窃盗と再会
その時だった。
背後がなにやら騒がしくなった。もともとあった雑踏の向こうから聞こえる荒い声たちはどんどん大きくなり、波のように広がっていく。
「何?」
カレンが騒ぎに対して不思議そうにふりかえる。
遅れてロイスも興味なさげに振り返った。
また妙な騒ぎに巻き込まれる気がして、ロイスは二度目のため息を吐く、そのロイスとカレンの間を一人の男が転げるように走り抜けた。
両腕に抱えているのは、男が持つには似合わない美しい刺繍のなされたバッグ。どこかの身分の高い貴族の女の持ち物だろう。それをもっているということは。
興味もなく走っていく男の背を眺めていると、背後からきこえた「ひったくり
!」の声。
ーー面倒くさ。
ロイスは何事もなかったかのように再び進行方向に歩みを進めた。
その時、予想外なことが起きた。
目を見張るロイスの前で、カレンが唐突に走り出したのだ。
まるで小さな動物のような瞬発力。目で追うことすら一瞬ままならないほどの速さで走っていくカレンの背中に思わず声を上げる。
「あ、こらっ」
呼びかけも意味を成さない。全く聞こえなかったのか、それとも無視したのか。どちらにしても返事もないまま、カレンは人混みをものともせずに走り抜け、見る見る間にひったくりらしき男の背にたどり着いた。
そしてその男の背中に、見事な飛び蹴りを喰らわせた。
ズサーっと冗談のような勢いで男が滑り転ぶ。
「……おいおい」
突拍子も無い彼女の行動に、思わず苦笑いを浮かべると共に、ずるりと片方の肩が落ちる。 ロイスからは随分と距離の離れたところで、カレンが男の背中に足を乗せて立っているのが見えた。突然のことをやってのけるのはいつものことで、ロイスもそれを知っているのに、やはり突然行動されると驚いてしまう。やれやれと首を振って、ロイスは人混みを縫うようにカレンに近づいた。
一方カレンは足蹴にしている男に、盗んだのであろうバッグを渡すように声をかけていた。
人間が皆善人であるとは思わない。しかしこの男もまた盗まなくてはいけない理由があったのではないか。そんな風にカレンは思う。思ってしまったら無体なこともできずに、カレンはほとほと困り果てた。
そうして静かに、男がバッグを差し出すのを待つことにする。
当然だが、男はバッグを渡す気などない。
どこか心ここに在らずなカレンに気づいて、舌打ちひとつ打つと、男は強引に体を起こした。
体重の軽いカレンは簡単に背中から引き剥がされる。
「わっ!」
よろけるカレン。
それを視界にうつした男は、このか弱い娘如きに足蹴にされたのだと怒りを顔全体に浮かべた。
その怒りの様をどこか人ごとのように見ていたカレンだったが、男が懐から衝動的に取り出したナイフを見て、顔色を変えざるをえなかった。
カレンは驚いて目を見開く。そして不意に、あの神聖都市で司教にナイフを突きつけられた瞬間が思い起こされる。
次いで思い出すのは、悲惨な光景。魔族の遺体。手を伸ばし、涙を流し、地に這いつくばってこときれた、自分と同じ年頃の少年少女たちの姿。
カレンの脳裏にその光景が浮かんだ時、カレンの体はいっさいの動きを止めていた。
「あ……」
言葉を紡ぐこともできない。硬直状態。
そこに迫るのは、男のもつ貧弱なナイフ。貧弱でも、刺されば痛い。苦しい。運が悪ければ、死ーー。
目の前にあるのは果物ナイフ程度のもの。覚悟を決めるほどでもなく、普段のカレンなら避けることも簡単であっただろうが、それすらできず反射的に目をとじる。
その時。
ガキン! と何かが壁に当たったような音がカレンの耳に届いた。
恐る恐る目を開ければ、カレンの目の前でナイフが折れ曲がり、男が腕を痛そうに押さえている姿があった。
目を凝らせば、乳白色の壁がカレンの目の前に聳え立っている。
「……結界……」
つぶやいて、カレンは振り返る。視界にこちらへ向かって歩いてくるロイスの姿が見えた。
硬直状態から脱して、一気に呼吸が戻ってくると、カレンはほっと肩の力を抜いて、ロイスに笑みを見せた。
そしてようやく追いついたロイスに「ありがとう」と気の抜けきった声で礼を言った。
ふと、気づく。
ロイスがそれはもう奇妙な、苦虫を噛み潰したような、結界で守ってくれたにしては違和感のある表情をうかべている。
「……どうし……」
「俺じゃない」
「え?」
カレンは首をかしげる。
ーーどういう意味?
そのまま尋ねようとした時。
「女の子は守ってあげないとダメだろう」
低い、男の声が聞こえた。
カレンがあわててふりかえる。予想以上に近いところに立っていたのは、先ほどのひったくの男とはまた別の背の高い男。
年齢はロイスよりいくらか上であろうか。
さっぱりと短い髪は赤茶色でツンツンと立っていて、肌が程よく焼けたガタイのいい男だった。
まとうのは、漆黒の外套。
「え、魔術師?」
外見と似合わない装束に、呆然とカレンがつぶやい区。その頭を帽子ごと男が撫でた。
「お嬢ちゃんいい蹴りだったぜ。でも無茶はしないことだ。こいつがナイフをもってるとは思わなかったんだろうが……怖かったろう」
「えっと……」
その優しい声をきいたカレンは、不躾に頭を撫でるという行為に抗議しようとして、すぐに口籠る。
なんとも不思議な空気の男に驚いて、混乱したまま助けを求めるように顔を動かすと、同じようにロイスが驚いたように目を丸くしているのが見えた。
「ロイ……」
「お前、どうして……」
カレンの言葉はロイスによって遮られる。
ひどく驚いた様子のロイスが、男とカレンに近づく。ロイスは何事かを言おうと口を開いて、しかし戸惑った様子で再び口を閉じ、そしてまた開くを繰り返していた。
常に見ないその様子に驚くカレンを挟んで、二人が正面を向き合って立つ。
先に口火を切ったのは、初対面の男の方。
男は満面に笑みを浮かべた。
「久しぶりだな、ロイス」
親しげな呼びかけが飛び出す。
それにカレンは目を瞬かせた。
「え?」
構わず男が続ける。
「この兄弟子の顔、覚えていたみたいだな。よかったぜ」
「え? 兄弟子? ロイスの?」
困惑の中で、男とロイスを交互に見ていたカレン。その頭をすっぽりと覆う大きな手を離すした男は、今度はそれをロイスの頭に乗せた。
そして、子供相手にするように軽く叩く。
ロイスはその手を振り払うこともなく呆然と男を見つめ、やがてぽつりと呟いた。
「……オーランド?」
男はさらに笑みを深くする。
そして満足げ笑って言った。
「おう。元気だったか?」




