始まりはここから
ゆっくりと、その足を動かす。
前へ、前へ――僕のほうへ。
妹――緋衣は、僕の至近距離まで来てから。
勢いよく、頭を下げた。
「ほんっとにごめん! まさか、あたしが洗脳されて、兄たちを襲っちゃうなんて……。謝っただけで許されるとは思ってないけど、でもごめんっ!」
「あ、いや、いいから。そんな謝らなくても。緋衣が無事だっただけで、僕は嬉しいよ」
「う、うぅぅうぅ……兄……っ!」
いきなり謝られるとは思っていなかったから、ちょっと驚いてしまった。
僕の言葉を聞き、緋衣は頭を上げる。
目からは涙が、鼻からは鼻水が溢れ出していた。
「……はは、汚い顔」
「そ、そんなぁっ!? ひどいよぉっ! 兄に会えたことが嬉しくて、こんなに感情を剥き出しにしているだけなのにぃっ!」
「ごめん、ごめんって! 僕も同じ気持ちだから!」
ポカポカと叩かれ、僕は謝りながらも口角が上がるのを抑えきれなかった。
今の姿は、お互い元の姿とは異なる。
だけど、それでも中身が僕と緋衣であることに変わりはなくて。
やっぱり外見の差異なんか関係ない。緋衣と、またこうして一緒に話せていることが、ただただ嬉しかった。
「もぉ~。あたしだって、ちゃんと兄のこと探してたんだよ? 途中で洗脳とかされちゃったりはしたけど……でも、やっと会えたと思ったら兄はあんなに可愛い女の子たちと行動してるんだもん。ほんと、引きこもっていたとは思えない行動力だね」
「あ、それは、ただの成り行きで……」
ヴェロニカもイベリスも、こんな世界に来て一人は心細いだろう。だから、たまたま一緒にいた僕とパーティを組んでくれただけだと思う。
別に、僕の行動力は……まあ、家にいたときよりは増した気もするけど。
「それにしても、その姿だと兄って言うより、姉だね。あ、でも、今ならあたしのほうがお姉ちゃんに見えるんじゃない? ほら、あたしのことお姉ちゃんって呼んでみてよ」
「……調子に乗りすぎでしょ」
確かに、今は緋衣のほうが背は高いし、胸も……あるように見える。
とはいえ、中身は僕のほうが年上で兄なのだ。一応。
妹のことを姉と呼ぶのは、なんか屈辱とすら感じる。
「でも、ほんとに会えてよかったよ。兄」
「……うん。僕もだよ、緋衣」
再び、僕たちは再会したことを喜び合う。
初めてこの世界に来てから、何日が経過したのか。
今となってはもう覚えてないけど、妙に長い時間が経ったような気がしてしまう。
まだまだ元の世界に帰れそうにはないし、ヒースが言うには帰る方法はないらしいけど。
でも、とりあえずは。
僕の一番最初の目的は、これで達した。
「兄、あたしのことはヒゴロモって呼んでよ。こっちの世界では、そっちが名前だからね」
「う、うん、分かった。ヒゴロモ」
緋衣という漢字を、別の読み方にしただけだが。
昔から、ゲームの名前で緋衣がよく使っているネーミングだ。僕としても、わりと馴染みがある。
「じゃあ、僕のことも兄じゃなくて、シオンって……」
「やーだ。あたしは、兄のことは兄って呼び続けるよ」
「えぇ……。この姿で兄って呼ばれるほうが違和感あるんじゃ……」
「そんなの知らないもん。あたしにとっては、どんな姿でも兄は兄だし。あたしの、大事な兄だもん」
「まあ、別にいいけどさ」
緋衣……いやヒゴロモからだったら、むしろ兄っていう呼び方のほうが安心はする。
でも、女の子の姿で兄か。ちょっと違和感があるとは思うものの、あんまり気にしないでおこう。
唇を尖らせて、若干拗ねたように言うヒゴロモがちょっと可愛かった。
けど、絶対に本人には言わない。
