強くなりたい
この世界は、赤黒い。
血と、憎しみと、闇が混ざり合ったような色。
少なくとも、幼き少年の瞳にはそう映っていた。
少年の名は、垣根強。
その名前を考えたのは、実の父親だったらしい。
曰く、強くて立派な子に育ってほしいから、だとか。
何とも、陳腐にもほどがある理由だろう。
そして、もう一つの名は――ローレル。
由来は、花の名前だった。
花言葉は――勝利と栄光。
どこまでも強さを追い求め、貪欲に勝利を目指し続ける自分には相応しいと。
そう、自分自身のことを称していたのである。
§
「ほら、お前行ってこいよ」
ローレル――垣根強が、まだ八歳だった頃。
小学校からの下校途中、三人の男子生徒に囲まれ、背中を押されていた。
視線の先には、屋根の下にこびりついた大きな蜂の巣。
その周囲には、複数の蜂が飛び回っている。
「さっさと行けって、垣根。そんなでけえ体してんだから余裕だろ」
別の男子生徒が笑い、更に強の背中を強く押す。
強は拳を固く握り締めるも、抵抗すらできず、ただ眼前の蜂の巣を眺めたまま立ち尽くしていた。
この状況は、いわゆるいじめの現場である。
垣根強は、物心ついた頃から他の子供たちと比べ、遥かに体が大きかった。
身長だけでなく、大して筋トレをしていなくとも小学生にしては筋肉があり、クラスメイトなどからよく「強そう」だの「ゴリラ」だの陰口を呟かれたり、逆に怖がって避けられたり。
だから、友達なんて存在は一人も存在しなかった。
でも、体が大きく強そうなのは、あくまで外見だけ。
中身はとても小さくて、そしてとても弱かった。
本当は抵抗したい。嫌だって、ちゃんと自分の想いを吐露したい。
だけど、そんな感情よりも怯えが勝っていたのだ。
怒られたくない。泣きたくない。殴られたくない。殴りたくない。
そんな、いくつもの「ない」が脳内を駆け巡り――。
結局のところ、断りきれずに一歩を踏み出していた。
今回のいじめの内容は、蜂との対決。
そんなに大きな体をしていて筋肉もあるのだから、強いに決まっている。
それなら、蜂と戦わせてみよう。
どっちが勝つかな、どっちでも面白そう。
そんな、まるでゲーム感覚の、無邪気で残酷な無茶ぶり。
いかにも小学生らしい、荒唐無稽な強要だった。
男子生徒たちは、強が蜂の巣に向かっていくのを遠巻きに眺める。
強は手にした木の棒で、自分の腕が震えているのを感じながら蜂の巣を突く。
瞬間、中に潜んでいた大量の鉢の群れが、一斉に襲いかかる。
暴れても暴れても、自身の拳は蜂に当たることすらせず。
蜂の針が腕やら頬やら脚やら、体中の至るところに穴を開けていく。
痛い……なんてものじゃなかった。
全身を支配する激痛と恐怖に、滂沱の涙を流しながら逃げ去った。
逃げて、逃げ続けて。
やがて蜂の群れは何とか撒くことができたものの、目の前に別の姿が現れた。
自分をいじめている張本人の、先ほどの男子生徒たちである。
「おい、逃げてんじゃねえよ!」
「弱虫が。そんなでけえ体してんのに、情けねえやつ」
「ぎゃははは。泣いてんじゃん。かっこわりー」
大量の蜂に刺されボロボロの強に、口々に罵倒し始める。
悔しいのに。悲しいのに。憎いのに。
その想いを言葉にすることができず、歯を強く噛み締めたまま拳を握り締めることしかできなかった。
「つまんねーし、もう帰ろうぜー」
「そうだな。明日は何するー?」
「ぎゃははは。今日のより、もっとすげーのやらせてみようぜ」
男子生徒たちは不快な笑い声を響かせながら、立ち去っていく。
強は、暫くその場を動けなかった。
どうして、自分はこんなにも弱いのだろう。
自分と他の人では、何が違うのだろう。
もっと普通の子供らしく、友達と遊んだり笑い合って生きていたかったのに。
こんなに大きな体なんて、なくていい。
血と涙しかない、こんな世界なんて――。
「……ああ、そうか」
そう呟いた、強の表情は。
今までの弱々しい少年からは考えられないような、不気味な笑みを浮かべていた。
何で、こんなに簡単なことを思いつかなかったのか。
そうだよ。最初から、そうすればよかったんじゃないか。
「……俺を脅かす存在なんて、全部消えちまえ」
まだ声変わりのしていない憎悪を込めた声で。
最後に、そう漏らした。
翌日。全ての授業が終了したあと、同じ男子生徒たちに学校の外に連れて来られていた。
だけど、強の中に不安だとか恐怖の感情は一切なかった。
今の自分は、何をするのが最適なのか分かっていたから。
そのための手段も、ポケットの中に忍ばせていたから。
男子生徒たちが並んで歩く後ろを、強がついて行く。
最初は普通の通学路を通っていたが、途中からどんどん人気の少ないほうへ進む。
やがて、四人は路地裏の一角で足を止めた。
「おい、垣根。今日は、ここでおめーの強さを見させてもらうぜ」
「……ここ? そうか、ここか。よかった」
辺りを見回し、安堵の溜め息と一緒に胸の撫で下ろす。
いつもと違う彼の態度が気に入らなかったのか、男子生徒たちは途端に逆上を始めた。
「あ? 頭がおかしくなったのか?」
「ぎゃははは。よかった、だってよ。……ヘタレの分際で、何言ってんだてめー」
それでも、強は「怖い」という感情を覚えることはなかった。
それどころか、むしろ。
口元に刻まれる笑みの形を抑えることが、できなかった。
「だってさ、ここなら――何をしたって誰にも見られることはないじゃん」
そんな言葉と同時に、ポケットから取り出す。
家から持ってきていた、銀色に光るナイフを。
それを見た男子生徒たちは、さっきまでの余裕そうな顔が一瞬で青ざめた。
「お、おい、お前それ――」
その言葉が、最後まで紡がれることはなかった。
振り下ろしたナイフが、一人の男子生徒の指を切断してしまったからだ。
「う、うわぁぁあああぁぁあッ」
絶叫し、腰を抜かす三人の男子生徒。
強は止まらない。
ゆっくり近づき、一人一人にナイフで襲いかかった。
「俺は、弱くない。弱くない。弱くない。弱くない。弱くない。弱くなんか、ないッ!」
ずっと同じ単語を、憎らしそうに吐き出しながら。
指が空を舞う。腹や口から血が吹き飛ぶ。足が分離する。
ほんの一分程度で、三人の幼い体は。
元々の原型を留めていられないほど、バラバラになってしまっていた。
「強くなりたい。俺は、強くなる。こんな雑魚なんかより、もっと。この大きな体を、利用して。もっと、もっと。強く強く強く強く強く強く強くッッ!!」
路地裏の薄暗い闇の中で。
思わず吐き気を催してしまいそうな血の匂いと、強の叫び声だけが支配していた。
「こんなクソみたいな世界なんか、消えちまえ」
まだ幼い少年とは思えないような、不気味な笑みを浮かべて。
三人の遺体だけを残し、少年はその場から去った。
それから、強は学校に行かなくなった。
家では筋トレをして自身を鍛え、もっと強くなるために努力し続けた。
彼が、あの人物と出会うのは、およそ二十年後。
世界に復讐する術を、そこで与えられたのだった。




