55:お嬢様の背徳インビテーション
木之花女子高等学院、 学生寮。
四方津市に住む全男子が憧れる、神秘中の神秘、禁忌中の禁忌、夢と魔法と愛に溢れるワンダーランド、人類が求めて止まぬ至宝が眠る究極の聖域、それから、えーとえーと……
「分かったよ清実ちゃん、分かったから、ちょっと落ち着こう、ね?」
ブリュンヒルデの疲れた顔を見て、俺はようやく我に返った。
俺達がいるのは、ハナジョの敷地内にある寮の一室だ。
伝統と格式に裏打ちされたエリート校らしい、レトロでモダンなワンルーム。
今日からしばらく、俺はここで暮らすことになる。
うら若き乙女達がひしめく、このスーパーワンダーハーレムアパートメントで!
「だから落ち着いて。ベッドの上でくるくる回るのもやめなって」
(うるさいなー、人の喜びに水を挿すなよ)
「女装して女子寮に忍び込んで興奮してる男子高校生を相棒に持った、あたしの気持ちも考えてよね」
……それは、なんか、ごめん。
「いいよ、もう諦めたから……」
マジか。ホントごめんな。
……よし、真面目にやろう。
うん、ここからは仕事モードな。
俺は胸元――魅惑のセクシーダイナマイツな胸元からスマホを取り出した。
時間を確認する。
(チカコの部屋で落ち合うまで、あと三十分はある)
『悪霊』の正体を探ると決めた俺達は、さっそくこの放課後から行動を開始することにした。
手がかりは、自称「被害者」の生徒達。
彼女達がどんな「祟り」にあったのか。その状況にヒントがあるはずだ。
(てか、聞き込みなら俺一人の方がいいと思うんだけど)
チカコは自分も行くと言って聞かなかった。
『悪霊』が現れたら、俺だけじゃ対処できないから、とかなんとか。
これまで被害を無視してきた負い目は、相当なもんだな。
(やれやれ……さて、俺の方の状況を整理しておこう)
今回のクエストは、二週間以内にオミネ・チカコの『心停止』を阻止すること。
その原因は、彼女を逆恨みした生徒達による「いじめ」。
(だと思ってたけど……もしかしたら、マジで怨霊が起こす「祟り」なのかもしれない)
正直、どっちとも断定できない。
運命を司る女神スクルドがもたらしたウルザブルンの予知には、ただ『心停止』としか記されていなかったから。
(どちらにも対処しなきゃいけないんだろうな)
いじめの中核にいるのは、「千里眼を潰す会」という四人組グループ。
保健室登校してるメンヘラ女子の篠束真美、四階から落っこちた読者モデルの『りかぴょん』、りかぴょんの腰巾着こと『Kana』。
そして四人目。
彼女こそ一番やっかいそうな相手。
「今、よろしいかしら?」
――俺は、部屋の入り口を振り返った。
扉の向こうから聞こえてきた声。
「どうぞ」
「失礼しますわ。ごきげんよう、はじめまして。あなたが夜見寺来香さん?」
部屋に入ってきたのは、紛うことなきお嬢様だった。
薔薇色の頬に柔らかに波打つ黒髪。
大きな目とくっきりとした鼻筋が華やかな美貌を形作っている。
「はじめまして。えーと、あなたが」
「ええ、二年A組、姉小路美緒。あなたのルームメイトですわ」
彼女が四人目にして、「千里眼を潰す会」のリーダー。
生徒会長も務めるハナジョの「姫」である。
(うはー。噂通り、ザ・ハナジョだな……)
チカコが和風美少女だとすると、姉小路さんは洋風美少女って感じ。
お目々くりくり睫毛バシバシで、スカートから伸びた足もすらっと長くて、ブレザーは内側からグイグイに押し上げられて、ボタンがはち切れそう。
なんだろう……俺、この人の実家が日本経済を牛耳ってるって言われたら、信じるわ。
(……マジでこの子と同室なの? 本気で?)
なんかその……ヤバイぞ。色々と。
だってほら、着替え、とか、風呂、とか。
あ、ちょっと待て、女子寮って大風呂なんだっけ?
ウッヒョー! はかどるな!