「ところでさ、ヒゴロモ。これからのことなんだけど」
「んー? これから?」
僕が突然発した一言に、ヒゴロモは怪訝そうに首を傾げる。
第一の目的は、確かにこれで達成することはできた。
しかし、まだ何も終わっちゃいないのだ。
ヒースが言っていたように、このまま元の世界を捨ててここで暮らすという考えは、今のところ僕にはない。
だから、元の世界に戻る方法をこれからも探し続けるつもりだ。
いくらヒースが帰る方法はないと言っても。今後、ヒースの仲間だという〈キーワ〉のメンバーとやらが現れたとしても。
やっぱり、それが僕の――僕たちの、最終目標なのだから。
そのためには、おそらく今後、ここ救恤大陸以外の色々なところに行くことになる可能性は高いと思う。
まだ未来のことは何も分からないけど。いや、分からないからこそ、今のうちに考えておくべき事柄、備えておくべき事態がある気がするのだ。
僕は、単刀直入に言う。
ヒゴロモに、僕の願望を込めて。
「……ヒゴロモ。僕たちの、パーティに入らない?」
「…………」
ヒゴロモは、考え込んでいるのか、逡巡しているのか、俯いて黙り込んでしまう。
正直、ヒゴロモなら迷わずに承諾してくれると思っていた。
なのに、返ってきた言葉は――。
「――ごめん。あたしは、遠慮しておくよ」
「……そ、そう、か」
当然、残念ではある。
せっかく会えたわけだし、これからも一緒に行動したいと思っていたから。
でも、ヒゴロモが自分で決めたことなら、否定もできないだろう。
「別に、兄たちと行くのが嫌ってわけじゃないんだよ? ただね、洗脳されてたとはいえ、兄たちを傷つけたのは事実だし。それに、あたしもちょっとやりたいことがあるんだ」
笑顔で、楽しそうに、ヒゴロモは言葉を紡ぐ。
いつか来るであろう、不確かな未来へ思いを馳せて。
「あたしも、兄みたいにパーティを組みたい。兄たちとは違う、別のパーティを。そんでさ、そのパーティのみんなで、この世界を旅したいんだ。だから、悪いけど兄たちとは行けない」
まさか、ヒゴロモからそんな台詞が出てくるとは。
いや、そんなにおかしな話でもないか。ヒゴロモだって、僕に負けず劣らずのゲーマーなのだ。自分のパーティを結成してゲーム世界を旅したいと考えるのは、むしろ普通のことだとすら思える。
「あ、もちろん元の世界に戻る方法も探すよ? 探しながら、ね。あたしだって、兄について行くばっかりじゃないんだからね」
「……ん。分かった、応援するよ」
不安や心配がないと言ったら、嘘になる。
この世界での死は、現実での死となる。僕のいない場所で、知らないところで、ヒゴロモが危険な目に遭っているかもしれないと考えたら、いてもたってもいられなくなるほどに。
だが、ヒゴロモの気持ちを無碍にしたくもなかった。
だから、僕は信じる。
ヒゴロモが無事に生きて、また僕たちの前に現れてくれることを。
「あたしの冒険は、ここから始まるんだよ。覚えててね。次に兄たちと会うときは、兄よりももっと強く、もっといっぱいの仲間に囲まれてるはずだからさっ!」
心底、そのときが来るのを楽しみにしていそうな、キラキラとした瞳で。
右手を、差し出してきた。
僕は頷き、その手を握り返す。
「待ってるよ。もちろん僕だって、ヒゴロモには負けるつもりなんて一切ないけど」
「えへへっ。じゃあ、勝負だね」
お互いに笑い合い、どちらからともなく手を離した。
そして、ヒゴロモは踵を返す。
「また会おう――緋衣」
その背中に、僕は小さく呟いた。
いつになるのかなんて、当然分かるわけがない。
でも何故だか、そう遠くない未来になるような気がした。




