62:精霊狩り(引き続き全裸で)
大浴場の中心で渦を巻く、暗闇。
それはかつて、花井香奈を模した闇だった。
だが今は、それ以上の何か――花井香奈が抱えていた怒りを模した怪物と化していた。
「危険だよ、清実ちゃん! 降霊契約を通して、術者の感情が闇の精霊に流れ込んでる!」
(よくある暴走状態ってやつか? 畜生、ヤブヘビだった!)
ブリュンヒルデの解説を聞くまでもない。
飼い主がキレて猛犬の手綱を放した、ってとこか。
いつかのマッチョストーカーとは比べ物にならない膂力で、俺の関節技が引き剥がされる。
それどころか、軽々と放り投げられ――浴場の壁に叩きつけられた!
(いぃぃいってぇ! なんでだ、壁に当たっただけだぞ!)
「マズい! 精霊降臨の余波で存在位相が交錯してる!」
(1ワードで!)
「物理無効キャンセル!」
うっそだろ!? クソ、正直、精霊を舐めてた!
などと、喚く暇もなく、俺は浴槽に落ちた。
闇の精霊があげた『Kana』そっくりの絶叫が、大浴場に響き渡る。
「とにかくチカコちゃんを、逃さないと!」
(分かってる! けど!)
その前に、今の雄叫びでパニックを起こした一般生徒達を逃さないと、チカコだって逃げられない――
ざばん、と飛沫を上げて俺は立ち上がるが。
「――みんな、落ち着いてッ!」
チカコの一喝が、生徒達の悲鳴をピタリと止めた。
彼女はそのまま、闇の精霊の正面へと飛び込んで、
「『悪霊』は私が何とかする! だから――慌てずに、外へ!」
……まったく信じられない。
俺は驚きを通り越して、ほとんど呆れていた。
だって。
確かにチカコは「眼がいい」。
でも、それだけだ。
俺のようにチートも無ければ、『Kana』のように魔法も使えない。
大浴場の壁に叩きつけられれば、背骨が折れてあっさり死ぬかもしれないのに。
「チカコ――この、馬鹿ッ!!」
俺は叫びながら、湯船を跳び出した。
「――――!!」
闇の精霊は雄叫びをあげながら、五倍に膨らんだ腕で、目の前に立つチカコの首をもぎ取ろうとする。
だが、その手が振り下ろされるよりも、俺の方が早い。
疾風迅雷で火花を上げながら、闇の精霊の脚へスライディング。
上体がめりめりと膨らみ続ける不細工な闇の塊は、たやすく転倒した。
その巨体に押し潰されないよう床を転がりつつ、右手で雷撃の狙いをつける。
(脳天を蒸発させれば、このモンスターも動かなくなるだろ!)
「ダメだよ清実ちゃん! そんな高圧電流撃ったら漏電しちゃう! チカコちゃんも黒焦げだよッ」
だな! ああもう、だから大浴場なんて嫌だったんだッ!
畜生、どうするどうするどうする――
ふっと。
思い出したのは、スーパーバトルマスターのじゃロリ仙人ことウーさんの横顔。
そして、「極めればドラゴンなんぞワンパン」な奥義!
「来香! あなたも逃げて――」
「そうは行くか! 俺は、君を守るためにいるんだ!」
立ち上がれない闇の精霊が闇雲に振り回す豪腕。
床を砕き、柱をへし折る暴れん坊を、跳んでかわし、しゃがんでかわし、滑り込んでかわして。
ようやくその頭部――多分、頭だったパーツに手をかける。
「黙って、大人しく――」
全てはウーさんに教わった通り。
極限まで広げた魔法のイメージを、限界までひねり、折りたたみ、研ぎ澄まし。
まるで一枚の布を丸めて、棒にして、針にして、糸にして――
一粒の砂にまで、圧縮して。
「失せろ!」
相手の身体に、置いてくる。
「――――」
ぼじゅんっ。
――驚くほどあっけない、破裂音とともに。
闇の精霊は、蒸発した。
予想通り――じゃないな、これは。やりすぎた。
「……あ」
『Kana』は、その様子を、呆然と見つめていた。
彼女の激情の化身は跡形もなく消滅し、黒い残滓だけがしゅうしゅうと湯気を上げている。
「ああ、ああああ――なんで、こん、こんな、ひど、ひどい……ひどいっ、アタシの、精霊! ア、アタシはただっ、ただ、ただ、ただ居場所が、欲しくて、欲しかっただけで、それだけで――アンタッ、何の、何の権利があってこんなことッ」
俺は――面倒くさくなって、溜め息を吐いた。
今回のクエストはオミネ・チカコを『死の運命』から救うこと。
ただそれだけ。
こんな鬱陶しいヤツがどうなろうと、俺の知ったことじゃない。
「……これ以上わめくなら、お前も蒸発させてやろうか?」
「ひっ――こ、コイツ! アタシのこと! 脅迫したッ! アタシのこと、殺す気だ! アタシはただ、他に、どうしようもなくて、仕方なく、こんなことしてただけなのにッ」
……Webアンケートでも用意してやろうか?
①ムカつくので、被害者気取りの馬鹿を蒸発させる
②俺は正義の味方なので、認知が歪みまくった馬鹿でも見捨てずに誠心誠意説得する
③そんなことより、全裸でバトルしてた女体化俺の無修正画像希望
アホらしい。
答えは④馬鹿は無視するに限る、だ。
「行こう、チカコ。汗かいたから、部屋のシャワー使わせて……っ!?」
いきなりだった。
強く抱きしめられて、一瞬、息が出来なくなる。
「……さっき、私のこと、馬鹿って言ったわね、来香」
「ごめん、その、言い過ぎた」
「あなたの方が、よっぽどよ。……馬鹿」
耳元で囁く彼女の声は、微かに涙の気配があった。
「あなたが、無事で良かった。本当に……本当に」
俺は何か、気の利いたアメリカンジョークを捻り出そうとして、結局、チカコを抱きしめ返すことしか出来なかった。
「……色々、驚かせたよね。ごめん。説明するから、まずは服を着よう。ね?」
「ええ……そうね。そうしましょう」
そう言って、俺達は壊滅的な状態の大浴場を後にする。
……つもりだったのに。
「残念だわァ、花井さん。あなた、素質はあったのにねェ」
どうしてまだ、終わらせてくれないんだよ!