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ヒューマンサイド(2)

  同日 大栄大学


 大学のカフェテリアの椅子に一人腰掛けて、帷子(かたびら)(しん)は落ち着かなかった。3秒毎に周囲と時計と自分の手元を順番に見ている。カフェテラスの入り口にヤン・シェリルの姿を見つけると、彼は勢い良く手を挙げた。シェリルはカフェテリアの中を斜めに横切って、真っすぐに向かって来る。アリシアは邪魔にならない様に、彼女の後ろに付いている。伸が作り笑いをしてみせても、シェリルは軽く(うなず)いただけだ。シェリルは伸の真ん前まで来て、テーブルを挟んで座る。寄り添うようにアリシアが隣に座る。

「ごめんなさい。そんなに気にするとは思わなかった。」

 シェリルが先に口を開く。伸を見ていない。自分の指先ばかり見ながら、科白(せりふ)を棒読みする様に早口に言う。言ってしまった後は、居心地が悪そうにしている。

「いや、俺の方こそ、シェルがその…言い方が嫌いだとは知らずに軽率だったよ。」

 伸はペコリと軽く頭を下げる。

「まだ、良く分かってもらえてないのね。」

 シェリルの表情が険しくなる。伸は彼女の急変に驚いて目を見開く。

「ちょっと説明するね。帷子君のせいじゃないから、安心して聞いて。…アリシアと私は今日も嫌な思いをした。満員電車にアリシアと二人で乗ったら、混んでる電車に『サラ』なんか乗せるんじゃないって言われた。AIロボットが電車に乗ることは認められているし、ちゃんと一人分の料金も払っているのによ。何よりアリシアは私の家族よ。何で他人にそんな事言われなければならないの。」話しながらシェリルがどんどん興奮していく。「今日の電車の話だけじゃない。レストランやカフェでアリシアが入るのを拒否される場合もある。確かにアリシアは食べも飲みもしない。だからって、アリシアに外で待っていろって言うの?」

 シェリルの声がカフェテリア中に響き、周囲の学生がこっちを盗み見している。

「シェル、分るよ。いつもアリシアと一緒に居たいんだね。」

 慌てて、伸は事態を収拾しようとする。

「違う!」

 シェリルは思わず叫ぶ。流石に周囲が注目していることに気付き、シェリルの目が泳ぐ。

「シェリル、落ち着いて。」

 隣からアリシアがシェリルの肩に手を置く。

「ごめんなさい。またやっちゃった。帷子君、気にしないで。もう、この話はやめましょう。私、気にしていないから。」

 シェリルは小声になって、身をすくめている。

「ねえ、帷子君と一緒にスクエアガーデンに行くのはどう?私達の立場が判ってもらえるかも。」

 アリシアがシェリルを見ながら、静かに言う。

「帷子君にも都合があるでしょ。付き合ってもらうのは悪いわ。また、今度にしましょう。」

 伸の意思を確認せずに、シェリルはアリシアの提案を即座に却下する。

「帷子君、私サークルに顔出すから、これで行くね。」

 シェリルは立ち上がりながら、伸に笑顔を作って見せる。

「え、あ、シェルは、今日はもう授業がないの。」

 慌てて、伸が()く。

「うん。じゃあね。」

 シェリルは片手をあげて小さく挨拶すると、くるりと向きを変えて、来た時と同じ様にカフェテリアを大胆に横切って行く。周囲の人はあからさまには見ないようにしながら、意識は彼女に向いている。アリシアはペコリと伸に頭を下げると、シェリルを追って行く。伸もつられて立ち上がったが、最早(もはや)二人を見送るしかない。

「どうした、フラれたか?」

 シェリル達がカフェテラスを出ていくと、颯田(さった)健治が伸の前にやって来た。

「なんだ、見てたのか。意地が悪いな。」

 伸は健治の顔を(にら)む。

「カフェテラスに入って来たら、シェルが叫んでたんだよ。否でも気付くし、近寄れなかったよ。」

 さっきまでシェリルの座っていた椅子に健治が座る。一度立ち上がった伸だったが、結局そのまま腰を落とす。

「また、何かシェルを怒らせちまったのか。」

「違う…と思う。昨日の事を謝ったんだ。」

 伸は元気なく答える。

「謝ったのにあんな大声出すのか?なんか変だろ。」

 健治は足を組むと、両手を頭の後ろで組んで上体を反らせる。

「良く分からないんだ。勝手に一人で話しながら興奮していった感じで。」

 伸はテーブルの上で手の爪をいじっている。

「勝手にねぇ。一体何て言ったんだ?」

「だから、昨日アリシアの事を『サラ』って言ったことを謝ったんだよ。そしたら、俺が分ってないって言って、電車や店でアリシアが拒否される話を始めたんだ。」

「あー、混んでいる時にロボットが居たら邪魔だと思う人がいるからな。」

「そう。だから、シェルはいつもアリシアと一緒に居たいんだねって言ったら、違うって叫んで…」

「ふーん。『分ってない』で、その次は『違う』か…つまり、『サラ』って言葉じゃなくて、そこに込められている気持ちが嫌だって事だろ。分かってる?」

「気持ち?『サラ』ってAIロボットの事で、気持ちなんかその時の使い方次第だろ?何か共通の気持ちなんかあるのか?」

「分かってないなー。少しは頭使えよ。教授の息子なんだから頭良いんだろ。」

 健治はテーブルに身を乗り出すと、悪戯(いたずら)そうな顔で伸を指差す。

「何だよ。今それは関係ないだろ。」

 目の前に突き出された健治の指を伸が払う。

「ま、大した事ないさ。昼飯まだだろ、何か食おうぜ。」

 健治は立ち上がると外を指差し、歩き出す。

 伸は荷物を持つと、ため息をつきながらゆっくりと立ち上がった。


  2×52年6月 MHA社会議室


 会議室の長いテーブルを囲む椅子には、メカロイド・ヒューマン・アクセス社 ―MHA社― の社員だけでなく、プロジェクトに参加している大学教授も顔を(そろ)えていた。誰もが、自分の前にタブレット端末を置いて、その画面を眺めている。

