たったひとつの“今”
……やっぱりだ。
結局のところ、〈キーワ〉の人たちは元の世界に戻る方法なんか教えてくれやしない。
それどころか、懲りもせず僕を仲間に加えようとしてくる。
でも、だからといって諦めるわけにもいかないのだ。
こいつらの仲間になるつもりも、毛頭ない。
「僕は……〈キーワ〉になんて入らない。ただ、元の世界に帰りたいだけなんだよ」
「だ、だだ、だからっ、そ、そそそ、それができないって、いっ、言ってんの。あ、あなたたちには、一生この世界で、い、いき、生きてもらうんだから……っ!」
似たような口論は、もう既にヒースともやったばかりだ。
そんなに上手くいかないだろうとは思っていたけど、まさかここまでこっちの話を聞いてもらえないとは。
こいつらにも、それぞれ事情があることは知っている。
ヒースから聞いて、元の世界になんか帰りたくないことは分かっている。
だけど、それを僕たちに強要されても困る。
言ってしまえば、ただのとばっちり。無関係なのに、巻き込まれただけなんだから。
「ぼ、ぼ、ボスは、何故かあなたを、き、気に入ってた。こ、ここ、断られたり、て、抵抗された、ば、場合には、ここ、殺しても致し方ないが……で、でで、できることなら、つれ、連れて来いって。だ、だ、だから、あな、あな、あなたには、ち、力づく、でも、き、き、きき、来てもらう……」
ヒースも僕を仲間に誘ってきていたが、どうしてここまで僕を仲間に加えたいのだろうか。
過去に辛い思いや、理不尽な出来事など、周りの人たちと比べて悲惨な人生を送ってきた者を集めているという話は聞いた。
でも、ここまで執拗に僕を狙う理由は、本当にそれだけなのだろうか。
ボスに気に入られることなど、大して何もしていないのに。
それに、辛い過去の基準も曖昧だ。
何から何まで、不明なことが多すぎる。
僕は、もう過去に囚われることをやめた。
昔の自分を、汚点を、払拭したんだ。
だから――だか、ら……?
……いや、全く払拭なんてできていなかった。
家に引きこもって、学校に行くことも働くこともしていなかった時点で。
僕だって、こいつらと同じ。
現実から、逃げていただけじゃないか。
ただ、俯いて拳を強く握る。
ヒースの慟哭を受けて、オオバコからまた仲間へ誘われて。
忘れようとしていた過去を、消し去ろうとしていた記憶を。
再び、蘇らせてしまった。
あのときの残酷な光景が、鮮明に――。
「……シオン様」
それは、聞き逃してしまいそうなほど静かな声だった。
不意に発せられた呟きに、僕はゆっくりと背後を振り向く。
いつもの微笑みは鳴りを潜め、真剣な表情でこちらをじっと見つめていた。
「そんなことはないと思いますが……もしや、仲間になるおつもりですか?」
「……え?」
「シオン様には、もう大切なお仲間がいるように思えます。シオン様に何があったのか存じ上げませんが、そんなこと関係あるのでしょうか。今、あなたの近くにいるのは誰ですか? 今、あなたは――誰のために、そして何のために、今を生きているのですか?」
目頭が、熱くなる感覚がした。
『過去』ではなく『今』という単語を、ランは繰り返していた。
それは、つまり。
――いつまでも過去の鎖に囚われてないで、今を生きろ。
そう、僕に叱咤しているような気がした。
ただの勘違いかもしれない。
でも、僕にはそれだけで充分だった。
「……違う」
僕は、必死に声を絞り出す。
何を考えているんだろう。
ずっと前から、そしてヒースに誘われたときから。
もうとっくに、決めていたはずだろ。
今更、迷うことなんか、考えることなんか。
何も、ない。
「確かに僕は、昔嫌なことがあったよ。辛くて、悲しくて、泣いて、世界を呪ったりもしたよ。外に一切出ないで、妹以外の人と会うこともなくて、僕は自分の殻に閉じこもってた。けど、それじゃ、だめなんだよ。そんなことしてたって、現実は何も解決なんかしない。現実ってやつは、逃げているだけじゃ外側から僕たちを覆い尽くして、もう、帰れなくなっちゃうんだよ……どこにも」
僕が、そうだったから。
家に引きこもることで外の世界を遮断して、目を背けて自分の世界しか見ないようにして。
その結果、過去を克服したと思い込んでいた。
そんなものは、克服とは呼ばない。
ただ、捨てていただけだ。
過去を、自分以外の全てを。
元の世界を捨てて、この世界で生きるという〈キーワ〉の奴らと、大して変わっていなかったのだ。
そんな自分だけはもう――今ここで捨てる。
「ごめん、オオバコ。やっぱり僕たちは、絶対に仲間になんてなれない。あんたたちが何と言おうと、僕たちは元の世界に戻る」
とっくに、ヴェロニカたちと話し合ったりして決めていたこと。
前から、最終目的に挙げていたこと。
今更、偉そうに宣言することでもないだろう。
だから、これは――自分自身への意思表明だった。
今後〈キーワ〉の人たちと遭遇して、何回も同じようなことを言われたとしても。
絶対に、迷ったりしない。悩んだりしない。嘆いたりしない。囚われたりしない。仲間になんてならない。
ヒースにあんなことを言っておきながら、未だに僕は過去の影に囚われたまま。
だけど、そんな自分とはもう決別する。
そんな、決意の証だ。
「……そ、そ、そそ、そう。で、で、でも、ボスは、そそ、それを許すわけが、ない……。ぜ、絶対に、あな、あなたを仲間にする……」
「いいよ。その度に僕は、あんたたちを否定する。昔の自分自身を――拒絶する」
様々なものから、拒絶された気がしていた。
僕は、生きる価値なんてないと思っていた。
でも、今は違う。
そうやって現実から逃避していた過去の自分は、もう僕の中にはない。
今は――大切な仲間たちがいるのだから。
絶対に失いたくないものを見つけたのだから。
「……」
「……」
お互いに無言となり、お互いの顔を見据える。
動き出したのは――ほぼ同時だった。
僕は、血を吸うために背後のランへ。
そしてオオバコは、なぜか壁に向かって。
僕は“今”、オオバコと戦う。
そして――オオバコのことも、仲間にしてやる。
辛い過去があるという〈キーワ〉の人たち全員を、仲間にしてやる。
元の世界で辛い過去があって、誰も手を差し伸ばしてくれなかったのなら。
僕が、差し伸ばせばいい。
同じような境遇で、同じように辛い過去がある僕が。
元の世界で辛い過去があって、元の世界から逃げてこの世界で生きようとしているのなら。
僕が、元の世界でも友達になればいい。
世界から拒絶された今までの人生を全て、僕の肯定で埋め尽くしてやればいい。
逃げる方法しか知らないなら、立ち向かう方法を教えてやる。
だから――負けない。諦めない。
僕に、新たな目的が刻まれた瞬間だった。




