襲いくる状況に☆
目が覚めて最初に視界に入ってきたのは、晴れ渡る青空だった。
背中には、生い茂る草の感触。
ここは……どこだ。
怪訝に思いながらも上体を起こし、辺りを見回す。
凄まじく広大な草原が、どこまでも続いていた。
見渡せる距離に、建造物も街も何もない。
あるのは、草原と樹木だけ。
まるで、アニメやゲームなどに登場するファンタジー世界のよう。
僕は、夢でも見ているのか。
そう思ってしまうくらい、あまりにも現実離れした光景である。
と、そこで。
もうひとつ、とある異変を発見した。
して、しまった。
ふと違和感を覚え、肩越しに後ろを振り返ってみると。
僕の頭部から長い長い銀髪が伸び、草に覆われた地面に垂れていた。
少し癖っ毛の混じった、長髪だ。
僕は黒い短髪のはずなのに、何故か異常に伸びただけではなく色まで変わってしまっている。
手のひらで掬ってみると、女の子のような手触りのいいサラサラの髪が指に絡みつく。
ヅラとかではなく、間違いなく本物だ。
試しに立ち上がれば、その髪は腰の辺りにまで伸びている。
それと同時に、自分の視界が異様に低くなっていることにも気づいてしまった。
もしかして、髪だけでなく身長まで変わったというのか。
「どうなってんの、これ……」
呟いて、絶句した。
思わず、自分の喉を撫でていた。
その行為が、何の意味も成さないことを分かっていても。
今の声は、誰だ。
周りには、誰もいない。
喋ったのは、僕だけ。
なら、さっきの高い声は何だ。
「……あ、あいうえお」
確認のため、何度も五十音を口にする。
その都度、僕の口から聞いたことのない幼い声が発せられた。
甲高く、幼く、それでいて無垢さや無邪気さを秘めたような、愛らしい声。
女子小学生かと思ってしまうほどの声を、他でもないこの僕が出している。
いや、そんなわけない。
僕は、当然男で。あまり低くはなかったものの、男子高校生らしい普通の声だったはず。
一体、何が起こっているのか。
なんて考えてみても、今ある情報じゃ結局のところたった一つの結論しか見出せない。
普通は、信じられないだろう。
いや、信じたくないし、有り得ないこと。
だけど、この状況はどうしてもそうとしか思えないのだ。
おそらく、僕は――女の子に、なってしまったのかもしれない。
鏡があれば、もっと自分の姿を確認することができたのだが、生憎とこんな草原にそんなものがあるわけがない。
せめて手鏡を所持していればよかったけど、こうなることなんて予測できるわけもなかったから何も持ち合わせていないし。
と、不意に。
背後から、複数の足音と声のようなものが微かに聞こえてきた。
訝り、後ろを振り向く。
すると、やがて。
「ひぃぃぃ、たたた助けて、誰かーっ」
そんな情けない叫び声をあげながら、とある女の子が全速力で走ってきている。
更に、目を凝らしてよく見れば、女の子の後ろにもう一体、何かが走っているのが分かる。
あれは、遠くからでも分かる。明らかに、人間ではない。
それどころか、魔物とかでもなく、普通の犬のように見えるのだが……。
などと思考している間にも、女の子と犬らしき生物は徐々に近づいてくる。
普通の犬に見えるとは思ったが、近づいてくると鋭利な牙や血走った双眸、そして思いの外大きな肢体などが明らかとなって、何というか、これは確かに怖い。
完全に、人を捕食しようとしているかのようだ。
というか、頼むから近づいてこないでくれ。
このままじゃ、僕まで巻き込まれることが必至だ。
僕は踵を返し、一目散に駆け出した。
「ちょっ、何で逃げるのよ!? 助けてって言ってるでしょぉ!?」
「いやいやいや、さすがに無理だって! あれ何なの!? 何であんなに獲物を欲しがっているみたいな目をしてるの!?」
「知らないわよ! 犬ってそういうもんじゃない!」
「違うよっ!? 今までどんな犬を見てきたのか知らないけど、さすがにもっとつぶらな瞳してるって! 一体何したの!?」
「何もしてないわよ! いきなり襲いかかってきたんだってば!」
「てか、何さらっと僕まで巻き込んでるの!? これ完全にとばっちりだよね!?」
「だから、あたしに聞かれても知らないわよっ! ほんとにごめんなさい! でも助けてください!」
「今は僕も助けてほしい状況なんだけど!?」
犬(らしき生物)に追いかけられながら、僕たちは二人で広い広い草原を駆ける。
喧嘩とすら言えないような口論をしつつも、ただただ足を動かす。
今の僕たちには、後ろを振り返る余裕はなかった。というより、怖くて後ろを振り返りたくなかった。
でも、この草原は途轍もなく広大だ。
建造物も、街も、何もない。
障害物も、壁も、何もない。
だから、逃げ切ることなんて以ての外、撒くことすらできやしなかった。
しかも、僕たちは人間である。
走り続けていると、いずれ体力の限界が訪れる。
方や、いかにも正気を失っていそうな犬。
このまま何分、何時間と追いかけっこを続けていれば、どちらに軍配があがるかなんてものは歴然だった。
もう既に、僕たちの速度は少し低下し、犬との距離が縮まっている気さえしてしまう。
ああ、やっぱり僕は運が悪い。
突然見知らぬ土地に飛ばされたのかと思いきや、その数分後には謎の女とともに狂気に満ちた犬に追いかけられる。そして、死の危機。
もうダメか、と諦めにも似た感情を抱いた、そのとき。
突然「キャンッ」と、短い悲鳴が背後から聞こえた。
僕たちは、おそるおそる背後を振り向く。
そこには、さっきまで僕たちを追いかけてきていた犬の亡骸と――その傍らに佇む、大きな弓を背負った男性の姿があった。
そして――。
「……よぉ。無事か、お二人さん」
そう言って、ニィッと白い歯を覗かせたのだった。




