記憶 黄金の旅 その四 一本小路
古着屋の古着と言ってもピンからキリまである。それこそボロボロの布切れのようなものから、どこぞの大商人が着ていてもおかしくないと思わせる長衣まで。だが、私とアイシャが訪れたような、店構えもない露天の古着屋にそんな豪華な品が飾られている訳もなかった。
それでもまあ比較的清潔で、擦り切れていたり色褪せたりしていない品物を漁り、自分にはジプト綿の生成りの上下と紺の帯、アイシャには青い貫頭衣と革のサンダルをあつらえた。
アイシャにサンダルを与えたのは裸足だったからだ。聞けば半月ばかり前に両親が何かの巻き添えになって殺され、ひとり逃げ出してから、まともに食べていないのだという。飲み水は、共同井戸で親切な女が汲んだものを飲ませてもらったというが、食べ物までは施してもらえなかったのだろう。
服装を変えたことによって、近くで見なければあの男たちも私が彼らの追っている相手だとはわからなくなった。幾分か気を緩め、次は空腹を何とかする番であった。
市場の露天で羊肉を炙って切り売りしているところへ向かい、切った肉を平たい種なしパンで巻いたものを買った。アイシャと私の分で二人前だ。
まだ熱いそれを、肉汁をこぼさぬようかじっていると、二人とも何だか幸せな気持ちになり、顔を見合わせて思わず笑った。
「何がおかしいんだ、アイシャ?」
「おじちゃんだって笑ってるじゃない」
「おじちゃんではなくルズだ」
「ルズおじちゃん」
「ルズだと言ったろう」
「ルズ?」
「何だ?」
「どうして着るものまで買ってくれたの?」
「さて、どうしてだろうな」
「ルズにも子どもがいるの?」
「いや……今はいない」
「ごめんなさい」
「何を謝る?」
「だって、前はいたんでしょ」
「……ずっと、ずっと昔の話だ」
最初に出会った時から、アイシャは感のいい子どもだった。よ過ぎると言ってよいほどだった。
それからしばらく私はアイシャと共に暮らした。自分の身元を隠すための手立てとしてのことだ。流れ者の二人連れでも、その一方が子どもであれば、気を許す者は少なくない。洗って髪を梳いてやると、アイシャは幼いながらも器量良しで愛嬌があった。私は市場の片隅で占い師という勝手知ったる商売を始め、よく当たるという評判を築いて、やがて市街地の端に一戸を構えるまでになる。
いつまでも一緒にいるということが無理だとわかっていたので、出会ってしばらく後、私はアイシャを仕込むことにした。最初は踊り子にでも弟子入りさせようと考えたのだが、意外にもアイシャの天賦の才は別の所にあった。
それは私たちが市場での仕事を終え、商売道具を畳んで、薄暗くなった路地をねぐらとした木賃宿に向かって歩いている時のことだった。後からつけて来る男の気配に気付いたアイシャが、私の上着の裾を引いた。あいにくそこは他には人影も無い一本小路で、脇へ逃げようがなかった。
私は振り向きながらアイシャを背後に隠し、短刀を振りかぶって走り寄る男に相対した。男は市場にたむろするゴロつきの一人で、大方私の今日の実入りがよさそうだと踏んで、金を脅し取るか、いっそ殺して奪い取るか、そんな目論見を抱いていたのだろう。幼い子どもを連れた相手だ、一人で十分と考えてもおかしくはなかった。
だが私は長い間生きてきて荒事には慣れていた。アイシャの他に人目がないことは、男にとって不幸なことだったのだ。
男の予想に反して私は逃げ出さず、足を滑らせるようにして男に近寄った。あわてた男は急いで短刀を振り下ろそうとする。だが私の突きの方が早かった。
ガツン。私の握った杖の頭が、鼻の下にある急所に打ち込まれた。人中または水溝と呼ばれる経穴である。男は首を後に仰のけ、倒れる前に気を失った。そのままのけ反るように後に倒れ、後頭部を地面に強打した男はそのまま息絶える。
私が驚いたのはアイシャの次の行動だった。地面に転がった短刀を拾いざま、男に留めを刺そうとしたのだ。
「やめなさい。もう間もなく死ぬ。血を流して服を汚すだけ無駄だ」
アイシャが私に体術を教えてくれるよう求めてきたのはそれからだった。子どもながらアイシャは、私の技が尋常なものではないことを見抜いたのだった。そして幸か不幸か、アイシャにはそれを身につけるだけの才能があった。
私がアイシャに教えられるだけのことを教え、アイシャが私の元を離れるまで、それから十年の歳月が流れた。アイシャは多分、十五になっていただろう。私にできることはアイシャが『殺し』の魔力に囚われないよう育てることだけだった。だからアイシャは『殺し屋』ではなく『冒険者』になった。そのことがアイシャにどんな運命をもたらすかは、また別の話である。
何となく連載みたいになってきました。でもまだ登場人物とか世界観が一緒なだけで、十分な脈絡はありません。習作として「こんな場面を書いてみたい」という気持ちで書いているだけです。これを書き始めた時、ルズのキャラクターをどう考えるか悩んでいました。そこでD・ハメットの「マルタの鷹」のことが思い浮かんだのです。占い師という職業でルズが具体的に何をするのか、書いてみると面白いと思いました。本作はある意味で「マルタの鷹」へのオマージュです。