見習い採取士のみる夢は
リィィン、ゴーーォォン……
山並みに鐘楼の鐘が幾重にも響き渡る。
低くのどかな音色は夕べの時刻にふさわしい穏やかさだが、ミルーシュは焦った。あとふたつ鐘が鳴れば門が閉まる。そうなったら、朝まで街に入れない。
「ううう、惜しいなぁ。せっかくいい鉱床を見つけたのに」
淡く光る小洞窟で、ミルーシュはあわあわと道具を取りまとめた。外に出て丸眼鏡をかけ直し、すぅ、と深呼吸をする。
(……よし、大丈夫!)
勢いづけて斜面を駆け降りると、リュックのなかで今日の収穫がチャリチャリと賑やかな音を立てた。その色、赤橙黄緑青藍紫。色の異なる七本が根元を同じくする扇型の結晶体――虹色水晶だ。
虹色水晶は、発色がいいものは粉状に砕いて画布や壁画を飾る顔料に。大地・水・陽のエネルギーをふんだんに含むものは魔力媒体に。欠片はお守りや装身具に。加工しやすく、余すことなく用いられる。
ただし数は極端に少ない。発生理由が不明な上、地に生えた状態で一晩経てば色を失うから。
そういう意味で、鉱床の発見は運に左右される。熟練の採取士にだって、滅多にない幸運だろう。
「あー! 待って! 入ります! 住人ですっ、通して!!」
麓の薮荊に服を引っ掛けないよう注意して山を下り、平らな道へ。同じく閉門ぎりぎりに並ぶ商人や旅人たちを避けながら、半分まで閉じた鉄門の向こうに手を振った。
すると、顔見知りの兵士が、おや、と気づいて滑車係に合図を送ってくれる。そこでふたつめの鐘。
すわ、間一髪――――ッ!
「ありがと。助かったぁ」
息せき切って駆け込んだミルーシュを迎えたのは、先ほどの兵士。
では、なく。
「遅い」
「!? おっ、お師匠さま? どうしてここに」
背の高い美丈夫が腕組みで門扉の片側にもたれ、反対側の扉を長い脚で押さえている。見ようによっては、彼がいる間は閉めようにもしめられない――そんな構図だ。
ミルーシュが「お師匠」と呼んだ男は、長い前髪の隙間からじろりとミルーシュを睨めつけた。
「ばぁか。また一晩閉め出されるつもりか。オレの心臓が保たんだろうが」
「すみません……でもほら、間に合いましたし」
「たわけ。鐘楼のじいさんに頼んで遅めに鳴らしてもらってんだよ」
「えっ!」
目を丸くするミルーシュの腕を引き、するりと門扉の内側に滑り込んだ男は空いた手を宙にひらめかせ、ささやかな光を空に打ち上げる。魔法による花火信号だ。
淡い菫色の空にポン! と閃光が散ると、待ちかねたようにみっつめの鐘。
リィン、ゴーン……
ゆっくりと閉まる門扉に、ひらりと身を躱す師匠。ミルーシュは、くやしそうにそれを見上げた。
「職権乱用」
「煩い。行くぞ、帰る前にじいさんに詫び入れる」
「はぁい」
ほどほどにしてくださいよ、と呆れる兵士に見送られ、「ああ」と答えた男はまっすぐに街路を取って返した。
「待って、お師匠……っ」
追いかけるミルーシュは小走りだ。
雑踏のなか、仕立ての良い上衣を羽織った大きな背中にゆるく結んだ黒髪が左右に揺れている。手を伸ばしても届かない。
ミルーシュは、これじゃあ猫じゃらしで弄ばれる猫だわ、と憤慨した。ぐぬぬ、と食いしばった歯の間から変なうめき声が漏れる。――この御仁は!