「……どうなさったの?」
「えっ、あ、ごめんなさい。ちょっと見惚れてました」
姉小路さんは、口元を隠して小さく笑う、その仕草さえ上品。
「まあ、お上手。あなたこそ、その野生の馬のような活力に満ちた目。素敵ですわよ」
ううむ、お嬢様の比喩は分かりづらい。
褒められたよな? 皮肉とかじゃなく?
「ところで、夜見寺さん。噂で聞いたのですけれど……あなた、あの『千里眼』が起こした祟りの巻き添えになったんですって? 大丈夫でしたの?」
ああ、姉小路さんは知ってるよな。
『りかぴょん』がグループに投稿してたもんな。
「いえ、ただの事故でしたよ。わたしは大したことはなかったですけど、『りかぴょん』さんが気を失ってしまって」
「ええ、聞きました。梨花さん本人も言っていましたけど……あれは事故じゃありません。『千里眼』による殺人未遂です」
オイオイ、そこまで言うか?
「いや、そんな……彼女はわたしと一緒にいたんですよ? どうやって四階にいた『りかぴょん』さんを突き飛ばしたんです?」
「そうね。あなたはオカルトなんて信じないって顔しているけれど……『千里眼』は特別なの。彼女はおかしなものを見て、人を不幸にする力がある。わたくしも被害に遭うまでは、信じられませんでしたわ」
おっと。聞きに行くまでもなく、本人から切り出してくれるとは。
飛んで火に入る夏の虫とは、まさにこのこと。
……ん? あってる? その場合、姉小路さん死んでない?
「姉小路さんは……何が、あったんです?」
「……ご覧いただいたほうが、早いですわね」
姉小路さんはおもむろに、ブレザーのボタンを外し始める。
「えっ……えっ」
あ、ちょ、あ、ごめんなさい、マジか。そっちなのか。
と、俺が動揺を抑え込んでいるうちに、姉小路さんはブレザーを脱ぎ、リボンタイを外して、シャツのボタンまで全て外してしまった。
その仕草が妙に色っぽくて、俺の心拍数はどんどん上がっていく。
俺に背を向けると、彼女は静かにシャツをはだけさせた。
「……全校集会で登壇した際に、照明が落ちてきましたの。逃げ遅れた私は、その下敷きになりました」
白磁のように滑らかな背中。
くっきりと浮かんだ肩甲骨の下あたりを、傷跡が横切っている。
縫合の跡が痛々しかった。
「幸い、脊椎に大きな損傷はなかったのですけれど……右脚には痺れが残っていて、体育の授業はお休みをいただいておりますの」
俺は、何を言うべきか、迷ったけど。
「……それが、チカコのせいだと?」
「もともとわたくしは、彼女の『お小遣い稼ぎ』には注意をしておりました。何度か本人にお話をした上で改善が見られないようでしたので、全校集会でお話をしようとしたのです。照明が落ちてきたのは、その時でした」
それが「チカコが祟りを引き起こした」動機だと、姉小路さんは考えた訳だ。
「照明が落ちてきた原因はなんだったんです?」
「……警察の方が言うには、誰かが故意に照明を支える鉄棒のロックを外したのだろうと。けれど、その時天井裏に出入りした人間は誰もいませんでした。これは袖に控えていた複数名が証言をしております」
……今日の『りかぴょん』の転落と状況は同じ、か。
「舞台上にいた者の中からは、照明を支える鉄棒の上を這う何かの影を見た、という証言もありました。これは……どこまでが本当か、分かりませんけれど」
原因不明の事故。怪しい影。
不安のはけ口とされたのが、オミネ・チカコ。
そんなところか。
(俺が名探偵ならトリックを見抜いてやるところだけど)
生憎、俺はファンタジーによって地上に蘇った非現実の権化だ。
手のひらから雷が出せるんだから、手の届かないところにあるロックを外すこともできるんだろ。多分。
(……出来るよな? ブリュンヒルデ)
「あ、思い出してくれた? あたしのこと」
無視してた訳じゃないぞ。ちょっと会話に夢中でな。
「そうだよね。美少女のストリップショーとか背中とかブラ紐とか、見どころ盛りだくさんだったもんね」
オイやめろ意識させるな。
特にブラ紐のことは頑張って無視してたのに。
薄ピンクのレース生地とかお嬢様度高すぎだろ、もう。
(……ふぅー、心頭滅却完了。で? あるの?)
