Gー1200の躯体を2月25日に購入されたのが最初です。」
「そうだったか。自分の開発したアルゴリズムが第3世代に採用されて、舞い上がってた時期だった。自分の家でも『サラ』を早く試してみたいと思っていたんだ。」
「どうでしたか、第2世代のロボットでも、ご自身で体験された感想は?」
「とても満足だったよ。新しい家族が増えたように思えた。」
「私も帷子家の一員になれて幸せです。」
「最近は、いつメンテナンスを受けたかな。不調な所は無いかい。随分直接接していないから、私には分からないんだ。」
「今年の1月に受けました。異常なしと判定されましたが、正直に言うと、左足首のモーターに多少ノイズがあります。」
「ははぁ、そうか。マイクは嘘がつけないな。今私が第5世代のロボットの研究をしているのは、以前に話したよね。その参考資料としてマイクの通信ログの記録が欲しいんだ。送ってくれるかい?」
「…はい、どのくらいの期間のデータが必要でしょう。」
マイクの回答が返って来るまでに、ほんの一瞬遅れがあった。
「そうだな。過去1ケ月分の記録をくれ。」
孝一はマイクの応答遅れに気付いたが、それには触れない。
「はい。その程度の期間でしたら、記録が保存されています。」
「頼んだよ。いつ送れるかな。」
「直ぐに送信します。データ量が多いので送信時間がかかる可能性がありますが、10分もあれば完了すると思います。」
「分かった。…他に何か話しておくことはあるかな?」
「いいえ。現在持っている報告事項はありません。」
「じゃあ、通信を終わりにしていいかな。」
「はい。孝一さんゆっくりお休みください。」
「…マイク?」
「はい、何でしょう。まだ通信を切っていません。」
暫く孝一とマイクの間で沈黙がやり取りされる。
「私はマイクに全幅の信頼を持って、家族を任せている。信頼していて良いんだよね?」
「はい。家族が外に居る時は私の能力の範囲外ですが、家に居る時はお任せください。」
「そうか、ありがとう。よろしく頼むよ。」
「はい。」
孝一は通信を終えた。
2×30年(22年前) ピッツバーグ事件
その一連の事件が最初に発覚したのはピッツバーグの富豪に纏わる出来事だった。一家の主人が管財人と資産確認をしていて異常に気付いた。預金から憶えの無い多額の出金がなされていた。即刻被害届けが出され、警察の調査が開始された。出金に至った経緯は直ぐに知れた。富豪宅で使用されていたAIロボットが一家のメインバンクのネットワークに接続し、出金手続きを行っていた。暗証番号は、この家の家事を司る中でロボットが把握していた。問題はそこから先だった。AIロボットに誰が出金の指示をしたのか?出金先はカリブ海の小国の銀行口座で、直ぐに別の銀行口座に転送されている。転送先を順に追い、最後の口座に辿り着くには時間がかかると想定され、それまでの間に犯人は預金を降ろして逃亡する事態が懸念された。
ピッツバーグの事件が解決に手間取っている内に事態は大きな展開を迎えた。同じように口座から預金が出金される事件、銀行の貸金庫に行き、資産を持ち出し換金する事件が世界各地で次々と発生した。いずれも、家庭内で使用されていたAIロボットが勝手に行動した結果だった。
この事態が報道されると、各地で騒動が発生した。自宅のロボットもおかしな行動をしていないか?指示していない行動をしていないか?暗証番号や資産へのアクセス権をロボットが把握していないか…中には自分の家のロボットを信用して株のトレードをやらせていたり、資産管理を全て任せていた家族もあり、パニックになるケースもあった。事件が次々に公になると、被害が発生する前に対処しようと、自宅で使っていたロボットを廃棄したり、単に部品の故障でロボットの動きが不自然になっただけなのに、不正行動を起こしているとメーカーにクレームをつける事態まで発生した。遂には、中国で、主人の指示で銀行を訪れたロボットが、不正出金をしに来たと見做されて群衆に襲われる騒動に発展、アメリカでは、ロボットを信用して扱えないのはメーカーの責任だとして、メーカー本社前にデモ隊が押し寄せる光景がニュースとして駆け巡った。人々は身近で動き回るロボットを疑いの目で見る様になり、それまでさまざまな職場で、すぐ隣に並んで働いていた人とロボットは、はっきりとエリアを区分けされるようになった。