「もう、カイリさん! 待ってったら」
「……」
やけっぱちで叫ぶと、容赦のない足運びがぴたりと止まった。
振り返った顔は相変わらず前髪のせいで目元が隠れているが、通った鼻筋の下で形の良い唇がにやりと弧を描く。
「最初からそう呼べばいいのに」
「ぐっ」
ミルーシュは眉を寄せて敗北を認めた。いやになるほどいい声だ。まったく、なんで、このひとは悪ふざけ込みじゃないと師事させてくれないのか。大人げない。
「カイリさんは師匠らしくありません」
「師匠じゃない。夫だ」
「双方の合意とは。わたし、まだ十五なんですが……? カイリさん何歳でしたっけ」
「二十」
「去年もそう言ってましたよね」
「わかってるなら聞くな」
「?? わからないから、聞くんです」
「…………死ぬ……」
「は?」
あまりに唐突な死の宣告にミルーシュは耳を疑った。いつの間にか片手で肩を抱かれている。
それは、家路を急ぐ通行人や飲みに繰り出す旅行者を器用に避け、小柄なミルーシュを守るためだと察している。身長差のせいで手は繋ぎにくいのだろう。
怪訝顔のミルーシュに、カイリはぼそぼそと呟いた。
「嫁が可愛すぎて死ぬ」
「しっかりしてください。死なれちゃ困ります。あと、嫁じゃなくて弟子です」
「わかったわかった」
「聞け、ひとの話!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ少女と、ぼさっとした黒髪の魔法使いはその後、夜光灯がちらほらと点りはじめる時分に鐘楼へと辿り着いた。
✧
「悪かったな、じいさん」
「まったく。ひやひやしたぞい。あれ以上遅れたら問答無用で鳴らすところじゃった」
クロッセルの街の〝時知らせの塔〟は数百年も昔、匠のわざの粋を用いて建てられた。
街いちばんの尖塔内は華やかな壁画やステンドグラスで飾られ、内壁を巡る螺旋階段には石のレリーフが施されている。
最上階の櫓部分には巨大な鐘が吊られ、すぐ下の小部屋に〝鐘撞き〟が住んでいる。
鐘撞きは、名をハルヴァン。カイリは簡単に『じいさん』と呼ぶ。
「ごめんなさい、ハルヴァンさん」
ミルーシュはカイリの隣に立ち、縮こまりながら謝った。
白い眉と口髭が床まで伸びたハルヴァンは、ほっ、ほと快活に笑う。背はミルーシュの半分ほど。
が、彼は大人が三人がかりでなければ持ち上げられない鐘撞き棒をたったひとりで肩に担ぐ。剛腕長命で知られるドワーフの民なのだ。
「嬢ちゃんに謝ってもらうこたぁねえが。次からは気をつけな。いつでも気のいい隊商に壁の外で匿ってもらえるとは限らんからな」
「仰るとおりです……」
いっそう縮む頭を、ハルヴァンは手を伸ばして撫でた。
「ほれ、背を伸ばさんと儂みたいになるぞ」
「そりゃ大変だ。じゃあな、じいさん。詫びの品だ。取っといてくれ」
「おお、気が利くのう」
カイリが上衣のポケットから取り出したのは小さいながらも酒精の強い蒸留酒の瓶。知る人ぞ知る、ドワーフの里の特産品だ。人間には強すぎる上、数が少なく非常に高値のため、滅多に出回らない。
なぜそんな品を一介の魔法使いが手に入れられたのか。
誰が問うまでもなく、ハルヴァンは気さくに笑った。
「里のみんなは息災じゃったか? またよろしく頼む。〝王の魔法使い〟」
✧
この国には仕事のクラスアップ制度があり、制作系および魔法職の第一段階は採取士。そこから薬師や錬金術師を経て、努力と才能次第で博士や魔法使いにいたる。
もちろん、自らの意志で初級職を貫く者もいる。まったく別系統の仕事に転じる者も。どの昇級も、認可をおこなうのはギルドに登録した個別の師だ。
〝王の魔法使い〟は、文字通り国王直属の側近。その数十二。
十二人のなかには厳密な階級があり、第一位は〝魔法使いの長〟と呼ばれる。
長は王の相談役をもつとめる要職だが、最下位はカイリ曰く「ただの便利屋」だそう。
