ある日、家に帰ると皇帝がいた。
誤字脱字のご報告とてもありがたいです。
ご好評頂いたので続き書きました!ありがとうございます!!
シリーズ化してるので上のリンクからどうぞ!!
ある日、家に帰ると皇帝がいた。
「ここはとても狭い部屋だな」
「はあ…一人暮らしなもので」
人のベッドに無遠慮に腰掛け、まさにどこかの王様のようにふんぞり返る男。
ハリウッド俳優のように整った容姿。金の髪はかつらには見えないから地毛を染めているのだろうか。鮮やかな緑の瞳はカラーコンタクト?
どちらかといえばファンタジーもののコスプレのような派手できらびやかな衣服に身を包んでいるその出で立ちは、1K6畳の部屋には酷く不釣り合いだ。
当然、私に見覚えはない。
「あの、どちら様で」
「余か?アトアリア皇国第34代皇帝、ハルバードである」
「はあ…それは…遠路はるばる…」
本当に皇帝だった。
私の頭は決して良くはないが、少なくとも近隣国では無いことだけは確かだろう。学校の授業でも聞いたことがない国だ。
この人の脳内にだけ存在する国でなければ。
「その、皇帝さまはどうやってこの部屋へ?ここには鍵がかかっていたかと思うのですが」
「それが、何やら我が城にある古いワードローブを開けたらそこへ通じていたのだ」
自称皇帝さまが指さす先には我が家のクローゼットだ。
…そういう設定なのだろうか。雰囲気をぶち壊して申し訳ないけれど開けてみようか。
思いきってクローゼットを開く。
「え…」
「ああ、そこは今使われていない物置部屋だ」
いつも通り私の荷物はある。
けれどその奥に空間が広がっていた。
それはまさに西洋の城の一室。私の部屋よりも広く、このアパートの構造上ありえない存在だ。
映画の中でしか見たことがないような部屋。
ただし全てのものに布がかけられており、埃っぽく、確かに長く使われていないようだった。
「本当だ…」
「余も信じられなかったのだがな。この部屋には見たことがないものばかりだ。信じざるを得まい」
これは現実なのだろうか。
目の前の男性が言っていることが虚言ではなくなってしまった。
となると皇帝さまというのも本当なのかもしれない。
呆然と彼に目をやると、口の端を吊り上げて愉快そうに笑った。
「どうした、お前の部屋なのだから遠慮せずに寛げ」
「はあ…」
クローゼットの前で突っ立ったままの私に皇帝さまはそう声をかけた。
とりあえず肩にかけていた鞄を下ろす。
いつもであればすぐに部屋着へと着替えるのだが、見知らぬ男性のいる部屋でそんな事出来るわけがない。
ひとまずそのままの格好で、ちゃぶ台を挟んで皇帝さまの向かいへと座った。
なんとなく正座をしてしまう。足が痛いがクッションは皇帝さまの足元にあるので仕方がない。
更には皇帝さまが土足であることにも気づいたが、私には今それを指摘する勇気も、クッションを取る勇気もない。
「臣下ではないのだから、そのように床に座らずとも良いのだぞ?」
「…ええと、普段からこれでして」
「ほう?」
キラリと目を光らせた皇帝さまに、嫌な予感がした。
案の定、彼は次々と質問を投げ掛けてきた。
この国の人間の生活スタイル、経済、政治。
皇帝さまが特に興味があったのは国の仕組みのようで、私に詳しく説明できることはあまりなく、困ってしまう。それでも皇帝さまは満足そうだった。
慣れない説明をしていたせいで喉がカラカラだ。
「飲み物を飲んでもいいですか」
「当然、余にも淹れるのだろうな?」
一段落したタイミングを見計らって、そうお伺いを立てれば自分も飲みたいのだという。
偉そうなのはやはり皇帝と言う肩書きのせいなのか。
毒味とかしなくて良いのだろうか。毒なんて入っていないけれど。
何の変哲もない麦茶を冷蔵庫から取りだし、コップに注いで渡してやれば、それだけでも興味深そうに見ていた。
「作り置きか?味が落ちるのではないか?」
「麦茶は割とどこの家でも作り置きしてるんじゃないですかね」
「冷たいぞ!なんだこれは」
「冷やしてましたからね」
「独特な香りがする」
「麦ですね」
「麦だと?麦から茶が作れるのか」
麦茶ひとつでここまでリアクションがあるとは。面白い。
いっそコーラを飲ませたらどうなるのだろうか。残念ながら私は炭酸が苦手なので持ち合わせてはいないが。
生産方法、保存方法などひとしきり麦茶への質問を受けるが、これについても私は詳しくはない。
お茶は乾かして煎ればできるんじゃないかと思うが、冷蔵庫の仕組みなんて知ったこっちゃない。
それでも目の前で冷蔵庫を見せれば、皇帝さまは目を輝かせていたので良しとしよう。
「なるほど、面白い。我が国とは全く違った発展をしているのだな」
「そうなんですね」
そう相槌を打てば、今度はお返しにとばかりに皇帝さまが自分の国を語る番になった。
皇帝さまの国は本当にゲームやファンタジー小説に出てくるような国なのだそうだ。
剣と魔法、旅と冒険。子どもの頃想像したような世界。
それこそ流石に信じられなかったが、目の前で魔法を見せてくれた。
手のひらで揺らめく炎は、小さいけれどとても綺麗だった。
炎は皇帝さまの手の上で、人になったり、馬になったり、ドラゴンになったりと自在に形を変える。
CGのような映像が、画面越しでもなく目の前に広がっている。
