触れてはいけない
声が出ない。
手が震える。
視界が霞む。
目を逸らしたいのに、視点がある一点に固定されたまま動かすことすらできなかった。
どうして……こうなったのか。
一体何がいけなかったというのか。
いくら考えても、明確な答えなんて一向に浮かんではくれない。
考える余裕すら、疾うに残されてはいなかった。
ただ――運が悪かった。
そんな言葉で解決してしまいそうになる自分を、ひたすらに憎んで。
嘘だ。夢だ。冗談だ。
そんな考えも、目の前で広がっている惨状と、自分自身が今感じている痛みや匂いなどが、残酷にも全てを否定していく。
……いや、違う。
僕は、知っている。自分でも分かっているはずだ。
みんなに言われなくても、そんなに責められなくても。
運が悪かったわけでもなければ、夢だとか何かの嘘だとか、そういうわけでもなくて。
ちゃんと、分かっていた。
……全部。
全部、全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部。
――僕が、悪いってことを。
――僕が、殺したんだってことを。
視界を彩る、無慈悲な赤。
僕へ注がれる、化物を見るかのような眼差し。
全てが、敵のように見えた。
誰が、とか、そんなレベルじゃなくて。
世界、そのものが。
だから、僕は。
僕は――。
§
「……ッ!?」
がばっと、布団から飛び起きる。
汗で服が体にくっつき、僕の頬を一筋の汗が伝う。
心臓の鼓動が、騒がしいほどに激しさを増していた。
「……何で、今更あんな夢なんか」
思わず呟くも、その理由は分かりきっている。
おそらく、この世界に来たせいだ。
いや、正確には。
〈キーワ〉と出会い、そして僕の過去に触れてきたからだろう。
ヒースとオオバコ、二人の言葉で少なからず惑わされてしまっていたんだ。
ランのおかげで、もう前を向くことを決めたってのに。
自分の夢ながら、いい加減にしてほしい。もう囚われていたくはないのだから。
ふと、斜め後ろを見る。
さっきまで僕が寝ていた場所の、すぐ隣に。
なぜか、イベリスが心地よさそうな寝息をたてて眠っていた。
……もしかして、僕は知らない間にイベリスと添い寝をしてしまっていたのか……?
この家はかなり広く、デイジーは僕たち一人一人にそれぞれ自由に使ってもいいと、個室を与えてくれたというのに。
なのに、何でわざわざ僕の隣で、同じベットで就寝しているのか。
などと、頭に疑問符を浮かべていると。
イベリスが頻りに瞼を擦りつつ、ゆっくりと上体を起こす。
「……おはようございマス、シオン」
「う、うん、おはよう……って、そうじゃなくて。何でここで寝てんの?」
「ワタシだって、最初はちゃんと一人で寝てマシタよー。でも、途中で目が覚めちゃいマシて。せっかくなので、シオンに夜這いでもしようかと思って来てみたら、何やらうなされてるみたいデシタから、一緒に寝てあげようかと!」
「……突っ込みどころが多すぎるのやめて」
せっかくだから、という大して理由になっていない動機で、夜這いをしようとするのも怖いし。
うなされていたからって、そこから一緒に寝るという行為には繋がらないと思うのだが。
まあ、イベリスだから、で解決できる……問題、でもないな、こりゃ。
それにしても、うなされていたのか。
間違いなく、あの夢のせいだろう。
そのこと自体はまだ仕方ないのだが、それをイベリスに見られてしまったのは困る。
もし訊かれたら、どう説明すればいいのやら。
しかし、イベリスは全くそのことに触れず。
代わりに、別のことを訊ねてきた。
「そういえば、今日は頭はっきりしてるんデスね。いつもは朝に弱いからって、ぼーっとしてマスから」
確かに、言われてみればそうかもしれない。
いつも、目覚めてから数分間は頭がうまく働かず、呂律も回っていないことが多かったから。
「ああ……たぶん、夢のせいで熟睡できなかったからかもなぁ」
「夢、デスか?」
やってしまった。
自分から夢のことを話してどうするんだ。馬鹿か、僕は。
でも、どうやらそれは杞憂だったらしく。
「もしかして、怖い夢を見ちゃったんデスか? 大丈夫デスか? 一人でトイレに行けマス? 一緒に行ってあげマスから安心してくだサイ! トイレの中まで!」
「心配すると見せかけてセクハラすんのもやめてっ!? そんな子供じゃないし!」
ただ、イベリスといつものようなやり取りをしていると、やっぱり楽しいというか、嫌でも元気が戻ってくる気がする。
まあ、絶対に本人には言わないけど。
今日は、ついに別の大陸へ旅立つ日だ。
いつまでも、こうしているわけにはいかないだろう。
僕がベッドから起き上がると、イベリスも続く。
昨日デイジーが言っていたのは、船が来るのはおよそ昼頃。
まだ少し時間があるとはいえ、あまり呑気にのんびりもしていられない。
「あーっ! せっかくシオンが寝ていて二人きりだったんだから、既成事実を作っておけばよかったデスっ!」
「……き、既成事実? 何?」
「やははー。ワタシとシオンが、体の関係を済ませるってことデスよー」
「……こ、怖いこと企まないでくれる……?」
これから、イベリスの前で寝られなくなってしまったじゃないか。
ヴェロニカたちがいれば大丈夫だとは思うものの、できるだけ二人きりにならないようにしよう。
何されるか分かったもんじゃない。
イベリスの変態性に戦々恐々としながらも、僕たちは部屋を出た。
暫く、デイジーたちとは別れることになる。
だから、今のうちに。
忍耐大陸――オークモスに向かうまでの間に、ちょっとだけでもデイジーたちと過ごしておこう。
そう思って、一階に下りた。