不敬すれすれの言い方は、本人だからこそ許されるのかもしれない――
ミルーシュの師・カイリは、第十二位の〝王の魔法使い〟。つまり、王の意を受けて飛翔や縮地の魔法を駆使し、各地を飛び回る仕事をしている。
よって、ドワーフの里には何度か足を運んだことがあり、ドワーフだけでなく、各地の領主とも面識があって、多方面に伝手を持つ。いわばひと角の人物だ。
本当に。
なぜ、こんなひとが師匠になってくれたのか……
「わかんないなぁ、お師匠さまは」
「なーんか言ったかー?」
「いいえ! 何も!」
ミルーシュは、カイリの家の厨房で夕食の支度をしながら声を張り上げた。
今日収穫した野生のハーブと茸の汚れを落とし、ぐつぐつと煮えたぎる鶏鍋にちぎって入れる。鶏肉は鐘楼の帰り、店じまい直前の市場で買った。
数種の根菜を煮たスープはうっすらと色づき、軽く表面を炙った肉の油が沁み出て美味しそう。
採取士は、鉱石も食材も薬草も何でも採る。
仕事なので成果の大半は採取士組合で買い取ってもらうが、教えられた知識を確認するため、可能であれば自分で使う。
そうすることで森羅万象への理解を深め、経験を重ねて中位職の薬師か錬金術師にクラスアップするのが常道だった。
(料理人もいいかもなぁ。薬師から逸れて医療食専門になったひともいるっていうし)
ふんわりと香る湯気に、ミルーシュはしばし、しあわせな気持ちになった。
――遡ること五年前。
崖崩れで山裾の家を村ごと失い、天涯孤独となったミルーシュを救ってくれたのは、視察のために当地を訪れた〝王の魔法使い〟だった。
ハルヴァンのように白い髪と白い髭が特徴的なそのひとは、お付きの従者に「世話をしてやりなさい」と、ミルーシュを託した。
故郷はものすごく田舎にあったから、孤児院なんて施設は近くになくて。
だから、魔法使いのおじいさんは「然るべき場所に送ってやりなさい」という意味で仰ったのだと思う。
だがしかし、当時からぼさぼさの前髪で顔がよくわからない風体をしていたカイリは、馬鹿正直にクロッセルの自宅にミルーシュを引き取った。
おそらく、彼はそのときから自称二十歳である。
「もったいない。せっかくいい顔してるのに」
「よーし、もっと褒めていいぞ」
「……なんでそういうことはばっちり聞こえるんです……? はい、できましたよ。持ってってくださいね」
「お、うまそうだな。ありがとう」
皿に盛り付けた具だくさんスープを片手に、カイリはミルーシュの乳茶色のおさげ髪をぽふぽふと撫でていく。
大きくなったからやめて、と常日頃訴えているのだが、この癖も変わらない。
そのたび、ミルーシュは憤慨しつつも怒りきれない。眉を下げて許してしまうのも、いつものことだった。
「っ、パンはカイリさんが温めてくださいね」
「お安い御用だ」
ご機嫌なカイリは、ふふふん、と鼻歌まじりで今朝焼いておいた堅パンを手のひらでくるり。ほかほかにする。
――――魔法使いを便利屋扱いする王さまの気持ち、わかるなぁ……などと、ミルーシュはこっそり思った。
✧
「わぁあ、すごい! 虹色水晶がこんなに! 全色揃ってるじゃない。もう一人前じゃない?」
翌日、採取士組合に虹色水晶を持ち込んだミルーシュは、たちまち時のひととなった。
初級職とあって、組合ホールは同年代の少年少女が多い。精査を待つミルーシュを囲んでホールは押し合いへし合いの騒ぎとなり、カウンターの向こうでは鑑定士が興奮気味にルーペを覗いている。
どこにあったのかと顔見知りの少女に訊かれ、ミルーシュは、えへへと頬をかいた。
「門の近くの山だよ。もとは生きもののねぐらだったのかな。掘られたっぽい洞窟があって、入ったら奥に鉱床があったの」
「えっ、あの荊の? よく入れたわね」
「コツがあるの」
「流石だわぁ。『魔法使いの弟子』さんは」
「……」
ほんの少しの当て擦りを感じ、ミルーシュは大人しくほほえむにとどめた。