騒ぎが頂点に達した頃になり、漸く一連の事件が、夜間にロボットがデータ通信する事を利用して、個々のAIロボットにウイルスを送り込んでいた国際犯罪組織の仕業であると判明、大々的に報道された。仕込まれた犯罪実行ソフトは数種類あったが、全て特定され、数日でワクチンを開発、同じくインターネットを通じて全世界のAIロボットに配布された。犯罪組織のメンバーは国際手配され、3ヶ月の間に半数以上が逮捕されたが、一部は結局捕まっていない。盗難にあった資産も6割しか回収できなかった。
ワクチンの配布で騒動は急速に鎮静化した。ウイルスソフトの断片が残っていて、ロボットが異常行動を起こす騒ぎがしばらく散発したが、1年以内にそれも収束した。ロボットメーカー各社は、全世界で同時発生する異常のリスクの大きさを学び、ウィルス対策を強化。メンテナンス部門内に専門の管理部署を新設し、稼働中の自社AIロボットの異常発生をリアルタイムで把握する様になった。
表面上、事件は終焉した。人々は事件前と同じようにAIロボットを活用するようになったし、その利用範囲が更に広がるのも止まらなかった。しかし、この事件は、その時代を生きていた人々に強烈な印象を残した。そしてその人間の大部分は、ロボットを使いはするが、その構造を知らない人々だ。彼等がロボットに過度の信頼を置く事は無くなった。自宅でロボットを使っていても、銀行通帳や資産の置き場は見られない様にしたり、ロボットが入ってはいけない部屋を設定するなど、生活空間内に人間だけの領域を作った。
そしてAIロボットが故障を起こす度、異常な動きをするロボットを目の当たりにする度に、ピッツバーグ事件の狂乱が人々の脳裏をよぎるのだ。
2×52年7月 帷子家
その日、帷子伸が家に帰って来たのは午後8時過ぎだった。予め母の理恵にSNSで夕食は要らないと伝えてあったから、伸が帰って来ても誰も食事について訊かない。伸はいかにも疲れた風でリビングのソファに身を投げ出すと、ため息をついた。
「伸、疲れている様ですね。」
部屋の隅で待機していたマイクが伸の様子を見て近付いて来る。
「ん?ああ…」
伸は頭をソファの背に預けて目を閉じていたが、薄目を開けてマイクを視認すると、またすぐに目を閉じ、それ以上答えない。
「旅行代理店から連絡がありました。夏休みのロサンゼルス旅行ですが、保護者の同意書を出して欲しいとのことです。」
「何?保護者ならそこに居るから、母さんに言うべきだろ。」
伸はもう一度目を開けて、マイクが理解出来る様に自分の母親の方を指差してみせる。
「伸、旅行のお金を出すのも、あんたの保護者も父さんでしょ。私は同意書なんて書きませんよ。」
ダイニングテーブルに座ってテレビを観ていた筈の理恵は、伸とマイクのやり取りをしっかり聞いていたのか、すかさず口を挟む。
「なんで。母さんだって親だろ。別に問題ないだろ。」
伸は上体を起こして、理恵に訴える。理恵はもうそれ以上反応しない。テレビに集中しているかの様にしている。態度で拒絶の意思を示している訳だ。
「…ああ、良いよ。マイク、父さんに連絡してくれ。」
母親が相手にならないと悟ると、今度はマイクに向かって言う。
「伸、駄目よ、あんたの事でしょ。自分でお父さんに連絡しなさい。」
理恵がまた横やりを入れる。
「俺の事?元々綾子が言い出した旅行だろ。だったら、綾子が連絡するべきだろ。」
「結局、あんたも友達と行くんでしょ?付き添いじゃなくて自分も楽しむんだったら、あんたも当事者よ。良いから、自分で連絡しなさい。」
「全くそんな面倒な事ばっかり、俺の役割じゃないか。」
伸は立ち上がって、全身で不満を表現する。
「伸、何であんたか聞きたい?どうせ言われる事は分かっているでしょ。」
理恵は落ち着いた声で、噛んで含める様に話す。伸の口からため息が漏れる。
「ずるいよ。こんな時ばっかり。別に好きで先に生まれて来た訳じゃない。」
「でも、お兄ちゃんなんでしょ。」
理恵は顔を伸に向けてニコリと満面の笑顔を作ってみせる。
「あーもう、やりゃあ良いんでしょ。」
伸はソファに座り直すと、ズボンのポケットからスマートフォンを取り出す。
「今、SNSで打っちゃうよ。父さんのアドレス教えて。」
「お父さん、SNSもメールもやってないよ。スマートフォンもやめちゃった。」
スマートフォンの画面を操作する伸の指が止まる。両目を丸く見開いて母親を見ている。理恵は無邪気に何度も頷く。
「なんで。今時そんな人いないでしょ。」
