おねだり
岡村晴一。
かつては《エロガッパ》と異名で馳せ参じていた。
今ではすっかり伝説どころか、人々の記憶から消去されているだろう。
何で今頃。と、愚問することに否定はしない。
ただ言えることは、奴の頭の中が羨ましい。
我が道を、ひたすら直行する生き方。敵と遭遇しても、足元に落ちている小銭を拾って躱すような強運。そして、引き際と思えばあっさりと立ち去る潔い振舞い。
岡村晴一とは、どんな人物だ。
今一度、確認をする意味で語ることに至ったのであった。
***
一匹狼。それこそが、岡村晴一の本質だ。
少しだけわかりやすくいえば、集団行動が嫌いと解釈しとこう。
一方、綿密に計算するわけではないのに計算されたような岡村の行動を疎む輩はあとをたたなかった。
「裏をかえせば『仲間にしたい』と、いう想いだろう」
呑み処《大葉》の店主、茂吉が座敷席に座る客である青年の座卓に切り子ガラスの器が入っている升を置いて、一升瓶から地酒を注ぎ入れた。
「ぬるいぞ、茂吉」
白いワイシャツと紺色のスラックス姿の青年は、酒に口をつける前に茂吉に言う。
「冷やより冷凍が良かったのかい」
頭に白地に唐草模様の鉢巻きをしめて、緑の作務衣姿の茂吉は苦笑いをした。
「ちゃう。おまえが言った『仲間』だよ」
青年は、酒が並々と注がれている切り子ガラスの器を持ち上げた。
「ならば、言いかえる。おまえらしい、とびっきりの言葉だったら“相棒”は自分で選択をする。さらに付け加えると“利用”する目的の『仲間』は要らない。で、どうだ」
茂吉は、青年が持つ器の底から滴る酒を見つめていた。
「さすがだ、友よ」
「安心しろ。今日の客は、おまえだけだ。ちゃんと店の入口に《本日は貸切り》と、札を掲げている。時間は無制限、心置きなくくつろぐのだ、晴」
こうして、茂吉に『晴』と呼ばれた客は、本当に呑んで、食ってを堪能した。
座敷席の座卓の上には空になった徳利が五本、生ビールが入ってただろうのピッチャー、大皿に残るのは鱈場蟹の殻。他にも見事に骨と頭だけになった焼き魚。最後に梅茶漬けでしめくくりとなり、おあいそは明け方だった。
***
一方、日付変更線は関係ない場所で何だか深刻な話し合いをしている集団がいた。
あるモノは新聞のチラシの真っ白な裏に鉛筆を立てると芯で点を付けて弾いて線を引き、他のモノは大量に折った千羽鶴をひとつずつ糸を通した針で繋ぎ、またあるモノは《ゲームウォッチ》というゲーム機に内蔵されている『鈍い銃』で必殺技を繰り出す為に28連打をして指先を痛めてしまった。
「却下」
紫色に染まる絹地の垂れ幕を隔てた女性の一言が、集団の物議を黙らせた。
「本日の作戦会議は終了だ。それでは、解散」
垂れ幕の前で直立不動をしている朱色のベールを頭からすっぽりと被る女性の声で、集団はぞろぞろと集合場所から去っていった。
「美加登。何だか不満そうね」
「澪亜、貴女はわたしがどんなに『奴』の“打倒”をする為に有志を募っては尽く突っ返す。言いたくはないが、貴女の言いぶんを要望をする」
お互いの名を呼びあう女性は、垂れ幕と被り布を隔てていた。つまり、顔を直接見るはしていなかった。
「許否致します」
「……。御意」
以来、ふたりは袂を分かつ。
それぞれの意志は、火花を散らしての対立となった。
法螺貝の吹き音を合図にしての奇襲攻撃は、美加登が率いれる武器を持った数千の軍団。一方、管弦楽団の奏に耳を澄ませながら立ち向かうのは、澪亜。ただひとりだった。
「待てっ!」
美加登は、軍団の駿足を喝破した。
「美加登、どうしたのですか。戦に情は無用ですよ」
一足違いで軍団の一部を、最高音域の歌声でなぎ倒した澪亜。
「澪亜、今一度話し合おう。いきなりこんな状況では、読み手側が物語の世界観についていけない」
「私たちは、自由で気ままな世界にいるのよ。何が起きても筆者まかせで物語が動く。つまり、衝動が世界の源」
