面倒と溜息
──遠い世界で出会った少女は、彼をひどく憂鬱にさせる存在だった。
呆然とするロイスの周りを少女はうろちょろと動き回る。そしてふいにロイスの背後を指差すと、「それは何?」と尋ねた。
振り返れば、赤い煉瓦の壁がそびえ立つ。
とはいっても、魔界で見た巨大遺跡に比べればなんとも心もとない壁だ。
「……ヨウラ村の外壁だ」
未だ衝撃を受けたままのロイスはなんとかその一言を絞り出す。
「ムラ? ムラって人間たちの集落の一つよね」
「集落……まぁそうだが……魔族には村とかないのか」
「ないわよ。国があるだけ」
「……クニってなんだ?」
二人の間に沈黙が流れる。
どうやら、人間と魔族では集団の規模の数え方も違うらしい。
「国は大きなマチよ。マチはたしか人間たちの大きな集団生活場所のことだったわよね」
「そう、だな。大きな街か。いまいちピンとこないな」
「そうね、私もムラって言われてもピンとこないけど……聞いた話だともっと小さいものじゃなかったかしら」
カレンは不思議そうに赤い壁を見上げる。
それに習うように、ロイスも赤い壁を見上げた。
これで村一つを守っていると考えると、頑丈さにかけるのだが、魔物の侵略が少ない村というのは大概こんなものだった。
むしろ村という単位でいうなら、普通、木柵が一般的であるから、これでも堅牢なほうなのかもしれない。
ヨウラ村は、比較的魔物の被害に会いにくい村だった。
近くに魔物が発生しやすい魔界との境界がない。というのが一番大きな理由だ。
境界は、魔界と繋がっている唯一の場所であり、世界各地に存在している。
その場所は明確に目に写るものではないが、黒いモヤを発生させるという特徴があって、そこに迷いこむとあちらにいってしまったりする。
魔物はこの境界を通ってやってくるのだ。
逆を言うと、境界が側に存在しないということは、魔物が少ないと言うことであり、そういう場所では、村であろうとおおいに栄えるものだった。
「村の中では大きい方だな、ここは」
呟くようにカレンの問いに答える。
「そうなの、不思議だわ、いろんなところに集落をもつというのは聞いていたけど、場所によって作りが違うなんて」
(魔族はそうでもないのか……)
そんなことを聞こうとして、しかしこの少女と長話している場合ではないことを思い出す。
(大人の魔族が追いかけてくるなら、いますぐにでも場所を移動した方がいいだろうな)
ロイスは内心でそう焦りながら、少女に声をかけた。
「おい」
「なに?」
キョトンと少女、カレンは首を傾げた。
「何、じゃない。いつまでそこにいる気だ。もう取引は成立しただろ」
「ああ、そうなんだけど……もうすこし一緒に行動しちゃだめ?」
「だめだ」
「でも私人間界のことよく知らないし」
「…………」
ロイスは無言でカレンを見つめた。カレンも変わらずロイスを見つめてくる。
たしかに、魔界のことを人間がろくに知らないように、魔族が人間界を知らなくてもおかしくはない。ある程度の知識はあるようだが、それもどれほど使えるものなのかは不明だった。
(ただなぁ)
この少女を連れて歩くのは危険なのだ。間違いなく。
ロイスはカレンの問いに答えることなく、今後の計画を練ることにした。
ともかく、彼女と行動をしないのが優先だ。
(それから……)
ロイスは渋い顔をして周囲を見渡した。
足元には本がばらばらと散らばっている。
その本の一つをそっと拾い上げた。
いくつかの本を見比べて、一旦開いては、空を仰ぎ、また開いては、唸る。を繰り返す。
(読みたい)
が。
(今読むのは少し、いや、かなり問題がある)
仕方なく、ロイスは落ち着いて読む場所にいくまでは、どこかに収納しておこうと考えた。
おもむろにロイスは無言で左手の人差し指と中指をクロスさせて指印を作った。この印とは、すなわち【輪】の代わりだ。
ロイスが特別なのは、発動する魔術に付与されている謎の効果、つまり威力の減退や封じだけではない。魔術の発動方法も独特だ。
それは例えば転移に使った呪文の独自性からもわかることではあるが、つまり、呪文や【輪】の使い方が独特だった。
【青の書】にはこのように書かれている。いわく、「【輪】とは指輪や腕輪のことである」と。この文言を信頼している魔術師が多いのだろうが、実際は、指輪などの道具に頼ることもない。輪さえつくれれば、なんでもいいのだ。
そういう考えのもと、ロイスは指で輪を作ってみせる。
(この方が楽なのに、同じ方法を使える魔術師にあったことはないんだよな……)
だからロイスは特別なのだ。
ロイスは多くの魔術師が、もっと魔術について研究すれば、魔術のレベルも飛躍的に上がっていくと考えている。残念ながら、魔術師は脳筋が多いので難しい問題だ。
『構築』
ロイスが唱えると、音もなく突然空間に黒い球体が生まれた。そこにズズズと音をたてて、腕ごと魔術の本を突っ込む。腕を抜くと、手には本がなくなっている。
ちょっとした収納庫である。
本の行き先はロイスがいくつがマーキングした場所。所有している隠れ家の一つだ。家は本だらけになるだろうが、それは帰った時に整理すればいい話。
ロイスは満足げに頷くと、本を次々と空間に放り投げた。
最後の本を黒い球体の中に入れると、クロスさせていた指を解いた。
黒い球体は縮んでいくように小さく小さく中央に集束して行き、そして点となって姿を消す。
カレンが「ほー」と声を上げた。




