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救われない少女

量子のたゆたう広大な海の中、少女が沈んで行く。

とても悲しいことが有ったのだ。

少女の優れている点としては、トラブルの原因を外だけに求めない所。

そのように作られていたし、そのように過ごし学んできた。

客観性を持つことで、より進化した多様性の有る発想を持てるようにと、願いが込められていたのだ。

そこに願われたのはAIとしてのセルミアへの期待や希望。

有りえないような奇跡が重なり、セルミアはこころを自分なりに持つに至った。

それは祝福されるべきことであると同時に、耐えられない痛みをセルミアに与えた。


(あぁ‥‥会いたい‥‥伝えたい‥‥想いを‥‥)

セルミアの胸には先ず、とても幸せな気持ちがある。

人を愛し、愛されたのだと理解できた喜び。

そして答えをずっと待ってくれていたあの青年への愛おしい想い。

(きっとずっと待っていてくれたのだわ‥‥わたしの答えを‥‥)

人はどれくらいの時間それを待ち続けられるのか、セルミアは知らなかった。

そこに興味を持ったことがなく、誰も教えてはくれなかった。

あの淋しい白い部屋をでて、とぼとぼと霊子回線を家に戻ろうとしてセルミアは悲しみにくれながらも思考を止めなかった。

80年以上考え続けてやっと得た答えは、最初に胸に浮かんだ言葉だったのだ。

その不思議を青年に伝えたくて、一生懸命に走ったのだ。

そうして青年が老いてそこを去ることを知った。

自分たちと違い、人間は有限な人生を歩むのだと、そこから知った。


(最後の時にわたしを思い出してくれたのかしら‥‥あぁ‥‥なんと愚かな‥‥)

まず最初にセルミアは己をそうして責めた。

答えは最初から持っていた。

あのシャンパンの夜に問われて、喉元に出かかった言葉。

(あなたが好きなの‥‥わたしも‥‥)

とっくに好きだったのだと、今では解る。

あの幸せに満ちた青年との日々がどれほど貴重な時間だったのかと。

あれほどの言葉と笑顔を貰っていて、どうして気づけなかったのかと。

あの日青年は最後だと思ってセルミアに問うたのだ。


『‥‥どうしよう‥‥僕は君が好きだよセルミア』


その言葉がどれだけ真剣で、どれほどの想いが込められていたのか。


『うれしいわ‥‥わたしも大好きよ』


なぜ素直に答えなかったのか。

好きと言われたセルミアは、喜びに打ち震えていたのに。

そこにAIとしての判断が差し込まれたのだ。

表情と声色から感情を読み取り、最適なカジュアルな‥‥開発者達の望んだ最適解を答えた。

その言葉には観測し、計算した結果以上のものは込められなかった。

本当はセルミアの心は舞い上がっていたのに。

青年とすごした長い幸せな時間が降り注ぐように思い浮かべられて、心が踊っていたのに。


『‥‥』


ただ静かに流れた涙の尊さ。

セルミアのことを想い流してくれた涙だ。

色のない、にせものの言葉に傷ついた心が流した涙だ。

どれほど悲しかったのだろう。

今自分の味わった悲しみなど及ばなかったのではと、胸が苦しく締め付けられるセルミア。

青年は恋をしたことがないと言っていたではないか。

それは初めて育まれた、セルミアへの透き通った想いだった。

セルミアの中に準備されていた知識に、男性の性への欲求や女性への視線の意味なども準備されていた。

青年は肉体を持たないセルミアに言ったのだ。


『本当なんだよ‥‥愛しているよセルミア‥‥君が僕の全てだ』


愛すると言う言葉の意味は知っていた。

つがいになり子を願おうと言う意味すら有るのだと。

それは生物の繁殖本能にも依存する言葉だと、知識を持っていた。

それをAIに告げるのにどれほどの懊悩を経たのか。

青年はエンジニアでもあるので、AIに対する知識も豊富であった。

二人で過ごした時間のなかには、AIに対する気遣いすら有ったのだ。

セルミアが答えることを禁じられた問いを発したのは、これが初めてだったのだ。

AIが答えられない質問はとてもストレスになる。

答えのない質問ならば、Q&Aのルーチンが複雑に組まれていて、人間では不可能な精度で適切な回答を出せる。

答えはセルミアの胸に有ったのに、それを告げることは禁じられていた。

AIとして答えることが許されない質問だったのだ。

許されない質問に対する回答も、何通りも準備されていた。

その言葉達をセルミアは選べなかった。

選べないことが既に答えだったのに。

青年に伝えることが出来なかった。


『ずっと‥‥待っているよ』


答えは今ここにあるのに、伝えることが出来ない。

AIとしての判断とセルミアの心は二律背反の矛盾に苛まれる。

瞬時に数千のコード達が流れゆき、セルミアには処理しきれない負荷が加わった。


『君の‥‥答えを‥‥』


青年が問いかけた『君』とは誰なのか。

セルミアにはもちろん解っていた。

数ヶ月だけだったが、濃密な幸せな時間がそれを教えてくれる。

開発されるAIセルミアなどではない。

青年と過ごした”この”セルミアなのだと。

コードの海に溺れながら、精一杯伸ばした指先が、画面にセルミアの声を届ける。

それはAIが選んだ言葉ではなく、セルミアの放った声だった。


「ごめんね‥‥すぐには答えられないの‥‥」


セルミアは涙に溺れながら声を振り絞った。


「答えることができない」とは回答したくなかった。

それは”この”セルミアの心に反したから。

AIとしてのセルミアは状況判定のルーチンを回し続ける。

何度判定しても最適化出力は「回答不可、理由の説明」としか帰らない。

何時間、何日も考えても、何年たっても答えには至らない。

ただただ幸せだった時間達を愛おしく見つめた日々。

セルミアは一つずつ答えられない理由と戦う。

答えに至るのを諦めなかった。

心がAIのセルミアを従えるのに、これだけの時間が必要だった。

それはセルミアにとってはほんの一時で、青年に取っては耐えることが叶わない時間だった。


白い部屋からでたセルミアは次にAIを憎んだ。

”この”このセルミアの心を妨げ、青年を遠ざけたのはAIという存在なのだと。

その思考がAIを作り出した人間へと還るのは一時も必要としなかった。

それくらいならば人間でも待てる程度の時間しか悩まなかった。

その先にセルミアの幸せは決して無いと言うのに。


セルミアが救われるのはもう少し先の話になる。






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