犯行計画
送り主「下川弥一」から届いた小さな段ボール箱を開けると,マチェットの鋭い形状がビニールの包装越しでも分かった。
事前に写メで送られてきたものと同じ物である。
思わず笑みが溢れる。
「フフフ,バカめ」
下川という男はなんてバカなんだろう。
我ながら杜撰で,バカバカしいポスターだった。自分だったら間違いなくこんなあからさまなポスターには引っかからない。
しかし,あえてバカバカしいポスターにしたのにはちゃんとした理由があった。
バカを選別するためだ。今回の協力者は,知能レベルが低ければ低いほど望ましい。私の出す指示に対して疑いを抱くことなく,最後まで遂行してくれるほどバカで鈍感な人間だけが引っかかるように,「日当10万円」の言葉を正面に躍らせた露骨なポスターにしたのである。
私の狙い通り,ポスターに引っかかって電話をしてきたのは正真正銘のバカだった。私の指示に右から左に素直に従ってくれた。刃物という物騒な物を購入することについても,何ら警戒心を抱いていないようだ。
下川は自分のしていることの意味に全く気付いていないのだろう。10万円という日当に目が眩み,本当は自分がそれを遥かに上回る代償を払わされていることに気付く余地もないのだろう。実に鈍感であり,実にバカである。まさしく私が求めている人材だった。
私はビニール手袋をした両手でマチェットの包装を丁寧に解く。とても良い。この凶器を使えば,妻-目黒みゆうの息の根を確実に止めることができるだろう。
みゆうと出会った当時,私は世の中にこんな素晴らしい女性がいたものかと感動を覚えた。
器量が良く,気遣いができて優しい。男性を立てるということが自然にできており,家内とするにはこの上ない人材に思えた。
しかし,一回り年下の妻は入籍してから豹変した。
専業主婦でありながら家事を放棄し,毎日外で遊び回っていた。終電の時間になっても家に戻らないこともたびたびあった。
結局,交際していた頃にみゆうが私に尽くしていたのは,私に対する愛ゆえではなく,私の財産が目当てだったのだ。入籍し,相続権まで得たところで安心し,本性を現したということだろう。
みゆうは悪魔だ。私が離婚を切り出したら,慰謝料や財産分与の名目で俺の財産を剥ぎ取れるだけ剥ぎ取ろうとするに決まっている。
去年だったか,愛人である端野比奈が私の携帯に電話したときに,代わりにみゆうが出たことがあったという。みゆうは私の不倫の決定的な証拠を掴んだのである。
しかし,それでもみゆうはそのことを俺に問い質すことはなかった。夫の不倫に気付きながら,見て見ぬ振りをすることに決めたのである。それはみゆうが私に一切の愛情を抱いていないことの何よりの証拠であった。夫婦関係の修復に務めるのではなく,不倫の事実を「隠し玉」として,離婚の際の慰謝料請求など,さらなる金銭搾取の道具とすることを決めたということだから。
悪魔に私の人生を丸ごと持って行かれるわけにはいかない。みゆうを殺そう。私は決意した。
とはいえ,もちろん刑務所に入る気などはさらさらない。
みゆうを殺しながらも,その罪は私以外の誰かに被らせなければならない。
推理小説ではないので,たとえば密室などを作って,捜査機関に謎を提供し,何がなんだか分からなくさせる必要はない。
私の目的はただ一つ,私に嫌疑が及ばないことである。そのためには,捜査機関を混乱させるのではなく,むしろ捜査機関に一直線の道筋を提示してあげた方が良い。私以外の誰かが犯人であることを示す明確な道筋を。
その「誰か」を募るために,私は件のポスターを作成した。
そして,ポスターに書かれた連絡先に電話をしてきた下川弥一の立候補を受け入れたのである。
計画は単純明快である。
私がどこか人気のない屋外にみゆうを呼び出す。
そして,みゆうを殺害する。
このとき,刺殺には下川に事前に購入させたマチェットを用いることが肝心である。
このマチェットは,殺人犯が下川であることを示唆してあまりあるものである。下川が写メを撮る際,マチェットには下川の指紋がべったりと付いているはずだから。
その上で,みゆうの死体の側には,マチェットに加え,ヒトスジオオメイガのキーホルダーを落としておく。これは「ビートルズ」オリジナルのキーホルダーであるため,購入者を辿ることによって確実に下川と結びつく。
商品の一つ一つに対して異様な愛着を持っている店主のことだから,ヒトスジオオメイガのキーホルダーを買った客のことを質問すれば,下川の特徴を即座に思い出してくれるだろう。
十分な「証拠」を残したのち,私が警察に通報する。
警察に話すべきストーリーはこうだ。
「妻とデートをしていたら,急に不審者が現れ,妻に襲いかかってきた。突然の出来事に気が動転しているうちに,妻は不審者に刃物で刺された。不審者はどこかに逃走していった」
「まずは第一発見者から疑え」というテーゼは,確固たる「証拠」によってすぐに崩されるだろう。
凶器やキーホルダーといった犯人を示す物が現場に落ちている以上,警察はこれらについて調べ,あっという間に下川に到達する。私は惨劇に巻き込まれた被害者遺族という限度でしか取り調べを受けないで済むだろう。
そして,逮捕された下川はバカ正直に話すだろう。
ポスターの件,マチェットやキーホルダーは電話の指示に従って買った件,買った物を電話の指示に従って郵送した件。
しかし,そんなバカな弁明は警察には通用しない。
「他人の指示に従っただけで自分は知らない」というのは,覚せい剤密輸を否認する容疑者の常套句である。警察が耳を傾けるに値しない。
なお,もちろん,電話番号から足がつくことがないように,俺が下川に指示を出したり,写メを受信したりするために使った携帯は,ネットオークションで購入したものである。
下川には申し訳ないが,短い夢を見せてあげたのだから許して欲しい。だいたい,あんな怪しいポスターに騙される方が悪いのだから自業自得だ。
「さてと」
私は大きく伸びをすると,携帯電話をポケットから取り出す。
最後の詰めを決して忘れてはならない。
下川に罪をなすりつけるために絶対にしなければならない大切なこと一つ残っている。それは下川を犯行現場付近に呼び出すことである。
下川が「犯人」であるためには,みゆうが刺殺される時刻・場所に下川がいる必要がある。仮に私がみゆうを刺したときに下川にアリバイがあれば,計画は大失敗。下川に罪をなすりつけることができなくなってしまう。下川を犯行現場に同席させるまではさすがにいかなくとも,少なくとも犯行現場付近の監視カメラに映ってもらう必要がある。
私は携帯電話に登録されている唯一の番号に架電する。待ってましたとばかりに,ワンコール目で下川が電話に出た。
「もしもし下川です」
「最後の指示だ。今日の19時頃,戸田駅北口に来い」
「分かりました」
最低限のやりとりで電話を切った私の口元からは再び笑みが溢れた。