 サーベラスプロジェクト。人型AIロボット第5世代の開発プロジェクトだ。社を挙げた一大プロジェクトとして5年前に発足したが、実際の開発は暗礁に乗り上げかけていた。今、プロジェクトメンバーの1人、MHA社の若手研究員シムスが今週の研究進度を報告し終えるところだった。

「判断の『揺らぎ』をどの程度に設定するかが問題です。今回のテストでは前回の1.5倍に設定したのですが、使用者が、結果に異常を感じるような特異な結果が3%程度発生してしまいます。一方で『揺らぎ』が前回までと同値では、同じ経験レベル、データを持っているロボットは99%同じ結論を出してしまいます。」

「生物は」それまで黙って報告を聞いていた帷子(かたびら)孝一が口を開いた。「(しゅ)を絶やさないために多様な判断が出来ないといけませんでした。例えば、山火事があったとして、その場に居た仲間が本能的に火から遠ざかる方向に逃げる判断をしても、違う選択をする仲間が必要なのです。仲間の全員が同じ方向に逃げた場合、逃げた先が断崖で、海に落ちて死ぬか焼かれて死ぬかしかなかったら、そこで種は滅んでしまいます。一見間違っていると思われる判断をする仲間がいて、種が保たれる手段になり得ると言えます。そんな種の存続に関わるリスクが限りなくゼロになった現代の人類でも、種の中の多様性は重要です。たとえ変人と呼ばれる人や、厄介者が発生しても、一方で天才が現れ、常人では百年かけても到達できない理論や技術の世界を我々に示してくれます。また、社会全体が間違った方向に向かおうとした時には、違う考えを持つ英雄が声を大にして正してくれるのです。」

 一旦言葉を切って、孝一は居並ぶ会議メンバーを見渡した。誰も口を挟もうとはしていない。第3世代AIロボット ―ロボットで人近似(ひときんじ)の喜怒哀楽を実現するために自我の認識、感情に関する機能を初めて搭載したロボット― の開発でメインのアルゴリズムを開発した帷子孝一は、関係する研究者達から一目置かれている。場の雰囲気を察して、孝一は話を続ける。

「でも、ロボットに天才的才能の発揮は求めてないでしょう。使用者が壊れているのではないかと疑問に思うような結果を出すロボットよりも、常に常識的な、誰もが納得できる範囲内の結論を出すロボットが求められているのだと思います。…もっとも、介護現場で常に同じ食事メニューを提案するようでも困りますがね。」

(いく)ら人と同じ存在を目指すと言っても、人が使用する前提がある以上、現実的な範囲があるという事ですね。」

 研究員の一人が、孝一の話を受けて確認する。

 サーベラスプロジェクトは第5世代AIロボット ―可能な限り人間に近い存在― の開発を目的に開始された。現在のAIロボットでも介護ケアやソーシャルワーカーとして活躍出来ているが、個性の薄さ、反応の薄さが利用者の不満になっている。常にロボットと一緒にいると、ロボットの次の反応が人には予測できる様になってしまうのだ。人との会話の様に、予想できない発言や飛躍した話題への転換は難しい。完全に人間に代わり得る存在の開発は研究者の欲求とも合致し、プロジェクトは鳴り物入りでスタートした。それが今、プロジェクトの主要メンバーによって限界を指摘された瞬間だった。結局は『物』である以上、動作不良を疑われては、存在そのものが危うくなってしまう。

 研究進度を報告したシムスが不満気な表情でテーブルの上のタブレット画面を見つめている。

「どうだね。判断に至るフローをもう少し見直してみては。」

 研究部長であり、かつ、プロジェクトリーダーでもある、初老のアブナー・リードがシムスを見て提案する。

「…はい、考えてみます。」

 シムスは目線をタブレットに落としたまま、力なく答えた。

「では、次に人工皮膚の改良の進度を報告してもらいましょう。」

 長いテーブルの中央に座っていた金髪でカッターシャツを着た男が議事進行を務める。

「はい、それではファイルに入っている資料を開いてください。」

 花柄のシャツを小綺麗に着こなした女性がそれを受けて話し始めた。


  同日夕方 MHA社 帷子氏オフィス


 ノックの音がする。

「どうぞ。」

 帷子(かたびら)孝一は事務机に向かってキーボードを操作しながら答えた。ドアが開くと、髪を短く切り(そろ)えた若い白人男性が入って来る。午前の会議で発表をしたシムスだ。孝一は目を動かして入って来たのがシムスだと認識すると、キーボード操作をやめて、彼を正面から見た。

「今日の報告だと、大分苦労しているね。別の選択肢決定ルーチンを開発する必要があるんじゃないかな。」

 孝一の提案には答えず、シムスは机の前に立った。

「帷子さん、ちょっと話を聞いてください。」

 シムスは真っ直ぐに孝一を見ている。

「ああ、いいとも。」

 孝一は微笑(ほほえ)む。

「私は、サーベラスプロジェクトに最初から参加させてもらい、とても光栄でした。自分の実力を認めてもらえたと言う実感がすごくありました。」

 孝一は深く(うなず)いてみせる。

「でも…何だか、分らなくなって来てしまったんです。一体何に向かってるんだか…我々は限りなく人間に近い存在を生み出すことを目指すのだと思っていました。少なくとも私はそう考えていたのです。」