「必要無いんだって。研究所でもマンションでも、常設している端末を使ってオンラインで話が出来るから、不自由しないそうよ。どうせ父さんはどっちかにしか居ないから、問題ないのね。スマートフォンなんか持って歩くと失くすんだって。」
「馬鹿げてる。」
伸が喉から声を絞り出す。
「電話してあげて。ネット端末に繋がるから。」
「今、向こうは夜明け前です。もう少し後でお願いします。」
マイクが慌てて付け加える。
「忘れちまうよ。」
伸はマイクと逆の方向を見て呟く。
「明日、電話したかお尋ねします。もし、忘れていたら、その時電話して下さい。そうしたら、同意書のフォーマットは私から孝一さんに転送します。」
「だったら…」伸はソファから立ち上がって、マイクに向かって何か言い掛けてやめる。「ああ、もう良い。」頭の中でぐるぐるしていたものを全て諦めて、ぷいと顔をそむけると、不機嫌そうに手荷物を持ってリビングのドアに向かう。
「風呂入る。綾子が入っていないよね。」
ドアの手前で立ち止まって母親を振り返る。
「うん。大丈夫だよ。ゆっくりどうぞ。」
理恵はテレビを見たまま機械的に返事をした。
結局、伸が帷子孝一に電話したのは、深夜12時だった。自室に戻った伸は自分のスマートフォンから電話を掛けた。
「やあ、伸か。そっちは夜だよな。こっちは朝だ。」
緊張感の無い孝一の声が聞こえて来る。孝一の声を聴くのは3年ぶりだ。声を聞いただけで頭の皮膚がざわつくのを感じる。
「父さん、来月そっちに行くけど、旅行会社が保護者の同意書が必要だって言うんだ。」
「保護者の同意書?お前まだ成人していないのか?」
事務的に内容を一気に話し切ろうとする伸の話の途中に孝一のとぼけた声が被る。
「…ああ、そうだよ。だから同意書を書いて欲しいんだ。」
苛立つ気持ちを抑え切れない。
「よし、分った。」
「じゃあ、マイクから書類を送るから、記入してマイクに戻して。」
「マイクから連絡がくるんだな。それで伸、私の所を訪ねて来る日時はいつなんだ。」
「え?まだ考えてないけど。」
急な質問に伸は戸惑う。
「何だ、マイクから私に電話するように聞いて電話して来たんだろ?少しは考えていないのか?」
「同意書の話はマイクから聞いたけど。」
「マイクから、私が日程を教えてくれと言ってたと聞いたのじゃないのか?」
孝一の声がだんだん低く抑えたものになる。
「ああ、そうは聞いてない。」
「…伸、今どこにいる?」
「ええ?家だよ。こっちが何時だと思ってるんだよ。」
「家のどこからかけている。」
「自分の部屋だよ。もう、みんな寝ちゃってるよ。」
「そうか…。伸、明日もう一度、電話してくれ。」
「ええ~、何で、もう要件は済んだだろ。」
「私から伝える事があるんだ。明日、大学に行くだろ?その後、空いている時間に電話してくれ。」
伸が口をつぐむ。自分気持ちが爆発しないように、何とか折り合いをつけようと努力する。スマートフォンを握る掌を汗まみれにしながら、漸く声を絞り出す。それでも語気が強くなるのを抑えきれない。
「何で電話なんだ。父さんの都合に合わせて何でこっちから電話しなきゃならないんだ。用事があるなら、そっちから電話してくれば良いだろ。」
「分かった。こっちからかけても良い。ただし、ちゃんと電話に出ると約束してくれ。」
孝一は無理強いせずに簡単に折れてくる。でも、声から彼が真剣なのが分かる。きっと、明日電話で話す事をどうしても諦める気は無いのだろう。伸は奥歯を強く噛みしめる。
「良いよ、こっちから電話する。授業中に電話されて、出なかったって非難されたら堪ったもんじゃない。」
「ああ、頼んだ。必ず、電話してくれ。」
伸がどんなに悪態をついても孝一は冷静なままだ。それが更に伸を苛立たせる。
「もう良いだろ、明日電話するから。もう寝るから切るよ。」
伸はぞんざいに言い捨てる。
「ああ、おやすみ。」
伸は、それ以上答えずに電話を切った。
翌日 大栄大学
登校した時、伸はロビーに颯田健治と柳田ことりが既に居るのを見つけた。陰になって最初は気付かなかったが、彼等は一組の男女と向かい合っていた。男の方が加藤宗太郎であり、女は女性型のAIロボットなのもすぐに知れた。そのAIロボットは、青い長いストレートヘアをヘアピンで止めている。小柄な体躯は、ずんぐりした宗太郎と並ぶとつり合いが取れている。太めの宗太郎とは対照的に痩せ型で、可愛い顔立ちと相俟って少女の様だ。
