暗雲の下へ
「――シオン!」
ふと、個室の扉が勢いよく開け放たれ、興奮した様子のイベリスが中に入ってくる。
さっきまで眠っていたのに、イベリスの声と扉が開く音で目が覚めてしまった。
「起きてくだサイ! 起きないと、いたずらしちゃいマスよ! しマスね! それでは遠慮なく――」
「寝起きを襲うんじゃないわよ!」
僕の服を脱がそうとするイベリスの手を、横からヴェロニカが掴んで制止した。
正直、助かった。
やっぱり寝起きはぼーっとして、上手く頭が働かない。
「邪魔しないでくだサイよー……今がチャンスなんデス!」
「何がチャンスよ……」
完全に呆れ果てるヴェロニカを横目に、僕は上体を起こす。
窓の外は、明るく穏やかな海面が広がっている。
もう朝か。
昨日寝た時間が遅く、まだ眠り足りないようで自然と欠伸が出てくる。
「ふぁ~あ……」
瞼が重い。
無意識に、ウトウトと船を漕ぎそうになり――。
「ちょっと。何、二度寝しようとしてんのよ。ほら、起きなさい」
ヴェロニカが、僕の体を揺する。
眠りを妨げられたことにより、僕は重い瞼を必死にこじ開ける。
「……にゃに」
「聞きマシタか、ヴェロニカ! 今、にゃにって言いマシタよ! 可愛いデス!」
「はいはい、いちいち興奮しなくていいから。ガーベラが呼んでるから、シオンも一緒に行くわよ」
なるほど、そういう用件だったか。
それにしても、無性に眠い。
元の世界にいたときは夜更かしもしまくっていたものだけど、こっちの世界に来てからは朝に弱くなりすぎてしまった。
「ガーフェラが……呼んでる……? ん、わかった……」
「ガー……フェラ……デスと……!?」
「そこで区切るんじゃない! ほら、もうシャキっとしなさい、シオン」
「お母さんみたいデスね、ヴェロニカ」
「やかましい!」
二人が漫才を繰り広げているが、僕は構わず重い瞼を閉じてしまう。
やがて船を漕ぎ、再び眠りの中へ――。
「あー、もう。しっかりしなさい! 起きなさいシオン!」
瞬間、ヴェロニカが叫びながら僕の体を揺すってくる。
さっきよりも強く、激しく、視界が揺れて頭がクラクラしてきそうなほど。
あのイベリスが苦笑しているのが、少しだけ見えた。
「わ、分かった。もう大丈夫だから、そんなに揺らさないで……」
「起きた? 本当に大丈夫?」
「う、うん。ごめん、おはよう」
僕が答えると、ヴェロニカは胸を撫で下ろす。
今までも朝に弱くはあったが、少し夜更かししただけでここまでとは。
我ながら、朝だけは本当に大変である。
だけど、おかげで意識もはっきりしてきた。
部屋の壁にかけてある時計を見るに、今は十時を過ぎたところらしい。
この世界に来てからは、今まで一応もっと早起きをしてきたのだが……今日は予想以上に起きるのが遅くなってしまったようだ。
「……それで、何かあったの?」
「あ、そうそう。今すぐ甲板に行くわよ」
訝しみつつ、僕はヴェロニカとイベリスの背中を追う。
そういえば、さっきガーベラが呼んでいると言っていたけど、やっぱり何かあったのだろうか。
一分もかからずに、甲板へと到着。
ガーベラが海の向こうを見ながら腕を組み、そこから少し離れた位置にネリネが体育座りをしていた。
ガーベラは僕たちに気づくと、顔をこちらに向けて声を張り上げる。
「貴様、遅いぞ……! この海王神たる我を待たせるとは、その命、ここで散っても問題ないと見える……!」
「シオンは朝に弱いんデスよー。抱きしめてあげマスから、許してあげてくだサイ! おまけにキスもしてあげマスからー!」
「んあー! そんなものはいらんわぁっ!」
あっという間に抱きつき、頬ずりをするイベリスに、ガーベラは必死の抵抗をしながら叫ぶ。
が、あまり抵抗できておらず、イベリスを引き剥がすことはできそうになかった。
この二人は相変わらず仲がいいみたいだ。うん、よかったよかった。
「で、僕を呼んでたみたいだけど、どうしたの?」
「……む。見ろ、血に染まりし白銀の童女よ」
「あれ、僕の呼び方ってそんなのだったっけ?」
「だ、黙れ。ほら、あれだ」
ガーベラが指を差した方角を見ると、遠くに島……いや、大陸のようなものが見えた。
何やら、あの大陸一帯にだけ暗雲が立ち込めている。
明らかに雨が降っており、少し離れたところからでも思わず気が滅入りそうな雰囲気を醸し出しているように思えた。
僕たちを呼んだということは、もしかしなくてもそういうことだろう。
「じゃあ、あれが……」
「そう。慈悲大陸――ディルウィードだ」
ニッと白い八重歯を覗かせ、ガーベラは嗤った。
§
適当なところに船を停め、僕たちは新たな大陸ディルウィードに足を踏み入れた――のは、いいのだが。
大雨ではないとはいえ雨が降っており、船から降りた瞬間に濡れてしまった。
生憎と、傘なんてものは持ち合わせていない。
だから、濡れるのも我慢して行くしかないようだ。
いつも通り、まずは町を目指すのがいいだろう。
「こんなことなら、傘を持ってくればよかったわね……」
ヴェロニカが、嘆息して呟く。
この世界にも傘が売ってあるのかは分からないが、あるのなら確かに買っておくべきだったかもしれない
が、ヴェロニカは途端に思い出したかのように両手のひらを前に突き出した。
「豪然たる土の化身よ、我の名のもとに顕現せよ――Canis ex solo raccoon」
そう唱えると、淡い光を伴って茶色のタヌキ――土の精霊ラウンが出現した。
ヴェロニカがラウンと契約して以来だから、何だか久しぶりだとすら感じる。
「マスター、おらに何か用ぽん?」
「えっと……あんたって土の精霊なのよね。岩とかで、傘代わりみたいなことってできないの?」
「できると言えばできるけど……まずは餌が欲しいぽん」
「そ、そうだったわね……」
ヴェロニカは辺りを見回し、下へも視線を下ろし。
やがて、諦めたように真下に転がっていた少し大きめの石を拾い上げた。
「これじゃ、だめかしら?」
「……小さいぽん」
「しょうがないでしょ、それしかなかったんだもの」
「はぁ……しょうがないぽん。おらは優しいから、仕方なく引き受けてやるぽん。おらは優しいから」
「二回も言わなくていいわよ……」
ラウンはヴェロニカから石を受け取り、噛むことすらせずに飲み込んだ。
そして、両手を地面に振り下ろし、「ぽんっ!」と叫び声をあげる――と。
地面がボコボコと膨らんでいき、やがて柱のように高く長く上に伸びる。
更に、上の先端が平たくなり、屋根のようになった。
しかも、それが五つ。つまり人数分である。
「これで完成だぽん。歩けば、自動的について行って、頭を雨から防いでくれるぽん。この優しいおらに感謝するがいいぽん」
「あ、ありがとう、ラウン」
「ふふん。次こそは大きくて硬くて美味しい餌を期待してるぽん。じゃないと力を貸してあげないぽん」
「わ、分かったわよ」
ヴェロニカは再度詠唱を唱え、ラウンを帰す。
それにしても、まさかこんなに便利なことができるなんて。
精霊って、本当にすごい。
僕たちはそれぞれ土の屋根の下に入り、歩き出した。
まずは、町へ向かって。