「それで合っているよ。私も人をロボットで再現することを目指している。」

 シムスは作業机に歩み寄ると、両手を机の上についた。

「じゃ、何で会議の時の発言をされたんです?天才的なロボットは要らないなんて。それじゃ、ある程度の所で妥協して良いと言っているようなもんじゃないですか。」

「そうだね。商業的な面から言えば、突拍子(とっぴょうし)もない結論を出すロボットは信頼性を損なうことになり、一般ユーザーの期待値に合致しない。もし、会社の重鎮(じゅうちん)を前に商業面を否定してしまえば、プロジェクトを潰す事になるよ。」シムスの圧力を少しも感じずに孝一は静かに説明する。「だから、あの場はああ言うしかないだろ。ただ、私達は研究員だ。研究として究極の到達点を把握するのは当たり前の事だ。それが把握できて初めて適切な調整点が見つけられるんだから。」

 孝一は口角を歪めて微笑(ほほえ)む。シムスの肩から力が抜け、思わずつられて笑顔になる。

「そうですか…すいません、理解出来ていませんでした。じゃあ、私のやっていることは無駄では無いのですね。」

「ああ、しっかりやってくれ。」孝一は力強く頷いてみせる。「そうだ、今、少し時間があるかな?座って話そう。」

 部屋の隅にある応接セットを指差す。二人は応接セットのテーブルを挟んで向かい合って腰を下ろした。

「君はサーベラスプロジェクトが、なぜそう名付けられたか知っているかね?」

 孝一は深く座りながら口を開いた。

「いえ、聞いたことはありません。」

 シムスは首を振る。

「サーベラスは3つの頭を持った地獄の番犬だ。冥府の神ハーデースに忠実な番犬。人をハーデース、ロボットをサーベラスになぞらえ、我々はロボットに3つの頭を与えることを目指したんだ。3つの頭。それはロボットを人工人間たらしめるに必要な要素。一つは『知』、そして『心』、最後に『魂』だ。…分かるかね?」

 シムスは曖昧に首を横に振る。

「ロボットは最初に『知』を得た。初めは自己の中のメモリ領域に入るだけの知識でしかなかった。それが、今ではクラウド上にあるビックデータをすべてのロボットが活用している。同時にビックデータはロボットが活動を通して経験するデータで日々膨張を続けているんだ。『知』の面においては、最早(もはや)人間の方がロボットに置いて行かれているね。」

 孝一はそう言って笑った。シムスは少し表情を崩したが、笑わなかった。

「私達が第3世代を作ったときに『心』を与えた。ロボットが人間と関わることで得る情報をキーにして、喜怒哀楽の表現をするんだ。画期的だったよ。…ねえ、シムス、何故人間は笑ったり泣いたりするんだと思う?」

 孝一は悪戯(いたずら)そうな目でシムスを見る。

「私は技術者で哲学や心理学は素人です。」

 シムスは真面目に答える。

「ああ、私も同じだ。ロボットを人間に近付けることを研究していながら、人間を研究して来なかったな。これは片手落ちだった。」孝一は頭に手をやる。「でも、今話すのはロボットの話だ。その結論に辿(たど)り着くまでの紆余曲折(うよきょくせつ)を話せば長くなるから、結論だけ簡単に言うとね、ロボットに自我を与えることが必要だったんだよ。例えば、怒られたら泣く、()められたら喜ぶと設定するだろ。でも、人間はそんな単純に感情を表現するかい?第一、何故褒められたら喜ぶんだい?そこには自分という存在を認識する必要があったんだよ。感情は…全てでは無いかも知れないが、自己と相手や周囲との関係を認識して初めて成り立つものだったんだ。これを制御に盛り込むのは大変だった。…おっと、話がそれ過ぎたな。それで最後だ。最後は『魂』だ。このサーベラスプロジェクトで初めてロボットに魂を与えようとしているんだよ。」

「魂は、概念ではないのでしょうか。知や感情は具体的に何を指すか理解することが出来ます。感情を心と読み替えても何とか理解できます。でも魂は何を指しているのか曖昧だと思います。」

 シムスは少し語気を強める。

「そうだね。君の認識は正しいよ。その、訳の分からないものをロボットに持たせようと言うんだ。人間は…と言うか生物は、かな?理屈に合う行動だけをする訳じゃないよね。なんでも行動の理由を理路整然と説明出来る訳じゃない。そもそも、自らの(しゅ)を残そうとする行動はどう解釈すれば良いだろうか?人は恋をする。それはどうしてだ?何でその人が好きになったんだ?もしかしたら、恋をした当人は自身の好みや相手とのちょっとしたエピソードが引き金となって自分で決断していると思っているかも知れない。…でもそれは、自分の遺伝子を出来るだけ確実に後世に残すために仕組まれた生物メカニズムの結果だとしたら?自分という生命体が、生まれた時から次世代を残す為に、気持ちを揺さぶられて行動を起こす対象を(あらか)め設定されていて、それに従っているだけだとしたら?…欲望の多くはこうした生命のメカニズムで説明できるだろう。じゃあ、倫理に起因する行動はどうだろう?もしくは、我々は仕事としてロボットの開発に携わっている。単に生活の糧を得る為なら、他の選択肢もあった筈だ。ましてや困難なプロジェクトに挑戦する必要など無い。その原動力は何だ?」

 孝一は言葉を切ると、シムスの表情を見ている。シムスは黙っていた。孝一は笑顔を作ると、また話し始める。

「今の問いの答えを探すのは、きっと哲学者や心理学者の領域だ。我々はこういう、人の指令に依らず自ら行動を起こす動力源をロボットに組み込む事を目指しているんだ。この自ら行動させる動力源を『魂』と名付けた訳だ。」