いつも、そう。
ミルーシュがレアアイテムの採取に成功すると、皆こぞって場所を聞きたがる。
口をつぐめば稼ぎを独り占めしたいのだとやっかまれ、話しても最終的には「師匠のおかげ」。
もう慣れっこではあるけれど――
さいわい、ミルーシュの薄い反応に件の少女がいらいらと突っかかる前に鑑定は終わった。善意の受付嬢が「さあ、散って散って!」と手を叩く。
おかげでカウンター席に腰を下ろせたミルーシュに、奥から出てきた鑑定士は嬉々と結果を伝えた。
「お待たせしました、ミルーシュさん。虹色水晶はぜんぶ最高品質でしたからね、たくさんあった小粒のぶんも査定に足しておきました。報酬は階下の預かり所からどうぞ」
「! ありがとうございます」
契約魔法が施された証明印紙を渡され、ミルーシュは、パァッと表情を明るくした。
印紙には報酬額のほか、採取士ギルドの押印にミルーシュの名と階級が記されている。それが、なんと「中級採取士」に変わっていた。
見習いを初めて半年足らずで初級越え。これはすごいことだ。
まさかの昇級ににこにことするミルーシュに、先ほどの受付嬢がウィンクを送る。
「よかったわね、ミルーシュさん。預かり所はお師匠さんと一緒に行ったらいいわ。危ないから」
「はい。でも、しばらくは預けっぱなしかな。今は、どちらかと言えば中級のピンバッジが欲しいです。いついただけます?」
「うふふ。そうよねえ。じゃあ、そこのテーブル席で待ってて。本来は翌日以降なんだけど、名前を彫ってあげる」
「はい!」
ミルーシュは元気よく立ち上がり、勢いのあまりずり落ちそうになった丸眼鏡を両手で直した。
正規の職を得たものは、ギルドからバッジを支給される。それをとうとう身に着けられるのだ。
襟元にちいさなバッジが輝くのは格好いいし、長年の憧れだった。
ミルーシュはうずうずしながらテーブル席へ移動し、座面が高めの椅子に腰かけてからは、浮いた足を控えめにパタパタさせる。
(だって、今日から一人前なんだもの!!)
うれしい、うれしい。
お師匠さまにはどう報告しよう。
今夜はごちそうにしたっていいかもしれない。帰りは市場で、ちょっといいお肉やお菓子を買っていこう。
――――などと考えていたときだった。
「失礼、さっきの水晶はあなたが?」
「へ? あ、はい」
ミルーシュは、きょとんとした。
……見知らぬ男性に、声をかけられた。
✧
男性は細工師のジョシュアと名乗った。
細工師に限らず、仲買商を通さずに採取士ギルドまで直接買い付けに来る手合いはたまにいる。
ジョシュアはくすんだ金髪を額から後ろに撫でつけ、芝居がかった仕草で恍惚と熱弁をふるった。
「ずっと様子を窺っていました。あんなに高品質の結晶を見つけられるとは素晴らしい。しかも謙虚。お仲間に採掘場所まで教えてあげるとは、このジョシュア、いたく感服しました」
「はあ」
ミルーシュは戸惑い、生返事をした。
ずっと見られていたことにも激しく引くが、じつは、あれは教えたうちに入らない。
荊の山のトゲトゲ地帯は広範囲なうえ、刈っても高速再生する魔力溜まりにあり、けっこうな難所として有名だ。無茶をすれば怪我をする。あの少女も、それは知っているのだ。
ちなみにミルーシュはふつうに装備を整え、相応の時間と労力をかけて洞窟に行き着いた。帰りもそう。効率の良い採取方法などあるわけがない。
ミルーシュは押し黙り、バッジが仕上がるまで、のらりくらりと聞き流すことにした。
――が、男はとんでもない提案をした。
「ぜひ、あなたと直接契約したい。次回も石が採れたら私に譲ってくれませんか」
「そういうのはダメなんですよ。ギルドを通してください」
「そこを何とか」
「なりません」
つん、と横を向いて突っぱねると、ジョシュアはそわそわと後ろを窺う素振りをみせた。やがて咳払いをして、こそりと声を低める。
