抱え込んだ荷物は重すぎて
あれから、数時間が経過して。
ガーベラによる夕食と、一人ずつの入浴も済ませたあと。
目的地である慈悲大陸ディルウィードに到着するのは、まだまだ先になりそうだということで。
僕たちは、それぞれ個室にて自分の体を休ませていた。
ちなみに個室の扉には、分かりやすいようにヴェロニカ自作の表札のようなものをぶら下げておいた。
今は、もう夜も更けている。
個室にある透明な扉から、暗い空と穏やかな海面が見える。
こういう船旅も、結構いいものだ。
他のみんなは……もう眠っているのだろうか。
でも、僕には不思議と眠気が来ない。何だか妙に目が冴えてしまっている。
ぼんやりと外の景色を見つつ。
特に何をするでもなく、ただ個室の椅子に座っていたら。
――コン、コン、と。
控えめに、扉がノックされた。
僕は訝しみながらも扉を開け、目の前にいた人物を視認して思わず首を傾げる。
「……あれ、ヴェロニカ。こんな時間にどうしたの?」
そう。
僕の個室の扉をノックしたのは、ヴェロニカだったのである。
他には誰もいない。
つまり、深夜に一人で来たらしい。
「えっと……その、ちょっと、聞きたいことがあって」
「聞きたいこと?」
「こ、ここじゃアレだから、移動してもいいかしら」
「ん? う、うん」
一体どうしたというのだろう。
全く分からず、怪訝な思いが強まるのを感じながらもヴェロニカについて行く。
やがて、辿り着いたのは。
上に登ったところにある、船の甲板。
ガーベラも今は個室にいるらしく、誰の姿もなかった。
ヴェロニカは手すりの上に両腕を乗せ、海を眺める。
心地よい潮風に、ヴェロニカや僕の髪が靡く。
僕はヴェロニカの横に並び、言葉が発せられるのを待つ。
「……〈キーワ〉ってさ、あんたのことを仲間に入れたがってたわよね。かなり執拗に」
不意に、下手したら聞き逃してしまいそうなほど小さな声で。
そう、問うてきた。
僕が返事するより早く、ヴェロニカは更に続ける。
「どうしても言いたくないならいいけどさ、あんたの過去……教えてくれない?」
僕に向き直り、僕の目を見据えて言ってくる。
いつかは訊かれると思っていた。
〈キーワ〉に誘われているということは、つまり何かしらの辛い過去があるということと同義で。
ずっと誰にも言わず、隠し続けることなど不可能だと思っていた。
だけど、まさか今このタイミングでその話をされてしまうなんて。
あまりにも予想外で、僕は思わず目を逸らす。
「……ネリネにも、訊かれたよ」
「うん、知ってるわ」
「……え?」
が、僕はまたヴェロニカのほうを向くこととなった。
ネリネに過去を訊かれたときは、僕とネリネしかいなかったのに。
だから、まだネリネしか知っている人はいないと思っていたのに。
「ごめん、盗み聞きするつもりはなかったんだけど。あのとき、テントから出たら話し声が聞こえて……あんたとネリネが話しているのを偶然耳にしちゃったの」
「そう、だったんだ……」
迂闊だったか。
いくら二人きりだったとはいえ、油断して話してしまった。
それを、外から聞かれているとは知らずに。
「あんたにとって辛い過去なら、あんまり訊かないほうがいいって分かってる。でも、どうしても納得がいかないことがあんのよ」
「何……?」
「あんたは、敵である〈キーワ〉や〈十花〉の人を殺すことも躊躇ってしまうくらい、優しい人よ。あたしは知ってる、あんたが何の理由もなく人を殺したりなんてしないことくらいは」
参ったな。
これまで一緒に行動してきて、僕の人となりを理解されてしまった。
だからこそ、僕が話していた過去に生じる矛盾を、目ざとく捉えてしまったのだろう。
ヴェロニカは、僕を見据えて。
再度、訊ねてきた。
「そのとき――一体何があったの?」
これは、困った。
どう答えればいいのか、どう反応すればいいのか、今までどう表情を作っていたのかさえ分からなくなる。
だから僕は顔を海のほうへ逸らし、震えそうになる声を抑えて。
必死に、普通に聞こえるように言葉を絞り出す。
「ネリネといいヴェロニカといい、そんなに僕の過去を知ってどうするの。聞いて楽しい話じゃないし、もう過ぎたことなんだ。僕は、もう過去に囚われるのをやめた。だから、気にする必要なんてないんだよ。……それに」
僕は溢れそうになる涙を堪え、ヴェロニカに向き直る。
そして――その言葉を発した。
「僕は――ただの人殺しだよ。ヴェロニカが思っているほど、優しい人間じゃない」
ヴェロニカが息を呑むのが分かった。
目を見開いて、絶句して、拳を強く握り締めていた。
僕がそんなことを言うだなんて、想像もしていなかったのだろう。
無理もない。
僕自身、自分の口からそんな言葉が漏れて驚いているくらいなのだから。
「……じゃあ。じゃあ……ッ」
ヴェロニカは俯き、さっきよりも更に強く拳を握り締める。
そして顔を上げ、叫ぶ。
「じゃあ何で、あんたはそんな顔してんのよ! 過去に囚われるのをやめたって言ったわよね。じゃあどうして、そんなに泣きそうな顔してんのよ!?」
「……知らないよ。僕に訊かれても。知らないよ……っ!」
無意識に、目から涙が零れる。
それを誤魔化すように、止めるように。
僕は手のひらを片目に当て、俯く。
だけど、溢れる雫は床に落ち、シミを作っていく。
「あんたがそんな顔するのは、過去のことを後悔してるからなんじゃないの? あんたが泣いてるのは、それだけ昔のことを想ってるからじゃないの? やっぱり、あんたはただの人殺しなんかじゃない。そうやって、いつまでも自分のことを卑下し続けていたら――本気で怒るわよ」
敵わないな、ヴェロニカには。
もう絶対に人前では泣かないって決めたのに。
もう二度と弱音を吐いたりしないって誓ったのに。
「……はは。過去に囚われるのをやめて、やっと今を歩き出せたと思ったんだけどなぁ」
僕の中に眠る黒歴史は、いくら払拭できたと思っても、いつまでもしつこく食らいついてくる。
粘って、縋って、僕を離さなくて。
気づいたら僕は、闇に侵食されていた。
「話しなさいよ、何があったのか。そうやって自分一人で背負い込もうとするから、抱えきれなくなんのよ。ちょっとくらい、仲間にも分けなさい。それとも、あんたにとってあたしは、仲間でも何でもなかったのかしら?」
「……うるさいな。そんな風に言われたら、話さないわけにはいかなくなるじゃんか」
「ふふ、当然よ。それが狙いなんだもの」
本当に、ヴェロニカには敵わない。
僕は、深く深呼吸をする。
今から話すことは、まだ誰にも言っていない過去の話だ。
そう。ネリネにも話していない、もっと詳細な闇の奥底。
あのとき僕は、全てが始まった。
そして――全てが終わったんだ。