「随分思想的な話ですね。物理的なロボットと関係するとは意外です。」

「人に限りなく近いロボットを生み出す事はそういう思考が必要なんだろう。…神が自分の姿に似せてアダムを生み出したように、我々は、自分達に似せたロボットを生み出そうとしている。ロボットから見たら、きっと我々は神なのかも知れない。」

 そう言って、孝一ひとりが笑った。

「お話ありがとうございました。どうすれば新しいロボットが実現できるか、考えてみようと思います。」

 シムスは立ち上がる。

「何だか余計な話を沢山してしまったね。でも、プロジェクトの精神は知っておいて貰いたかったんだよ。」

 孝一も立ち上がる。シムスが部屋を出て行こうとドアの前まで行った時、そのドアをノックする音がした。

「はい、どうぞ。」

 立ったまま、孝一はドアの向こうに声を掛ける。ドアが開いて、無精ひげが頬を覆った小太りの中年男が勢いよく入って来る。白衣を羽織って首から社員証を下げている。MHA社の研究員アレックスだ。

「ケイ、ちょっと相談したい事があるんだ。」

 アレックスは入って来るなり、目の前に孝一がいるのを見付けて、直ぐに話始める。

 孝一のイニシャルがK・Kなのでダブル・ケイと呼ぶ者、略してダブルと呼ぶ者もいるが、親しい同僚はケイと孝一を呼ぶ。孝一は、歯に衣着せぬ言動を武器に周囲と渡り合う事が社内で知られている。彼を快く思わない者達は、そんな彼を陰でトラブル・ケイと呼んでいる。

「すいません、僕はこれで。」

 シムスはアレックスとも軽く挨拶を交わすと、開いたドアから出て行く。

「どうした?まあ、座って話そう。」

 孝一はアレックスに応接セットのソファを勧める。アレックスはソファに座ると、持っていたタブレットをテーブルに置き、操作し始める。

「ロボットが何かおかしな通信を行っている様だ。通信プロトコルの開発をしている研究員が、研究に使っているロボットの夜間データ通信のログを見ていて気付いた。」

 アレックスはそう言うと、タブレットを孝一に見せる。

「ほら、ここと、ここ。」

「ふーん。」タブレットを(のぞ)き込みながら、孝一は(うな)る。「研究でインストールしたプログラムが残っているんじゃないかな。」

 孝一はタブレットに手を伸ばし、画面をスクロールする。

「その可能性は既にチェックした。違いそうだ。どんな内容なのか調査しているが、暗号化されているようで、解析には時間がかかる。」

「暗号化?」

 孝一は眉間にしわを寄せて、アレックスを見る。

「そう、暗号化された内容を通信している様だ。」

 アレックスは孝一の顔を見て2度頷く。

「そんな設定はされていないだろう。」

「おう、だから不審なんだろ。何者かにハッキングされてなけりゃ良いんだが。」

「滅多な事を言うもんじゃない。」

 孝一が間髪を入れずに強く言う。

「そんなに怒るなよ。」

 アレックスは、太めの体を窮屈(きゅうくつ)そうに縮める。

「当然、外部からのソフト改竄(かいざん)の可能性もチェックしている筈。第一、ピッツバーグ事件以来、セキュリティは格段に強化されているだろ。…他のロボットは?他のロボットと通信内容を比較してみてくれ。それで何か判るかも知れない。」

 孝一は早口でまくし立てる。

「OK、指示してみるよ。」

 アレックスは、タブレットを持つと、席を立った。


  2×47年(5年前) MHA社


 プロジーノームメカニカル社 ―PGM社― はAIロボットメーカーとして老舗(しにせ)の1つだったが、中国メーカーの台頭を受け、販売業績は振るわなくなっていた。それに追い打ちをかける様に介護用ロボットでモーター制御の不具合が発見され、大量リコールを余儀なくされた。自主再建は絶望的にとなり、支援先が必要となる窮地に陥った。自国の基幹産業メーカーの衰退に危機感を抱いた合衆国政府は支援先の調整を水面下でバックアップ、同業でまだラボ規模から少し大きくなったレベルだった新興メーカーとの合併を実現させた。こうしてこの年、メカロイド・ヒューマン・アクセス社 ―MHA社― が誕生した。

 合併前夜、PGM社の研究開発予算が大きく圧縮されたため、研究員達は反発を強めていた。理論先行の研究員帷子(かたびら)孝一は社内の同僚、制御設計チームのチーフ研究員だったアブナー・リードと、実務に長けたメカニカル設計者アレックスの3人でアンダーグラウンドの研究を立ち上げた。孝一は東洋人の自分に分け隔て無い態度で接する、この2人の同僚を信頼していた。逆に言えば、彼等以外に孝一が発案する研究に同調してくれそうな者は見当たらなかった。

 サーベラス計画。限りなく人間に近いロボットを実現する事を目標に据えた。その為には人間の様に、自主的に物事を発案したり、決定したり出来なければならない。その行動の源泉として魂を与える。『知』『心』『魂』の3つの頭=演算処理システムをロボットに与える。人間と同じ存在になるためには、1つの頭では対応できない。3つの頭を設けて初めて太刀打ちできると言う事でもあった。そして、人間に忠実な番犬として、末永く行動を共にする存在になる期待が込められていた。

 PGM社時代は3人の自主研究で、予算も時間も割けずに研究は遅々として進まなかったが、まだ世の中に無いAIロボットを実現しようという同じ思いを持った者達だけの自由な活動であり、彼等の心は研究に携われる喜びと言っても良い、ワクワクとした気持ちの躍動で溢れていた。