「そりゃあるよ、異世界には。鍵解除の魔法とか、念動の魔法とか、あとはそもそもロックを自動人形にしておくとか」
よりどりみどり。異世界の名探偵は仕事が多そうだ。
「でも、この世界じゃあ……難しいんじゃない?」
これだから現実世界はつまらないよな、まったく。
ともかく俺は、床に落とされた姉小路さんのブレザーを拾いあげると、彼女の肩にかけた。
「辛い話でしたよね。すみません」
姉小路さんがこちらを振り返る。
口ぶりは冷静だったが、唇は青く、目尻には涙が浮かんでいた。
後遺症が残るほどの怪我だ。精神的にも辛かったのだろう。
「ありがとう。優しい方ね」
「アメリカ帰りなんで。風邪引く前に、早く服を――」
ぎゅっと。
押し付けられた姉小路さんの胸は、柔らかくて温かかった。
「今度はわたくしから、お尋ねしても良いかしら?」
「ええと……何を?」
「あなたは、殿方がお好きな方? それとも……女性が?」
またその質問かよ!
なんなの!? なんでモテるの、女体化した俺!
「ハーレムじゃん! よかったねー、わざわざ潜入捜査に来た甲斐があったね、清実ちゃん」
(そうだけど……そうだけど、これ完全にインチキなんだよなあ)
今更だけどさあ、嘘ついてモテても、なんかスッキリしないっていうか……
いやビビってるわけじゃないよ? 全然だよ?
男はみな、誰しもいつか卒業することを夢見るわけじゃん? 例のアレをさ?
……あれちょっと待てよ、この場合は卒業になるのか? んん?
「……ええと。とりあえず、一旦離れてもらってもいいですか?」
「あら。流石は『千里眼』のナイト様。貞節の価値をご存じなのね?」
「そういうことではなく、あのですね」
とかなんとか言ってたら、
「すみません、あの……!」
おおう。
いつの間にか部屋の入口に誰かいた!
てかドア、開けっ放しだったん?
「あら、香奈さん。どうなさったの?」
「えと……姉小路さん。但馬先生が、呼んでます」
姉小路さんは何の動揺も見せず、頷いた。
但馬先生って誰だっけ。理事長?
「お知らせありがとう、香奈さん。但馬先生は人使いが荒くて困りますわね」
言って、あっさりと俺を解放してくれる。
いそいそと制服を着直しながら姉小路さんは、
「今夜はゆっくりお話聞かせてくださいな、夜見寺さん」
艶っぽい笑みを残し、颯爽と去っていった。
「うわー、肉食女子すごいねえ、清実ちゃんなんてすぐ食べられちゃいそう」
(それな。マジでなんなんだ、あの人)
これ多分あれだよな。
流されて致してたら、『潰す会』に取り込まれてたよな……
淑女達が集う私立木之花女子高等学院の頂点に立つには、あれぐらいのしたたかさが必要なのかなー。
なんか、ここが楽園じゃなくて闘技場に見えてきた。
「やっと正気に戻ったね、清実ちゃん。いい? かわいい女子も所詮は同じ人間だよ?」
やれやれ、とでも言いたげなブリュンヒルデ。
くそう。悔しいけど何も言い返せない。
とにかく俺は、立ち去ろうとする『Kana』さんに声をかける。
「ごめん。『Kana』さん、だよね。少し時間ある?」
「……べ、別に、誰にも言いません、よ」
彼女は、とても面倒臭そうに振り返ってくれた。
「き、気に入った子、さ、誘ってるの、い、いつものことだ、し。せ、『千里眼』の、ここ恋人、なら、なおさら」
ちょ、おま、ここここここ恋人って! ちっげーから! アイツとはそういうんじゃねーから!
と、口に出しそうになるのを、俺は必死でこらえて、
「あなたも、『悪霊』の被害にあったんでしょ? 少し話聞かせてくれないかな」