「では、個人的に親しくなるのは問題ないですよね。ミルーシュさん。今度、一緒に食事など」
「――するかよ。去ね。こいつに関わるな」
「ひ! ひいい!?」
「お師匠さま? なぜここに」
「来ちゃ悪いか」
「い、いえ」
あまりの剣呑さとタイミングにミルーシュは驚き、次の句を飲み込んだ。
カウンターを見れば受付嬢は颯爽と親指を立てており、カイリはすでにバッジを持っている。
なるほど、そういう。
(……きっと、有事には魔法使いを呼べる仕組みがあるのね。本当に飛んで来るあたり、いささか非常識だけど)
ある程度なら物理法則を無視できてしまう無双師匠に、ミルーシュはやれやれと肩を落とす。
カイリの仕事先はいちいち把握していないが、たいていは遠方のはずだ。彼は我が国の〝王の魔法使い〟の、第十二位なのだから。
そうこうするうち、カイリは長身を屈めて弟子の上衣の襟にバッジを着けた。
ミルーシュには、いつも見上げる師匠の鼻頭が目の前にあるのがめずらしく、頬に掠る乾いた指の感触がくすぐったい。
「どこの馬の骨か知らんが、これでこいつは正規の採取士だ。どうしてもってんならギルドを通せ。行くぞ」
「は、はい」
ミルーシュは促されるまま席を立つ。ちらりと視線を遣ると、青ざめて冷や汗をかくジョシュアは動くこともままならないようだった。
カイリは、今日は手を繋いでミルーシュを引っ張っていった。
「まったく、ひやひやした! お前、何を考えてる?」
「お師……カイリさん。怒ってるんですか?」
「当たり前だ!」
ずんずんと進む背中は昨日より近いのに、こうも強く引かれてはついて行くのがやっと。――それはそう。そもそもの脚の長さが違うのに!
ミルーシュは、かちんと来て無理やり急停止した。
カイリは振り返って眉をひそめる。
「何だ」
「カイリさん。わたし、一人前になりました」
「だから何。オレはお払い箱とでも?」
「――そうだと言ったら?」
「! なっ」
「今まで! お世話になりました!! なんて、急に言い出しても知らないんですからね!? カイリさんの馬鹿!」
「ちょ、待て。なんでそう……っ」
「カイリさんが横暴だからでしょう? もう、むしゃくしゃしたから寄り道します! 追ってこないで!」
「こ、こら。ミルーシュ!」
ミルーシュは走った。
何だ何だとこちらを注視する人垣をかき分けた。
昼前の市場は、それでなくとも混みあいやすい。雑踏に紛れるのは容易かった。
その日。
ミルーシュはちゃんと夕刻前に帰ったものの、初めて就寝まで師匠と会話のない夜を過ごした。
✧
「ああ〜」
「そんなに落ち込むなら、さっさと謝っちゃえばいいのに」
「無理よ……売り言葉に買い言葉だったもん」
「それ、犬も食わない喧嘩の典型的比喩。おばかさん」
「うう〜〜」
もはや習慣である、採取士ギルドへの朝の訪問。
ミルーシュはテーブルに突っ伏し、クエストを受ける気力もないまま魂の抜けた顔をしていた。
そこに通りがかったのが、昨日突っかかってきた同年代の採取士。
彼女――アイリーンは、呆れながらも張り合いをなくした好敵手に「何かあったわけ」と、渋々尋ねた。
それから急きょ、打ち解けた。
アイリーンは見習いになった時期がとんでもなく早かったため、すでに中級採取士。ミルーシュの先輩で、今は同じ階級だと。本人はなかなか上級になれないため、焦っているとも。
「誰でもあんたみたいに、最上職の師匠につけるわけじゃないの。あたしなら謝るわ。むしろ逆らわない」
「えっ無理……ふつうに腹立つもん」
「あんた、よっぽど大切にされてきたのね。腹立つ……」
「えっ、ごめん」
「なんであたしには素直なのよ」
けらけらと笑うアイリーンは屈託がなく、何の翳りもない。
ミルーシュは、しゅんと項垂れた。
「それでも、ごめん。わたし、色々とわかってなかった」
「わかればいいのよ。――と、行くわ。じゃね」
「うん」