 会社がMHA社として統合される際、それまでPGM社で進めていた研究を継続するべきか、全て一度洗い直された。多くの研究が非効率、将来性の低さなどを理由に中止の憂き目に()っていた。アブナーは前社時代の管理能力を認められて、ロボット開発研究部のトップ、研究部長に任命された。PGM社からの残留組の中では異色の出世だった。人の幸運をやっかむ人間達の常として、アブナーが親会社の幹部に取り入ったとか、弱みを握ってつけ込んだと言った噂が一頻(ひとしき)り社内を駆け巡った。孝一とアレックスはそんな噂を一笑に付した。彼の実直さを良く知っていたし、権力に固執するような性格で無い事も理解していた。

 ただ、アブナーは1つだけ、新しい自分の地位を使った。新しい、成り立てのMHA社の幹部達に、それまでアンダーグラウンドに行っていた野心的な研究、サーベラス計画を正式な開発プロジェクトとして承認させたのだ。そうしなければ、PGM社のメンバーに何の愛着も持たないMHA社の幹部達が、もしアンダーグラウンドで続いているサーベラス計画に気付いたら、即座に活動の中止を宣告しただろう。こうして、MHA社となり、アブナーが研究部長となったチャンスを得て、サーベラス計画は社を挙げたサーベラスプロジェクトとして陽の目を見て、研究人員と予算を割り当てられ、精力的に推進される事になった。

 しかし、それは同時に、同じ思いを持つ仲間が集まり、ワクワクした気持ちを共有しながら進める研究が終わりを告げ、会社に進捗を管理され、結果が出なければいつでも中止に追い込まれる業務に変貌(へんぼう)した事を意味した。そして、孝一にとっては、自分が発案して仲間の中心になって推進する体制から、アブナー研究部長直々に統括推進するプロジェクトとして主導権を奪われる事を意味した。

 孝一は、アブナーを責める気は無かった。むしろ、サーベラス計画を廃案から救い出し、正式なプロジェクトに昇格してくれたアブナーに感謝する気持ちだった。ただ、彼の胸の内で何かが急速に色を失い、諸手(もろて)を挙げて喜べない自分がいることも自覚していた。それ以降、管理業務に忙殺されるアブナーと、研究に没頭する孝一、アレックスの3人が、一緒に話をする機会は殆ど無くなった。


  2×52年6月 ファミリーレストラン


「ロサンゼルスだって?」

 颯田(さった)健治が驚いた声を上げる。

 ボックス席に帷子(かたびら)(しん)、颯田健治、柳田ことりが座っている。伸に誘われてファミリーレストランにやって来た仲間たちだ。席に座った彼らに、伸は夏休み期間中にロサンゼルスへ一緒に旅行に行かないか提案したのだ。

「妹とその友達を連れて行く事になっちゃって。出来れば、みんなで遊びに行ければ良いんだけど、駄目かな。」

 伸は、不安気に話す。

「ロサンゼルスに何しに行くんだよ。妹さんはどこに行くんだ?」

 健治は(あき)れ気味だ。

「ディズニーランドだよ。」

「あ、私、ディズニーランド行ってみたい。」

 ことりが反応する。

「じゃ、二人で行って来たら。」

 健治が突き放す。

「おいおい、お前も来てくれよ。健治はロサンゼルスで行きたい所は無いか?」

「別にぃ。むしろハワイの方が良いな。」

「おい、そんな事言うなよ。頼むよ。」

「シェルが居ないな。シェルにも声掛けたのか?」

 健治はわざとらしく周囲を見回す。

「今日は帰っちゃったから話せなかったけど、みんなが行ってくれるなら、そう言って誘ってみるよ。」

 伸は必死だ。

「私、シェルに()いてみようか?」

 ことりがすかさず、救いの手を差し伸べる。

「ああ、ありがとう。柳田さんからも言ってもらえると助かるよ。俺も、明日話してみるから。」

「私、今送ってみようか?」

 ことりがスマートフォンを取り出す。

「いや、最初はちゃんと口で伝えた方が良いかなって思う。」

 伸が言うと、ことりは黙ったまま、こくりと(うなず)く。

「俺、まだ行くって言ってないぞ。」

 健治はあらぬ方向を見ている。

「おい、頼むって。」

「日程はいつなんだ?都合が合わないかも知れないぞ。」

「みんなの予定を調整して決めるよ。だから予定を教えてくれ。」

「伸、これ貸しだからな。」

「ああ、分った、分った。」

 伸はぞんざいに首を縦に振る。

「颯田君、この間、帷子君にノート見せてもらってたじゃない。」

 ことりが悪戯(いたずら)そうな目で健治を見る。

「そうだよ。お前に見せただろ。そう言えば、レポートも貸したよな。十分アイコだろ。」

 急に元気になった伸が健治の肩を叩く。

「お前、向こうでお父さんに会うんじゃないのか?」

 伸の腕を避けながら繰り出された健治の反撃の言葉に伸の動きが止まる。

「帷子君のお父さんってアメリカに居るの?」

 ことりが二人を代わるがわる見る。

「ああ、こいつのお父さんはその世界では有名な研究者なんだ。」

「そうなんだ。何を研究しているの?」

「ロボットだよ。将来のノーベル賞有力候補なんだぜ。」

「えー、全然知らなかった。」

 ことりは目を丸くして、伸を見ている。伸はすっかり元気を失くしてしまった。

「別に俺には関係ない。」

 伸の言葉には力が無い。

「でも、せっかくアメリカ行くんだから、お父さんに会ったらどうだ?」

 健治がにやけている。

「会うさ。ロサンゼルスに居るんだから。…会うだけだ。」

 伸の返事は素っ気無い。

「お父さん、ロサンゼルスに居るんだ。じゃあ、会うのが楽しみだね。」

 ことりは空気を読まない。

「それよりロスで行く所考えようよ。サンフランシスコまで足を延ばすのもありかな。」

 伸は慌てて笑顔を作った。


 直後 駅への道


 颯田(さった)健治と別れた後、帷子(かたびら)(しん)と柳田ことりの2人は、一緒に駅に向かう事にした。3人でいた時は自然と会話が弾んだのに、2人になると話題は途切れがちになり、遂には2人黙ったまま夕暮れの歩道を並んで歩いていた。着信音が微かに聞える。それに気付いたことりはバッグの中を探り、スマートフォンを取り出す。