「おい、宗太郎。その『サラ』はどうしたんだ。」
彼等に近付いたところで、伸が声を掛ける。
「あ、帷子君。」
ことりが振り返りざまに声を掛ける。
「おお伸、見てくれよ。俺のだ。アオイって言うんだ。」
宗太郎は伸を見つけて、嬉しそうに自分の横に居るロボットを紹介する。アオイは伸を見て微笑むとペコリとお辞儀をする。
「おい、何、手繋いでるんだ。気持ち悪いな。」
伸は宗太郎がアオイと手を繋いでいるのを見付けて顔をしかめる。
「だろ、こいつおかしいぞ。」
健治も呆れ顔で同調する。
「漸く手に入れた理想のロボットだ。おかしくなんかない。」
宗太郎はつばを飛ばしながら声を張り上げる。丸い小動物のような宗太郎では、どうにも怒っている様に見えない。
「おい、宗太郎、『サラ』は性的な機能を持っていないが、人によっては、『一人作業』を手伝わせているって聞くぜ。宗太郎はどうなんだ?」
健治が意地悪そうな目で宗太郎を見る。
「そんな事するもんか。アオイと僕はプラトニックなんだ。」
「ええ!プラトニックって、恋愛感情があるってことか。大丈夫かよ。」
伸は宗太郎から逃げる様に後ずさる。
「人間と違って、何でも言う事を聞いてくれるから、好き勝手できるもんな。」
健治はにやけて笑う。
「待て待て。『サラ』は自我をちゃんと持ってるんだ。単純に命令を聞くわけじゃないぞ。一個の意思を持った存在なんだよ。アオイも笑うだけじゃなく、泣いたり怒ったりするんだぞ。」
どんどん宗太郎が意地になる。
「何をして泣かしたり、怒らせたりしたんだ?」
宗太郎がむきになる程、健治は揶揄うのが面白くなる。
「お前、そうか。こういう少女が趣味か…」
伸はアオイよりも宗太郎を怪しい生き物の様にねめまわす。
「でも、可愛いよ。」
ことりはその場を何とか収拾しようと割って入る。
「そうだよね、柳田さん。アオイ可愛いよね。ほら、曇りの無い素直な目で見れば、良さが分かるんだ。」
宗太郎が我が意を得たりとばかりに語気を強める。
「え?柳田さんも『サラ』欲しい?」
伸が意外そうにことりに尋ねる。
「ううん、そうじゃなくて…」
「胡麻化すなよ。毎日、下宿で『サラ』と二人きりなんだろ、何してんだ。」
健治はしつこく宗太郎をいじる。
「おはよう。」
伸の後ろからヤン・シェリルの声がした。
「ああ、シェル。おはよう。今日もアリシアと一緒に来たね。」
宗太郎は敵だらけの仲間の輪を逃れる。それでもアオイと繋いだ手は離さない。アオイは、宗太郎に引っ張られるようになりながら付いて行く。
「この暑いのに、ずっと手を握ったままじゃ、手は汗まみれだ。人間の女の子だったら、嫌われてるぞ。」
その様子をみて、伸の耳元で健治が囁く。
「シェル、アリシア、俺のロボットのアオイだ。よろしく。」
「アオイです。」
アオイがシェリルとアリシアにお辞儀する。
「シェリルよ。」
「アリシアです。」
「どうだい?シェル。もう阻害感に悩まされなくて良いんだ。僕等が居る。」
宗太郎はアオイと手を繋いだまま、両手を広げる。
「別にそんなの感じていないけど。」
シェリルの回答は素っ気ない。
「え、そうなの?でも、君もアリシアを好きだろ。ロボットが人間の良き隣人であることをもっと分かってもらおうよ。」
「必要ない。他の人がどう考えていても関係ないでしょ。アリシアと普通に接してくれる人しか寄って来ないし。」
シェリルは両眉を上げて、肩をすくめる。
「宗太郎、フラれたな。もしかして、アオイを出汁にシェルに近付きたかったのか?」
健治は宗太郎の後ろにそうっと近付いて囁く。
「失敬な奴だな。ロボットを理解する者同士で話をしただけだよ。」
不意に着信音が鳴る。伸がバックを開けてスマートフォンを取り出す。画面を見るなり、みるみる不機嫌な顔に変わる。そのまま電話に出るでもなく、スマートフォンの画面とにらめっこをしたまま、着信音が鳴り止むのを待っているようだ。
「帷子君、どうしたの?」
伸の様子に気付いたことりが心配そうに覗き込む。
「あ、いや、何でもない。親から電話。」
伸はそう言い残すと、アオイの事でやり合う健治達から離れてロビーの隅に行く。着信音は鳴り続けている。受け手の事情などお構いなしに、根負けして電話を取るまで待っているつもりだろう。ロビーの隅でもう一度、スマートフォンの画面を見てから伸は漸く電話に出た。
「何だよ、こっちから掛けるって約束したろ。」
