54:じゃなくて、敵は――悪霊?
何これ。え? 全然分かんない。
なんで――あたしが落っこちてるわけ?
(って、顔に書いてあるぞ、『りかぴょん』)
俺は、自分でも驚くほど冷静に行動した。
疾風迅雷の素早さで、校舎の壁を蹴る。
三角跳びの要領で空中に躍り出て、落ちてきた『りかぴょん』をキャッチ。
そのまま着地――する前に、地面を二転三転してから静止!
「――セーフ……っ」
ふう。
ウーさんに、高いところからの着地方法を習っといてよかったぜ。
六百メートルから垂直落下したときは、マジで全身砕けるぐらいの衝撃だったからな。
「あ、あ、あ……」
「えと……だ、大丈夫?」
腕の中の『りかぴょん』は、放心状態だった。
そりゃそうか。
四階から落ちたら、誰だって死を覚悟する。俺もした。
「きゃああああああっ、せんぱ、りかぴょん、先輩が落ち、落ちて――先輩っ!」
遅れて『Kana』の悲鳴。呑気なやつ。
と。
いきなり『りかぴょん』が抱きついてきた。
うお――いい匂い、柔らかい、これぞ役得――いや、っていうか、強い強い強い、苦しい、折れる! 背骨折れる!
「あ、あ……悪霊――」
ガタガタと震える『りかぴょん』が漏らした言葉。
ビクリとしたのは、チカコだった。
すっかり青ざめた顔で、四階の窓を見上げたまま。
「今の……誰が――ううん、何が――」
「あ、あああ、悪霊~ッ! りかの背中押した~ッ! この子――『千里眼』のせいでッ! やっぱり! やっぱりこの子が悪いんだ~! この子が、あたしの彼氏も~ッ」
まずいな、みんなパニック状態だ。
仕方ない。
(ごめん、少し寝ててくれ)
俺は出力を絞りに絞った極小雷撃で、『りかぴょん』の意識を奪った。
ぐったりした彼女を抱え直すと。
「チカコ、ごめん。この子、気を失ったみたい。保健室まで一緒に運んでくれる?」
「え、ええ……ええ、分かった、わ」
一人でも行けそうな気がしたけど、何かさせた方がチカコも落ち着くだろう。
俺だって同じだ。
とにかく落ち着いたふりをしながら、胸中で叫ぶ。
(おいブリュンヒルデ! 誰が『りかぴょん』突き飛ばした!?)
「分かんない! 黒い影――人じゃない! 亜人に似てるけど、アレは多分、精霊! いきなり現れて、こっち側の世界から飛び出していった!」
どういうことだ、オイ。
異世界の存在はこっちの世界に干渉できないんじゃなかったのか?
(逃げたのか!? 周りに誰かいないのか!?)
「『Kana』と、他には――めちゃめちゃいる。生徒だらけ!」
(精霊は!? 異世界にもどったのか!?)
「消えた! 隠形……じゃない、転移! 質量自体が消えてる!」
畜生、逃げたか。
……いや待て。姿を消せる? ブリュンヒルデの目を盗んで?
そんな生き物、本当にいるのか?
そうこうしているうちに、俺達は保健室へ辿り着く。
「あらあら。よく来るわねェ。センセーの顔を見に? 嬉しいわァ」
「冗談言ってる場合じゃないですよ! 先生、この子、四階から落ちてきたんです。受け止めたんですけど、怪我がないか見てください」
流石にセクシー縦セタレディの相手をしている余裕はない。
話を聞くなり、美原礼子センセーも顔色を変えて、『りかぴょん』の様子を確認した。
「……大丈夫、怪我は無いわァ。それより、受け止めたって言ったわねェ? あなたの方こそ見せなさい、夜見寺さん」
「え、いえ、わたしは別に――ちょ、ちょっとセンセー、待って、そこはっ、あっ」
いやーん、まさか――まさか自分がラッキースケベされる側に回るとは!
