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 今日も、夕暮れ過ぎまで続いた治療が終わり患者の方からたっぷり感謝された後、手伝いの人が作ってくれた野菜スープを飲みながら僕とライコン医師は一息ついていた。

 既に日は落ちて周囲は暗い。薬草や薬草を処理する専門の人は、ライコン医師を信奉し協力を申し出てくれた王都の薬問屋の職人さんたちでもう店に戻っている。それまでは週に三日はライコン医師自身が薬草採取に出かけていたらしい。看護師や手伝いの人も帰り、ここにいるのは僕とライコン医師だけだ。

 猫舌なのか、熱いスープに息を吹きかけていたライコン医師が、諦めたのかスープの皿を卓の上に置き、こちらを見た。


「いや、マジで便利だな、治癒魔術」

「……ですね」

「羨ましくはないぜ。どうせ俺には使えないからな。俺のものにならないものを羨ましがることは意味がない。……だけど、火傷の跡も残らせないのは、いい。……お前、顔に火傷負った奴、全員こっそり治癒魔術、使ってたろ」

「ばれてましたか」

「あんだけ患者がいて、顔に傷が残っている奴が一人もいないからな。気づくさ……よくやった」

「……でもこの治療院に来てくれた患者さんだけしか治せませんでした」

「そいつは仕方がない。それを言ったら、焼け死んだ奴だっているだろ。死んだらどこの治療院にも行けないからな」

「治癒魔術の最高峰は死者の蘇生ですけどね」

「ただの理論だろ。歴史上、誰もできてない」

「あれ? 神話があるって聞きましたけど」

「神さまの話だ。お前は神さまじゃなくて人間だろ?」


 無理なのだろうか。いや、コードの組み合わせ、つまり魔術(スペル)はわかっているのだ。単に魔力量の問題で人間には不可能なだけで。そして『節制』コードを使えば魔力量の問題は解決できる。ならば使えるようになるはず。

 うん。いつか絶対使おう。

 僕が黙ったのを勘違いしたようで、


「……あ、あれ? も、もしかしてお前……まさかと思うけど、え? マジで使えるの?」

「いえいえ、今は使えません」

「今はって……すごいな。すごい自信だ。いや、お前がすごいのか。そうだよな。治癒魔術を使える奴なんて聞いたことがない。ってことは俺らの常識じゃ計っちゃいけないな。できるかも知れないってことか」

「夢です。夢を持つのは子どもの特権ですよ」

「子どもって感じじゃないだろ。お前は」

「ひどい。僕はライコンさんを尊敬しているのに」


 ライコン医師はスープを諦めたのか、陶器製のコップに酒を注ぎ、グビリと飲んだ。

 そのあとしばらく黙って酒を飲んでいたが、酔いが回ったのか首をかしげ、


「…………なんか悔しいな」


 突然だったので僕はキョトンとして訊いた。


「悔しいって何がですか?」


 するとライコン医師は完全に酔った目つきで、


「俺はえらそうにしたいんだよ。お前のことをすごいすごいって尊敬したいんじゃないんだ。逆だ逆。お前にすごいすごいって尊敬されたいんだよ。その具体的な理由が欲しいんだよ。それがないから悔しがってんだ。俺もけっこうがんばってきたのに、がんばって薬草の知識を調べて、本とか読んで勉強したのに、治癒魔術にあっさり抜かれてしまったのが悔しい……お前が俺を追い越してどんどんすごくなっていきそうなのが、やるせないんだよ」

「いやいや、人格はともかくライコン先生の人生こそ尊敬に値するでしょ。今はちょっとめんどくさいと思っていますが、基本的に尊敬してますよ」


 ライコン医師はこの国の貴族だったらしい。だが、その立場を捨て、医師として平民に奉仕する人生を選んだのだという。実際、この治療行為は奉仕と言ってよく、診療代は決まっておらず、余裕がある者が寄付をする、ということでまかなわれている。僕も受け取っているのはせいぜいが仕事後に出される夕食くらいだ。だから正確に言うとこれはバイトなのかどうか分からない。ボランティアという方が正確かも知れない。

