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人がほんとに驚いたときの叫び声は、命の危機の際に上げる悲鳴とさほど変わりがないようで、ヘンリーは馬鹿みたいな大きな声は、屋敷中に響き渡り、当然のことながら部屋の外で待機していた人々にもその声は響いた。
たちまち扉が開かれ、まず最初に飛び込んできたのは美人の若い方。次は医者である。そしてハチェットが続いた。
美人は飛び込んで来るなり、まっすぐ
「あなた!」
とヘンリーにすがりついた。
どうやら美人はヘンリーの妻だったらしい。さすが公爵。奥さんも美人だ。
すがりついた妻を元気に受け止めたヘンリーは、
「おお! エリザベス! 何が起こったのか分からないのだ。僕はおかしくなってしまったのかも知れない。とにかく、これを! これを見てくれ!! 私の勘違いなのか!? どうだ!?」
ヘンリーは某スーパーマンのように胸毛にまみれた胸を誇示した。エリザベスは夫の胸を見て固まった。わずかに遅れてヒィという女性のような悲鳴を漏らしたのは医者だった。
驚きすぎたのかしばらく硬直したあと
「……な、治っているのですか、それは……」
聞かれて今初めて思い出したようにヘンリーが自分の胸のかつて傷があった場所をペタペタと触る。
「……うむ! 触ってもまったく痛くない!! 僕はどうしてしまったのだ!?」
医者がエリザベスを押しのけるように近づき、患部を触診する。衝撃のあまり貴人に対する配慮も忘れてしまったらしい。
そして、
「き、傷があった形跡さえありません……あれほど深く、どう見ても致命傷だったのに。これで私のアルタナ公爵家主治医の地位は終わったと思っていたのに……」
おののくようにそう言った。
本音が漏れていた。
イヤな空気が部屋全体を覆う。どちらかというと恐怖に近い沈黙だ。当主であるヘンリーが回復したというのに、それよりも人は自分の常識が崩れることをより恐れるらしい。
そんな中、エリザベスが険しい顔で立ちあがって、ちらりとライコン医師を見た。
それから皆に方を向き、
「申し訳ありませんが、少し大切な話をしなければなりません。一度部屋から退出していただけないでしょうか?」
反論しようとしたのはヘンリーの母親だったが、
「お母様、申し訳ありませんが」
と強引に黙らせた。強い。妻は母よりも強し、だ。
「エリザベスの言葉通りにしてくれ」
ヘンリーの言葉に後押しされ、飛び込んできた面々が再びぞろぞろと出て行く。
その流れに僕も乗ろうとしたところ、
「あなたたちは残ってください」
と押しとどめられた。
部屋に残されたのは、ヘンリー、エリザベス、ライコン医師、そして僕。
怒られたら絶対ライコン医師のせいにしよう僕は悪くない、とビビっていたら、最後の一人がいなくなるやいなやエリザベスはライコン医師の手を握り、
「お義兄様、まずお礼を言わせてください。あ、ありがとうございます……何をしていただいたのかわからないのですが、ヘンリーの……夫の命を救っていただいて……感謝の言葉もありません……私は私たちはもう諦めていたのに……」
ほとんど泣き崩れながら言った。
ヘンリーもベッドの上から
「ああ、そうだな。ありがとう兄さん本当に。文字通り助かったよ」
ライコン医師は首を振った。
「俺じゃない。お前を助けたのはこいつだ。こいつの治癒魔術だ」
「!?」
ヘンリーとエリザベスが同時にギョッとした顔で僕の方を見た。だが、すぐにヘンリーの胸の前に傷があった場所を見て納得したように
「そうか。そういうことか。治癒魔術か……すごいな……伝説の中にしかないものを……」
「た、たまたまですよ、たまたま」
「……いや、兄さんも君も僕の命の恩人だ。本当にありがとう」
「だから俺じゃねぇってこいつだって」
「この小さな奇跡の人を連れて来てくれたのは兄さんだろう?」
ライコン医師は舌打ちしてそっぽを向く。だが顔が赤い。照れているのかも知れない。
気持ち悪いおっさんだ。
だがどうやら責められるわけではないようで、僕は少し安心した。
兄の照れはヘンリーにも伝わっているようで、ヘンリーは微笑んでから僕とライコン医師に向かって深々と頭を下げた。
「感謝する」
次回の更新は月曜日の予定です。