三つの花びらと次なる標的
とある町の中。
薄暗く、人気のない路地裏を一人の少年が歩いていた。
目深にフードを被っており、口元しか見えない。
少年は服のポケットに両手を入れながら、無言で路地裏を歩く。
辺りはとても静かで、少年の足音だけが響いていた。
が、少年の前から中年の男性が歩いてくる。
顔が赤く染まっており、その足取りは覚束ない。
そして右手に酒瓶を持っていることから、酔っ払いであることは明らかだった。
少年は目もくれず、歩みを止めない。
お互いが向かい合うようにして歩を進め――不意に。
ドン、と。
中年の身体に、少年の小柄な体躯が衝突した。
「……んあ? 何だあ、おめえ?」
中年の視線が、斜め下へ注がれる。
しかし、視線を向けられた少年は何の反応も返さない。
ただ目を瞑り、無言で突っ立っているだけだった。
「おいおい、謝罪の言葉くらいはねえのかよお?」
謝罪の言葉がなかったことだけではなく、顔が見えないことすらも腹立たしかったのか。
突然、中年の腕が伸び、少年のフードを後ろに払う。
すると、燻ったような灰色の頭髪と童顔が顕となった。
それでも尚、少年は中年のほうを見向きもしない。
そんな少年の態度に、中年は青筋を立てる。
「こっちを向け、クソガキがッ!」
少年の顎を掴み、無理矢理に上を向かせる。
さっきまで瞑目していた少年は、そこでようやく目を開く。
そして、忌々しそうに吐息混じりに漏らす。
「……あ?」
少年の双眸は、俗に三白眼と呼ばれるもの。
ただでさえ悪い目つきが今は睨んでいるせいで、威圧しているかのようだった。
三白眼で睨まれた中年は思わず手を離し、たじろぐ。
「な、何だぁ、その目はよ……」
舌打ちをし、少年に掴みかかろうとする中年だったが。
気がついたときには、そこに少年の姿はなく。
いつの間にか、中年の遥か後方に移動していた。
更に、驚くべきことがもう一つ。
自身の腹部に、何やら違和感を覚えたのである。
ゆっくり、ゆっくりと視線を下ろしていくと――。
自身の腹部に、大きな穴が穿たれていた。
中は空洞となっており、向こう側が見えてしまうほどの大きな穴が。
そこから先は、一瞬だった、
腹の穴から大量の鮮血が溢れ出し、口からも赤黒い血を吐き散らす。
そして、力が失われた体は徐々に前方へと倒れていく。
少年は、振り向くことすらしない。
ドサッと、後ろから体が倒れた音が聞こえたのをきっかけに、再び少年は歩き出す。
一人の男性を殺したことなど、大して気に留める必要のない日常であるかのように。
やがて。
少年の体は、路地裏の一角。
その壁に、吸い込まれるようにして入っていく。
先は、途轍もなく広い空間に繋がっていた。
他に、三人の男女の姿が見受けられる。
左右に位置する二人の男を一瞥するも、特に反応もせず、奥に座っている一人の女性へ視線を送る。
「……来たわね。カウベリー」
カウベリーと呼ばれた少年は、返事を返すことなく、ただ無言で女性を見続けた。
いや、それはただ見ているだけではなくて。
まるで、睨んでいるかのようだった。
「あなたたち三人を呼んだのはね、行ってもらいたい場所があるからなのよ」
「がはははっ、行ってもらいてえ場所ってえのはどこだあ?」
豪快に笑いながら女性に質問を投げかけたのは、太い筋肉に覆われた大巨漢。
そう――闘技場にも現れた、ローレルという男だ。
「慈悲大陸――ディルウィードよ」
女性は口角を僅かに上げ、そう告げた。
すると、今度はカウベリーの遥か左で笑顔で佇んでいた青年が口を開く。
「ディルウィード、ですか。一体、何をしに向かえばいいのですか?」
後ろ髪は腰の辺りまで、前髪は目にかかるくらいまで、もみあげは胸の辺りにまで伸びた、かなりの長髪。
狐のような細い目をしており、瞳を見ることはできない。
常に微笑みを浮かべている、長身の男性。
ローレルやカウベリーと同じく〈十花〉の一人――ダチュラである。
「あなたたちには、次の標的の場所へ行ってほしいの」
「標的、ですか?」
「ええ。今回の標的は、二人。いや、正確にはもっと大多数にはなると思うけれど……ね」
要領を得ない発言に、三人は訝しむ。
そんなメンバーたちには構わず、女性は告げた。
標的とやらの名を。
「つぎの標的は、シオンとアロエの二人よ。おそらくアロエはいつも通り一人で行動しているでしょうけれど、シオンの場合は違う。シオンを狙った場合、他のパーティメンバーとも戦う必要があるわ。だからこそ、あなたたちを選んだのよ。〈十花〉の中でも、現段階ではかなりの実力を誇る、カウベリーとダチュラをね」
〈十花〉のメンバーには、それぞれナンバーや序列などというものは存在しない。
しかし、それでも複数人の強者が集っている以上、やはり強さに差は生じてしまう。
カウベリーとダチュラの二人は、現状ではかなり上位に食い込むレベルだと、女性は認識していたのだ。
「ヒース、オオバコ、ローレルの三人は、既にシオンと戦っているのよね。でも、ヒースはシオンに敗れ、オオバコはアロエに敗れた。ローレルはシオン一人と戦ったみたいだけれど……他の仲間がいる状況なら、前と同じようにいくとは限らないわ。よって、カウベリーはアロエのところへ、ローレルとダチュラの二人はシオンたちのところへ行ってほしいのよ」
ダチュラは得心がいったように頷き、ローレルは楽しみだとでも言わんばかりに笑い、カウベリーは興味なさそうに瞑目する。
ボスからの命令を受け、戦場に赴く前の戦士同然だった。
「僕とローレル君の二人で、ですか。今までは基本的に一人ずつだったのに、珍しいですね」
「相手の人数と戦力を考えれば、妥当だと思うわ。フォルトゥーナには、他にもネリネがいる。できればネリネも仲間に加えたいところだけど、シオンだけは……何としてもシオンだけは連れて来なさい。私には――あの子が必要なのよ」
そう言った女性の瞳には、悲哀やら憤怒やら様々な負の感情が入り混じっていた。
でも、その様子に気づくこともなく、ダチュラは更なる問いを発する。
「あははっ、分かりました。ですが、既に何人かがシオンさんを誘いに行ったのですよね? それでも仲間になってくれなかったのですから、僕たちが行っても……」
「……ええ。おそらく、そんな簡単には仲間になんてなってくれないでしょうね。でも、無理矢理連れ去るだけじゃだめなのよ。他のメンバーたちと同じように、ちゃんと自分自身の意思で、私たちの仲間になることを選んでくれなければ意味がない」
「それはもちろん分かっているつもりですが、僕たちはそこまで器用じゃありませんよ? 殺さないよう手加減できる自信も、あまりありません」
「……分かってるわ。どうしても仲間になってくれなくて、最後まで抵抗してくるのであれば――殺すことも厭わない」
「あははっ、相変わらず支離滅裂ですね」
ダチュラがそうやって笑うが、女性は何の反応も返さない。
ただ俯いて、自身の額を押さえながら奥歯を噛み締めていた。
「がはははっ、ボスが自ら行けば早いんじゃねえかあ?」
「……まだよ。まだ、私はあの子の前に現れるわけにはいかない。だから、お願い」
まるで組織のボスだとは思えないような、命令ですらなく懇願。
他の三人は少し心地悪そうに、「……はい」とだけ返事を返した。