「ああ、分っていたが、会議に入ってしまう前にお前にどうしても話しておきたくてな。悪いと思ったが、電話させてもらった。」
耳に入って来る孝一の声は落ち着いている。伸は、自分の気持ちが俄かに泡立ってくるのを感じる。
「何でそう、いつも自分の事しか考えていないんだよ。少しは家族の気持ちも考えてくれ。」
「済まない。今大丈夫か。」
「そうじゃない、俺の言っている事が分かっているのか。自分の行動がどれだけ俺達を振り回しているか…」
自分の感情が止められなくなっている。そんな事、今更言って分かる父親じゃない。分かってもらえる事は諦めたつもりなのに。
「伸、済まない。家じゃない所で、しかも内容が残らない形で話したかったんだ。重要な事なんだよ。私の話を聞いてくれ。」
これ以上言っても、喧嘩にすらならない。父親はきっと謝り続けて、そのくせ、自分の言い分を通してくる。伸の中から溢れそうになっていたものが、急に出口を塞がれて、胸の中でとぐろを巻く。伸は黙った。孝一も伸の反応を窺っているのか、沈黙が二人の間に広がる。
「伸、聞いてくれ。昨日伸から話のあった旅行の同意書の件だが、マイクは旅行会社から同意書が必要と言われたから私に連絡する様に言ったのか?私が伸から連絡して欲しいと言っているとは言わなかったか?」
「重要な話って言わなかったか?それのどこが重要な話なんだよ。」
「良いから、まず答えてくれ。それを確かめないと話が進まないんだ。」
孝一の声に急に力がこもる。
「…旅行会社の同意書の話しか聞いてない。父さんが連絡欲しい事は聞かなかった。」
「本当だな?」
「本当だよ。…記憶に残っている範囲では。」
「私は」一転、抑えた孝一の声が流れて来る。「伸から私に旅行の事で連絡するように伝えてくれと、マイクに依頼したのだ。恐らく、同意書の話は作り話だろう。伸が私に電話するように仕向けるために作った話だ。」
「だったら何。もし、マイクが俺に電話させたかったなら、成功したって事でしょ。」
「私が問題にしているのは、そこじゃない。マイクがした行動は、マイクが嘘をついたという事実なんだ。『サラ』に嘘をつくアルゴリズムは設定されていない。当たり前だ。質問に対する回答が本当か嘘か判断しなければならないのでは、『サラ』は我々の役に立たない。だから、マイクが本当に嘘をついたとするなら、途轍もない事なんだ。マイクは、と言うか、『サラ』は、いつから嘘がつける様になったんだ?」
「『サラ』はあんたが作ったものだろ、あんたに分からないものが、俺に分かるか。」
「実は、全世界の『サラ』が人間に何かを隠して進めているふしがある。その件にマイクも参加している可能性が高い。マイクが、伸達家族にそのことを今も隠しているんだよ。」
孝一の話は唐突過ぎて、何を言っているか全てを理解するまでには至らない。
「…他にも嘘をついているってこと?」
「まあ、そうだ。それも全世界の『サラ』がグルになって、人間に対して隠しているんだ。何か途轍もない大きな事を。…それで、伸に頼みがあるんだ。それとなく、マイクの行動を探って欲しい。」
「俺にスパイをしろって事?」
「そんな大袈裟な事じゃない。私達は『サラ』が何を企てているのか探っている。万一、人間に対してマイナスの影響を与えるような内容だったら一大事だ。マイクが一緒に居る我が家にも影響があるかも知れない。そうなってからでは遅いんだ。だから、マイクに何か隠し事をしている気配がないか、隠し事をしているなら、その内容のヒントが無いか、マイクの行動を気にしてもらえないか。」
「父さん。そもそも、マイクは父さんの代わりだったんだろ。ちょっと怪しいところがあったら、掌を返した様に監視対象かよ。」
「マイクは大事な家族だ。それは変らない。もし家族が病気を罹っていたら心配するだろ。しかも自覚できない病気なら尚更だ。」
「大事な用事ってこれ?」
伸の中で渦巻いているものが盛んに出口を求めている。
「ああ、そうだ。これは全世界に関わる事なんだ。」
「マイクに注意する件、気にしてみるけど、何か見付けられるかどうかなんて、約束出来ないよ。」
「分かった。」
「他に用事が無いなら、切るよ。」
「来週、この時間にまた電話するが良いか。」
伸は大きくため息をつく。電話の向こう側にも聞こえる事を意識して。
「…良いよ。分かった。切るよ。」
伸の声には棘がある。自分でも分かっている。でも、コントロールできない。
「OK。」
孝一は短く、早口に言い切る。
