第四二八話『笑う影』
「……」
飛びかかってきたヘルハウンドインセクトを、銀色の髪の少女が、一刀のもとに斬り伏せた。
桜間 片菜。普段と変わらぬ、感情を感じさせない無表情な彼女。だが今は、どこか憤りを感じさせていた。
「……いったい誰が」
呟き、背後に迫ったミノタウロスインセクトへ振り向き様の抜刀術。しかし相手の耐久力が高いせいか倒れない。
力任せに振り上げた戦斧を片菜の頭めがけて振り下ろそうとして、ミノタウロスインセクトは仰向けに倒れていった。
片菜のアバターのタレント、“死に至る毒”の力だ。
ミノタウロスインセクトの全身に回った毒は、あっという間に彼の構成データを侵食し、滅ぼしてしまう。そうしてデータの残滓に還り消えていく怪生物に、片菜は一瞥すらくれずに次の敵へと目を走らせた。
しかし、戸惑いは消えない。
そう。彼女は戸惑っていた。
この怪生物を産み出している魔法陣は、黄昏の腕輪の機能のひとつだ。従ってこの騒動は、“何者かが黄昏の腕輪を発動させた”ため起こっているのだ。
だが、問題はそこではない。彼女が問題としているのは、“彼女に覚えの無い腕輪が起動している”ということだ。
いったい誰が、誰に渡したのか?
龍属の妖が、先走って渡した可能性もあるが、それにしても渡したという連絡は来るはずだ。
それが無かったにも関わらず、こういった事態になってしまっていた。
「……」
ふと、脳裏に一人の人物の顔がよぎった。自分から腕輪を掠め取っていった黒い六枚羽根の少女。
「まさか、あの時の?」
片菜はそう呟きながら、群がってくるゴブリンインセクトの群れを薙ぎ払った。
仮想空間で起きている事態に、学園中が大騒ぎしているのを見下ろして、少女楽しそうに笑った。
学園よりはるか上空に、彼女は居た。
唯浜 ひかる。
高遠 祐介や神薙 御鳥と同じ中学の後輩であった彼女は、祐介に想いを寄せていた。
だが、彼の隣には御鳥が居た。
それでもくじけすアプローチを続けていたが、想いは報われなかった。
そして、ほんのわずかに生まれた隙間に、影魂が入り込んだのだ。
「……ふふっ♪ 芽吹いた芽吹いた♪ 神崎って人の強い思いと、暗い感情を糧にしてしっかり芽吹いたわ♪」
楽しそうにワラいながら、ひかるは六枚の翼を大きく広げた。
学園から黒いものが立ち上ぼり、彼女の翼に吸収されていく。
「……ああっ♪ 恐怖、怒り、悲しみ……負の感情が、私に染み込んでくるぅッ♪」
顔を上気させ、吸収した感情の迸りを味わう。
人間の強い感情や欲望が、世界へ溶け出す前に奪い取り、栄養とする。そうして、影魂は強く、大きくなっていく。
「……先輩に付けられた傷が無くなっちゃうのは残念だけど、早く治して、会いに行かなくちゃ♪」
艶かしく舌が蠢いて、ぺろりとくちびるを嘗めた。
「……先輩とひとつになるために…………早く食べてあげなきゃいけないから♪」
ひかるの口が、下弦の月のごとく、にんまりと笑みを浮かべた。




