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ついたてで隠された一角が僕の治療室だ。
そこに入ると、寝台と椅子が二つ置かれていて、そのうち一つに座っていた人影が慌てて立ちあがった。
立ったままの人影とあわせて二人。
立っていたのは女性で多分二十代前半。座っていたのはその父親と思われる中年の男性だった。
女性はかなり美人で細い腰とあからさまな巨乳。髪型は独特というか子どもが適当に切ったようなショート。目尻が垂れた優しそうな表情で、これで柔らかそうな栗色の髪の毛がもっと長かったら僕的にジャストミートである。父親の方は、職人っぽいがっしりとした体つきといかにも頑固といった顔つきで、僕を見てひどく嬉しそうな表情をした。
問題は一つ。二人ともまったく僕の記憶にないことだった。
僕が戸惑っていると、
「その節は……ほんとうにありがとうございました……」
いきなり泣きそうな顔で娘に感謝された。またである。
「えーっと」
ということは多分火事の関連なのだろうが、相変わらず思い出せない。これほどの美人であれば覚えていると思うのだ。人の顔を覚えるのが余り得意でない僕だが不思議なもので患者の顔は覚えているものなのだ。
「娘の命を助けてもらったんです。三日前、火事で大やけどを負ってここに担ぎ込まれたものの、大先生にも無理だと言われた状態を若先生が奇跡の技で救ってくださった……」
父親の方にそこまで言われてようやく分かった。
「あー、あの時の……」
改めて娘の方を見る。
なるほど。全身大やけどで担ぎ込まれた女性だったわけだ。顔も焼けただれていたから覚えてないのも当然と言えば当然だった。
三日前、下町を襲った大規模火災のせいで、現場から少し離れているこの治療院にも次から次へと患者が運び込まれてきた。ほとんどは軽症であったが、中には重傷の人間もいた。ライコン医師と一緒に僕もてんてこ舞いで治療に当たった。まだ戦場は知らないが、戦場と呼ばれてもおかしくないくらい、苦痛の声と怪我とそして懸命な治療に満ちていた。
確かこの女性は一番状態が悪く、全身が焼けただれ、皮膚呼吸ができない状態でこのまま薬草での治療を続けてもどうしようもないことが分かっていて、僕が奥でかなりレベルの高い治癒魔術で治したのだった。治癒魔術による完治をあからさまに見せると良くないから、施術後、適当に薬を塗って包帯で巻いてしまったから顔を見る機会を失していたのだろう。
ほぼ全身に治癒魔術をかけるというのは、魔力量の問題で僕ぐらいしかできないはずで、その意味ではこの女性はとても運が良かったのだとも言える。結果もなかなかうまくいったみたいで、少なくともやけどはまったく残っていなかった。
うん。すべすべの肌だ。
「えーっと、具合はどうですか?」
女性は感激に声を震わせながら答えた。
「前よりも良くなったぐらいです! ありがとうございます……!」
「あ。髪の毛が短いのはそういう理由だったんですね……髪の毛、再生できなくて申し訳ない……」
「そんな。大丈夫です。髪の毛は伸びますから!」
それから女性は僕の手を取って、
「ほんとに……こんな、見た目は子どもみたいな方なのに」
「おい失礼だろ! こんななりだがけっこう評判いいみたいだぜ、この若先生はよ」
「私は死んだと思っていました。もうダメだと……それが、生き残ってしかもなんの怪我も残ってなくて……それが嬉しくて……」
「……」
「あの! お礼をさせてください!」
「え?」
「私にできることなら何でもします! 私は若先生から命をもらったので! 私を死ぬまでおそばに置いてください! きっと役に立って見せます! なんなら奴隷でも! それだ! 奴隷で構いません! むしろ奴隷がいいです! 奴隷最高! 私を若先生の奴隷にしてください!! あぁ、こんな美少年の奴隷なんて……最高すぎる……私はこのために生まれてきたんだ……!」
潤んだ目で見つめられながら立て続けに言われた。再生された顔の皮膚はつやつやかつピンク色でむしろ上気しているように見える。というか絶対こいつ興奮している。何という情操教育に悪いシチュエーションだ。僕の中身はともかく、身体はまだ十三歳で、性的刺激に弱いのだ。つまり興奮してしまいそうで、ちょっと前屈みになってしまった。
「え? ええっと……?」