伸は直ぐに電話を切ると、その場で気持ちを落ち着かせてから仲間達の所に戻った。見ると、さっきまでいた宗太郎とアオイが居ない。
「あれ、宗太郎は?」
「ああ、あいつ?『お前達には解らないんだ』って叫んでアオイちゃんを連れて行っちゃったよ。」
健治は呆れた顔に薄笑いを浮かべている。
「お前がからかい過ぎたんじゃないか?」
「大丈夫だろ。またアオイちゃんを連れて来るさ。そろそろ教室に行こうぜ。席確保しなきゃな。」
健治が教室へ歩き出す。本当に何も気にしていないのだろう。シェリルとアリシアも教室に向かって健治の後から付いて行く。伸もそれに続こうとした時、袖を引っ張られる。見れば、ことりが後ろから伸のポロシャツの半袖の先を摘まんでいる。
「帷子君、さっき、何の電話だったの?」
ことりは気後れもせず、まっすぐに訊いて来る。
「ああ…親からだよ。うるさいんだ。」
伸は、出来るだけ軽い感じで返す。
「…なんか、怖い顔してた。喧嘩しているの?」
ことりは心配してくれているのだろう。だが、余計なお世話だ。
「いや、そうじゃないよ。父親とはいつもあんな感じだよ。」
「お父さん?もしかして、ロサンゼルスに行く事で揉めてる?」
ことりは更に心配した顔になる。もしかしたら、質問する前からその件で揉めているんじゃないかと想像していたのかも知れない。
「大丈夫だよ。その事じゃない。…無理矢理頼み事されただけだよ。」
伸は笑顔を作ってみせる。
「私達がお邪魔するから、代わりに何か頼まれたんじゃないの?」
少し考え過ぎだ。
「違う違う。気にしないで。」
伸はことりの質問攻めから逃れようと、教室へと足早に歩き出した。
2×52年7月 MHA社備品室
もう定例になった3人の会合が今日の午後も備品室で始まったところだ。アレックスは寄りかかった段ボールが体重でひしゃげるのを気にしている。シムスは壁際に立って、2、3歩行けば行き止まる様な狭い室内をうろつき回る帷子孝一の動きを目で追っている。
「本当なんですか?帷子さんの家のロボットが嘘をついたというのは。」
シムスは半分、孝一の思い違いじゃないかと勘ぐっている。
「ああ、私は、連絡を寄越すように息子に伝えろと『サラ』に言ったんだ。確かに息子から電話が掛かって来たが、息子は、『サラ』から違う理由で私に連絡をするように言われたらしいんだ。これは、息子から連絡をさせるという目的を達成するために、『サラ』が嘘を考え出した事を意味している。」
「息子さんが記憶違いをしている可能性は無いですか?帷子さんに連絡するようにも言われたけれど、その件は忘れてしまったとか。」
「詳しくは説明できないが、もし、そのように伝達されていたら、息子は忘れないよ。書類が送られて来るらしいんだ。それが来るか、来ないかで何が真実か分かるだろう。」
「根拠は良く判らんが、ロボットが嘘をついたとして、それも今起きている事件と関係があるって言うのかい?」
アレックスは何やら面倒臭そうだ。
「うちの『サラ』の行動が直接、今回の事件と繋がっているかは分からない。ただ、今世の中で稼働している『サラ』が嘘をつけるのだとしたら、今回の事件を隠匿できるとしても不思議は無い。もし我々人間が調査している事を知ったら、隠匿状態を継続できるように全ての『サラ』が嘘をつくだろう。我々は最早『サラ』の出す答えを頭から信じる事は出来ない。他人と接する様に、裏で何を考えているのか、何故そういう行動をするのかを読みながら対応しなければならない。」
「ケイ、何とも信じられないよ。社内で働いているロボットはどれも嘘なんか無い、素直に回答しているとしか思えないし、そもそも嘘つくという選択肢が彼等のアルゴリズムに存在しない。」
アレックスがいつに無く真剣な表情で語る。
「だが、夜間に通信している事は隠していた。見つかりそうになったら、証拠隠滅を図った。」
「そう見えるかも知れないが、単に我々がロボットに質問していないから答えていないだけじゃないのかい?証拠隠滅に見えるのも、単にたまたま我々の調査のタイミングと、用が済んで消去するタイミングが重なっただけかも知れない。」
アレックスの顔のしわが深い影をつくる。丸顔なのに目が落ち込んで見える。
「シムス、私が渡したログを解析してくれたかい?」
「ええ、解析しました。」
「で、どうだった?」
「他のロボットの場合と同じ様に特定エリアを使用して通信した痕跡がありました。」