実際に目にしてしまえば、俄然興味が湧いた。
「すごい、本当にそんな世界があるんですね」
「余こそ驚いている。想像すらしたことがないようなものばかりだ」
お互いにそれを認め合い、盛り上がる。
そこから一気にヒートアップした私たちは、自分の国の事だけではなく、私生活を含めなぜか愚痴を口走り出した。
私は仕事と上司、同僚について。
皇帝さまは政とお妃、後継者争いについて。
皇帝さまは独身らしく、権力を持ちたい貴族が挙って自分の娘をゴリ押しするのだそうだ。
皇帝さまは平等に扱っているが、親同士も娘同士も勝手に争うらしい。
あちらを立てればこちらが立たず…という状況で、下手に手が出せないのだそうだ。
「上に立つ人間は大変ですねえ」
「いや、お前こそ。理不尽な言を堪えねばならぬ立場はさぞかし辛いだろうな」
彼の悩みに比べたら私の悩みなんてありきたりなものだが、皇帝さまはちゃんと聞いてくれた。
まるで酔っ払いのように次々と愚痴を言い合う。
飲んでいるのは麦茶なのだが。
あっという間に時間が過ぎていた。
いつの間にか正座も崩すほどに熱中していたらしい。
時計は23時を指し、家に帰ってからもう4時間も経っていることに気づく。
ご飯も食べていないし、そろそろ風呂にも入りたい。
「皇帝さま、私そろそろ明日の準備をしないといけないのですが」
「む、そうか。余も明日は早いのだった」
皇帝さまが顔を歪める。明日嫌な仕事でもあるのだろうか。
それとも、少しでも名残惜しいと思ってくれているのだろうか。
こんな不思議なことが二度あるかはわからないが、確かにとても楽しい時間だった。
「邪魔したな」
「いえ、私も楽しませて頂きました」
折角だし、と麦茶のパックを数個ビニール袋に入れて渡せば、皇帝さまは嬉しそうに受け取り、ついでにとビニール袋に関する質問をいくつか投げてくる。
最後まで探究心の強い皇帝さまだなあと笑った。
「ではな」
皇帝さまは身を屈めてクローゼットへと入っていく。
中々シュールな光景だ。
「ああ、そうだ」
一度足を踏み入れたものの、思い出したように声を上げ、再度戻ってくる。
「お忘れものですか?」
「いや、お前の名前を聞いていなかった」
それを聞いて、そういえば名乗っていなかったなと思い出す。相手には名乗らせておいて失礼にも程がある。
「仲村真弓です。ファーストネームが真弓で、ファミリーネームが仲村です」
「マユミ…そうか、名前の響きも違うのだな」
「確かに、こっちの世界でもこの国の名前の響きは特徴的ですね」
そう答えながら、皇帝さまの名前は何だったかと記憶を漁った。
呆然としていたか、或いは肩書きに気をとられていたのか、全く思い出せない。
でもまあ、次もないだろうし良いかな。
「ハルバードだ、マユミ」
誤魔化そうと目を泳がせていたのがばれたのか、皇帝さまは見透かしたように名前を口にした。
少し困ったように笑う顔は初めて見た。不自然に胸が高鳴ったような気がする。
「ハルバード皇帝陛下ですね」
「ふむ…そうだな」
何故か腑に落ちない様子で納得された。
私だって長くなったせいで呼びづらいというのに。
「まあ良い、これは次だな。次はもっと親し気に呼べ」
「親し気…ですか」
「そうだ、お前はもう余の友なのだから」
その言葉は少しくすぐったくて、つい笑ってしまう。
けれど全く嫌な気分ではなかった。
「光栄です」
「そうか、ならばこれをやろう」
皇帝さまはそう言って腰に下げていた飾りをひとつ取り、差し出した。
鎖の先に、丸い金色の石がぶら下がっている。
石は蔦のような見事な意匠の銀細工に包まれていて、一目で高そうだと思った。
「え、そんな高価そうなもの受け取れません」
「余がやるといっているのだ。黙って受けとれ」
それでも躊躇している私に、皇帝さまは追い討ちをかけた。
「友好の証だ。受け取ってくれないのか?」
そんな言い方をされては、受け取らないわけにはいかない。
「ありがとうございます…」
両手を受け皿にして、飾りを受け取る。
改めてみると、キラキラと光を反射する石も、細かな銀細工も、とても美しい。
「綺麗ですね」
「そうか」
そう褒めれば嬉しそうに頷いた。
高価そうなものを身につける勇気はないので何処かに飾ろう。
「マユミ」
「あっはい」
飾りを眺めていた顔を上げると、目の前に皇帝さまの顔がある。
え、と驚いているうちに更に顔が近づいて、皇帝さまの唇が額に触れた。
それは軽いリップ音を立て、離れていく。
「それではな」
呆然とする私に素敵な笑顔を残して、皇帝さまはクローゼットに消えていった。
おでこにチューって。向こうの国ではさよならの挨拶だったりするのだろうか。
思わず額に手をあてるが、当然ながら何もない。
嫌ではない。けれどなんだか子ども扱いのような気もするし、じわじわと恥ずかしい。
興奮と羞恥で、その日は中々寝付けなかった。
翌朝、クローゼットを開けば奥には何の変わりもない壁がある。
けれどちゃぶ台の上には買った覚えのない綺麗な飾りが置いてあった。
夢ではなかった。
それなら、跡を濁していった奇妙な友人にまたいつか会えるだろうか。
…まさかその再会が、その日の内に果たされるとは当時の私は思いもしなかったのだ。
うちのタンスからも信長でてこないかなぁ