宿屋と事実
その時。
「ロイス?」
果物屋の親父が唐突に声をあげた。
名前を呼ばれて思わず顔をあげると、親父はこちらをしげしげとみつめて、何度か目を瞬いていた。
(なんだ?)
訝しげに思って何事かと問うより先に、親父がつぶやく。
「あんた……勇者様と一緒にいた……。もう帰ってきたのか?」
果物屋の親父は心底驚いた様子でロイスを凝視してくる。
しまった。と内心焦りながら、ロイスは涼しい顔をして。
「いや、人違いだ」
と言い逃れようとする。親父はしげしげとロイスを見つめて、その鮮やかな髪色に目を止める。
「そんな髪の色をした、ロイスって名前の魔術師をつれていかれたと思ったんだが、違ったか?」
ロイスは舌打ちしたいのを我慢して人違いを主張する。
この村の勇者人気は結構なもので、出て行くときには盛大な送迎を受けた。それは勇者であるレイが派手に言いふらしながら歩いていたからというのもあるのだが、その時に姿を見られていたのだろう。
親父のじっと疑うような視線から逃れるように、ロイスはカレンの背中を押す。
「じゃ、売り物勝手に食って悪かったな」
ロイスはさっさと果物屋の前から移動した。
何かを言いたげなカレンの背中を押して、ロイスは安い宿屋に入った。
そこは、勇者と出会う前に借りた村で一番安い宿屋だ。前と同じように受付には人がおらず、帳簿だけが放り投げられている。
それを横目に宿の主人を声を張って呼ぶ。
基本的に宿屋というのは、一階は酒場や食事処になっていることが多い。しかしここでは食事は提供されないし、情報交換をするような場も設けられてはいない。地味な宿屋だった。
数秒後主人がやってきた。いかにも長年宿を経営していると言った要するの老人で、こちらの顔をろくに確かめもしないまま「部屋ひとつね」と言った。
「いや、二つだ」
そう言ってカレンの存在を見せつける。
一瞬ロイスとカレンの顔を交互に見た主人は「金はあるんだろうね」などと言いながら、しかしそれ以上は追求せずに帳簿に名前を書いてくれた。
あとは前回と同じように上に行く階段をさっと示される。二階しか空いてないのだろう。安宿は意外と客がいるらしい。
軽く会釈して差し出された鍵を受け取ると、階段を登る。
ギィギィと音を立てる床。それもまた久々の感覚ではある。魔界にはこうした人工物はなかった。あったのは美しい遺跡だけ……。そんなことを思いながら、ロイスは与えられた部屋の鍵を開ける。
そして扉を開けた瞬間。隣をするりとカレンが通っていった。
まるで扉が開くのは当然といった顔で、カレンが部屋に先に入っていく。それに続いて足を踏み入れ、しかしすぐにロイスは動きを止めた。
無言でカレンの襟首をつかむ。
「ちょっとまて」
勝手に部屋に入ろうとした彼女は不機嫌そうに振り返った。
「なによ乙女の服を掴まないでよ」
「悪かったな。じゃなくて、勝手に入るな」
彼女には彼女の部屋が用意されているはずではないか。
実際、カレンはカレンで鍵を渡されていた。
なのになぜ同じ部屋に入ろうとするのか。
ロイスはため息混じりにカレンを睨みつける。
「服は調達してやったろ。情報屋も兼ねている店も探せばある。この村にいれば情報も手に入るし、俺と一緒にいる必要ないはずだが?」
といえば、カレンは目線を逸らす。
「そういうことでもないのよね……」
(じゃあどういうことなのか)
「人間界についてわからないから一緒にいるって言ってた気がするんだが」
「勿論それもあるけど、それだけじゃないっていうか……」
カレンは意図的にロイスの側にいようとしている。しかしその理由がつかめない。
顔をしかめるロイスに対して、今度は反撃するようにカレンがロイスを睨みつけた。
「ね、それに初めて聞いたんだけど? ロイスが勇者の仲間だって」
やはり、カレンを騙すのは難しかったらしい。果物屋とのやりとりがロイスの誤魔化しだと気付いたのだろう。
「……不都合でも?」
ずるい言い方だと、ロイスは思った。カレンは魔族だ。魔族の王を殺そうとする勇者の仲間と知っていれば、ついてこなかったかもしれない。
実際そうなのだろう。不安そうな表情を彼女は浮かべていた。
しかしそもそも。
「人間が魔界にいるのが変なことくらい、わかっていただろう。遺跡探索と答えた俺に、それ以上を問い詰めなかったのはわざとじゃ無いのか?」
ロイスは剣呑に瞳をほそめて尋ねる。あえて追求しなかった彼女に、ロイスもあえて言わなかった。それだけなのだ。それだけのことだが、互いの立場を思うと黙っていたことは互いに気まずさを生んだだけで。
ロイスは言った。
「今はもう一緒に行動してない。俺は勇者の仲間じゃないから別にいいだろう」
そう簡単な問題でも無いのかも知れないが、俯くカレンに他にどう言葉を紡げばいいのかロイスにはわからない。
やがてカレンは顔をあげると、意気消沈した様子ではあったが、曖昧に笑って「そうね」と言った。まったく子供らしさのない風情に、ロイスは若干面食らって言葉を失う。




