13:召喚者と謎の美女
「あのさ、お前の話、もうちょっと詳しく聞きたいんだけど」
俺は黒ずくめの女――自称『召喚者』の襟首を掴んで、起き上がらせた。
と。
「――やめたまえ、少年。あまり女性に乱暴するものではない」
女の声。
「誰だ?」
俺は振り返る。
満月を背負って、女がそこにいた。
「ユミル様!」
「随分な有様じゃないか、霧子くん。うたた寝でもしていたのかい?」
『召喚者』こと霧子くんが上げた悲鳴に、女――ユミル様とやらは、たおやかな笑みを返した。
ユミル様の衣装は、めちゃくちゃ仰々しい――金糸で抜いとられた青いマントに光沢のある白のドレス。さらに宝石を散りばめた冠を身に着けたその姿は、ブリュンヒルデと並ぶファンタジーっぷり。
RPGに出てくる女王みたいだな。
多分、役どころは氷の国の支配者だろう。それぐらい冷たい目付きと、なめらかな肌。
スカートのスリットから覗く太ももは陶磁のよう。
……あとおっぱいが大きい。フレイアと変わらないかもしれない。
ピッタリとしたドレスは胸元が深く切れ込んでいて、それはそれは素晴らしい谷間がむっちりと。
「だって、なんかコイツ、手から電気とか出すんですよ! ビリビリって!」
「ほほう。少年は“魔法使い”か? 懐かしい。この世界でお目にかかったのは、何百年ぶりだろうな」
涙ながらに訴える霧子の言葉に、ユミル様が口角を釣り上げた。
艶めかしい色の唇が、弧を描く。
なんとなく、背筋に冷たいものを感じて。
俺はとっさに、霧子くんの服から手を離そうとした。
直後に。
目に見えない何かが、俺の指を何本か消し飛ばした。
「な――!?」
「どわー! 服! ボクの服! ユミル様ぁ!」
ついでに、霧子くんの服の胸元も。
出ちゃってるぞ、色々。
「おや、指だけか。勘が良いな、少年。ヴァルキリーを連れているだけある。君も、ひとかどの勇者という訳だな」
ユミル様は、今度こそはっきりと笑った。
まるで新しいおもちゃを見つけたみたいに。
お前、俺、指――と喚きかけて、
「落ち着いて清実ちゃん! 怪我は治すから!」
ブリュンヒルデの一喝。
俺は口をパクパクとさせてから、そのまま歯を食いしばった。
いくら仮の肉体でも、魔法を喰らえばダメージがあるし、痛みもある。
説明されてはいたが、体感したくはなかった。
指の付け根からこぼれ落ちる血を、無事な方の左手で押さえる。
ユミル様は、そんな俺の様子を眺めながら、薄い唇を開いた。
「こんな少年をこき使って、一体どういうつもりだい? ブリュンヒルデ。オーディンは何を考えて私の庭にちょっかいをかけているんだね?」
え?
「……訊きたいのはこっちですよ、ユミルさん。何のつもりですか? ご自分の『子供達』を手に掛けようだなんて」
ブリュンヒルデは見たことのない真顔で、応じている。
ちょっと待て。
いや、ルックス的にヴァルハラの敵対組織とか思ってたけど、普通に知り合いなのか?
分からなくなってきたぞ。誰か説明してくれ。
「理由を教えれば退いてくれるかい」
「お答えしかねますね」
何シリアスな顔してんだ、二人とも。
ブリュンヒルデに至ってはゴツい槍とか構えて、完全に戦闘態勢だし。
おい。頼む、誰か説明を。
ユミル様にかばわれてる『霧子くん』も、ちんぷんかんぷんって顔してるぞ。
「ユミル様、ええと、誰とお話を……あ、ごめんなさい、なんでもないです、後でいいです」
……あ。今こっち見てから取り繕ったろ。
今更、『わたし全部知ってます』みたいな顔作っても遅いからな。
とにかく、ユミル様は軽く頭を振って。
「まったく血の気が多いな、戦乙女は。私はそこの霧子くんを迎えに来ただけなんだけども」
畜生、全然話についていけないぞ。
出血のせいか、頭が回らない。いや、でも、このまま貧血で倒れる訳には。
とにかく俺は口を開く。
「ちょっと待て。質問に答えろ、何の理由があってイガワさんを狙ったんだ」
「もう彼女を殺すつもりはないよ。おめでとう、今回は君達の勝利だ」
そう言った、その一瞬後には。
ユミル様が目の前にいた。
氷のような美貌が、息がかかるほどの距離に。
瞬間移動……嘘だろ?
「……刻まれているのはティールのルーン。それに……おやおや。なるほど、まだ伸び代がありそうだね。興味深い」
冷たい指先が、俺の顎を撫でた。
その感触にぞくりとする。
底の見えない碧眼に灯る、怪しげな光。気を抜けば魂ごと飲み込まれてしまいそうな。
俺は束の間、言葉を失う。
「君、名前を聞いても?」
女王からの質問。
名乗るべきか、迷った。
彼女の記憶に留まることが恐い。
直感的にそう思う。
だが、黙っているのはどうにも座りが悪い。
指をふっとばされてビビっているのは事実だが、見栄ぐらい張りたい。
「清実。海良寺清実だ」
「カイラジ・キヨミ……ああ、君だったのか。合点がいったよ。そしてますます興味が湧いた。次に会う時はもっと君のことを教えてくれ、清実くん」
俺は、ははは、と強がった。
「俺も詳しく訊きたいよ、あんたのこと。そのドレスの下、何着てんの? とか」
「軽口を叩く元気があるなら、まだ死にはしないだろう。結構、それではまた」
言い捨てて。
ユミル様と霧子くんは、魔法陣の中へ消えていった。
あとに残されたのは、アホ面をさらしている俺とブリュンヒルデだけ。
「……つ、疲れた……」
「わたしも……」
俺はへたり込みながら、思わず呻いていた。
仮の肉体は傷も負わなければ疲れもしないはずなのに。
だとすると、この疲労感は間違いなく精神的なものだろう。
そりゃそうだ。
今日一日で、俺は一度死んで蘇り、二人の命を救い、殺し屋と殴り合った挙げ句、クールで妖艶な巨乳美人に指をふっとばされたのだから。
ホッとした途端、右手がずきずきと痛み始める。
「あ、そうだ、見せて、傷口!」
駆け寄ってきたブリュンヒルデは、俺の手を取ると、
「うえー、痛かったねコレは……よく我慢したね。えい、修復、っと」
何度か、優しく撫でた。
ふっ、と何かが軽くなるような感覚があって。
「おお……治ってる」
「ウイルドの傷は、すぐに治せるんだよ。フツーの生き物は難しいけど」
俺は、嘘のように元通りになった小指と薬指をしげしげと眺める。
なんだ、ずいぶん簡単に治るんだなー。
「あんまり重傷だと、治す前にウイルドが機能停止しちゃうから。そしたら魂のサルベージも難しいし、今度こそ本当にご臨終だから。それだけは気をつけて」
と、ブリュンヒルデの念押し。
なかなかぞっとしない話だ。
ともあれ。
肺の底の方から溜息をこぼした俺の頭に、ポン、と手が載せられた。
「まあ、とにかく。お疲れ、清実ちゃん」
見上げると、ブリュンヒルデが微笑んでいた。
星の明かりを拾った青い瞳が、優しく瞬いているように見えて。
「まずは初日。よく頑張ったね」
不意に、やはりこの人も女神なのだなあ、と思ったりなんかして。
「……どーも」
素直に、ありがとう、というのもなんだか悔しく。
俺はつい、そっぽを向いてしまった。