うーん、貴重な体験だぜ……あんなところまで見られてしまうなんて。
「信じられないけど……本当になんともないのねェ、あなた。本当に人間なの?」
「だから、言ったじゃないですか……もう」
心なしかツヤツヤした顔の美原センセー。
あんた、途中から診察関係なくなってたろ。
「……ごめんなさい、来香。助けてあげられなくて」
「ああ、うん、ええと、一応診察? だったし、その、平気」
意識が戻らない『りかぴょん』をベッドに横たわらせて。
俺とチカコは、保健室のソファに並んで座る。
「とにかく……誰も怪我しなくて、良かった」
剥ぎ取られたワイシャツを着ながら、俺は言うが。
チカコは俯いたままだった。
「……私が、甘く見てたせいね」
「いや、別にチカコのせいじゃないよ。もしかしたら彼女が自分で足を滑らせたのかも」
「いいえ。私、見たわ。黒い影。悪霊なんて、祟りなんて……いないと思ってたのに」
膝の上で握りしめられた、チカコの手。
青く血管が浮かび上がるほど、強く。
「これまで私が見てきたのは、死んだ人とか、何かそれ以外のものとか。確かに黒い影になってしまった人もいたけど、みんな揃って、この世界に触れないことを嘆いてた。だから私に、代わりに伝えてくれって。でも、さっきのは違う。確実に、彼女に触れてた。彼女を突き落としたのよ」
そうか。
見えたのか、チカコには。
「いたのよ。本当に……悪霊が。人を傷つける力を持った何かが」
「そっか。でも、だからって、これはチカコのせいじゃない」
悪霊――だか、精霊だかなんだか知らないが、とにかく、そのモンスターがやらかしたことだ。
別に、チカコがソイツを呼び寄せたわけじゃない。
「噂は、私も知ってた。でも、そんなのいるはずないって、たかを括ってたの。私なら、気付けたはずなのに。気付いて……止められたはずなのに」
……ああ、畜生。
なんか知ってる。知ってるぞ、この考え方。
出来るなら、やらなきゃ。
それが自分の責任なんだ、って。
(……俺と同じだ)
以前のクエストで、転生阻止者として、転生候補者だけじゃなく関係者も全員助けようとした俺と。
馬鹿、お人好し、カッコつけたがり。
(畜生。俺は、君さえ無事でいてくれれば、それでいいんだ)
転生候補者を『死の運命』から救う。
それが転生阻止者の仕事で――『潰す会』のメンバーがどうなろうと知ったことではないし、候補者本人を危険に飛び込ませるなんて、もってのほか。
「たっだいまー、清実ちゃん。どしたの? 渋い顔しちゃってさ」
(……ブリュンヒルデ。現場に何か手がかりはあったか?)
「なーんも。一瞬で出て、一瞬で消えてる。手慣れてるね、これは」
異世界の存在が一瞬だけこの世界に現れて、一瞬で跡形もなく消える方法。
ブリュンヒルデが知らないなら、俺が知るわけない。
ただ、分かることがある。
(異世界の存在とやらは、自分の正体がバレるのを恐れてる)
それは何故か。俺やこの学校の生徒達に身バレしたら、ヤバくなるような立場だから。
だからチカコに罪を押し付けようとしてる。
いや、もともとチカコに罪を着せるのが目的なのか?
(……どっちにしろ。相手は、よく分からないモンスターや悪霊じゃない。多分、人間だ。生徒か、教師)
だとしたら。
俺は、隣に座るチカコを見た。
責任感と意志に満ちた彼女の横顔は、一層美しかった。
青く光る炎のような。
「ねえ、来香。私ね――」
「『悪霊』の正体を突き止めて、二度と被害が出ないようにしたい。とか言うんでしょ?」
本日二度目の驚き顔、いただきました。
大きな目をパチクリさせると、ちょっと幼く見えてかわいい。
「……まさか、わたしも手伝う、なんて言い出さないわよね。来香」
「あのね。もしもチカコが窓から突き落とされたら、誰が空中でキャッチすると思ってるの?」
チカコは呆れたようにため息をつく。
オイオイ、本当はこっちがため息つきたいんだからな?
「……もし私が危ないって言ったら、すぐに逃げるのよ。いい?」
それもこっちの台詞だよ。
とは言わずに、俺は素直に頷いた。
「……清実ちゃん?」
(言いたいことは分かるよ、ブリュンヒルデ。でも、止めたところで聞き入れるように見えるか?)
「あー。一緒に探したほうがマシ、ってことね」
俺の真横で呆れ顔を晒すブリュンヒルデ。
チカコは、その様子をじっと見ていた。
「……ねえ。女騎士の霊、妙に疲れてるみたい。どうしたのかしら」
「なんだろうね。霊の世界にも悩みとかあるんじゃないかな」
言いながら、俺は考えを巡らせていた。
(でも、これはもしかすると――チャンスなのかも)
チカコに迫る『死の運命』。
その原因を、断ち切るための。