1-7
通りの外の馬車は外側は目立たないがかなり頑丈なもののようで、後部がボックスになっていて向かい合わせに四人分の席が配置されている。
御者がライコン医師に目礼したあと、僕をちらっと見て
「お連れの方ですか?」
「ああ。……気にするな。何かあったら責任は俺が取る」
御者は黙って頭を下げた。
ライコン医師は手慣れた感じで馬車の扉を開け、乗り込んだ。
僕も続く。
木の扉を閉めるとすぐに馬車は走り出した。
舗装されているわけではない道路でずいぶんと揺れが少ないのは御者の腕だろう。
声で分かったのだが、御者は先ほどの影と同一人物である。先ほどの気配の消しっぷりといい御者の腕といい、なんかすごい人な気がする。
外装とはうって変わって馬車の内装は立派で何となく居心地が悪くてもぞもぞしていると、外を眺めていたライコン医師が、つぶやくように語りはじめた。
「……俺はもともとある貴族の出でな。まぁ、妾腹だったしすぐに正妻も男子を産んだから親父達からも邪魔者扱いされていて、そのおかげといっちゃぁなんだが、ガキの頃からずいぶん好き勝手やらせてもらえてたんだ。俺も貴族の堅苦しさは性に合わなかったし、むしろよかったとさえ思っている。学校を卒業したあとは、あちこち行って冒険者とかやって、最終的に惚れた相手が平民だったもんで、名前も立場も全部捨てて貴族を抜けた。貴族ってのは王が管理している貴族籍に入ってるから貴族なんだ。自分から抜けたと言えばえらそうだが、実際は半分くらい勘当みたいなもんだったな。親父は俺のことを途中から家名に傷をつけかねないって憎んでいたようだし。そんなこんなで平民になってから俺は冒険者の時に囓った治療術を本格的に学んで王都で医者をはじめた。しばらくして親父が死んだって聞いて、もともと俺には継承権なんてないも同然だったから放置しておいた。そしたらわざわざあとを継いだ弟本人が俺のとこまで来て、父はいないからもう大丈夫だから戻ってきて欲しい、だとよ。もともとあの家であいつとだけは仲良かったんだ。年齢も近かったし、俺と親父と血が繋がっているとは思えないくらい、いい奴だったしな。もちろん断ったけどな。俺が今さら貴族になんて戻れるわけがねぇんだよ」
「……」
「そんないい奴がなんで殺されかけなくちゃなんねぇんだ……」
「……」
「弟はマジでいい奴でな。武に天稟があったのか、あっという間に俺のグレードを追い越しやがったが、別にそのことを鼻にかけたりせず、ガキの頃からよく遊んだ。あの堅っ苦しい家であいつだけが俺をわかってくれた……」
そのあとしばらくうつむいていたライコン医師は、顔を上げ、
「だから頼む。弟を救ってくれ。無茶を言っているのは自覚している。お前は自分が治癒魔術を使えることをおおっぴらにしたくないはずだ。そこは何とかする。必ず何とかするから」
「大丈夫です。できる限りのことをやりますよ。任せてください」
「……すまん」
僕とライコン医師を乗せた馬車は静かに進み、何度か曲がってそして、いつの間にか開いていた一軒の邸宅の門の中に入っていった。
馬車の背後で門が閉められ、馬車が停まる。
静まりかえった裏庭で僕達は馬車を降りた。
奥にもう一台壊れた馬車が停まっていた。辺りを見回すと、暗がりの中でもかなり広いことがわかる。綺麗に刈り込まれた木々。地面にはタイルが埋め込まれていて、建物自体も広壮だ。煉瓦積みの二階建ての邸宅は個人の家ならば腹立たしいほどでかい。
そもそも王都内、しかも貴族が住む高級地区は土地が足りない。貴族達が見栄を張って自分の屋敷の敷地を広く取りたがるからだが、そういった争いの中、これだけの広さの裏庭を確保出来ると言うことは、この屋敷の持ち主はかなりの権力の持ち主だということが分かる。
ライコン医師は周囲を少しだけ懐かしげに見回し、それから迷うことなく通用口に向かった。
建物の中も金はかかっていたが豪華すぎることはなく、僕はライコン医師の実家は地方領主の家だろうと推測した。地方領主は領地の軍事権と軍を持っており、王の官僚でしかない政務貴族とは異なり、質朴さが尊ばれる傾向にあるためだ。
長い廊下を歩きながら、広い屋敷を確保できる権力を持っている地方領主、というタグを僕が検索していると、目の前を歩いていたライコン医師が突然止まった。
背中にぶつかりそうになる。
急停止は事故のもと、と僕が文句を言う前に
「……なんだお前たち。何をしている?」
ライコン医師は開けっぱなしになっていた左の扉の中を見ていた。
僕もライコン医師の視線を追って部屋をのぞき込み、……驚いた。
おそらく物置と思われる部屋に、武装をした十名ほどの兵士達が並んでいたためだ。鎧と武器を装備し終えたところ、といった感じで、兵士達も驚いた顔でこちらを見ていた。
ライコン医師の弟を襲ったという輩がここまで来たのかと僕は一瞬おののいたが、そんなことはなかったようで、馬車を誰かに託したらしい例の御者が追いついてきて、僕達の背後で静かに
「ヘンリー様の復讐を果たす、と申しておりまして……」
兵士ではなくこの家の家士らしい。
だが、ライコン医師は言下に否定した。
「ダメだ。そんなことは許されない」
とにかく動くことは許さんと命じてライコン医師は廊下を再び歩き始めようとし、
「待ってください! ライコン様……ですよね?」
すがるような一人の家士の言葉に動きを止めた。
「……まさかと思っていたがやはりブラウか」
ライコン医師は振り返った。ライコン医師の名前を呼んだのは武装済みの年かさの家士で、全身怪我だらけのようで見えている顔にも包帯を巻いているその体格のいい家士の言葉でどよめきが起こる。
ライコン様? ヘンリー様の兄上の?