澪亜は、純白の洋装だった。まるで花嫁が身に纏うようなスカートの丈が長い、ワンピース。耳飾り、首飾りとも純白の真珠の装飾品をつけていた。一方、美加登はある国の戦国時代で武将が身に纏う鎧甲冑での姿だった。
「少しは、違和感を持つのだ。証拠に私たちの服装と光景が張りぼて状態。いや、ただつなぎ合わせただけだ。と、いうべきだろう」
「わたしは、気に入っているわ。美加登も見事に勇ましい姿が素敵よ」
澪亜の褒めちぎる言葉に顔を朱色に染める美加登だったが、すぐに首を横に振って我に返った。
「本題に戻そう。元々、私たちは『奴』を倒す為の作戦を練っていた。それがいつの間にかーー。何故、だ。澪亜」
美加登は、身に付ける鎧甲冑を脱ぎ捨て黒装束姿になる。さらに、黒くて長い髪を手櫛すると束ねた。
「少しだけ『あの人』のことをお話致しましょう。わたしは『あの人』に自由な生き方を差し上げた。まるで大地に吹く風のように、人を薫らせる。それが『あの人』らしいと、今でもおもっているわ」
澪亜が語ると辺り一面のごつごつとした岩の山と茶褐色の大地である光景が変わり出した。
見上げる空は蒼く澄みきり、果てしなく続く翠の草原。
美加登は、いつか何処かで見た景色だと感じる。同じく、鼻から頬にいっぱい吸い込んでためる薫りにもだった。
「澪亜、私はてっきり『奴』があなたを蔑ろにしていると、思い込んでいたのだな」
澪亜は美加登に微笑みを返した。目を合わせた美加登は、澪亜の清らかな顔に胸の高鳴りを覚えたがおさえようと考えた結果、感情を悟られないように前髪を両手で押しあて目をふさいだ。
「憧憬は、誰にでもあるわ。わたしは叶えることが出来た。でも、叶えられずに終わるはあまりにも、哀しい。せめて『あの人』は……。」
「解った。だから、泣かないで澪亜」
美加登は、澪亜の頬を濡らす涙を右の掌で拭う。
繋がる世界で出会ったふたりの女性。1度はすれ違いをするが、雪解けの頃を迎えたーー。
***
岡村晴一は、自宅にいた。
呑み処《大葉》でさんざん呑んで食ってを明け方まで堪能したにもかかわらず、胃腸薬のお世話にならない笊と鉄のような体質が癪だ。
因みに、岡村晴一の住まいは地上80階建ての超高級マンションの最上階。28帖の広さの洋室と16畳の和室が合わせて6つ。しかもトイレ、バスルーム、キッチン、リビングルームとは別にだ。他にも客室と書斎、何故かサーバールームまでが設置されている。
各部屋の窓および、洋室のバルコニーと和室の縁側から眺める景色は、絶賛だ。昼間は晴れると海と山が一望でき、夜は街明かりが地上で瞬く星の海のように彩りが鮮やかである。加えて屋上までを所有している。しかも、プールとジャグジー、露天風呂が備えてあり、家にいながらにしてリゾート気分を堪能できるだろう。
岡村晴一の自宅に招かれる客は、滅多にいない。
元々は、新居として購入したマンションだった。
結婚を期に当時の妻と短い間ではあったが、ふたりで過ごしていた時期があった。
あくまで、家庭を築く為の我が家。妻とも意見は一致していた。
だが、妻は病でこの世を去ってしまった。以来、岡村晴一はただひとりで居住している。
客を招かない理由は、ちゃんとあった。すべては、亡き妻の為にだった。
妻の魂を、いつでもあたたかく迎える。と、岡村晴一は部屋の至るところに道標として鮮やかな彩りの花を飾り、夜になると灯りは薄紅色の間接照明を照らすのであった。
和室へと向かう為に、中廊下を歩く岡村晴一。
脚を止めて、襖を開けると部屋の奥へと入る。
そして、小さな仏壇の前に正座をして、遺影の前に飾られているオアシスに植わる生花に、口が細いじょうろから水を注ぎ込んだ。
「澪亜、今度『友人』を連れて来なさい。そして、ふたりで時間がゆるすまでくつろぎをしなさい。勿論、茶菓子にフルーツタルトを用意して、ダージリンティーを淹れてあげるよ」
岡村晴一は、火が灯る桜色のアロマキャンドルに息を吹き掛けると、和室から去っていったーー。




