転移と真実
ロイスは周囲をぐるりと見渡した。たしかに量が多い。しかし選ぶ余裕もない。ならば。ロイスは両手の指先を胸の前であわせた。
これが魔術の発動を補助するる【輪】になる。
それを見て、カレンが素っ頓狂な声を上げた。
「え? 選ばないの?」
「なにを?」
「なにをって、転移魔術は基本的に触れてるものしか転移させられないでしょ? 本を選ばないと……」
そう言ってカレンはひとつの本をめくってこちらみせた。
赤く分厚いその本はずいぶんと年季が入っているらしくボロボロだ。
(もしやこれが【赤の書】か?)
その本のとあるページに【空間転移の術】と書かれている。その下には、発動者が触れているものに限る。とも。
ロイスは指で印を組んだまま、それをしげしげと見つめた。
(なるほど、普通の転移魔術は触れてるものに限定されるのか。不便だな)
「だから! 早く持っていくもの選んでよ」
「選ぶ時間を削らせているのは誰だよ。まあいいが……さっき、言わなかったんだが」
「え……?」
「俺はその本読んだことないんだよな」
「……は?」
実は全部オリジナルであることをなんとなく匂わせて、ロイスは笑った。
ここにある書物になら、もっともっと魔術についてのあらゆることが記されているのだろう。ロイスはここにある書を読むのがたのしみでしかたなかった。
(ゆっくり読めばいい)
なにせ、いつでも退屈している。時間はあるのだから。
「だからまぁ、他の方法で転移する」
そう言って、ロイスはさっと組んでいた指を離し、両手を大きく横に開いた。
そして呪文を唱える。
朗々と、歌うように。
『魔術干渉対象をこの部屋の内部にあるものに限定』
続けて再び両手の指先を胸の前で触れ合わせる。
『転移・目標地点ヨウラ村入口・干渉対象全てをそのまま転移』
それは呪文でもなんでもない。ただの指示だった。
誰に対してでもない。強いて言えば魔術そのものに対する。
後ろでカレンが唖然としているのがわかる。それもそうだろう。こんな呪文を使う魔術師も人間にはいやしない。
魔族には、知らないが。
しかしそれもやがて意識から外れていく。
世界が光に包まれる。
すべてが白く染まっていく。
そして見える世界がぐるりとまわる。
目を閉じて、そしてふと目をあけた。
風が、ほおをくすぐった。
「ここ、どこ?」
カレンが困惑気味につぶやくと同時に、ロイスは肺いっぱいに空気をとりこんだ。
目の前には森。それは先程の遺跡があった森とは違ってみずみずしく、青々としている。木漏れ日が黄金色に輝いている。
見上げれば空は明るく真っ青で、見下ろせば二人の足元の影は短い。
清々しいほどの晴れの日。
カレンは眩しげに目を細めて周囲を見渡していた。
ロイスが両手を下げると、宙に浮いていたいくつもの本が地面に音を立てて落ちた。
そのうちの一つの本を手に取り、ロイスはさっさと表紙の砂を払うと、カレンを振り返った。
「ようこそ。人間界へ」
そこは森に囲まれた、小さな村の入り口だった。
「びっくりした。もしかして、あれ全部オリジナル? そんなことできる人、魔族にもそういないわよ。あなたに本いるのかも疑問だわ。……それにメチャクチャな呪文……そっか、オリジナルだから、呪文がないのね……」
カレンが茫然とつぶやく。
【青の書】など幼少期に暗記してしまったロイスだ。応用ばかり研究していたこの十数年は伊達ではない。
ロイスはそれなりに誇らしくて、胸を張るような気分になった。このくらいは朝飯前だ。
そんなロイスの様子など眼中にないかのように、カレンは驚いた様子でしばらく目を瞬かせていた。周囲を見渡す瞳はキラキラとしている。
しかし、すぐに眩しそうに目の上に手で傘を作った。
「人間界って眩しいのね」