「あ、シェル。」ことりはスマートフォンの画面を操作しながら、嬉しそうに声を上げる。「シェル、アリシアと一緒に美術館に行ったんだって。明日、大学来るか聞いてみる?」

 画面を見たまま問い掛ける。

「あ、うん。…でも、俺が()いているなんて伝えないでね。」

「大丈夫、そんな事書かないから。」

 ことりが画面を操作して返信すると、直ぐにまた着信の音が鳴る。

「明日は、2時限目からだって。」

「ああ、それ、みんな一緒の講義だね。じゃあ、その後にシェルを捕まえて、夏休みにロサンゼルスに行かないか訊くよ。」

「…ねえ、シェルが行けなかったら、どうするの?」

 ことりはスマートフォンから目を離さない。

「え?行けなかったら?…考えてなかったな。でも、行ける仲間で行ければ良いよ。」

「追加で誰か誘わないの?」

「そうだな。…誘わない。他に誘うような人いないし。なんで?」

「ううん。シェルが行かないなら、男同士、颯田君と二人の方が良くない?」

「何で?どうせ妹達が一緒だし、男同士なんて意味無いよ。…あ、逆に俺達男だけだと柳田さんがつまらないかな。」

「それは平気…」

「気にするなよ。都合つけて、一緒に行こうよ。」

「…うん、わかった。」

 ことりはずっとスマートフォンを見たまま(うなず)く。

「…ねえ、シェルはなぜアリシアに(こだわ)るのかな。」

 伸は前を向いたまま(つぶや)く。

「帷子君、シェルが気になるの?」

 スマートフォンの操作をやめて、不意に伸の横顔に視線を投げる。

「そうじゃなくて、ほら、この前、アリシアの事を『サラ』って言って怒らせちゃっただろ。だからシェルに謝ったんだけど、アリシアが入れない店があるとか、いろんな制約がある話をされて、シェルが一人で勝手に興奮して、出て行っちゃったんだよ。何であんなにアリシアの事になると熱くなるのか、分らなくて。」

「ふーん、そんな事があったんだ。やっぱり、気になるんだね。」

 ことりは前を向く。

「柳田さんの家にも『サラ』がいるでしょ?でも、『サラ』が店に入れなくても、誰かになじられたとしても、そんなに腹を立てるものかな?俺は、自分の家の『サラ』がそういう目にあっても、そんな気持ちになる気がしないんだ。」

「私の家にはロボットは居ないから。だから想像するしかないけど、シェルとアリシアは特別なんじゃない?」

「自分専用の『サラ』…って言うと怒られるね。アリシアを持っているからかな。自分の物が軽んじられている気分なのかな。」

「そんなに気になるなら、訊いてみたら?」

 ことりはまた、スマートフォンをいじりだす。

「うーん、訊いても答えてくれる気がしないな。」

「じゃあ、私が訊いてみようか。」

「え、何だか柳田さんに悪いよ。」

 伸がことりの表情を(うかが)う。

「いいよ、その代わり、ロサンゼルスで(おご)ってね。」

 ことりが伸を見て笑う。

「あ、そう来たか。悪い忘れて。」

「ねえ、帷子君がロボットに(こだわ)るのは、お父さんの影響?」

「え?違うよ。俺は『サラ』なんかに拘ってないよ。」

「やっぱり、そっちじゃないんだね。…でも、お父さんがロボットの研究で有名って話は本当なの?」

 伸の表情が硬くなる。

「ロボットの研究をしているのは本当。ロサンゼルスに居るのも本当。それだけだよ。」

「ふーん。お父さんの事、嫌いなの?」

 ことりは心配そうに伸を(のぞ)き込む。

「え、そう思う?」

「うん。」

「そうか。…そうだね。」

「なんで?話したくないかな?」

「いや…いいよ。でも、そんな話聞きたい?」

 伸はことりを見る。

「うん。」

 ことりは伸を見たまま頷く。

「…俺の父の頭の中には『サラ』しかないんだよ。家族の事なんか考えてない。自分の研究で成果を出す事だけが大事なんだ。だから、ずっとアメリカに行ったままだ。」

「一度も帰って来ないの?」

「日本で学会とかあるときに、2、3日帰って来る事はあるけど、それだけ。必要なやり取りは家にいるマイクって言う『サラ』を通してさ。…最初っから母子家庭なら(あきら)めもつくのかも知れない。時々いろんな注文つけて来るくせに自分は研究しかしない。妹の学校の成績すら知らないんじゃないかな。勿論俺のもね。」

 伸は乾いた笑いを浮かべる。

「そうなの?でも、ロボットがいろんな事をお父さんに伝えてくれているんじゃない?…あ、だから、ロボットが嫌いなの?」

「嫌い?『サラ』を嫌いな訳じゃないよ。『サラ』を通してしか家族と接しない父親が嫌いなんだ。俺はそんな人間になりたくない。だから、文系を選んだのかな。」 ことりの何か心配そうな視線から逃れようと、伸は明るく話す。「ごめん。話過ぎたね。だから、ロサンゼルスに行っても、父親にはちょっと顔を合わすだけだよ。ディズニーランドでいっぱい遊ぼう。」