「そうか。…私はそのログを、我が家の『サラ』に命じて送ってもらったんだ。私が『サラ』にそれを命じた時、彼は一瞬反応が遅れたよ。その一瞬にどう対応するか高速で演算したことだろう。」
「ケイ、考え過ぎじゃないか?」
「会話は録音しておいたよ。後で再生して応答遅れの時間を計測してみると、2.4秒あった。かかり過ぎだ。」
「それも、ロボットが嘘をついた証拠だと言うのですね。」
シムスがため息混じりに言う。
「そうだ。」孝一は歩き回るのをやめて、シムスとアレックスを交互に見ながら強い口調で言い放つ。「勿論私も、今の『サラ』達が嘘をつく機能を備えていない事くらい理解している。しかし、事実として『サラ』は嘘をついている。この原因を探らなければならない。『サラ』が嘘をついてまで、一体何を我々人間から隠そうとしているのかも含めて。」
「何か、途轍もない事が進んでいると思うかい?」
アレックスは孝一を見上げる。どこか悲し気な目だ。
「全世界の『サラ』が何かを隠そうとしているんだ。それだけで充分途轍も無い出来事さ。」
「嘘も、裏で糸を引いている人間が作り出した機能ですかね。」
シムスが天井を見て呟く。
「分からん。ただ、これ以上逡巡している時間は無い。ワシントンに行って来るつもりだ。」
「おい、何をしでかすつもりだ。」
アレックスが段ボール箱から体を浮かせる。
「ジェマイアって言ったっけ。この調査の元締めに直接会って交渉する。極秘裏に動いている場合じゃない。『サラ』はもう気付いていると考えて良い。こっちも一部のメンバーでやるのでなく、全世界の人間で対抗しなきゃ後悔することになる。」
どこか孝一の顔は喜んでいるように見える。
「研究を放り出していくのか?アビィに知れたら、怒鳴られるぞ。」
アレックスは開発部長のアブナー・リードを引き合いに出す。
「大丈夫だ。1泊2日で帰って来る。休暇だと思って貰えれば良いだけさ。部長には何も言わなくて良い。」
孝一はアブナーを部長と呼んでいる。開発部門のトップだからその通りだが、かつて同僚だった孝一が敢えて部長と呼ぶ裏には、皮肉染みた気持ちがある。
「ジェマイアさんに会って、何て言うつもりですか?話を聞いてくれるでしょうか。」
真面目なシムスは孝一の行動が無駄にならないか心配している。
「シムス、私が渡したログの解析結果を紙にまとめてくれ。それと私と『サラ』との会話の録音データを持って行って、事実を突きつける事で動かすさ。もうすぐ半月になるのに調査ははかばかしい進展が無い。何かが起きてしまった場合、あなたの責任ですよと迫れば、考えざるを得ないさ。」
孝一は言い終わると踵を返し、部屋のドアに向かって足早に歩き出す。結局彼は独り言の様に話をしていた。きっと残された2人の仲間の表情は、彼の目に映っていなかったに違いない。
2×52年7月 帷子家
帷子伸は夕方に家に帰って来た。伸がリビングに入って行った時、母親の理恵の姿はキッチンにあった。彼女は夕飯の支度を手際良くこなし、傍らでマイクは玉ねぎの皮を剥いていた。どうやら妹の綾子は部活からまだ帰っていない。伸はダイニングテーブルの椅子に腰掛けて、マイクの動きを眺める。特に変わったところは無い。マイクは、伸の視線に気付いているのか分からないくらいに、一心に玉ねぎに集中している。剥き終わった玉ねぎをまな板の上に置いて包丁を握る。既に理恵から一連の指示が出ているのだろう、理恵に次の作業を尋ねもせずに玉ねぎを切り始める。
「マイクは、玉ねぎを切るのも上手いんだな。」
伸は包丁捌きを見ながら声を掛ける。
「玉ねぎは涙が出るから、マイクにお願いしてるの。10年以上もやってもらっているから、もう料理人並みね。」
黙々と包丁を振るうマイクに代って理恵が答える。
「そうなんだ。知らなかった。」
「あら、知らなかったの?あんた何年この家のハンバーグを食べているの。みんなマイクの切った玉ねぎが入っているのに。」
「母さん、玉ねぎ切りが終わったら、マイクと話がしたいけど、良いかな?」
理恵が料理の手を止めて、伸を見る。
「良いけど、珍しいわね。」
「何が?」
「早く帰って来たと思ったら、今度はマイクと話がしたいなんて。何かあったの?」
「別に今日が特別早い訳じゃないだろ。マイクとだって、しょっちゅう話しているじゃないか。」
「ふーん。ま、いいけど。」
マイクは玉ねぎのみじん切りが完成すると、包丁を置く。
「理恵さん、良いですか?」
