恐怖の対象は幽霊でも魔物でもなくて
「ひやぁぁぁああぁぁあぁぁあぁぁぁっ!?」
突然、ヴェロニカが甲高い悲鳴をあげた。
そして、すぐさま僕の背後に身を隠す。
でも、僕のほうが遥かに背が低いため、あまり隠れ切れていない。
「……何、してるの?」
僕は肩越しに背後を振り向き、ヴェロニカに問う。
すると、器用にも身体と声の両方を同時に震わせながら答えてくる。
「あたし、犬、怖い」
「何でカタコトなの」
そういえば、さっきも犬に追われて泣きそうになりながら必死で逃げていたけど。
確かにめちゃくちゃ怖い犬ではあったが、それ以上に、ただ単に犬が苦手だったのか。
でもまあ、犬が怖いのはなんとなく分かる気がする。
僕はここまでではないものの、あまり犬は好きでもないし。
とはいえ、先ほどの詠唱の後に出現したということは。
つまり、この犬はヴェロニカが呼び出した精霊なのだろう。
ご主人がこんなに怖がっていたら、せっかく呼び出した精霊をうまく使役できないと思うのだが……大丈夫かな。
「ねぇシオン。あたし、幽霊とか魔物とかより、犬のほうが数百倍は怖いと思うの。シオンもそう思うわよね?」
「重症だなぁ……同意を求められても困るんだけど。何がそんなに怖いの」
「ほ、ほら、もう、アレよ! 全部!」
「恐怖のあまり、語彙力が崩壊している!?」
この様子なら、触るどころか近づくことすら困難だろう。
苦手なものを克服させるのだって、並大抵のことでは無理だろうし、どうすればいいのやら。
「でも、ヴェロニカの精霊だよ? どうすんの?」
「うう……何でよりによって犬が出てきちゃうのよぉ……」
ヴェロニカが涙目で呟いた、瞬間。
さっきまでじっとしていた犬が、ついに動き出す。
ご主人様――ヴェロニカの足まで駆け寄り、擦り寄った。
「~~~~~~~~~~~~っっっ!?」
途端、ヴェロニカの顔が真っ青に染まり、人間が出してはいけないような奇声を発し、そして。
一目散に、逃げ出してしまった。
後に残ったのは、不思議そうに首を傾げる犬と。
ただただ困惑する、僕だけ。
「……精霊使いなんて職業、ヴェロニカには向いてなかったんじゃ……」
誰にともなく呟き、僕はヴェロニカを追う。
仕方なく、残された犬を両腕で抱いて。
§
「ご、ごめんなさい、つい……」
十数分ほど経て、ようやくヴェロニカを捕まえると、すぐさま謝罪してきた。
一応キャラ年齢も容姿も僕のほうが幼いはずなのに、何だかヴェロニカのほうが年下に思えてしまう。
これも、一種のギャップ萌えというやつ……なのかな。
「とりあえず、自分の精霊なんだから名前くらいはつけてあげなよ」
「名前……?」
「そうだよ。最初から名前が決まっているわけじゃないんでしょ? だったら、ヴェロニカがつけないと」
「そ、そうね……うん、考えとく。でも、しばらくそうやって代わりに抱いてて……お願い」
「えぇ……まあ、いいけど」
どうやら、僕が犬を抱いておくことになったらしい。
怖くて触れないのなら今は仕方ないが、いつまでも自分の精霊に恐怖を抱いてはいられないだろう。
ヴェロニカの職業が精霊使いだったら、精霊を使わずに戦うのは不可能にも等しいはず。
もちろん、何かしらの武器を購入して、それで戦うというのもアリだとは思うものの。
せっかくの精霊使いなんだし、一切精霊を使用しないというのは少しもったいない。
「いつか克服できたらいいね」
「ん、ありがと。頑張る」
苦手なものは仕方ないし、ヴェロニカをあまり責めることもできない。
だから励まし、僕たちは再び歩を進める。
アンブレットの街までは半日ほど歩く必要があるようだし、のんびりしていたらすぐに日が暮れてしまう。
そう思い、歩き出した、直後。
不意に、どこからか物音が聞こえてきた。
重々しく、鈍い。
まるで、怪獣の足音のような――。
「し、ししシオン、あれ……っ」
顔面蒼白となったヴェロニカが指を差した方向を、僕は訝りながらも向く。
向いて、少し後悔した。
何も見ないまま、音を聞いた段階ですぐに逃げ出したほうがよかったのではないかとすら思ってしまった。
さっき僕たちを追いかけてきていた犬なんかとは、遥かに比べ物にならないほどの。
大きくて凶悪そうな――ダンゴムシが、そこにいた。
「な、何でダンゴムシをチョイスしたの!?」
「知らないわよっ! 早く逃げ――」
刹那、ダンゴムシの一撃がヴェロニカに加えられた。
身体を使っての、体当たりだ。
突然のことに反応が間に合わなかったのか、ヴェロニカに命中し、軽く吹っ飛ばされてしまった。
「ヴェロニカ!」
名を呼ぶも、痛そうに顔を顰めて上体を起こすのみ。
だが、意識があるだけまだよかった。
意識さえあれば、逃げ出せることは可能なのだから。
などと考えている僕が、一番愚かだった。
今度は突然丸くなり、ダンゴムシが転がり出したのである。
逃げるどころか躱すことすらできず、僕は見事に直撃してしまう。
凄まじい激痛とともに、僕はダンゴムシの転がりによって突き飛ばされる。
咳き込むと、口から血が溢れてきた。
ゲームの世界とは言ったが、この痛みは紛れもなく本物。
いくらゲームとはいえ、負けたらどうなることか分かったもんじゃない。死ぬのだけは、さすがに御免だ。
と、ふと手元を見やれば、さっきまで抱いていた犬が消失していることに気づく。
辺りを見回し、ダンゴムシのすぐ前方に犬が倒れている。
僕が突き飛ばされた際、一緒に犬も僕の腕から飛んでしまったのか。
なんてことを思考している間にも、ダンゴムシは動きを止めない。
意外にも知能はそれなりにあるらしく、標的を見誤ることもなかった。
一番近くにいて、尚且つ一番真っ先に斃すべき相手。
ダンゴムシは自身の攻撃を、赤い犬へとめがけた。
「や……っ、逃げ、て……っ」
ヴェロニカが声を絞り出すも、犬は動かない。
もしかして、もう気を失っているのだろうか。
いや、精霊というくらいなのに、そんなに呆気ないものなのか?
思案を巡らせている場合ではない。
このままではまずい。このままでは、ヴェロニカの精霊が。
精霊に死があるのかなんてどうでもいい。
精霊だからといって、傷つけられて平気でいられるわけがない。
でも、僕もヴェロニカも、痛みのあまり動くことができない。
さっきみたいに、誰かが助けてくれることなど、ほぼないだろう。考えるだけ無駄だ。
じゃあ、どうする。どうすれば……。
僕は悔しさや自分の不甲斐なさに歯を強く噛みしめ、唾を飲み込む。
――瞬間。
ドクン、と心臓が高鳴るのを感じた。
何だ、これ。
体が熱い。心臓が疼く。視界が、紅い。
「し、シオン……? 何、その目……」
ヴェロニカの問いには、答えない。
僕は立ち上がり、
地を蹴り、
ダンゴムシへと駆け出した。




