ただ、謝りたくて
「――アイっ!?」
叫び、イベリスは突如吹っ飛んできた女子のもとへ駆け寄る。
アイ――それが、あの子の名前か。
イベリスと喧嘩をしていたのは見たし、その後に別れたっきり会ってすらいないという話も聞いてはいたが……まさか、こんなにボロボロの状態で現れてしまうとは。
しかも吹っ飛んできたということは、当然何者かとの戦闘中で、その何者かの攻撃でやられてしまったと考えるのが自然。
一体、何が……。
「に、逃げ、て……っ」
アイは、近づいてきたイベリスを一瞥し、なんとかそれだけの言葉を絞り出す。
体は汚れと傷だらけ、所々に出血もしており、満身創痍であることは見れば明らか。
でも、死んではいない。まだ意識はある。それなら、充分だ。
生死を確認していると、不意に大きな足音が聞こえてきた。
いや、それは足音というよりも、物音、噪音と呼んだほうが的確な気すらした。
まるで、巨大な生物が接近しているかのような――。
恐怖心を孕みつつも前方を見上げ、その表現が、あながち間違ってはいないことを知る。
知って、絶句した。
この世界に来てから色々な魔物と遭遇し、戦って勝ってきた。
でも、今までの魔物なんか全然可愛いほうだったんだな、と。
そう思ってしまうくらい、巨大で凶悪な化物だった。
ライオンのように、ツンツンと尖った頭。
蛇のように、尻尾は細長く、先端には目と口がついている。
そして胴体は、ヤギのように四足歩行で、長い毛に覆われていた。
もちろん、リアルで見たことはない。
だけど、存在は知っている。知識は多少ある。
あれは――。
「きまい、ら……」
ほぼ無意識に、口からその名が漏れた。
キマイラ。ギリシャ神話に登場する怪物で、ライオンの頭とヤギの胴と蛇の尾を有していると言われている。
正直、それだけのことしか知らないけど。
少し忘れかけていた記憶が、蘇ってくる。
確か、アンブレットの広場にあるクエスト掲示板には、依頼が書かれていた気がする。
キマイラに大事なものを奪われた、という旨が。
もしかしたら、こいつのことなのか。
強そうで勝てないだろうからって、その依頼を受けるのをやめたってのに。
僕の運の悪さも、そろそろいい加減にしてほしい。
「ど、どうすんのよ、これっ」
「さすがに戦っても勝てないでしょ、逃げないと」
「ま、待ってくだサイ! アイが、まだ……」
そうだ。僕たち三人だけなら、逃げるくらいならば不可能ではない。
しかし、今ここにはアイもいる。満身創痍で、疲労困憊で、自分では歩くどころか立ち上がることすらできてない女の子が。
僕たちが逃げれば、結果的にアイを見捨てることになってしまう。
囮にしてしまえば、確かに逃げることはできる。
でも、その後アイは絶対に無事では済まない。
「……くっ」
踵を返しかけていた足を、再び前に向ける。
だめだ。逃げることなんか、できるわけないじゃないか。
「あんたたちは、その子を見ててちょうだい。行くわよ、クリム」
「ちょっ、ヴェロニカ!?」
呼び止めるも、ヴェロニカとクリムは真っ直ぐキマイラに向かって駆け出す。
もしかしてアイに攻撃をされないよう、自分がキマイラの注意を逸らそうとしているのか。
僕のそんな思考を裏付けるかのように、ヴェロニカはキマイラの背後に回り、そこからクリムの火炎を浴びせていた。
すると先ほどまで僕たちのほうを向いていたキマイラは、火炎の攻撃でも痛がる素振りを見せもせず背後を振り向く。
そして、キマイラは大きな口を開けた。
まずい……あれは、反撃の兆しだ。
「ヴェロニカ!」
僕が叫び、駆け出すより早く。
咄嗟に、俊敏に駆け出していた者がいた。
キマイラの大きな口から、クリムのより何倍も大きく火力もありそうな火炎が吐き出される。
ヴェロニカとクリムに直撃する、その寸前で。
横から現れたイベリスが、ヴェロニカとクリムを抱いて地面を転がることで回避した。
間一髪、か。
それにしても、イベリスが助けに行っていなければ危なかった。
吸血状態の僕ならもっと早く動けたんだけど、生憎と今の僕はあまり高速で移動もできなければ威力の高い攻撃もできない。
イベリスがいてくれてよかった……と、安堵の溜め息を漏らしたとき。
不意に、後ろから袖を引っ張られる感覚がした。
振り向くと、アイが仰向けに倒れたまま僕の袖を握っている。
「……き、君、さ。イベリスの、友、達……?」
息も絶え絶えになりながら、焦点の合わない瞳で僕を見ながら。
必死に、そんな問いを投げかけてきた。
「まあ、そんな感じ……だけど、あんまり喋らないほうが……」
「お願い……イベリスを、助けてあげて。私、まだ、あの子に謝れてない、から……下らないことで怒って、喧嘩して、ごめんって、言えてないから……」
ポツリポツリと、涙混じりに自分の想いを吐露していく。
確かに、最初は下らないものだったのかもしれない。一時の感情で心が揺れ、思わず口にしたことで取り返しのつかない喧嘩に発展するのだってよくあることだ。
アイは、そのことについて反省していたのだろう。
だから、どうしても謝りたかったのかもしれない。
「あの子、ね……いつもはあんなんだけど、本当は優しくていい子なんだって、ちょっと分かってきてたんだ……。初めて会ったときに、魔物に襲われて、死にそうでさ……助けて、くれたんだ……。だから、私も、あの子を。イベリス、を――」
「――分かった。分かったから、もう喋らないで」
言葉を途中で遮り、僕は一歩踏み出す。
肩越しに後ろを見やると、目を閉じ、口角を上げて微笑んでいた。
ここまで想ってくれているのに、そんなアイの気持ちを無碍にするわけにはいかない。
予想外の依頼だったが……一度引き受けた以上、最後まで守りぬくよ。
僕はそんな想いを胸に、ヴェロニカとイベリスのもとまで走った。
ただただ、無我夢中に。




