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駆引と交渉

「めんどうくさい」


 思わず本音が溢れてしまい、おっと、と口を塞ぐが、少女は唇を突き出して抗議を示した。


「まだなにも言ってないでしょっ」

「まあまて、どうせ碌でもないことに決まっている」


 とロイスの勘が言う。

 しかし理解した。つまり彼女はロイスに何かをしてほしいのだ。最初からそれが目的でロイスの願いを叶えようとしたが、あまりにも警戒するので取引という形にしたらしい。


(欲しいものをくれる……ねぇ)

 

「……お前が、俺に何をくれるって?」

「ちょっと、お前はやめて」


 強い口調で彼女が言った。

 パッと口を閉じて、目を瞬く。たしかに、失礼ではあったとあらためて、ロイスは自ら名を名乗った。

  

「悪かったな。名前は? 俺は……ロイスだ」


 わずかに不機嫌なまま少女は答える。


「人に名前を聞く態度じゃないんだけど? まあいいけど、カレンよ」

「そんで? カレン、何をくれるって?」

「あなたが望む物。あててあげる……魔界の魔術書がほしい。でしょう」

 

 カレンの即答に、思わず顔を凝視すると、ニンマリとカレンが笑った。

 

「正解みたいね。あるわよ。魔術書。いくらでも持っていってもらって構わないわ」

「それは……どこにあるんだ?」

「それはロイスが取引に応じてくるっていうなら教えてあげる」


 抜け目がないなと思いながら、ロイスは腕を組んでカレンを睨みつける。


「内容次第だな」

 

 ロイスはわざと横柄おうへいに答えた。

 彼女の要求に関してまったく予想がつかない。安易に了承はできなかった。

 それに、この状況では、下手したてに出て主導権を握られるのは、得策ではない気がした。

 こちらの思惑を理解して、カレンはわずかに機嫌を悪くしたようだったが、すぐに気持ちを切り替えたらしい。

 カレンはぐっと身をのりだすと、ロイスの目をじっと見つめて、内緒話をするように囁いた。 

    

「あのね……私を人間界に連れて行ってほしいの」


 途端に、ロイスはさっと彼女から身を離した。そして一言。


「めんどくさい」


 さらにロイスはあらぬ方向に視線をやった。


(なんで俺がそんなことを……)


「ちょっと、ここまで言わせたんだから応じてよね」 


 怒った様子でカレンは言う。

 その様子は焦れているようで、そうとう彼女が人間界へ行きたいという思いが強いことが察せられた。


「…………聞くが、なんで人間界に行きたいんだ?」


 ロイスは思わず尋ねる。

 するとカレンはすっと顔色を変える。

 そして冷めた様子でロイスを見上げた。

 

「それ話す必要ある?」


 ロイスは黙り込んだ。

 実際強制することではない。ロイス自身魔術書を何に使うのか? と聞かれたとしても、答えられる答えも持っていない。

 それで不公平だと言われても困る。

 それに、彼女の事情を知ることで、なにか面倒ごとに巻き込まれるのもごめんだった。

 

(細かいことを聞く必要はないか)


「わかった。でもなぜ俺が人間界に連れていけると思う?」


 確信がなければ、取引など持ち込まないはずだ。

 ロイスがいぶかしげに彼女を見ると、カレンはむしろ聞かれたことが意外であるかのように目を丸くした。


「あら、だって、どうやって魔界にきたのかなって思ったら、転移魔術がつかえるのかなって思うじゃない」


 ロイスは思わず沈黙する。その沈黙を是ととったのか、カレンが微笑んだ。


「さっきの術。【青の書】の術じゃないでしょ。でも普通の人間は【青の書】に書かれている術以外は使えないって聞いたわ。つまりあなたのオリジナルか、別の書物を読んだかってことになる。オリジナルって線は薄い気がするのよ。魔族だって作るのは至難の技なんだから。だから例えば【赤の書】を読んだんじゃないかって。それなら、転移魔術も使えるはずって思うじゃない」


 【青の書】。

 昔人間界に残されていた魔族の手記──と言う名の魔術の辞書。そこには原理が書かれておらず、呪文が羅列られつされているだけ。

 日常使いされる術から攻撃系まで幅広く乗ったその書物は、魔術師達がもつ唯一の魔術の教科書だ。

 【シルト】の呪文とか、【ヴァント】の呪文とか、【ココン】の呪文とか。これらはどれもロイスが得意とする魔術であり【青の書】に載っていた物だった。

 

 ロイスは変わらず沈黙を守る。


 カレンの言っていることは間違っている。

 先程の術は【ヴァント】の応用で、ロイスのオリジナルのようなもの。【赤の書】など初めて存在を知ったものだった。

 そしてロイスがこの魔界へ来た魔術もまた、ロイスがオリジナルで作ったもの。

 しかし今のカレンの言葉の通りなら、転移魔術が【赤の書】に記されているということになる。自分が開発した術と同じ術が、書かれた本があるということだ。


 ロイスはカレンの間違いを修正するでもなく、ただ胸を躍らせた。

 

 



 ロイスは特別だった。


 幼いながらに、魔術についてあらゆることを理解し、使うことができた。

 気づいていた。【青の書】の呪文でなくとも、魔術は発動するということを。想像と魔力次第でいくらでも形が、威力が変えられるということを。

 そして、自分自身が使う防御魔術が、他の者が使う防御魔術とは異なり、特殊な効果──つまり攻撃や衝撃を消滅、あるいは封じる効果があると言うこと。


 ロイスが言う【結界魔術】とは、そうした魔術の応用によって作られた新しい防御魔術の呼び名でもあった


 それでも魔術の基礎になるのはいつだって【青の書】だ。

 もっと別の書物があれば、もっと多くの術が使えるようになるのではないか。そうロイスが考えるのは普通のことだっただろう。


 そして今聞いた【赤の書】の存在。

 ロイスにとってはこの上ない喜びである。そしてその本はどうやらこの目の前の少女がありかを知っているらしい。


 ロイスは興奮を隠すように顔を背ける。


「魔界と人間界の境界線を通って来たかもしれないだろ」


 カレンはクスクスと笑う。


「境界線は魔力が満ちてるのよ。魔力感知できる魔術師が迷い込むことなんてないし、仮にわざと入ってきたのだとしたら、出る方法があるってことじゃない。それって転移魔術しかないはずだもの」


 魔界と人間界との境界が曖昧な場所というのがある。そこから魔物が人間界にあちらに現れるのだが、逆に普通の人間がそこが境界だと気づかずに迷い込むことがあるのだ。


 ロイスは溜息をこぼすと、「一応使えるよ」と渋々つぶやいた。

 実際その【赤の書】に記載されている転移魔術ではない、オリジナルの転移術を使うことができる。しかしそれはなんとなく伏せて答えた。

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