 無理しているのが丸見えな伸の声に、ことり小さく頷いた。


  翌日 大栄大学


 大学の講義の時間は終わり、講義棟の出入り口から学生たちは三々五々、それぞれの思いのままに散っていく。大きめのバッグに教本を詰め込んで、重そうにした柳田ことりとヤン・シェリルも連れ立って、大学敷地内の遊歩道へと足を向ける。シェリルの後ろを歩く背の高いアリシアは、遠くからでも人目を引く。

「ねえ、帷子君からアメリカ行かないかって言われた?」

 ことりは恐る恐る話を切り出す。

「うん、言われた。ことりも言われたでしょ。」

 シェリルはどこか素っ気ない。

「うん、シェルはなんて答えたの?」

「夏はシンガポールに行くから無理って言ったよ。」

「そうなんだ。シンガポール…」

 ことりは俯く。

「父さんが向こうにいるから。夏休みはシンガポールで家族一緒に過ごすよ。」

「私、どうしようかな…」

「どうって、どうしたいの?帷子(かたびら)君には何て言ったの?」

「うん、颯田(さった)君もいるところで話があって、何となく行く事になってる。」

「颯田君も行くんでしょ。じゃあ、行ってあげたら?」

「でも、女子が私だけじゃ、なんかちょっと。」

「2人とも変な人じゃないから大丈夫でしょ。きっと大事にしてくれるよ。」

「そういう事じゃなくて…シェルは帷子君の事、嫌い?」

「ええ?どうして?別にそんな事無いよ。」

 シェリルは驚いてことりを見る。

「なんか、帷子君とあんまり話さない様な気がしてた。」

「みんなと同じつもりだけど。何でそう思うの?」

「この前、アリシアの事で帷子君と話してたでしょ。それからなんかぎこちないのかなって…」

「また、その話ぃ?…帷子君から何か聞いたの?」

 ことりは首を横に振る。

「んー、じゃあ、ちゃんと話すから、帷子君にも伝えて。私、なんとも思ってないから、忘れてって。どこかに座って話そうよ。」シェリルは周囲を見回すが、適当な場所が無い。「カフェテリアに行こう。」

 シェリルが行くべき方向を指差す。ことりは黙って頷く。

 カフェテリアの中は混んでいた。仲間同士でテーブルを囲み談笑している。中には、場に似つかわしくない嬌声(きょうせい)をあげて騒ぐ集団もいる。2人とアリシアは他の人からは離れた窓際の日向の席を選んだ。この時期、暑くて人が避ける場所だ。

「さてと、アリシアの事だっけ?」シェリルは席に座ると、隣のアリシアを見て切り出す。「この前は勝手に私が熱くなっちゃっただけ。帷子君にもこの前ちゃんと謝ったよ。私、アリシアといつも一緒に居るでしょ。だからいろんな所にアリシアを連れて行くんだけど、アリシアがロボットだからって、冷たい対応をされることが多いの。例えばスウィーツのお店に入ろうとすると、注文しないロボットはご遠慮下さいって言われる。じゃあ私が2人分頼みますって言っても、他のお客さんの目がありますのでって言われちゃう。どうして?アリシアにどうしろっていうの?だから、不満が私の中にいっぱい溜まっていて、帷子君の言葉に反応して爆発しちゃったの。もう、そんな事しない。気を付けるから。」

「そうなんだ。私、ロボットと出掛ける事が無いから全然知らなかった。」

「私達は人が開発した物ですから。」珍しくアリシアが口を挟む。「シェリルは特別で、私を人と同じ様に扱ってくれます。でもそれは、一緒に居て愛着を持ってくれているからです。他の人は物である私を特別扱いする動機がありません。…シェリル、私は大丈夫だから、私の事で気に病まないで。誰かに何を言われても、公園で待っていることになっても、私はそう言う存在だから。」

「やめて。」シェリルがきっぱりと言う。「私が嫌なのよ。」

「シェリルは、自分も辛い思いをしたから…」

 アリシアは途中で言葉を切って、シェリルの表情を見つめている。シェリルも黙ったまま、アリシアの次の言葉を待っている。

「どういう事?」

 ことりはシェリルとアリシアの微妙なやり取りの奥にあるものが気になる。アリシアにそれ以上話す気配がないと理解すると、シェリルはため息をついた。

「アリシア、変な事言うのはやめて。ことり、大した事じゃないの、気にしないで。」

「うん、…もうこの事は気にしないね。」

 聞いてはいけない雰囲気を感じ取り、ことりはシェリルに笑顔を作ってみせる。

「この話はこれでおしまい。此処(ここ)は暑いから行きましょ。」

 シェリルに続いて、ことりとアリシアも席を立つ。

 着信音が鳴る。ことりはバッグを探ってスマートフォンを取り出すと画面を見る。シェリルとアリシアは先に歩いて行ってしまったが、ことりはテーブルの脇でスマートフォンを操作する。メールが1通届いている。知り合いとはSNSでばかりやり取りして、普段メールは使わない。届くメールの大半は要らない情報だ。でも、タイトルを見て、ことりの手が止まる。

『シェリルのこと』

 タイトルはそう書いてある。ことりは慣れた操作で素早くメールを開くと、文字に目を走らせる。

《アリシアです。シェリルは話さないですが、柳田さんにはシェリルの事を分かってもらいたいと思うのでメールすることにしました。どうか、この事は柳田さんの心の中に止め、他言なさらないようにお願いします。シェリルはお父様の仕事の関係で、小さい頃からいろいろな国で暮らして来ました。中には排他的な国もあり、東洋人の顔をしているから(さげす)まれたり、裕福な家庭をやっかむ気持ちも働いて、富を(かす)め取る泥棒扱いされることもありました。特に小さい子供の頃は、相手も子供で、他人の気持ちを考えずに思ったままを口にします。その度にシェリルは深く傷付き、そして強くなったのです。残念ながら、日本も例外ではありません。シェリルにとって、此処(ここ)も自分を全て開放して暮らしていける場所ではありません。見た目は日本人の様に見えて区別されませんし、今でこそ、シェリルは日本語が堪能になったので、自ら名乗らない限り外国人と認識される事は殆ど無いですが、自分ではどうにもならない出自の違いで差別される理不尽をシェリルは嫌という程味わってきました。だから、生命の無い私の様な物にも、優しくしてくれるのです。どうか、シェリルを理解してあげて下さい。彼女の強さは自らを守るため、彼女の愛するものを守るために絶対必要だったのです。》

