東――巨大な水の匣
塔の中は、思っていたより広くはなかった。おそらく、各フロアには然程広さはなく、階層が多くて上へ長いだけなのかもしれない。
左右に綺麗な水が溜められており、遥か奥には階段が見える。
どうやら、一階はそれ以外に大して何もないようだ。
上階には、一体何があるのか。
一抹の不安を感じながら、僕たちは階段を上っていく。
二階に来て、まず真っ先に視界に映ったのは大量の水。
上から滝が流れ、床には至るところに水が溜まっており、川のようになっている箇所もあった。
「す、すごいね……」
ヒゴロモが、隣で口角を引きつらせる。
まさか、塔の中がこんなに水だらけになっているとは思わなかったが……逆に言えば、それだけだ。
全部で何階まであるのか分からないし、上ではどんな罠が仕掛けられているのかも不明であるとはいえ、見たところ魔物はいない。
この様子なら、意外と呆気なく最上階まで行けてしまうのではないだろうか。
なんて、少し楽観的すぎるか。
「とりあえず、先に行ってみよう」
「そうだねー、あたしたちが一番早く攻略しちゃお!」
「……はは、別に競ってるわけでもないけど」
僕たちは、上へ上へどんどん上る。
二階、三階、四階、五階……と、足が疲れてはこまめに休憩もしつつ、ひたすら上を目指し続けた。
罠は、別になかったわけじゃない。
しかし床から水が吹き出したり、頭上に大量の水を浴びてしまったり、その程度のものだ。僕しか被害を被らなかったことは、甚だ遺憾ではあるけど。
明らかに十階以上行っていても、魔物らしき姿は一度も見かけなかった。
ということは、別に僕たちを殺すつもりだとか、足止めするつもりはないのだろうか。
迷路になっているわけでもないから、特に迷うこともなく、順調に進んでいった。
やがて。
軽く二十階を越え、そろそろ数えることすら諦めてきた頃。
「……はぁ……はぁ……ど、どこまで行けばいいんだろ……ループとかしてないよね……?」
息を整えながら、ヒゴロモはぼやく。
確かにループしていたら、永遠に最上階には行けないだろうから大問題だが。
「さすがにそれはないと思う。周りの水の量が、だんだん増えていってる気がするんだよね」
「えぇー? 兄、そんなとこまで見てるのー?」
「ま、まあ、ダンジョン攻略とかは、やっぱり観察力が大事だと思うし」
「相変わらずゲーム脳だなぁ」
僕に負けず劣らずゲームばかりしていたヒゴロモには言われたくない。断じて。
それにしても、水の増え方が少し気になってしまう。
上へ上っていくごとに徐々に少しずつ池のようになっている箇所が増しているわけだが、一階の頃と現在の階では二倍以上違う。
今では、むしろ歩ける部分より水の面積のほうが広いくらいである。
特に意味はない可能性もあるが……と、そこまで考えて。
今までの階にあったものが、この階にはないことに気づいた。
「ヒゴロモ。この階だけ、ないよね?」
「んー? 何が?」
「滝」
僕の言葉に、ヒゴロモは辺りを見回す。
そしてすぐに、「あ、ほんとだ」と呟いた。
下階の滝にどんな意味があったのかも分からないし、そもそも意味すらないのかもしれない。
だけど、今まで欠かさずあったものが、この階に来て急になくなってしまうというのは、ほんの少しだけ気になってしまうのだ。
「でも、別に気にする必要ないんじゃない? そろそろ休憩も終わりっ!」
「うん、そうだね」
きっと考えすぎだろう。
ヒゴロモが再び足を動かし始め、僕も歩を進める。
まだまだ先はありそうだから、考えるより先に進まないと。
そう思い、階段を上ろうとして。
不意に――どこからか、ガコンと奇妙な音が鳴り響く。
その音が、契機だった。
一瞬だけ床が揺れたかと思うと、凄まじい轟音を伴い、まるで大きな滝のように天井から大量の水が。
その水は、池のようになっている部分へ吸い込まれるようにして落ち、最初からその中に入っていた水が一気に溢れ出す。
そして床が水浸しになり、早くも僕たちの足首までが水に浸かってしまう。
「ちょ、ちょっと兄、これ……っ!」
ヒゴロモが喫驚し、顔を青ざめさせる。
よく見てみれば、さっき通ってきた下の階へも大量の水が流れていっている。
この塔の中に二人で入った際、扉が完全に施錠され開かなくなった。
そして、塔に窓は一つもない。
つまり、これだけの大量の水は外に出ることすらできず、当然僕たちも脱出することもできず。
このまま塔の内部が水でいっぱいになってしまえば、僕たちは。
二人で仲良く溺死……なんてことになってしまう。
落ち着け。この危機を脱することができる何かが、どこかにあるかもしれない。
しかし、いくら辺りを見回せど、そんなものはどこにもなかった。
そうこうしている間にも、どんどん水は溜まっていく。
水の量が異様に多く、浸水する速度も決して遅くない。
このまま天井へ到達してしまうのも、おそらく時間の問題だろう。
「ど、どうするの、兄……?」
あまり考えていられる時間もない。
きっと今から下へ向かっても、どうせ既に水が溜まっていて意味はないはずだ。
だったら、もう上へ行くしかないだろう。
今の僕たちには他にできることもないのだから、それに賭けるしかない。
「行こう、上に」
「う、うん……っ!」
ヒゴロモは頷き、一緒に階段を駆け上る。
その先は、さっきまでとは異なり、何もないだだっ広い空間だった。
円状に広がった空間の奥には同じように階段があるものの、この階には池も滝もない。
とはいえ、今この瞬間も下から水が溜まっていっているはずだから、この空間ですら、そのうち水でいっぱいになってしまうのだろう。
この階だけ下階までと様子があまりに違うことは気になるが、水に追われている身な以上、とにかく先に進むしかない。
そうして、二人で肩を並べて走り。
部屋の中央辺りに差し掛かった頃、突如として異変が生じた。
眼前の空間が刹那の間だけ歪んだことに、思わず足を止めた瞬間。
さっきまで何もなかった目の前に、とある巨大な物体が姿を現した。
それは――僕たちより遥かに巨大な、鮫だったのである。
下からは水が迫ってきており、目の前にはいかにも獰猛そうな魔物。
この階まで水でいっぱいにならないうちに倒さなくてはいけないという、時間制限ありの戦いが幕を開けようとしていた。