ブラウと呼ばれた家士は、必死の表情で訴えた。
「ライコン様! 相手は近衛の兵士です!! 柄の飾りが見えました! 間違いありません!! 陛下を守るはずの部隊が我々に武器を向けたのです! くそっ!」
ライコン医師が眉をひそめた。だがすぐに首を振り、
「……それでもダメだ。とにかく絶対に動くな。いいな、命じたぞ」
そして歩き出す。
呆然としている家士達に何となく頭を下げてから僕もライコン医師の背中を追う。
その後ろに御者をやっていた男が足音もなく着いてきた。
しばらく歩き、角を曲がって家士達の姿が見えなくなってから、ライコン医師は足を止め、御者の男を振り返った。
「どういうことだ、ハチェット? ブラウがその場にいたのに負けたのか? あいつはレベル50の剣魔術Aグレード。ヘンリーとブラウがそろっていて、やられたというのか……相手は何人だった?」
「……」
ハチェットと呼ばれた御者は顔を上げた。初めて灯明の下でまじまじと見る顔は、特徴がまるでなく、三歩歩けば忘れてしまいそうな無個性極まりない四十前後の男のものだった。一方、体つきはひどく痩せていて、高い背を相まって独特の気配を醸し出している。
ハチェットは無表情に
「相手は一人と聞いております。槍を使ったと」
「……信じられぬ。AAグレードとAグレードの二人と戦うことが出来る暗殺者など聞いたことがない……近衛というのは確かか?」
「申し訳ありませぬ。私は屋敷に詰めておりましたので、近衛かどうか確認はしておりません。そして確認よりも、時間が残っておりませぬヘンリー様の命令を優先いたしました。しかしヘンリー様とライコン様のお話し合いが終わったあかつきには、この命に替えて、見つけ出し、アルタナの領主を傷つけた報いを受けさせてやります」
最後の一言は底冷えするような声音だった。
ライコン医師はそんなハチェットを険しい顔で睨んだあと、身を翻して再び歩き出した。
僕とハチェットも再びあとを追った。
歩きながら僕は少し驚いていた。どうやらここはアルタナ公爵邸らしい。
だとすると地方領主の中でも超大物である。領地でいえばこのミエガラル王国で五番目の広さで中堅ちょい下といったところだが、とにかく武が盛んで質実剛健。軍も国王軍に次いで二番目の規模を有する。
ライコン医師はアルタナ公爵家の出身と言うことだろうか。それなら超がつくほどのお坊ちゃまである。
というか相当ヤバい事態のようだ。
なぜならアルタナ公爵の先祖は建国に協力した武将で、公爵領の人々は軍事と誇りを重要視する傾向があり、近衛が本当に現アルタナ公爵を殺したのであれば間違いなく内戦へ一直線だ。王都に常駐させている家士は少ないようだが、そんなこと関係なく全滅するまで戦い続けるだろう。そして、領地には無傷のアルタナ公国軍が残っている。アルタナ公爵領軍は、この国の戦争で常に先陣の誉れを授かってきた精鋭であり、数でまさる国王軍とは言え一筋縄で済むとは思えなかった。
ハチェットによると二階の一番奥に現当主ヘンリー公爵が治療を受けているという部屋があるとのことで、僕達はライコン医師を先頭に階段を上がった。
治療が行われているという部屋の外はひどく慌ただしい雰囲気だった。
沈痛な表情の家士があちこちに立っていて、その間を沸かしたお湯を運んでいる白衣の女性が早足で通り過ぎ部屋の中に入っていく。入れ替わりに汚れた布を持った白衣の女性が出て行く。出入りしているのはおそらく看護師たちだろう。汚れは血のようだ。
家士は僕達に気づき一瞬もの問いたげな顔をしたが、一緒にいるハチェットに気づき、何も言わないまま通してくれた。ハチェットはこの家でそれなりの立場らしい。
僕達はそのまま部屋に入った。
部屋の外とうって変わって部屋の中は静かだった。
薬湯の匂いが強く漂う広めの部屋で奥に大きなベッドが置かれていてそこに一人の男性が寝かされていた。
片一方の枕元には医者、そして逆の枕元に女性が二名座って、男性の手を握っている。女性達は涙で顔がぐちゃぐちゃだ。年かさの、おそらく五十を超えていると思われるかつて美人だったと思われる女性と、そしてまだ若い二十歳代のこちらも美人の二人だった。
僕達が入ってきたことに男性のすぐ横に立ったライコン医師にまず美人の方が気づき、それから五十代の方が気づいた。
五十代の女性の表情がみるみる険しくなる。立ち上がり、扉の外を指さし
「何であなたがここにいるのですかライコン! すぐに出て行きなさい!!」
突然馬鹿でかい声で金切り声を上げたが、ライコン医師はまったく動じなかった。
するとベッドの上から、
「……わ……たしが……よ……んだ……のです……はは…うえ」
その弱々しい声の主はベッドに寝かされていた土のような顔色の男性だった。
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