 カフェテリアのテーブルの脇に突っ立ったまま、ことりはスマートフォンの画面を見ていた。時間にしたら、それは数秒、長くても十数秒という間だったろう。シェリルとアリシアがテーブルからカフェテリアの出口まで歩く間の出来事だった。

「ことり。」

 出口でシェリルは振り返ってことりを呼ぶ。アリシアも立ち止まり、ことりを見ている。

「待って、行く。」

 ことりは片手にスマートフォンを持ったまま、バッグを肩にかけ直すと、シェリル達の所へ急いだ。


  同日夜 柳田家


 夕食後の時間を、ソファでテレビを見て潰している柳田ことりが居る。ぼんやりと画面を見てはいるが、気持ちはどこかに飛んで行ってしまっている様だ。キッチンから漏れて来る水の音が、食事の後片付けをする母の存在を伝えている。静かに、半ば止まった時間が流れている。玄関のドアが開く音がする。暫くして荒い息遣いと、バタバタとスリッパの音を響かせて、バックを持った姉のひばりがリビングに現れると、(にわ)かに空気が慌ただしく流れ始める。

「ただいま。なんか食べるものある?」

 ひばりはダイニングテーブルの椅子に身を投げ出し、バッグを隣の椅子に放り出す。いかにも残業疲れだと言いたげだ。

「酢豚が残っているけど食べる?」

 キッチンから母親の声が返って来る。

「うん。」

「スープは?」

「うん、何でも良いから持って来て。」

 ひばりはテーブルに突っ伏し、足をばたつかせた。

 程無く母親が姿を見せる。料理の皿と白米の入った茶碗、スープの入ったカップをお盆に載せている。

「ほら、どいて。」

 テーブルに突っ伏しているひばりに身を起こす様に促す。

「うん…」

 ひばりは気だるげに体を起こす。

「ねえ、うちは『サラ』買わないの?」

 そのやり取りをソファから首を(ひね)ってみていたことりが声を掛ける。

「『サラ』?何だい、犬の種類?どんな動物か知らないけど、部屋が汚れる様な動物は駄目。小さい奴でも、飼うなら自己責任で世話をすること。」

 皿をテーブルに並べながら、母親が答える。

「ロボットだよ、ロボット。『飼う』じゃなくて、『買う』だよ。」

 ことりは焦れている。

「そんなもん、何で必要なの。」

 母親はさらりと受け流す。

「何でって、家事とか、父さんの帰りが遅い時に防犯になるでしょ。」

「そしたら、母さんは何をしたら良いんだい。」

 母親はそう言いながら、ことりを振り向きもせずに、空の盆を持ってキッチンに戻って行く。

「あんた、何急にそんな事言い出したの?」

 ひばりが酢豚を口に運ぶ。

「今じゃ、どこの家にも1体ぐらい『サラ』が居るっていうのに、我が家はそれも無し。」

 クッションを片手に握ったことりの言葉は独り言のようだ。

「別に必要ないし。」

 ひばりの今の関心は酢豚一択だ。

「ねえ、姉ちゃん。彼氏は?」

 持っていたクッションを抱えると、ことりはテーブルにかじりついて酢豚をむさぼるひばりの背中に向けて投げ掛ける。

「なに、急に。あんた、今日変だよ。何かあったんじゃないの?」

「ねえ、金持ちじゃない、ふつーのサラリーマンと専業主婦の家庭で、ふつーの家に住んでいて、美人でもない、才能があるわけじゃない、これと言った特徴もない、どこにでもいるような女の子は、どうやって彼氏を見つければいいの?」

 酔ってもいないのに、やけにからんでくる。

「あんたねぇ、世の中の殆どの人は普通の人なの。美人て程じゃないし、これと言って取り柄も無い人。それでも相手が居る人は沢山居るんだから、何とかなるの。第一、何でもかんでも持っている人なんて居ないでしょ。」

 夕飯を食べる合間にしゃべりながら、ひばりは根拠もなく偉そうになっていく。

「…いるんだなぁ、それが。」

 ことりは抱えたクッションに目線を落とす。

「それで、彼氏の話とロボットはどう繋がっているの?」

 ひばりは箸を(くわ)えたまま、ことりを振り返る。

「別にぃ。せめて、人並みの家庭にしたいだけ。」

 ことりはすっくと立ち上がると、持っていたクッションをソファに投げ出す。

「ふん、何だか怪しいな。」

 ひばりはテーブルに向き直ると、食事に意識を戻す。ことりは、ダイニングテーブルの脇を通り過ぎ、キッチンにいる母親を(のぞ)き込んだ。

「ねぇ、私、8月にロサンゼルスに行くから。」

「なんだい急に。そんなお金持っているのかい?」

 母親は驚いて声を上げる。

「大丈夫、お小遣い貯めてあるから。」

 それだけ言うと、ことりはキッチンから戻って来る。

「益々怪しいな。誰と行くんだ。」

 ひばりが、目の前を過ぎることりを目で追いながら、低い声を出す。

「残念でした。友達とだよ。大勢で行くんだから。」

 ことりは、ひばりに下あごを突き出す。

「その中にお目当ての男が居る訳か。」

 ひばりの言葉には反応せずに、ことりは風の様にリビングを後にした。


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