 そんな尊敬すべき相手が、派手に舌打ちして、


「こーゆーおべんちゃらがガキっぽくないって言ってるんだ」

「……えーっと、絡み酒ですか?」

「うるせぇ。俺は大人の強さを見せつけてやりたい。俺の偉大さを見せつけてやりたい。絶対勝てる方法方法……そうだな。よーし。腕相撲だ! 腕相撲で勝負だこの野郎!!」


 確認するまでもなく完全に絡み酒だった。

 面倒になった僕は腕相撲の勝負を受けた。

 勝負の場は置かれたスープが冷めつつある木製のテーブル。しっかりと体勢を作って右手同士を握りあい、木製のテーブルの上に肘を突き、レディーゴー。

 大人と子どもの差は歴然で、しかもライコン医師はそこそこ身体も鍛えており、あっさりと僕は負けた。


「よっしゃあ!」


 子どもに腕相撲で勝ってライコン医師は子どものように跳ね回ってはしゃいだ。

 うん。かっこ悪い。

 ライコン医師はひとしきり喜んだあと、わざわざコップを天に掲げ、「勝利に」などといって飲み干す。

 うまそうに息を吐いて口をぬぐい、


「よーし。これでこそ俺だ。ガキより偉大な俺が確認できた」


 ここまで喜ばれると、子どもが大人と腕相撲なんて勝てるわけがないとわかっていてもなんだか悔しくなってくるのが不思議である。


「……大人のくせに」

「おうおう。負け惜しみかよ」

「じゃあ、次の勝負をしましょうか。体力とか関係ない奴で、えーっと」

「いーや、やんねー。絶対やんねー。俺は勝ち逃げする。そしてこれからお前がどんなにえらくなっても、『はぁ、あの時腕相撲で負けた野郎が何言ってやがる……』って聞こえよがしに言ってやる」

「なんだこの大人。腕相撲で勝ったくらいで」

「おう。勝てれば何でもいいんだよ。何で勝ったかは問題じゃねーんだ。別に剣で勝ったからってえらいわけじゃないだろ? 棒きれ振り回すのが上手いってのが、腕相撲が強いってのと何が違うってんだ。つまり俺はお前に勝った。それ以上でもそれ以下でもねぇ。俺はこの勝利の想い出を胸に生きていきます……」


 悔しい。なんだかすごく悔しい。

 さすがに冷めたのかスープをつまみ代わりに本格的に飲み始めたライコン医師を横目で睨みながら、なんとかこいつのしたり顔を先ほどの悔し顔に戻す方法を考えていると、突然ライコン医師の気配が変わった。

 先ほどまでの脳天気さはどこかに消えてなくなり、どこまでも冷たく合理的な顔のライコン医師が現れた。

 僕は驚いてライコン医師を見た。だが、ライコン医師は倒れかけた治療院の壁の向こうを見ながら酔いを一切感じさせない口調で、


「……何の用だ」


 誰もいないのに話しかけるなんて、なんてことだ、酒毒がいよいよ脳にまで回ったか、と思ったが、そういうわけではなく、声をかけた先にまるで闇から滑り落ちるように一人分の人間の影が生まれ落ちた。

 陰から出てきても影のままなのは、黒い服を着て覆面までしているからだろう。

 その影は片膝を突き、顔を伏せたままライコン医師に


「至急お戻りください」


 とだけ告げた。

 突然人が現れたことに僕は驚いていた。まったく気がついていなかったからだ。いつの間にそんなところに隠れていたのだろう。僕の驚きをよそに、ライコン医師が聞いたことがないような冷たい声で


「戻るもなにもない。ここが俺の家だ」

「どうかお願いします。既にこのような問答をする時間もヘンリー様には残されておりません」


 ライコン医師の表情がわずかにこわばった。


「……どういうことだ?」

「城から戻る途上のヘンリー様が襲われました。下手人は捕まっておりませんが、医師の見立てでは今夜を乗り切るのは難しい、とのことです」

「なんだと!? ヘンリーが襲われただと!? 馬鹿を言え。あいつはAAグレードの双剣使いだぞ」

「事実でございます。その上で、ヘンリー様は家督について至急確認とお願いしたいことがあるとのことです。なにとぞ屋敷にお戻りいただきたく」

「……それほどなのか。ヘンリーの怪我は……」

「残念ながらその通りでございます。これまでヘンリー様は、ライコン様を陰で援助するのみにとどめておりました。しかしそのようなことを言っている状況ではありません。何卒、何卒ーー」

「分かった。すぐに向かう」

「ありがとうございます。通りの外に馬車を待たせております」


 影が再び陰に沈んで、消えていなくなった。


「……くそっ」


 いらだたしげに舌打ちしたあとライコン医師は難しい顔で立ちあがり、そこで初めて僕に気づいたように僕を見た。

 ライコン医師は「すまん用事ができた」と言いかけ、そこで何かを思い出したように動きを止めた。

 しばらく悩んだあと、


「……俺の弟が怪我をしたらしい。こんなことを頼める義理ではないし、そもそもおおっぴらに治癒魔術を使うべきではないと言ったのは俺自身だ。だが、それでも……ああっ、くそっ。ダメだそんなのは。悪かった。余計なことを言った。気にしないでくれ」


 僕はその言葉を途中で押しとどめ、


「もちろん行かせてください。ダメだと言っても付いていきますよ」


 そう言ってから微笑んだ。



次回、月曜日に更新予定です。

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