魔界と視線
「やられた……」
夕暮れ色の髪をなびかせて、ロイスは暗い森を歩きながら情けない声を漏らした。
「まさかあの状況で追い出されるとは思ってなかったから、食料を全部置いてきたままだ……」
戦闘の前だったため食料を含む荷物を地面に置いたまま来てしまったのだ。
頭にきていたとはいえ、痛恨のミスである。
しかも。
「前金をもらってはいたが、それも置いてきた。これじゃあ働き損もいいところだ」
バッグの中には今回の依頼の前金も入っていたのだ。幸い小銭程度なら持ち合わせているが、それ以外は全て置き去り。
自分自身で阿呆かと罵りたくなる程度にはやらかした状況だった。
深いため息とともに伸びてきた前髪をわずらわしげにかきあげる。それでも足を止めずに歩き続けるのは、あの戦いの場所からさっさと遠ざかりたかったからだった。
(派手にやったからな。他の魔物があそこを目指してるかもしれないし……なるべく早めに離れるのが吉だ)
荷物は残念だが、仕方がなかった。
ロイスは空を見上げる。
魔界の空は重たい雲が覆っていて、星も月も見えないので、夜空の星の位置から時間を測ることは難しい。
(いや、星や月が魔界からそもそも見えるものかもわからないな)
この闇とて、夜と称しているだけで、朝がないのだから正しい呼称かは、わからないのだ。
その真っ暗な闇の中、隆起する巨木の根を上手いこと飛び越え、垂れ下がるシダを交わす。行先は全くの暗闇でありながら、迷いなく進む。
気持ちは重いが、足取りは軽い。
ロイスの両の目は僅かに光を放ち、夜行性の獣のごとく周囲を油断なく見渡していた。
その目には、わずかに色褪せた世界の輪郭が、くっきりと見えている。
「暗視の術をかけていると、夜目がよく効いていい」
辺りがどれほど暗くとも、魔術師であるロイスは何一つ困らない。
攻撃魔術がいっさい使えないロイスだが、暗視の術、【暗視】しかり、光の球を生み出す【光球】しかり、使える便利な魔術もある。
なにより、【結界】という防御に特化した魔術においては、他の追従を許さないほどの才覚があった。
「かと言って攻撃が得意魔術でないのも事実。言われてもしかたないな」
怒り心頭を発したという顔つきで怒鳴っていた勇者を思い出して小さく吐息を漏らした。
(とはいえ……むかつきはするさ)
あちらから頼んできておいて、役立たずだ必要ないと言われれば、反射的に「勝手にしろ」となってしまったのは仕方ないだろうと内心で言い訳をするロイスだった。
チリチリと胸焼けのような何かを感じた気がして、胸に手を当てる。そしてようやく、ロイスはわずかばかり落胆している自分を自覚した。
それが不愉快でロイスは顔をゆがめる。
「信頼でもしていたってか……まさか、くだらない」
誰かを信頼するなんてありえない。
そう思うのに、胸の違和感はなかなか消えてくれなかった。
頭を振ってロイスは心を乱すそれを散らす。
それでも彼らの姿はチラついた。
(彼らは本当に大丈夫だろうか)
「暗闇で、今頃大慌てだろうな。勇者一行は……」
(それに魔力の影響を受けて体調を崩し始めるやつもいるかもしれない。最初に崩れるのは、魔力に最も耐性のなさそうなミランダか……)
ロイスは決して彼女に対して悪い印象を抱いていたわけではない。多少は共に行動した仲である。憐れんでも誰も文句は言うまい。
「ま、あの聖剣の力は本物だ。大丈夫だろう」
最後のレイの攻撃を思い出して、ロイスは小さく頷く。気にしすぎても仕方がないことだ。今更だ。そんなふうに言い聞かせるのだった。
さて、勇者一行と離れてしまえば、普通魔界ですることはない。今するべきことがあるとするなら、人間界に還るのみだった。
ただし。
「せっかく来たんだ。何かしら成果が欲しいところだな」
ロイスが勇者の依頼を受けたのは、彼らに頼まれたからというのもあったが、なにより魔界に用があったからというのが大きい。
すなわち。魔界の遺跡さがし。
それこそがロイスの最大の目的だった。
魔界がいつから存在したのかはわからない。人間界はかつて神の世界だったと言うが、それ以前からあるのではないかとロイスは思っている。
その確証が得られるものは残念ながら見つかっていないが、魔界の遺跡からは人間のもつ技術力では、到底つくることのできないものが出土するのだ。それこそ魔族が人間よりはるかに優れた文明を持っている証しであり、長い歴史をもつ証明のようにも思えた。
もちろん。推測の域はでないことではあるが。
ロイスにとって大事なのは、それが魔術に関しても言える、ということ。
(魔界には、人間界にはない古い魔術に関わるものがあるのじゃないか? 人間の知らない未知の魔術が存在するのではないか?)
たとえば遺跡を見つければ、古い魔術の痕跡や魔術の書、魔力の籠った装飾具などに触れ、知ることができるかもしれない。とロイスは考えた。
ロイスには他に何もなかった。魔術以外なにも。
だからひたすら研究し、ひたすら試した。人間界にある魔術はもう研究し尽くした。
それでも退屈だ。
退屈すぎて旅に出るほど退屈だ。
ただただ退屈で、けれど魔術以外何もないから、だからロイスは魔術のその先を求めるしかなかった。
(魔術のことをもっと知ることができれば、この渇きも少しは紛れるだろうか)
ロイスはただ、自分自身の退屈と探究心を紛らわせるために、魔術を求めていた。
他にあっただろうか。思い浮かべても過去のどこにも寄る辺はない。
彼には、他に何もなかった。
ふとロイスは視線を感じて顔を巡らせた。
どこからか見られている。
視線を感じる。
けれどもそれがどこから向けられている視線なのか、なんとなく方向はわかるが、はっきりとした距離、場所が把握できない。
警戒心が滲み出る。
ロイスが現在周囲に張り巡らせている、一定空間内の害意ある生物を探査、索敵する術、それはだいたい直径三百メートルほどの円状で展開されている。その範囲に引っかからないということは、さらに外からの視線ということになる。
(それだけ離れていてバレバレというと知恵はないか?……この距離で遠距離攻撃を仕掛けてくるだろうか。それとも異常な移動能力を有している魔物か? いや、それとも知恵のある者だろうか。だとしたら誘っているのか? それとも牽制?)
ロイスの頭の中で様々な仮説が立てられるが、どれも確証を得られるものではない。ただこれは運がいい。そうほくそ笑む。
当てどなく歩くより目的がある方がずっとわかりやすい。
もし知恵のあるもの、つまり魔族なら、それはそれで構わない。
(直接会う方が早いな)
ロイスは乱暴な思考をもちつつ、視線を感じた方角へ方向転換をした。