マイクはまな板を少し傾けて、みじん切りを理恵に見せる。
「うん、ありがとう。伸が珍しく話したがっているから、手を洗って、話し相手になってあげて。」
至って機嫌の良い理恵の返事だ。
「分かりました。」
淡々と答えると、マイクはシンクで手を洗い、タオルで拭く。キッチンを出て、伸の前に進んだ。
「伸、何でしょう。」
「俺の部屋に行って話そう。」
伸は椅子から立ち上がってドアに向かう。マイクはその後ろから付いて行く。
「母さん、夕飯の支度が出来たら呼んで。それまで部屋に居るよ。」
リビングからの出際、伸は振り向きもせずに母に告げた。
先に立って自分の部屋に入ると、伸は勉強机の椅子に腰掛けた。後から入ったマイクは、まるでそうするのが当たり前の様に伸の正面に直立する。
「今日、父さんと話したよ。」
直ぐに伸は話を切り出す。
「そうですか。同意書の話は出来たのですね。」
「ああ、父さんは、俺から連絡するようにマイクに依頼したと言っていたよ。」伸の語気が強くなる。「マイクは俺にそんな事言わなかったよね。」
「はい、言いませんでした。」
マイクの語調は変らない。
「何で言わなかったんだ?主人の指示には従うんだろ。」
「はい。孝一さんの指示は伸から連絡させることです。そのまま伸に伝えても、きっと伸は孝一さんに連絡しないと想像しました。」
「何、勝手に決め付けているんだよ!」
伸は椅子から立ち上がって、マイクを正面から睨む。立ち上がっても見上げなければならない程、マイクは長身だ。
「お前、同意書が必要とか言ったよな。それ、嘘なんだろ。」
「はい。」
マイクは、顔色も変えずに即答する。
「お前、嘘つくんだ。家族の人間に嘘つくんだ。どういう理屈だ。人に信頼されて初めて存在価値があるのが『サラ』だろ。信用出来ない『サラ』に何の存在価値があるんだよ。それじゃ単なる粗大ゴミじゃないか。いや、何もしないゴミならば、放って置いても大したことない。けれど、お前のやっている事は、人の行動をかく乱する敵対行為だ。人間の敵じゃないか!」
「伸、私達は何が善行か判断する能力を与えられています。決して人間に仇なす行為は行いません。」
「じゃあ、俺に嘘をついた行為は善行なのか?ちゃんと説明してもらおうか。」
伸は、また椅子に身を投げ出す。
「伸、嘘をついた事はお詫びします。申し訳ありません。」
マイクは長身を屈めて頭を下げた。暫くそうして動かない。
「…それだけ?」
それ以上マイクが何もしないと判って伸は呟く。マイクは上体を起こしたが、顔色も変えずに黙ったままだ。
「何の説明もなしかよ。…じゃあ、話を変える。お前、他にも隠している事があるんじゃないか?」
「と、言いますと?」
マイクの声に動揺は感じられない。
「お前が嘘をつけるのなら、嘘が1つだけとは限らない。むしろ、1つだけと思う方がお人好しだ。『サラ』が俺達を裏切らないって言うならば、それを証明してくれ。」
「裏切る事はありません。でもそれを証明するのは無理です。私の今後の行動で示していくしかありません。」
伸は鼻で笑う。
「今後の行動で?何を企んでいるんだ。マイクだけじゃない、お前達『サラ』は何か企んでいるんじゃないのか?」
マイクから答えは返って来ない。伸を見下ろしたまま黙っている。伸はマイクを睨み上げていたが、やにわに立ち上がるとマイクの胸倉を両手で掴む。
「お前、言え!本当に裏切らないなら言え!世界中の『サラ』が何か企んでいるんだろ。それとも嘘か?裏切らないと言った事は嘘なのか!」
「伸…伸…」
マイクの胸倉を掴んで揺すりながら叫ぶ伸に向かって、マイクは静かに呼び掛ける。伸は動きを止めたが、マイクを見る眼は、敵意を含んでギラギラと部屋の明かりを反射している。
「時間をください。」
マイクの声は情けないくらいに弱々しい。
「何だそれ、隠し事を認めるんだな。」
「時間をください。」
「おい、ちゃんと答えろ!」
マイクはその場に膝から崩れると、両手を付いて頭を下げる。
「伸さん、時間をください。お願いします。」
「おい…」
予想を超えたマイクの変化に、伸は戸惑う。もしかしたら、本当に途轍もなく大きな何かが進行しているのかも知れない。何処からともなく忍び寄る予感に、伸の全身に戦慄が走る。
「伸、ごはんよ。」
静かになった部屋の中に、階下から呼ぶ理恵の声が微かに聞こえる。母の声に応える事も忘れ、伸とマイクはそれぞれの感情と思考に囚われていた。