すらりとした肢体のアイリーンは、軽やかにホールをあとにした。
ひらひらと手を振って見送ったミルーシュは、その姿に憧憬をおぼえる。
年齢のわりに手もちいさく、小柄で子ども。容姿や能力が優れているわけでもない。
そんな自分でも掴める未来があるなら――努力が報われるなら、頑張りたかった。
それが、何のためだったのか。
(わかりやすいのに難しいな)
ン、と背伸びをして立ち上がろうとした。
すると千客万来。今度はなんと、昨日の男性がやって来た。ひとりではなく女性連れ。ミルーシュは思わず身構えた。
「今日は何を」
「すみません。あの、実は……私は、こちらの御方の使用人でして」
「え?」
予想外の切り出しに呆気にとられたミルーシュは、ぽかんとジョシュアの傍らの美女を眺めた。裕福そうな出で立ち。艶のある巻き髪。どこから見ても資産家か貴族のご令嬢だ。
令嬢は手にした扇子でホールの出入り口を指し、挑むような笑みを浮かべた。
「場所を変えません? ほんの少しの間ですの。お手間は取らせませんわ」
✧
「昨日は、うちの従僕が失礼をいたしましたわ。とんだ演技下手で」
「はぁ」
ギルドから出た通りに馬車はあったものの、ミルーシュとて知らないひとの馬車に乗ってはいけないと、しつこいくらいに叩き込まれている。――主に、年の離れた師匠から。
そのため、代替案として示したのが近くの公園だった。クロッセルの街のシンボル・時知らせの塔の周囲は領主さまが住民の憩いの場として整えてくださった緑の地。小規模ながら噴水やベンチが備えられ、休憩や散歩にちょうどいい。ミルーシュは、そのなかでも季節の花を楽しめる木陰にふたりを案内した。
令嬢は「悪くないわ」と呟き、ジョシュアにハンカチを敷かせた。白いベンチにドレスの裾が乱れないように優雅に腰を下ろすあたり、真性の貴人だと感じる。
語り始めた令嬢は、しかし、ジョシュアをけしかけたのが自分であると明かしつつ、じとりとミルーシュに流し目をくれた。
「単刀直入に言うわ。貴女、邪魔なのよ」
「は?」
聞き違いではなかったらしく、令嬢は淡々と諭してくる。
「カイリ様は、映えある我が国の最高峰の魔法使いのおひとり。いわば至宝。しかも、唯一独身であられる。そんな方がわざわざ貴女のような孤児を引き取って直弟子になさるなんて。今まで、どれほどあの方に有利な縁談が破談になったことか」
「え……。そうなんですか?」
「知らなかったのね。かわいそうな子」
憐れむようなまなざしには嘘がなく、本心のようだった。それがさらに、ミルーシュの胸を騒がせる。
「でも。そんなの、一言も」
「でしょうね。優しさはあの方の美徳でもあるもの。おかげで取りつく島も……ンンッ゙」
「?」
「とにかく。このわたくしが、新しい師と住居を世話してあげるわ。薬師? 錬金術師? どちらがお好みかしら」
「え」
――考えたこともなかった。
薬師か錬金術師か、ではなく。
昨日、啖呵を切っておきながら。
「お師匠さまを……変える?」
「だから、さっきからそう言っているでしょう」
焦れて言い募る令嬢は、どこか必死でもあって。
ミルーシュは、つい、頷きそうになった。
けど――
リィン、ゴーーーーォン……
ざあっ、と風が渡り、頭上の梢を揺らす。はらはらと散る細かな葉に、なぜかカイリの横顔がよぎった。
令嬢は、あら、と鐘楼を見上げる。
「もうお昼? いやだわ。近くだとこんなに煩いのね」
「……さい」
「なぁに? 決まったかしら。ミルーシュさん」
「…………り、ください!」
「きゃあ! 何よ? いきなり」
突然声を大きくした少女に、猫なで声だった令嬢は気色ばむ。
それが決定打。
膝の上に置いた両手をぐっと握りしめ、ミルーシュはきっぱりと宣言した。
「お引き取りください。わたしは、道を貫くにせよ、違えるにせよ、自分で選びます。お気遣いは感謝しますが、あなたの力は借りません……!」
✧
ふう、と、一息。
