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夜中と仕事


 朝焼けの美しさにすら、心一つ動かないほどに心が荒んでいた。

 夜がようやく明けたことだけが、少年にとって救いだった。これで、魔物や獣に夜中に襲われることもない。昼間は人から逃げればいいだけだ。それも、ひどく困難ではあるけれど。


『辛気臭い顔してるわね』

 

 ふと、誰かが言った。

 顔を上げれば、真っ赤な何かが視界を埋め尽くしている。

 その中に白い顔があった。

 真っ白で、雪のような白い肌。赤い燃えるような髪とその色合いの差に、目がチカチカする。

 そこにいるのは、一人の女だった。

 

『あんた、だれ』

 

 掠れた声が漏れた。

 長いこと話していなかったからだろう。枯れた声と共に吐き出された吐息が喉の渇きを訴える。

 

『だれでもいいじゃない。ね、もしいく当てがないなら、私とこない?』


 その言葉に、少年は瞬きを繰り返した。


ーーいま、なんていった?


『あれ、聞こえなかったのかな、まあいいや。ついておいでよ』


 強引に腕を捕まれ立ち上がる。ふらふらと立ち上がった少年は、一人で立つのも困難で、そばに立っていたその赤い髪の女に寄りかかった。


『あらら、よほど疲れてるんだね……』


 女は困ったように笑って、それからそっと少年を抱き上げた。

 慌てて少年が暴れるが、その細腕はびくともしない。


『軽い軽い。ちゃんと食べなきゃ』


 女は言う。

 ふと、女と目があった。昔見た飴のような、はちみつのような綺麗な色。

 少年がそう思った時だった。


『あんた、はちみつみたいな色の目をしてるねぇ。綺麗だわ』


 女がうっとりとした様子でいう。おなじことを二人で考えていた。それほど二人の瞳の色は似ていた。


『ああ、そうだ。あんた名前はなんていうんだい?』


 少年はひび割れてた唇を開く。吐息と共に、長らく口にしていなかった名前が世界に溢れた。


『おれの……なまえは……』



 次の瞬間、世界が反転した。


 闇のなかに、少年は一人たたずんでいる。

 視界の先では、一人の女が誰かと話し込んでいた。その相手のことは知っている。今日あった男。今日から家族だと言ってのけたその口で、利用価値があるから買ったのだとのたまった男。

 煌びやかな衣装を纏った、別の世界で生きているように見える、そんな男。

 その男と、彼女が話している。

 わずかに開いていた扉を押す。

 ギィと鈍い音がした。


 彼女が振り返る。


『なんだ、あんた帰ってきちゃったのか』


 女が言葉を紡ぐ。あれほどに穏やかで、抗い難いほど優しくて、時々厳しい、母のような人だったはずなのに、今はそこにいる女の声が恐ろしく感じた。

 

 一歩後ろに下がる。それを許さぬように、彼女が近づいてくる。


『……どうして、きちゃったんだい? 』


 彼女が顔全体に華やかな笑顔を浮かべた。

 まるで、まるで毒の花のように美しい笑顔だった。

 近づいてくる彼女に、少年は咄嗟に片手を振って離れようとした。

 拒絶という強い心をいただいたまま、無造作に、ただ、一心に離れるために。


 彼女が笑う。

 優しく笑う。

 手を差し伸べる。その手をとって歩くのが大好きだった。


ーー大好きだったんだ……。



 赤が、少年の視界を染めていた。




◇ ◇ ◇



「ロイスってば!」


 高い声に名を呼ばれて、ロイスはパッと目を覚ました。

 何度か瞬きをして、周囲の気配を探る。

 まだ、周囲は暗い。


「……どうした?」


 掠れた声が漏れた。


「どうしたじゃないよ。もうすぐ盗賊も寝静まる頃だろうって、オーランドが」

「ああ」


 ひどく気分の悪い目覚めにロイスは舌打ちをする。


「ちょっと、舌打ちやめてよね」

「お前にしたんじゃない」


 ぶっきらぼうに返して、ロイスは立ち上がった。

 枕にしていた腕が少しだけしびれている。

 それを振って誤魔化したロイスはようやく視界に周囲の状況を捉えた。


 火が消えた焚き火あと。

 そばに立って不機嫌そうなカレン。


ーーオーランドがいない。


 そう思って意識を集中すれば、微かに魔力の気配があった。


ーー上……。


 近くの木の上。そこに座って、どこかをじっと見つめるオーランドがいた。


「ここからアジトが見えるなんて思わなかったわ。そんな近くで焚き火してたなんて」

「たしかにな……」


 敵の詳細な情報を聞いていなかったロイスは、カレンの言うとおりと頷く。

 あいもかわらず、気配を探すことはしない。


「まあ、オーランドに任せていたからな、大丈夫だろう」

「…………随分信頼してるんだー」


 カレンが唇を尖らせて言った。


「信頼? 誰が?」

「ロイスが」

「誰を」

「オーランドをに決まってるでしょ」


 ロイスは瞬いた。


「何言ってるんだ。そんなわけないだろう」


ーー俺が、そんなふうに人を信頼するなんてことあるだろうか。いや、ない。


 例えそれが兄弟子であっても、例えそれが幼い頃ともに過ごした、本当の兄弟のような相手であっても。


ーーそれに。


「オーランドとは今日再会したばかりだぞ。信頼する理由がない」

「再会なんだから、昔信頼してたってことがあるでしょ」


 ロイスは押し黙った。そうして思考をまとめようとするが、うまくいかない。


ーー寝起きだからだろうな。


 そう結論づけて、ロイスはオーランドに声をかけた。


「様子はどうだ?」


 オーランドが木から滑り降りてきて唸る。


「予想外にちゃんと見張りがいる。やっぱり領主に手を出させるんじゃなかった。妙に警戒心を与えたかもな」


 肩をすくめて、オーランドがいう。


「だが、今日実行するんだろう」

「するよ」


 盗賊たちは夕方から夜にかけて、アルドから出て行く商人を襲う。

 かと思えば、朝になると朝霧に紛れて商団を襲う。奴らが大人しくしているのは、真夜中と昼間だ。

 真昼間は混乱を与えるには明るすぎる。魔術師の視力強化の恩恵を十分に受けられる夜が、強襲には向いている。


「明日以降にすれば、また明日の朝や夕方に襲われる商団が出る。それを止めたら俺たちの存在がばれちまう。だからここ最近は領主の自警団には商団を守ることだけをするように言ってきたんだ」

「あまり意味はなかったみたいなだがな……」


 オーランドの計画は領主の勝手でだいなしだった。


「ま、まだ俺たちの存在には気づいていないだろうし、そこはなんとかなってるよ」


 オーランドが笑う。そういう楽観的なところはロイスとは違うところだ。

 ロイスがそれをひしひしと感じていることなど知らないのだろう、オーランドが腕をぐるりとふる。


「さぁていくかぁ」


 その声を合図に三人は動き出した。

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