美人の多分ショタコンで間違いなくMで属性多すぎお姉さんは何か感づいたのか野獣の目で僕の股間を睨んでいて、僕は文字通り縮み上がった。
「わ、若先生が困ってるだろ! アリエッタ、お前、ちょっと嫁き遅れているからってはまりすぎだ!!」
「でも……でも……ほんとうに、もう若先生のためなら死んでもいいと」
「死んだらそもそも生き延びた意味がねえよ!」
「それはそうだけど……でも! 私は若先生の奴隷になりたいの! めちゃくちゃにされたいの!」
めちゃくちゃってどういうのか細かく聞きたかったが、残念ながらこれ以上はヤバいと思ったのか親父さんがアリエッタを羽交い締めにして口を押さえながら、愛想笑いを浮かべ
「えーっと、うちはもともと食堂だったんですよ。店が焼けちゃったから別の所で営業を始めたんで是非そちらにいらっしゃってください。ご馳走したいんで」
新しい店の場所を説明してくれ、それから親父さんは僕の耳元でこっそり、
「申し訳ないんですが、できればマジで来ていただきたいんです。そうしないとこいつは若先生にお礼を言うためにここに日参しかねねぇ。それどころか夜討ち朝駆けなんでもしちまって、結果として若先生にきっとご迷惑をかけちまう……」
「わ、わかりました、善処します。あ、あとこちらからも一つお願いが」
「一つどころか何個でも! 脱ぎますか!」
父親の手を振りほどいたアリエッタが興奮しながら言った。もう既に袖を脱ぎかけている。
「あー、いや、とりあえず一つなんですが、僕が治した方法を言わないで欲しいんです。できれば僕が治したことも」
「分かりました! ご主人様の最初の命令ですから拷問されても絶対に言いません! 追加で脱ぎますか?」
「大丈夫です」
『主人(思い込み)』の命令を上気した顔で遵守することを誓ったアリエッタはそのまま父親に引きずられるように出て行った。
いつの間にか自称奴隷のお姉さんを手に入れてしまっていたらしいことに、僕はしばらく唖然としていたが、ふと思い出した。今のシチュエーション、万が一マリアベルに見つかったら蹴られるどころの騒ぎではないのではないか。やはり槍で刺されてしまうのではないか。
槍で刺されている自分を想像し、Mではないからその想像上の痛みに恐怖したあと、僕は気を取り直してライコン医師の元に戻り、治療を手伝いはじめた。
この治療院では医師は患者の意志で選べる。僕の治療で構わない、という患者は赤い札を頭の上に置くルールになっているから僕はそれを目印に患者の間を回り、症状を聞き、薬草を処方していくのである。だいたい患者の三分の一くらいが赤い札を出していた。そして薬草ではどうにもならない患者のみ、奥で治癒魔術の対象にする。これは僕を対等の医師として扱ってくれるライコン医師の優しさによるものだ。
ライコン医師は僕の治癒魔術を実際その目で見て驚いたあと、
「だがな、あんまりおおっぴらにはやらない方がいいぜ。治癒魔術なんていう奇跡に頼るのが当たり前だと思ってしまったら、大変なことになる。人は恵まれた環境にいるとそれが当たり前だと思ってしまう生き物なんだ。だけどどうせお前はいつまでもここにはいないだろ?」
「いえ、その……」
「お前の顔を見りゃ、訳ありだってのはわかるさ。そもそも治癒魔術がどういうものか、俺はよく知っている。何しろ、高等魔術学院に在籍していたこともあるしな」
「……すみません」
「だがそれでしか助からない患者がいるのも事実だ。そういう奴はどしどし助けてやってくれ。なーに、あとのことは気にすんな。命さえ救ってくれりゃ、あとは俺の力で何とか保たせてみせるさ」
治癒魔術はライコン医師にもできないらしい。試してみようとしたことはあったようだが、複雑なコードとあまりに膨大な消費魔力はライコン医師ほどの人材の強い意志さえ押しつぶしてしまったとのことだ。
一方、僕の方は『節制』コードのおかげで、治癒魔術の複雑なコードを覚えるのは大変だったが、既に骨折を治す程度の治癒魔術であれば一日二十回以上使用できるようになっていた。
今は欠損部位の再生する魔術の練習をしている。
これが当たり前に成功するようになれば、ワン&オンリーの治癒魔術師として僕の将来は明るいだろう。
そんなわけで今日も僕の治癒魔術を必要としている患者を探して歩きはじめた。
次回更新は7月24日火曜日の予定です。