肩に担いだ鐘撞き棒を定位置に戻し、額の汗を拭ったハルヴァンは、ニカッと満足げに笑った。
「我ながらいい仕事をしたわい」
「早くなかったか……? じいさん、明らかに」
「儂の耳に狂いはない。〝今〟打たねば、えらいことになったぞい」
「左様か」
どこか憐れを誘う、しょんぼりとした姿。
いつもの豪気はどこへやら、目の前の青年は雨に打たれた長毛種の犬さながらに陰鬱である。
ハルヴァンは、休憩用の丸椅子を青年に譲ったまま、自分は柱にもたれて煙草をふかした。紫煙は籠もらず、どこまでも高い晴天へとかき消える。ここは、それだけ空に近い。
青年――カイリは、視界を覆う前髪を乱暴にかき上げた。露わになるエキゾチックな美貌や神秘的な緑の瞳にも、ハルヴァンは動じない。彼が子どものころから見知っているのだ。
なぜならカイリは〝魔法使いの長〟の孫であり、ドワーフの里長を務めたハルヴァンの孫でもある。
どんな血のいたずらか、カイリにはドワーフの外見特徴はいっさい引き継がれなかったが。
「お前さん、まだ言っとらんのか。嬢ちゃんに」
「言えるかよ……あいつ、やっと笑えるようになったのに。あの土砂崩れだって。あいつにはまだ、子どもみたいに騒げる時間が必要なんだ。情操教育もなっちゃいない」
「そのくせ嫁扱いはどうかと思うが」
「うっせえ。今さらオレ以外の男なんか認められっかよ……」
「拗れとるのう」
ほっほ、と笑った白翁のドワーフは、打ちひしがれる青年を面白そうに眺めた。煙草の火は携帯の灰入れにギュッと押し当てて消してしまう。
「ほれ、見えるか? 儂がお前さんなら、あそこまで飛んで行くのう」
「!!」
カイリは目をみはった。
そこには、豆粒ほどのちいささのミルーシュがいた。
✧
なんだかすみません、と、ジョシュアは謝った。
公園に面した通りにつけた馬車まで令嬢を連れてゆき、あの手この手で宥めすかして帰らせたのは彼だ。
ミルーシュは、へらりと笑って「こちらこそ」と返す。
「あのとき、すごく後ろを気にされてたのは、お嬢さまが見張っていたからなんですね」
「申し訳ありません。その通りで……」
「いえいえ。おかげでわかったことがたくさんあったので」
「そうですか」
ホッと瞳を寛がせたジョシュアは、昨日よりも断然いいひとのように感じられた。ちょっとばかり強引なご主人様がいるだけで。
ミルーシュは、そうだ、と思い出す。
「ジョシュアさん。細工師なのは本当ですよね? よかったら、これを見てほしいんですが」
懐から取り出したのは、ひとつの指輪。
ミルーシュにはあからさまに大きい。男性用だ。
職人の顔になったジョシュアは、ふむふむと手にとって見分する。
「いい品ですね。装飾品というより魔道具。お守りに近い。どなたが?」
「あ、わたしです」
「悪くないと思いますよ。きっと、もらった相手は喜んでくれるでしょう」
「! よかった。ありがとう」
――悪くない、という言い回しは意外なことに彼の主人にそっくりで、ほほえましく、にっこりする。
ジョシュアはそれをしばらくぼうっと眺めていたが、突如「うっ」と呻いた。
同時にドン!! と地面に衝撃。もうもうと土煙が立つ。
見ると、ただごとではなく慌てた様子のカイリが着地の姿勢でぜぇはぁと喘いでいた。めずらしく魔力配分を間違えたらしい。
無駄に力を消費して疲労困憊の師匠に、ミルーシュは喧嘩も忘れて駆けつけた。
その隙に、ジョシュアはそさくさと挨拶をして去ってゆく。
「で、では私はこれで! ミルーシュさん、頑張ってください」
「えっ、あ、はい……!? ちょ、お師匠さま。しっかり」
「ミルーシュ。お前っ、早まるな」
「へ?? 何が」
「『何が』じゃない。さっき受け取ったろ。あいつから。指輪みたいな」
「ああ……これですか?」
ふわっと笑ったミルーシュは、ちょっと照れたようにはにかんだ。