目を細めてカレンが言う。
どうやらカレンからすれば眩しすぎるらしい。
おそらく、魔族であるカレンにとって人間界は住みやすいとは言えないのだろう。
それもそうだ。とロイスは思う。
魔族は人間と違って魔力を取り込みエネルギーに変換している。
そのエネルギーは寿命や身体能力に回されるため、逆に魔力が少ないと身体がもろくなったりするらしい、と聞いたことがあった。
魔力濃度が低い人間界では、さぞ動きづらかろう。
それに、明確な昼と夜が交互に訪れるのも魔界とは違うだろう。
魔界に雨や雪があるかは不明だが、そうした自然現象もおそらく違うだろう。とロイスは予想を立てた。
魔族の生活環境である魔界とはあらゆるものが違う。
そんなことは、魔族なら子供でも知ってそうなものだが、知っているのと実感するのは違うのだろう。
それをいま実感しているカレンの辛さというのは、どれほどのものなのだろうか。
ロイスは一瞬考え込む。
「試してみるか」
「え? 何を?」
問いには答えず、中指と親指で輪を作った。そして端的に呪文を唱える。
『構築・無名』
途端に、カレンが不思議そうに周囲を見回す。
「なんか、眩しさがちょっと……」
「緩和されたか?」
カレンが頷く。
ロイスは常にいくつかの結界を張っている。
周囲を索敵し害意に反応する結界。
繭の形をした、攻撃から身を守る結界。
そして自分を中心とした一定空間のあらゆる刺激を緩和する結界。内からも外からもあらゆるものを制御するオリジナル魔術。
無名《二ヒツ》
その三つ目の結界の中にカレンを入れたのだ。
ロイスの使う防御魔術の特性である、攻撃や衝撃を緩和、減退、あるいは封じるという独特の効果。まだまだそれについては不明な点が多いのだが、それをあらゆるものに応用できないかと考えて生み出した術。
熱や寒さ、菌や虫などの小動物。そして汚染された空気などから身を守ることもでき、常時魔力を使用する練習にと張っているもので、作ってからもまだ日が浅い新術だ。
実験と思えばロイスにとってはちょうど良い。
(こいつには実験台になってもらおう)
「ふうん。……ロイスがなんかしてくれたのね。ありがとう」
興味もなさそうに、カレンが言う。
ロイスはひとつ瞬きをする。
なんとなく、奇妙な感じがしたのだ。これまでの彼女ならもう少し大きな反応があってもおかしくない気がするのだ。
しかしだからといって、淡白であることがそこまで不思議かというと、それほど性格を熟知しているわけでもない。
ロイスは軽く思考を散らすように頭を振って呟いた。
「目的が何かは知らないが、魔界にはいつか帰るんだよな」
するとカレンは肩をすくめてみせる。
「どうかなぁ」
「……どうかなって……どういう意味だ」
ロイスは硬い声で尋ねた。嫌な予感がする。
聞かないと決めた。決めたが……しかし。
「お前、なんで人間界にきたかったんだ」
「ああ、家出」
「は?」
今度はサラリと言ってのけたカレン。
ロイスは思わずカレンを凝視した。
「家出?」
「家出」
確認の言葉に、再び短く返したカレンを凝視して、ロイスは頬を引き攣らせた。
「家出?」
「そう、家出しちゃった。当分戻るつもりもないわよ。でも、パパってすごい過保護なの……だから多分、パパ追いかけてくると思うのよね」
と、なんてことないような口ぶりで言われる。
ロイスはその涼しげな横顔を見つめてあんぐりと口を開けた。
初めに彼女の事情を聞かなかったことを悔いる。肝心な時に勘がしないのだから、魔術師の勘も使えない。
(まさか、大人の魔族が追いかけてくるって?)
面倒なやつを連れてきてしまったのだけは間違いないと、ロイスは思って空を仰いだ。
今更後悔しても、もう遅い。




