境界と襲撃
「魔物だ!」
宿屋の階段を駆け降りたところで、ロイスは叫び声をきいた。
切羽詰まった様子の声に、大通りへ走り出て、すぐに事態の深刻さを悟る。
村の入り口から奥へ奥へ、人々の波が押し寄せる。そのむこうにみえる、黒いモヤ。
ロイスは目を見開いた。
(魔界との境界だと? 昨日まではなかったのに、どうして⁉︎)
同じ場所に存在している魔界と人間界。
二つの世界の境が曖昧な場所、境界。
まれに自然消滅することはあるが、基本的に一度発生したら消す方法はない。そしていつ発生するかもわからない。ただ、突然巨大な境界が発生することはあり得ないと言われている。徐々に大きくなっていくのが普通だった。
しかしそれが今突然発生している。その事実にロイスは驚愕し、境界の発するモヤを見つめていた。
「あり得なくはないよ。魔界から開くことはできるもの」
背後から聞こえた声に、驚いて振り返る。
気づけばすぐ後ろにカレンが立っていた。その表情は深刻そうに歪められている。
落ち着かない様子で手を胸の前で組んで、せわしなく動かしていた。
しかし、それ以上に気になるのは台詞の内容。ロイスは眉を寄せる。
「なら、あれは魔界から意図的に開かれたということか」
「……たぶん」
「魔族が境界を開いて魔物を送り出しているというのは、本当だったと言うわけだな」
「っ! それは違う! でも……そういうことが可能なのは、本当」
即答するが、悔しそうにカレンが言った。
罪悪感でも感じているのだろうか。カレンの様子に一瞬意識を奪われて、しかし今はそれどころではないと目をそらす。
ロイスは表情を強張らせたまま、再び村の入り口方向へ視線を向けた。
巨大な黒いモヤ。
魔界との境界に発生する原因不明の霧。それが雨雲のように視界の一部を黒く染めていた。
流れに従って逃げ走る村人たちのその顔は、恐怖に染まっている。
何か、得体の知れない何かが起きているとロイスの勘が告げていた。
「くそっ……」
ロイスは弾かれたように走り出す。
人波をかき分けて、村の入り口──モヤに向かって一心不乱に駆ける。
人の動きが邪魔だ。早く、早く、と焦るロイスを人波が阻む。
あと少しで村の入り口というところで、不意に、視界を黄褐色の物体が掠めた。
咄嗟に指印を組む。
『構築!』
瞬間。
ロイスの目の前にいた村人の前に透明な壁が築かれ、そこに巨大なカエルが激突した。
ぐしゃり。と音をたててつぶれたそれに、村人が悲鳴をあげる。
さらに奥からもう一体、カエルが跳躍してきた。咄嗟にそれも結界で防ぐ。カエルの魔物は透明な壁にぶつかって、その自らの勢いでひしゃげ、体液をぶちまけた。
あまりにもえぐい絵面だ。
目の当たりにした数人の村人が「ひいい」と声をあげて腰を抜かす。
ロイスもおなじく顔を顰めたが、しかしそれだけに留めて、ロイスは足を止めて周囲を素早く見渡した。
すでに人がまばらな村の入り口。中型の門扉が開け放たれたそこに、ゲコゲコと妙にカエルらしい声をあげる黄褐色の魔物が群がっていた。そしてその奥、森を暗く染めるのは、魔界から開かれた巨大な境界。
奴らは、魔界から現れた魔物たちだ。
その魔物たちを、入り口に陣取った数人の村人が何やら木の棒などを振り回して牽制しているようだが、当たる様子はない。ただ、魔物もまた、その動きに微妙に翻弄されているようにも見える。
見た目の通り、頭のいい化け物ではないらしい。
それにしても、群れで行動する魔物ばかりに遭遇するのは運が悪い。
ロイスは奥歯を噛みしめて、とりあえず魔物の動きを観察することにした。
一番手前にいるカエルは村人のめちゃくちゃな棒振り回しに手を出しあぐねているようだが、まばらな村人の間から覗くその奥の方にいる魔物たちは、人間を捕食しようとしているように見える。跳躍する準備をしているのか、脚をもぞもぞと動かしている。その姿は目を逸らしたくなるほどに醜悪だ。
ともかく入り口に結果を張るためには村人たちが邪魔だった。彼らを退かせるために村の入り口に向かおうとする。
一匹、奥から跳躍してくる影があった。
ロイスに向かってまっすぐ魔物が飛びかかってくる。
それをさきほどの結界で同じように潰すと、ロイスは魔物どもを睨みつけた。やっかいな跳躍能力だ。
ロイスはまず自身の周りにいる村人たちを見回し、低い声で叱咤した。
「いいか、とにかく村の奥へ。できる限りモヤから離れろ。いいな!」
腰を抜かした村人は動こうとしない。
ロイスの顔を凝視して、何やら驚いた様子でいたかと思えば、ようやくゆるりと立ち上がり。
「あ、あなたは勇者一行の……」
かすれた声で言った。
その声に他の村人が反応する。
「勇者様は? 勇者様はご一緒ではないのですか⁉︎」
期待たっぷりのその言葉に、ロイスは舌打ちをする。
「あいつはいない! さっさと下がれ! 死にたいのか!」
怒鳴りつければ、恐怖に震える村人たちは叩かれたように飛び跳ねて、悲鳴を上げながら走り去る。
それでも腰を抜かして立ち上がれない女がいて、手を貸してどうにか立たせる。
「勇者様がいないなんて……」
呆然と呟く女に、ロイスは若干呆れた。