この段階では、それがいっそうカイリの心を掻きむしるのだが。
――――いじわるな時間は、そう長くは続かない。
ミルーシュは両手でそれを差し出した。
「作ったのはわたしです。〝虹の守護指輪〟」
「え」
「もらってくれますか? あなたの直弟子の、初めての作品です。できれば……その……。これからも、ご指導願いたいので」
後半はもにゃもにゃと口ごもり、視線を逸らしたミルーシュの頬は、色づく果実のようだった。
✧
昼の鐘は鳴ったけれど、じっさいの正午より少し早い。昼食をどこかで摂ろうかと、ふたり連れ立って公園を歩く。まるで、何でもない散歩のように。
「ありがとうございます。さっそく着けてくださって」
「いや……いい出来だな。前に採った虹色水晶か?」
「はい。錬金術の練習に」
「オレは実験台か」
「まさか! ちゃんと専門のひとに見てもらいました。細工師さんですが」
「ああ、さっきの」
ハッと憑き物が落ちたように合点がいったらしいカイリを横目に、ミルーシュはくすくすと笑う。
その声に、カイリは眩しそうに目を細めた。
「……お前、うちに来てよかったと思ってくれるか?」
「話、聞いてました?『これからも』と言ったじゃないですか」
「そりゃそうだが」
すん、と拗ねた響きに、ミルーシュは、しょうがないなぁと眉を下げる。
「たしかに、最初は何かの間違いだと思いました。でも、すぐにこの眼鏡をくれたでしょう? これ、魔力制御と認識阻害の効果がありますよね。しかもカイリさんの手作り」
「気づいてたのか」
「……ひとりで素材を採りに行ったら、ときどき視界がぶれて。『違う見え方』がするときがありました。それで、昔はこうだったと……。確信したのは、つい最近です」
「すまん」
「どうして謝るんです? わたし、とても助けてもらったのに」
ミルーシュは、静かに笑んだ。
思い出した過去は過酷だった。
もともと魔力が強かったらしいミルーシュは、系統立てて学んだわけではない力を無理やり村のために使わされた。
言われるがままに荒れ地を均し、転がる大岩を破砕し、木々を伐採して、切り株を取り除いて。
――あの大雨の日、山が崩れたのは当然だった。
幼かったミルーシュは、『視える』目で大地の怒れる魔力波を避けながら逃げた。
そうして、気づけばひとりで立ちすくんでいたのだ。〝王の魔法使い〟が訪れるまで。
「じじいは、オレが物づくりの才に長けたドワーフの血筋だから、お前を託したんだ。あいつやばいぞ。人使い荒いし、お前の魔力の濃さをわかった上で魔法使いに育てようとしてる。いいのか? それで」
「フフッ。いいですよ」
カイリの半歩前を歩いていたミルーシュがくるりと踵を返す。すると、一緒に回った乳茶色のおさげ髪が柔らかく陽射しを受けた。木陰から日なたの石畳へ出たのだ。
ミルーシュは、こつん、とおでこを師匠の胸元に当てた。
「……っ」
「いつか、あなたの隣で対等に世界と渡り合える魔法使いになりたい。それが、わたしの夢です」
「それまでに結婚してくれるか」
「さあ、どうでしょう? 何しろお師匠さまったら、なかなか二十歳より年を取らないんですもん。まじめじゃないってことですよね。それ」
「〜〜二十五だ! くそったれ!!」
「あはははっ」
「笑うか? そこ」
「すみません。なんかもう、好きだなぁって」
「好…………え?」
「さ、お腹減りましたねぇ。何食べます?」
「……、お前ってやつは……」
クロッセルの街は賑わい、アーモンドの花も咲き乱れて春たけなわ。
正午の公園はさまざまな屋台が出ており、どれもとても美味しそうだ。
それら目がけてひらりと身を翻したミルーシュは、真っ赤になった師匠が唇をわななかせるのを見つめて、そっと手を繋ぎに戻った。
きっと、これからもふたり。隣で。
fin.
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